シュナイターの双眼鏡
52.シュナイターの双眼鏡
ちょっとした決心を秘めて正月元旦の午後、一人で山へ出掛けた。
天気も良く、車ではなく電車でJR須磨駅に着いた。昔懐かしいキツネ坂を登った。親も死に、潮見台の昔の家は人手に渡って建て替えられ、もうとっくに無い。潮見台町を通り抜けて見覚えのある登山口へ直行した。駅から四十分掛かった。私もそうだったが、中学時代の彼女も同じ道を通学で歩いた筈である。
見晴台の山へ通じる道の分岐点が、山のどの辺りにあるのか判らなかったが、目指すのは鉄拐山の直ぐ背後の山だと確信的な見当が付いていた。途中から北へ北へと道を選んで行けば、辿り着ける筈。以前ドイツの取引先に貰ったシュタイナーの軍用双眼鏡を、小型のナップザックに押し込んでいた。重いけれども頑丈で、口径が国産品の二倍はあるから視野が明るい。
どうしても、その日の内に見晴台へ行き着けなければ、下山して明日か明後日にもう一度出直して、車で山の周りの道路を細かく巡って、正しい登山口を見つける心積り。「茶店か、その痕跡を今度こそ見つける」の気構えだけは充分であった。歳を取らない彼女に再会出来る気がした。結婚を申し込もうかしらーーー。
登山口から登り、ほどなく見覚えのある中腹の休憩所まで来て海を眺めた。谷に掛かる橋を渡り、その昔下から彼女のスカートの中を見上げたきつい岩の道を登った。やがて7合目辺りの第二の休憩所に着いた。昔は無かった休憩所で、ちょっとした小屋がありベンチとテーブルを置いてある。署名簿とノートもあった。最初の休憩所より標高が高い分、瀬戸の海が輝いて眩しい。
生前母は、六十の頃からだったか、雨の日以外は毎朝欠かさず健康の為に、この第二の休憩所まで登るのを日課としていた。ここで署名して、元来た道を下るのだと、私に昔そう話していた。一緒に登った経験は無いが、確か千回登山を達成した筈。十回で寿命が一ヶ月延びるから、百歳まで生きる勘定だったのに、八十九で死んだのは残念だったろう。
正月休みに登山している人がいるかと思っていたが、休憩所に人は居らず、途中の山道でも出遭わなかった。近年は楽しみが多いから山へ登る人が少ないのか、それとも早朝登山の時間を過ぎている為に、恒例の人たちは下山してしまったのかも知れない。




