★第百五十七話:泰子さんの話(55)「戸籍謄本](6)
★第百五十七話:泰子さんの話(55)「戸籍謄本](6)
私達夫婦は中年以上の歳になっても「二戸イチ」とあだ名された。スーパーに買い物に行くのも一緒だったし、昼ご飯も一緒。何もかもいつも一緒だから、社員達にそんなあだ名で冷やかされた。起業する前は会社員だったが(=とっくにもう新婚ではない時代だったが)、勤務先から自宅に帰るのが(配偶者に逢えるというだけで)私には楽しみだった。幸い下戸だったから同僚と飲みに行く機会もなかったからでもあるが。
単に自然に「仲がよい」というのとは少し違って、「二人である事を慈しむ」ように努力して、この認識を夫婦の間で共有していた。別の言葉で言えば、「仲良くなる」ように双方で努力した。一方で「仲良くしない」ならば、プラス・マイナスで自分にとって「人生の損だ」という認識をしていた。私たちは(今も含めて)冷静で「損得の計算」が高いと言える。
例えば、配偶者が長年付き合っている親しい友達で、「離婚まではしないが同居を続けている」体裁の夫婦が居る。昔、大恋愛をしたと聞いている。これを眺めて、私達二人の一致した見解は「まあ、損な人生ねえーーー!」である。
幸い私はサラリーマン時代に転勤があったり単身赴任などの経験が無かったが、(もしあったとしたら)配偶者は私に「絶対に、貴方を単身赴任させない。私は必ず一緒について行くから」と常々言っていた。これで私達の考え方が立証されるだろう。
友達として夫婦同志で逢う機会があっても、(当たり前だが)男である私が相手夫婦の奥さんと親しく本音を話し合う機会は、普通有りえない。夫は夫同士で会話をし、妻同士で話が弾み勝ちだ。だから夫婦の内面まで分け入って知る事は出来ないものだ。精々私の知識で知っているのは、三組位なものだ:私達夫婦・私の両親の関係・泰子さん夫婦の関係。
これら夫婦を比較してみると:
私の両親は、決して仲が良かったとは言えない。対して泰子さん夫婦は、(様々な世間的観点から眺めて)決して仲が悪かったとは見えない。けれども「慈しみ・情愛がある」というちょっと湿り気のある基準で採点すれば、(若い時分から)私達夫婦が最上位になると思う。
が、泰子さん夫婦は一番お金があり、トラブルも少なく、泰子さんはお茶のサロンなど高価で優雅な趣味に没頭出来たようだが、夫婦として見れば最下位だったように思う。
つづく




