ルンペンと王様
43.ルンペンと王様
その頃は人の意識も今とは違った: ちゃんとした、それも出来るだけ大きな会社に入り、定年まで勤め上げるのが理想とされた。今のようにインターネットがあったり、起業やベンチャービジネスが当たり前の時代ではない。ベンチャーなんて言葉さえ無く、私に限らずそういう発想の転換が出来なかった。
結局七年居て、T社を辞めた。幼児付きながら配偶者が反対しなかったのは、有り難かった。大阪から高知県にあるFN社へ転職した。銃砲の部品を作るベルギーの会社。もう一度運を試したかったのだ。けれども、親は再度愚痴った:
「何の為に大学までやったのか判らないーーー」
転職に際して会社に不満があった訳ではないし、給料の安さの為でもない。ただ、ここにいても「社長にはなれない」と判ったからだ。
大手の会社の社長や会長が、(自伝等で)こんな風に書いているのを時々見る:「私がK社に入社し、社長・会長を務めるようになったのは、様々な偶然や縁や出会いがあり云々、それらの人たちや良い先輩に恵まれたからです。感謝しているーーー」
事実は確かにそうで、嘘ではないのだろう。
けれども、私はこれが嫌だった。偶然の出会いや先輩からの引きでなるとするなら、河原のルンペンにでも偶然になればよい! それは、まるで「宝くじ」の人生だし、「私は一等に当選しました」と自慢するのと同じだから、自伝を書く意味すら無かろうがーーー。
仮に他人はそうであっても、自分の人生は「宝くじ」であってはいけない。誰それのお陰でなんてーーー、赤の他人が自分の人生の大事を左右するというのも許せない。
となれば、目標の達成は確かに難しい。なぜなら「ならばーーー、どうすれば社長になれるのか?」の答えが判らなかったからだ。職場の同僚や誰かが、「なり方」を指南してくれたり、相談に乗ってくれる訳ではない。自分の持ち駒は、大学で習った工学知識と、英語で文章を書ける位なもので、他に目を引く特技がある訳ではない。
そうこうする内に、人生も半ば以上の四十を過ぎた中年になって、まるで嫌がらせのように一つの転機が訪れた。先の転職していた高知の勤務先が潰れてしまったのだ。強制的リストラで失業者となり、屈折した人生がスタートする。
失業者と社長では、ルンペンと王様くらいな天地の開きがある。「アカンタレ」を抱いたまま、人生が終わるかーーー、と唇を噛んだ。




