まだ食べ足りない
話の時間を巻き戻して、自分の事を少し述べたい:
私が神戸の小学校で3年(10歳)の時、母が結核になり(うつしてはいけないという事で)私は岡山市にある母の実家へ、一年間ほど預けられた。学校も転校した。
神戸と岡山とは言葉一つとっても違うし、放り込まれた環境は全く違った。近所の同年代の子供の人数の多寡や通学距離(=神戸では片道2km、岡山では5km)も含めて、何もかも神戸での生活とは違い過ぎた。一番大きな違いは、空間の広さ。神戸の息苦しいほどせせこましい自宅に比べて、預けられた岡山は屋敷自体が大きかったし、広々した庭園があり(正確に言えば五千坪以上あった※広い理由は追って述べる)見上げる空の広さは比較にならず、点在する池の周りの芝生で遊べた。春には築山の土手でつくしを取ったりしたのを覚えている。
広すぎて隣近所が遠いので遊ぶ友達は居なかったが、広さの中で毎日新しい暇つぶしを見つけて楽しんだ。隅々まで思い出す事が出来る:小径の曲がり具合・築山の斜面の角度・つくしが一番多い場所・冷泉が湧き出る場所・汲み上げた井戸水の綺麗さ・手を叩けば顔をだす大池の大鯉・それに投げてやったトマトのへた・何か魔物が出て来そうな感じで山際にドロリとたたずむ五番目の大きな池・教えて貰ってゴシゴシ研いだ草刈り・別棟になった亭ーーー。
私の日課の一つとして、飼っていた数羽の鶏に糠と野菜を混ぜたエサを調合して作るのが仕事だった。その鶏が夜中にイタチに襲われて血を流して死んだときには、恐ろしさの余り夜中にうなされた。
私は決して腕白ではなく、子供としてはじけるような処が無く、ぼんやりしておとなしい子供だった気がする。一人遊びが好きで、学校以外で人と話をすることは殆ど無かった。本来の性格もあるが、多分私が疲れを出しやすく腺病質な為に、子供らしい活動をせず、結果としておとなしかったのだと思う。
偏食が激しかった:出される副食物、いわゆるおかずを殆ど食べなかった。今も味を覚えているが、玉ねぎの沢山入った味噌汁をご飯に掛けて食べるのが好きで、夕飯は毎回そうして食べ、食べるのが早くて楽だと感じていた。
楽を優先的に求めたのは何時も食欲が無かったからで、これが為に半分栄養失調に陥っていたと思う。余計に腺病質を助長していた。もし自分が野生動物なら確実に死んでいたろ。この時期のそんな体の弱さがありながら、今は82でそれなりに元気なのを不思議に思う。因みに、今は偏食は皆無で、朝からトンカツや100gr以上のビフテキを食べて、まだ食べ足りない顔をしている。人間は変わるものだ。




