教えようがない
36.教えようがない
話を戻して:こっちは世間も会社をも知らなさ過ぎた。いわゆる、世慣れていない初心。ショックで打ちのめされ、どうすればよいのか判らなくなってしまった。大手企業は嫌だし、小さなS社もだめなら、一体どうすれば良いか? 小二以来の夢が打ち砕かそうになり、人から見れば喜劇である。 今になって分るが、当時身の周りに適切な助言者が居なかったのだから、無理もなかった。
何故なら、誰一人「社長へのなり方」を知らなかったからだ。友達は無論の事、教授も助教授も、公務員であった私の父親も、そして先の親身な人事課長も、社長になった「体験が無い」。知らない事は、後輩へも他人へも教えようがない。「どうすればなれるか?」の問いは、彼らにとって「未知との遭遇」であり、「あってはならない質問」であり、宇宙人との対話だったのだ。
因みに:社長や経営者になった人を見て、それはたまたま運の良かった結果だとか、口上手くお世辞で出世したとか、人智を超えたコントロールの出来ない何かがあると思い勝ち。けれどもそれは「間違い」で、不幸にしてなれなかった人が、訳が判らずそう推測するだけの話。本当は「社長になる為」に、具体的な「方法・道筋」は実際にあり、ちゃんと他人へ「教えられる」ものである。
(これは後年、実際に社長になってみて初めて分かったのだけれどもーーー聞けば:「ああ、何だそうなのか!」となるのが実際の道筋なのだが、ただ、大部分の人はその道筋へ行きたがらない)
若い人には様々な夢がある。私に限らず、社長になって成功したいと願望する学生は「少なからず居る」筈だ。積極的に人生を切り開こうとする若者対して、適切な助言を与えるシステムが最高学府の大学に存在しないのは、片手落ちだと思う。問題は、(創業して・しかも成功した経験のある)講師が大学に存在しない事だろうーーー。
ドラッカーなどの経営学の有名な本がある。けれどもそれらの「(優れた)内容」は全て、会社設立後の運営や舵取りの仕方の話に限られる。ゼロから会社創設と立ち上げの「道筋=社長になる方法」は何処にも書いてない。一番肝心な処を抜かしている。会社は創始されなければ全ては始まらない。そこが一番知りたい処だろうにーーー。
それは先の楽しみにさて置き、就職を決定しなければならない重要な時期で、充分に考えるゆとりは与えられなかった。家が裕福だった訳ではないから、大学を卒業してルンペンになる訳には行かない。
止む無く選んだのは中規模な大阪の会社で、工業用チェインの専門メーカーT社であった。大手より小さいが、先のS社よりは大きかったから、中途半端なサイズ。中途半端でも、兎も角先の人事課長のアドバイスを生かした形になった。




