「ちょうどよい」塩梅
私から見れば、泰子さんは決して恐怖の女でもないし冷酷な女でもない。証拠に、一度も殴られたり蹴飛ばされたりした経験はないし、骨を折られた事も無い。むしろ神経が細やかでしかも超敏感。口から鼻に抜けるほどワサビの利いた頭の良さ。自分への悪口を耳にでもしようものなら、相手に罰を与える反応振りはあっという間の電光石火である。速度の早さは頭が良い証拠と思うが、口一つで大抵の相手がやり込められるのは、見ていて胸がすく感じがする。もっとも、そんな感じ方を楽しむのは多分私一人だろうが。
一例を挙げよう:三つ上だった泰子さんの兄は、74でガンで死んだ。現代では逆だが、当時の風潮でガンに罹患した時、家族は知らされていても本人には告知しないのが普通だった。泰子さんは病気見舞いで兄宅を訪れた。玄関から部屋へ急ぎ足で上がるやベッド際で(感極まって?)「兄さん、ガンなんだって! いつ死ぬんじゃ?(=じゃ、は岡山弁) 元気出しなさいよ」とやった。すべてを悟った兄さんは酷く落ち込んで、「予定より確実に三ヶ月は死期を早めたーーー」と、遺族たちは泰子さんを心から恨んだ。
現代では告知がむしろ普通になったから、患者全員が本来より三ヶ月寿命を縮めている勘定になる訳で、今なら誰を恨むべきだろう。これだけは言える:泰子さんは、時代を先取りした実に先進的なセンスを備えていた。
お葬式の会食の席で、「XXXさん(お兄さんの奥さん)が食事に気を付けて上げなかったから、兄さんはガンなんかになったんじゃ。私はお父さん(=自分の夫)の食事にちゃんと気をつかっているから、(夫は)ピンピンしたもんじゃ」と大きな声で、泰子さんがあからさまに語った。当日母の代理で会葬していた私の耳にも、これがしっかり届いた。お兄さんの奥さんは傷つき、泰子さんを憎んだ。その子も憎んだ。
「ピンピンしたもんじゃ」の新情報を聞いて、後で私は泰子さんにレシピをこっそり教えて貰って、実行している。案外下半身にも利き、お陰で82でも元気なのはこのお陰だ。憎む人がいる一方で、私のように感謝する人もいるから、泰子さんの毒舌振りは平均すれば「ちょうどよい」塩梅ではないかと思う。




