風景が変わって見える
39.風景が変わって見える
それでも、生きるのに時々退屈する私を眺めて、母親が年季の入った教えを垂れた: 「取り合えず結婚してみたらええぞ。周りの風景が変わって見える」
こうしてT社内で配偶者を見つけ、二十八で社内結婚した。母親の教えた通りで、風景の変わった生活はそれなりに楽しかったから、暫くは「社長になる」夢に蓋をして後回しにした。
けれども、一年半で倦怠期が来た。風景が変わる効果はハシカみたいに生涯に一度きりで、だからと言って何度も結婚する訳には行かないのだと、間もなく悟った。今の時代みたいに離婚が盛んではなく、その意味では、風景が変わるチャンスが多い今の人が羨ましい。
結婚後、住み慣れた神戸から、会社に近い大阪市内の見栄えのしない安アパートに移り住んだ。和室が六畳二間きりで、一つを居間、もう一つへは配偶者が持参した嫁入り道具の箪笥や家具を押し込めて、同時に寝間とした。
晩ご飯を済ませると、外にすることも無かった。だから、夕食の後片付けを済ますや、くっ付く以外に余分な隙間の無い住居も幸いして、我々は毎晩甲斐々々しくモチツキをした。照れ臭い事をやるのが苦手な日本の夫婦の中で、こっちは意欲的にせっせと精を出したから、強い繁殖力を示してたちまち長男が生まれた。新たな生命のこしらえ方は意外に簡単だったから、赤子の顔を眺めて、これは一体どうした事かと二人で不審に思った位だ。
身内が一人が増えて、狭苦しい部屋に寝る時私たちは川の字になった。 川幅が狭くて一方の岸は箪笥に接触し、私が担当の他岸は土壁で、不用意に寝返りを打つと鼻を擦りむいた。 真ん中に寝る幼児の夜泣きに備えて、毎晩枕元に小さな灯りを点けて寝た。
赤ん坊が人間らしい形を取るようになって来た。これに合わせて破廉恥な発情期を思い出した女は、二人目を合作する為に、ガラパゴスのゾウガメみたいにモチツキを迫った。
「ボヤボヤやっているから、飽きがくるのよ!」と、倦怠期のこっちの体を揺さぶって催促した。揺さぶると何でも出て来るから、かくして、爆発的な増殖を警戒してしばらく微調整していたのを、本格的に再開した。
この頃になると流石に、あの手この手で女をもて遊んだり集中砲火を浴びせる事も無く、モチツキの動作も要を得て簡潔である。
モチツキ後の汗ばんだ体で、仰向けになって薄暗い天井を見上げると、川の両岸にそそり立つ箪笥と土壁が圧し掛かってくるようで、谷底に横たわる心地がした。入試に頑張り大学を出て、就職し、結婚し、会社でも家でも甲斐々々しく働き、繁殖もした。人並みに一通りをやって、もう外にやることが無さそうに思えて、何やらがっかりした。
例えば学生時代には七月になれば、「間もなく夏休みだ」と嬉しかったし、中学生の時には、「次は高校生だ」と将来の当てがある。高校生になれば、受験勉強に「頑張ろう」という目的意識があった。彼女を見つけた時には、結婚して「なめたら女のオッパイはどんな味がするのだろう。布団の中でおしっこを上手くやれるだろうか」とわくわくして、実行を愉しみにした。
何時も先に何か目的や目当てがあったのである。
けれども今も今後もあるのは、小市民の生活が安アパートの中にあるだけ。サラリーマンの実態とはこんなものと分かり、大学卒業後何時しか十年が経とうとしていた。思えば、卒業時に主任教授に逆らった時までは格好が良かった。けれども、格好の良いのはそこまでで、以後の現実の厳しい年月が私の夢を干乾しにしようとしていた。
「大学を出たのは、安アパートの狭苦しい寝間に横たわり、時々モチツキをやって薄味( うすあじ)のするおっぱいを舐めて、こんな風に薄暗い天井を見上げる為だったのかーーー」 唇を噛んだ。人生がダメになりかけているーーー。




