機械は要らんかねえ?
44. 機械は要らんかねえ?
結局、一年半に渡る浪人生活の末、畑違いもはなはだしい「セールスの世界」に飛び込んだ。考えがあってそうした訳ではない、新築したての家のローンがのしかかり食うのに困り果てた。資格が無くても直ぐに採用してくれる処が、ソコしか無かったのだ。
学校で教わった難破船の設計法も、T社で鍛えられた滑らかな語学も役立たないから、口下手の自分に世界中で「最も不向き」な仕事であった。が、給料とチャリンというお金が欲しかった。
神戸にある米国外資の工具販売会社のセールスマンである:学歴やそれまでに築いたキャリアがいささかの助けにもならない、実力一本槍の世界。チャリンの為に中年男が丸裸となる覚悟。未知の世界へ向けて舵が切られ、人生行路という名の船は大きくかしぎ、急カーブを描いて航路を変更した。食うために後の無かった私は、新しい世界で死に物狂いになる。
しかし何とまあ、人生とは分らないものだ。ここを起点に、セールスマンという茨( いばら)の道をまっしぐらに、疾走するように出世して行く事になる。変身ぶりを見ていた人が、シンデレラと言ったが、魔法は使わなかった。
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始めて見たらセールスの仕事は、ダニみたいに机や製図台へしがみ付いていた陰気な技術系の仕事に比べたら、遥かに気が晴れる仕事であった:
毎日車でドライブが出来るから素晴らしい。私は車の運転が好きだ。町のビル群を眺め、それを抜けると遠くの山々を眺めて、車の速度を上げたり下げたりして走るのは楽しかった。機械のサンプルを積んで、毎日西や東へ、高速道路を車で走り回る生活になった:「機械は要らんかねえーーー」
こんな天国みたいな滑り出しのお蔭で、売上成績はビリながらも、セールスマン稼業も悪くはなかった。ガス代をふんだんに使われて、会社では迷惑だったかも知れない。
何カ月か経ったある日、仕事で明石と須磨の間を結ぶ高速道を須磨方面へ向かって、つまり西から東方面へ走った。須磨の料金所の直ぐ手前に長いトンネルがある。昨今は明石海峡大橋経由で四国方面からの車も合流するようになったから、トンネル内は混み合う時が多い。通称阪神高速第二神明道路と言い、今では一日中車のラッシュアワーだ。
けれども当時は明石大橋も存在しないから車の合流が無く、高速道は空き空きな上、速い者勝ちで、スピード制限も無かった気がする。セールス活動で毎回時速数百キロで、明石・須磨間など光より早い。アクセルを踏めば、たった三十分という便利さ。




