★第百十九話:泰子さんの話(17)「お墓の話」
★第百十九話:泰子さんの話(17)「お墓の話」
私達、つまり泰子さん96と私83との間のお喋りとなると、話題は若い人たち同士とはかなり違う。空想的で幻想的なものになり勝ちだ:焼き場はどこが一番近くて便利かとか、重油ではなくて出来たら天然物の備長炭で焼いて欲しいとか、九谷焼の骨壺の値段はいくらじゃろうか、と相談したりする。
勿論時々はハッと現実に戻って、介護施設のフロアにシャンデリアがあるかないかの議論もする。
95の歳から考えれば、そうなるのかもしれないが、泰子さんは迷信じみた事をよく言う;
「(自分が)一族の中でこんなに長生き出来るのは、A子(早逝した一人娘)とお祖母ちゃん(自分の母親)が、天から見守っていてくれるからじゃ」と、言う。ありありと信じ切っている。
(親戚の)B子は男運が悪かったが、あれば「C事件のバチが当たったんじゃ。やっぱし、神様はよう見とんじゃな」とも、言う。
一年前に97で亡くなった泰子さんの夫、健市さんの話も例外ではない。私に言わせれば、この人は岡山の広告業界で名を馳せた、優れた起業家であり経営者であった。無論、頭も非常に切れる人だった。けれども泰子さんに掛かると、ニュアンスは若干変わる: 「あの人は、何も頭は良くねえ。ただ、そういう星の下に生まれたんじゃ!」と一言で片付けられる。優れた名経営者も運命の星一つなんぼ、となる。
亡くなった人の法事が大切だと泰子さんは言い、7回忌とか33回忌の話になった:
「先祖を大切にせにゃあ、いけんよ、ヒロシ」と、泰子さん。
「うん、そうするよ」と、私。
「ヒロシは、父母の墓参りをちゃんとしているのじゃろうな!?」
「うん、ときどきやっているよ」
「ところでーーー、ヒロシは自分の墓をどうするんじゃ、え?」と訊かれて、「どうもしないよ。そうだなーーー、息子達に手間を掛けさせたくないから、墓は作らん積りじゃ。樹木葬か散骨がいいかな」と応えたら、息を呑んだ風で泰子さんは黙った。
*
泰子さんへ話さなかったけれども、私は別な事を考えていた: 「人は二度死ぬ」という。一度目は生命活動を停止した時。二度目は人に忘れられた時。後者の意味なら、織田信長も徳川家康も西郷隆盛も、「墓の有無」に関係なく死んではいない。人々の心の中に「今も生きている」。まるで昨日死んだみたいに語られて、決して忘れられない。
翻って(配偶者も含めて)私の場合:幸いにしてと言うか、複数の息子と孫も二人居る。少なくとも孫の一人は会社を継ぐだろうと思う。会社が存続する限りという「条件付き」で、私の存在が忘れられることは無いと考えている。会社が10年続くなら10年、もし100年続くなら100年、二代目三代目は忘れられる事があっても、私と配偶者に限りこれはない。創業者の特権である。
石で出来たお墓も立派なお寺も要らないのである。墓が無くても人は忘れない。決して大きくはないが、配偶者を含めた私達はそのような会社にしてきた積りでいるからーーー、ねえ、泰子さん、分かるかしらね。
お仕舞い




