ちょっとした発見
47.ちょっとした発見
熱中して走り回っている時、年月はアッと言う間に過ぎる。
試しにアッと言ってみたら、たちまち二十数年が過ぎ、何時しか六五歳となった。社員の数は当初私と配偶者の二名だったのが、ニ十名になり十倍だ。五坪の事務所は二階建ての自社ビルへと変わり、こっちは三十倍。この変化を眺めて、画期的拡大と呼ぶ事にしようと配偶者が提案し、そうする事にした。以前に居た元の会社を売上高で追い抜き、何時の間にか業界で一番になっていた。
六十五のある秋の日、もう自らセールスに出る事は無くなったが、他の用事で矢張り同じ須磨アルプス山麓北側の高速道を走った。遠くに見える小さい見晴台に、何故か気持ちが強く惹かれた。画期的拡大で会社の経営も安定し、気持ちにゆとりが持てるようになったからか、「アソコへ登って四方を眺めれば景色が良かろうな」と、初めて具体的な願望になったのである。
何処が登山口なのか見当が付かなかったが、「間もなく正月だ、正月の休みには時間もあるから登ってみようーーー」と気持を固めた。
けれどもーーー、邪魔が入った。正月三が日に激しい雪が降り、予定していた貴重なチャンスを失った。白い見晴台の方でも、がっかりしたに違いない。人生は短く、年月は川のように簡単に流れる。もう一度アッと言ったら、七十になり、社員は三十名になった。
冬の初頭、十二月初めの寒い土曜日の夕方、住居のある明石から神戸市街へ出る為に、同じ高速道を走っていた。配偶者と一緒に、息子の運転する車に同乗して、私は助手席に座っていた。この日はセールス活動ではない。成人した息子も私がこしらえた会社で働いている。週末だから、三人一緒に家族で神戸の町へ夕食に出かけたのである。
息子の車に同乗して走り慣れた須磨アルプス連峰の山裾を通過しながら、前方に赤い夕日を反射して小さく光る、何時もの白い見晴台に私は目を留めていた。助手席から眺めるのは初めてである。運転席の息子と後部席の母親は話をしていたが、私は一人黙って山を眺めていた。同じ景色でも、自分が運転しながら眺めるのと、助手席で眺めるのとは違う。思考する時間が与えられるからだ。
見晴台のある山は、昔私が潮見台町に居た頃に登り慣れていた鉄拐山とは、丁度隣同士で、互いに仲良く手を繋いだように「二つの山が左右に並んで」見える。尾根続きだ。通過する度に何十年と見慣れた何の不思議も無い景色なのに、この時初めて秘密を嗅ぎ取った気がした:
尾根の続いた二つの山は左と右に開くように広がっている。が、これをもし尾根向こうの潮見台側から眺めるとしたら、二つは縦に一直線に重なって見えるーーーのではないか? ちょっとした発見である。
いや、「見晴台の山」は標高がやや低いから、縦に並べば鉄拐山の丁度背後に隠れる形になり、二つの山は一つにしか見えない筈だ。私が昔馴染んでいた登山口方面からなら、鉄拐山の背後に隠されて、「見晴台の山」の存在がまるで判らない仕組みになっている、と気が付いた。
セールスマンとして磨かれた直感は鋭い。暗闇にさっと光が差し込んだ気がし、何かが脳裏をよぎった: ことによるとーーー。




