一日の中でゴールデンタイム
①素敵な彼女を見掛けてチラリと眺めるのは受動的。が、「綺麗だね」と声を掛けるなら「受動的でない」し、ホテルへ誘うなら「積極的」。
②Walkingで普通の道を歩くのは受動的だが、Walking道を整備し作ってから歩くのは「受動的でない」。
③TVを視聴するのは受動的だ。また一般に読書も(文字や絵を目から受け入れて脳に流すだけだから)姿勢は受動的、と筆者は考えている。(但し、読書が悪いとか無価値という意味では決してない)
④思い付いて何か工作で作ってみるなら、「受動的でない」。筆者の新製品開発がこれに相当する。
⑤或る日雑木林で死にそうな程道に迷ったなら、もうあそこはコリゴリと考えて再訪しないのは受動的だし、翌日に謎の解明に再チャレンジに出向いたのは、「受動的でない」。
⑥血糖値が高めだと医者に指摘されて、夕食のご飯を茶碗3杯→1杯へ減らすのは受動的だ。
他方で、早速簡易測定器を購入して、三カ月間体のあちこちを針で刺しまくって血だらけになりながら採血し、血糖値を毎朝測定して原因を究明しようと躍起になるのは、決して重労働ではないが大変「受動的でない」。いや、やや積極的過ぎた嫌いはある(=★しかしお陰で合理的な対策を見出し、血糖値は見事に安定して正常範囲内へ収まった。美談ではある。)
⑦最も大事な実例を紹介する:会社で仕事をするけれども、これをレジャーを楽しむためにはお金を稼ぐ必要があるから、「止む無く労働せざるを得ない」と考えるなら、これは典型的に「受動的」な生き方だと思う。何故なら自分の人生の目的が、仕事とは別な処にあると考えているから。
考えてみれば働く時間は一日の中でゴールデンタイムだし、しかも人生全体の大部分を占める長年月でもある。これを他の目的の為の我慢や忍耐とするなら、一種の苦痛として超長期を生き続ける訳だから、同じ年月を生きても(歳より)老化しない筈はなかろう。「若く見える」為にはこれを止めて、仕事を好きになるか、なれないなら好きになる仕事へ変わるべきだろう。




