★第百三十四話:泰子さんの話(32) 「十人中十人」
★第百三十四話:泰子さんの話(32) 「十人中十人」
甥や姪となると、法的にはもともと財産の相続権は無いそうだ。だから岡山市に住んでいた泰子さんを、甥である私が(頼まれてもなかったのに)神戸へ引き取ったり世話をする義務はない。
泰子さんは財産が世間の水準以上にあったから、元々経済的に私を頼る意志はなかった。けれども「神戸へ(=私のそばへ)来ないか・おいでよ」と誘ったのは私からである。一人娘が早逝し夫も亡くした泰子さんの天涯孤独を思いやり、悲しみと失意を気の毒に感じたからだ。たまたま私の自宅の近所に(徒歩10分以内に)マンションの一室を、私が保有していたからでもあった。
もともと体調が良くない私の配偶者に、負担を一切掛ける積りはなかった。電話連絡はもちろん、行政手続きやお世話の全責任を「私が一人で負う」と配偶者へ約束してある。
とは言っても、泰子さんはもともと自立精神が強い人なので、引き取ってから2ケ月になるが実質には私は殆ど何もしていないし、する必要もない。今の処はーーー、だが。
「私は年老いた義母(或いは義父)のお世話をし続け、最後まで看取りました」というセリフは、陳腐化するほど世間で良く聞く。またそう語る方も(そこまでの義務はなかったのに、犠牲を払って自分はよくやったのです、褒めて下さいよ)というニュアンスを感じる事もある。
世間のそんな常識の中で、私の場合はとんと縁の薄い甥っ子が95の年寄りを遠隔地から引き取ると聞いて、びっくりする人が多い。一体何を好んで(先の短い)疫病神を背負いこむのか、と思うらしい。更には、ひょっとしてよっぽど財産目当てだろうと、考えるようだ。十人おれば十人が、私をそう観ている。
十人中十人とは、恐らくご本人の泰子さん自身も、不審に感じている一人かも知れない:そこまでの義理はないのに「なんでヒロシは、こんなに私へ親切なんじゃろか」と岡山弁で怪しんでいる風だ。つき合っている内にどうやら「財産目当てでもなさそうじゃ」と泰子さんには分かって、ついには「ヒロシはバカじゃなかろうか」と、ますます混迷の度を深めているみたいだ。
けれども、泰子さんの怪しみを含めてどれも当たってはおらず、私の心底は(先にも書いたが)「暇つぶし」を心から楽しんでいる。人間82ともなれば(男も女もそうだろうが)「退屈じゃあ!」となるものだ。だから、泰子さんに何かを頼まれても、よい「暇つぶし」であって、それが面倒だと感じたり苦になった事がない。
思うのに、若い頃は日々忙しく「息せき切って」荒っぽく生きていた気がするが、歳が行けば(恐らく誰しも)「丁寧に生きる」ようになるものだ。
「暇つぶし」の外に考えてみるともう一つあるようだ:私が小3の時に12歳上の泰子さんが「素敵なお姉さん」に見えた事が、根底にあるーーーとは思う。今はそんな気持ちは失せているが、当時はお姉さんへ恋したものであった。私は生涯恋を追い求め、それを忘れないタイプなのかという気がする。
半世紀以上の年月が流れ環境が変わっても、これが心の中から完全には消失しないのだろう。人の心には自分でも不可解な処がある。人間なんだから、毎度数学のように合理的である必要はなかろうと思う。
お仕舞い




