★第百二十二話:泰子さんの話(20)「退屈じゃあ!」(2)
★第百二十二話:泰子さんの話(20)「退屈じゃあ!」(2)
確かタモリの言葉だったと思うが、上手い事を言っていた:教養を持つのは大切だ、暇つぶしの数がそれだけ増えるから。味のある卓見と思う。子育てが終わり定年退職後の人生は、「おまけ」の人生だが、昔と違い今の時代これが「大変長い」。「暇つぶし」に困る。
(教養を深めて)英語が読めれば原書で本を読めて(人より)楽しみの数が一つ増える。お茶という教養を身に付ければ(教養の無い人よりも)茶会を楽しめる。スキーを学べば冬季に野山でスキーする楽しみが増えるし友達も増えるーーーと言う訳だ。即ち教養人となれば、生きる上で暇つぶしに困らないとタモリは言っている。
私はとなると:これは泰子さんと似ている。直ぐに「退屈じゃあ」となる人間だ。かといって友達は居ないし、マージャンは知らないし、仕方ないから「暇つぶし」に年がら年中休みなく会社へ出勤している。
知らない人が聞いたら「凄いねとか、流石に仕事の鬼だとか、なんとかかんとかーーー」賛辞めいた事を言われる。なに、本当は退屈だから本人は「暇つぶし」をやっているに過ぎない。
泰子さんは、私が(何の報酬も義理と言う程のものも無いのに)お世話をするのを、少しヘンに感じているかもしれない。恐らく他人が見てもそう思うかもしれない。けれども、私にすれば(本人へは言わないが)「格好の暇つぶし」が出来たと思っている。だからこれが少しも「苦にならない」。これを、一般にはボランテイア活動というのかもしれないが。
もし泰子さんに(なぜ自分の世話をするのかと)問われたら、「泰子さんと同じさ。退屈だから、暇つぶしだよ」と応えるかな? それとも「いやあ、勿論僕は泰子さんが好きだからさ、昔お世話になったものーーー」と人格者風に応えるかな? 前者が本音だが、相手の気持ちを考えて、私はきっと後者を言うに違いない。本音と建て前は何時も同じとは限らないが、私の場合は両方が少しづつミックスしているみたいだ。
つづく




