世間知らずの迂闊さ
私が大学一年の春だったが、何年かぶりに岡山の母の実家・渓水苑へ遊びに行った。入学祝いを貰えそうなので、狙っていた:渓水苑の近くに住居している泰子さん(泰子叔母さん)の家庭はそれほど豊かではなかったようだ。夫婦共稼ぎの意味で泰子さんは実家の料亭で、仲居さんたちに混じって和服を着こんでお運びさん(=お客に料理を運ぶ係)をしていた。手が空けば皿洗いも手伝った。その時のエピソードを一つ:
料亭が雇っていた皿洗いの某女は、皿を流しに一枚づつ手に取って一枚づつ丁寧に洗って、一枚づつ拭い、一つ一つ丁寧に棚になおしていた。傍で外の仕事をしていた泰子さんがこれを眺めて、皿は10枚纏めて洗剤で一度に洗い、10枚づつ水で一度に流し、10枚づつ一度に拭けば作業が手早いのに、と能率の悪い女へ泰子さんが噛みつくように難癖をつけた。何かにつけ難癖するのが泰子さんの商売だ。しかし、女はガンとして自分のやり方を改めなかった。
憤懣やるかたない風に泰子さんがお祖母さん(料亭の女将)へ訴えていたのを、たまたま居合わせた私も横で聞いていた。某女は何故そんな非能率な洗い方をするのかと私は疑った。まくし立てるように話す泰子さんを眺めて、某女は泰子さんに普段から敵意を持っているに違いない、指摘されて意固地になったのかと推測した。泰子さんを暗に批判する事になるから、私は黙っていた。
この時お祖母さんが、ボソリと応えた:「(某女は)わざとそうしているんじゃ。皿洗いの仕事が、余り早く片付いてしまうと、空いた時間に余分な仕事をさせられるからーーー」と。
これを聞いて、使用人を観察する上で「なるほど、上には上があるもんだ」、と私は感じ入った。泰子さんは黙っていた。世間知らずの迂闊さだった、という顔をしていた。




