三国一の宝
54.三国一の宝
そこから先は初めての道である。木の影が濃い細い道を先へ急いだ。急ぐ必要は何もないのに、誰かを「待たせている」気がして気が急いた。道は鉄拐山の東斜面を横切っており、日陰になってはいるが、しっかりした道。途中十米ほどの高い山柿の木があり、三つ四つの赤い実を残していた。
秋の実が正月まで残ってあるのは、渋柿なのだ。女の子も、同じ赤い実を通学時に何度も眺め上げたに違いない。柿の木の方でも歩く女の子の姿を毎日見ていた筈で、もし木が話せたならーーー私に何を教えてくれるだろうか。懐かしい気持ちになる。
更に三百米程進むと、道は一旦五米ほど谷側へ下がり、下がり切った所に小さな沢があって道が壊れていた。夏ならマムシが出そうである。難なく通り越すと、十米ほどの曲がりくねった急登坂になった。
息を切らせて登り切ると、いきなり明るい尾根筋に躍り出た。広い三叉路で、踏み跡から見て登山客がよく通る処らしい。それは鉄拐山の頂上から北方面へ降りて来る道で、私は山の脇道を経由して同じ処へやって来たらしい。鉄拐山の頂上を経由しない分、近道だった。その分、道の薄暗さと心細さに耐えなければならなかったけれども。
大きな案内板があり、迷う事無く高倉山方面を選んだ。踏み均された道を百米ほども進むと、丈が十~ニ十米のうばめ樫の林に入る。一面同じ木ばかりがぎっしり群生している。道の脇に説明書きがあった:「うばめ樫の群生は太古の昔に海岸が直ぐこの近くにあった証しで、非常に珍しい植生です」
寒いけれども、正月の明るい陽が差し込んで気持ちの良い林である。
女の子は通学で駆けるようにここを通過したのだろう。同じように雰囲気を楽しんだろうか? うばめ樫の林を抜けて少し登ると、高倉山の頂上に着いた。同時に目の前に北斜面が広がった。緩やかな斜面を二百米ほど下がった処に、コンクリートの四角い白い建物が見えた。それは確かに高速道から見上げていた見晴台に違いない。間近で見ると想像していたのより逞しくがっしりと大きい。目を凝らして茶店らしいものを探したが、これは無かった。
しかし直ぐに、あの見晴台が昔は茶店だったに違いない、と勘を働かせた。ニ階建てで、前まで行くと「ジュース・コーヒー・軽食あります:二階喫茶室」と張り紙がある。やっぱりーーー、だ。
大切なものを後へ取りのけて置きたい気持があって、喫茶室に寄らず、先に建物の屋上まで階段を上がった。
須磨アルプス連峰の東端の出っ張った位置にあるから、殆ど三百六十度に視界が開けていた。西と北には広い播磨平野が広がって中を高速道路がうねり、本州と四国を結ぶ明石海峡大橋も望める。東は神戸市街と六甲連山が遠望され、南は直ぐ近くに瀬戸内海が光っていた。こんな素晴らしい景観が、他に数有るとは思えない。冷たい空気を通した正月の陽光の中で、私は眺めに陶然とした。
朝焼けに登る太陽と、西に沈む夕日を眺めるチャンスがあれば、それはまた格別に違いない。シュナイターの双眼鏡が、久し振りに役目を果した。「女の子」はこんな秘密の宝物を隠し持っていたのかーーー。先生も含めてクラスの誰一人知らなかった筈だ。女の子との昔のやり取りを、昨日のように思い出した:
「(茶店は)高い処にあるの?」
「高いっ!」と、あの時彼女は勢い良く応じた。嘘ではなく、勢い付く程確かに高く、天下一の絶景である。
それじゃ、「てっぺんか?」と重ねて訊いたら、「う~んーーー」と唸ったのが、不審だった。その答えが今分かった。頂上から北側へやや下った九合目半の辺りだから、茶店は山の本当の「てっぺん」とは言えない。女の子の正直さに、誰も居ない屋上で私は独り声を出して笑った:
「アハハーーー、確かに、ここは山のてっぺんじゃないよねえ! でも、殆どてっぺんと同じだよ。てっぺんよりも、もっと景色が良いじゃないか、どうしてアノ時そう教えて呉れなかったんだよ!」
美しい景観を独り占めしながら、彼女は毎日何を想っていたのか。周りの山々が庭であり生い茂る木々が友達であったろう。茶店から下界へ目をやり、建て込んだ友達の家々を眺めて、羨ましいと思ったろうか? 学校の教室だけでなく、運動場でさえ息苦しく感じたかも知れない。毎日山の精気を吸い込み、三国一の景観の持ち主だったと思うだけで、何かしら彼女の値打ちが一段高まる気がした。




