人生を台無しにした
母の病気が回復して、一年後に神戸の両親の下へ戻る時に、嬉しいという気持ちは殆ど無かった。また神戸の狭苦しい家に戻るのかと、むしろ内心では嫌だった。振り返ってみると、こんな私は普通の子供の感覚なのだろうかと、今にして時々いぶかしく思う事がある。
神戸に帰って元の小学校へ戻された時、一年間遊び惚けた為のしっぺ返しが待ち構えていた。学力不足とバカとボンヤリと、いつ見ても口が開けっ放しという理由だけで、特別特訓学級に編入されたからだ。
6~7人居たろうか、放課後に残されて(尾崎先生から・実名)厳しい特訓を受けたが、あくる日までかかる事は一度もなかった。これを眺めて母は「あの子は、岡山で人生を台無しにした」と嘆いたらしいが、私は母本人ではないから本当の処は分からない。
小三の時代に私と同じ様な体験をする子供は少ないと思うが、確かに言える事は岡山での生活が大変気に入り、それが体の髄まで沁み込み、私の心の中で渇望するような故郷そのものになった。この期間は長い人生から見ればたった一年間だが、誰しも実感として経験していると思うが、この時期の一年はとても長く感じるものだ。年を経て人間と言う商売をやり慣れた時代の五~六年間にも相当したから、これだけで一つの人生と言える長さだったと思う。
この時の生活体験が以後の自分の内面を形成したのは間違いない。事実成長して大学生になった時に、岡山での暮らしみたいな自然があふれる事業(起業)をやりたいものと考え、準備の為に一時期関係の資料を収集したりしていたものだ。例えば土で出来た土手が崩壊しない為に植える草はどんな種類が良いかなども研究していた:ウイーピングラブ・グラスという草の名前を今でも覚えている。




