★第百二十五話:泰子さんの話(23)「脚」
★第百二十五話:泰子さんの話(23)「脚」
先の日曜日のお昼は、泰子さんと二人で車で三宮(=神戸の中心街)へ和食を食べに行った。午後一時半には住居のマンションへ送り届け、それ以後私は会社で仕事をした。
同日の夕方自宅への帰りに、私は用があって泰子さんの部屋に立ち寄った。「今日はどうしてか、脚が疲れた。痛いんじゃ、昼からソファで寝とったんじゃ」と泰子さんが言った。その日、三宮で大した距離を歩いた訳ではなかったと思ったから、どうしてかと私は心配した。
「湿布薬をたんと(たくさん)貼ったんじゃ」と言いながら、泰子さんはソファに腰かけたまま、片方の脚をはぐり細いスネを私に見せた。湿布薬の外にもマグネットみたいなものも数カ所貼り付けてあった。私は見慣れた自分のスネとは随分様子が違うと知ってびっくりした。
96の人のスネを間近に見るのは私には初めての経験だ。皮膚の状況がまるで違った。つややかさを失ったという程度を通り越して、朽ちかけた森の中の枯れ木を思わせた。道路地図みたいに、細かいひび割れが縦横に沢山走り交差点だらけで、貼り付けたマグネットが信号機に見えた。
思わず手を出してそろそろさすってみたが、古木の皮が取れるように表面の皮膚が剥がれ落ちないかと心配した。これでは到底脚として用を為さず、もうダメではないかという気がした。無慈悲という言葉がふと頭に浮かんだ。
こわごわさする私の様子を見て、泰子さんはニヤリとした。不思議な笑いに感じたから、ひょっとすると「セクハラされている」と思ったかもしれない。泰子さんは何時も心ある男を当惑させる。
後で一人になった時にもう一度念入りに思った: あんな脚は人間の脚じゃない。泰子さんはもうすぐ絶滅するのかも知れないなーーーそうに違いない、という気がした。
お仕舞い




