精一杯の返事
一人娘は、親が買った岡山駅前のアパートで独り暮らしをしていた。同市内の実家へ帰ろうとある日車に乗り込み、シートベルトを締めた。エンジンキーをひねった途端、それを合図に一瞬で死んだ。アクション映画の名作007なら、車の派手な時限爆弾の爆発のシーンだが、そうではなく運転席で静かに一人で死んだ:何の前触れも無く突然起きた脳動脈破裂。救いようは無かった。
神戸に住む私が、泰子さんから電話を貰ったのは娘の死後まる一年が過ぎてからだった。娘の死は泰子さん夫婦によって伏せられていたからで、それまで私を含めて親戚中の誰一人不幸を知らなかった。20m離れて隣に住む親せきの人でさえ知らなかった。黙っていたのは、余りに酷いショックと深すぎる悲しみを誰かに伝えた処で癒える訳ではないし、誰にも理解できるものではなかったからのようだった。
娘を両親は溺愛していたから、精神的ショックで父親(叔父さん)は一時期うつ病を発症し、泰子さんは泣いて暮らしたと、後で聞いた。情報を伏せて孤立した悲しみの一年は、自分たちの生きる意味を問う辛い月日だったろう。第三者からみて、ある意味夫婦二人の命に拘わる非常に危険な一年だったかと私は後で思った。
一年前の不幸を唐突に電話で知らされた時、驚いて私は言葉を失った。泰子さん夫婦の悲しみは察するに余りあった。外部の人間が如何に言葉を尽くしても、尽くせば尽くすほどうつろにしか響かないと私は感じた。それを知らせる泰子さんは、恐らく電話口で涙ぐんでいたに違いないが、私はついに何の慰めの言葉も発する事が出来なかった。ただ、「次の日曜日に、お参りに伺います」と静かに応えた。精一杯の返事だった。




