生きる姿勢
もう結論が出ている気がするが、本来の話に戻す:「若く見える」コツは、歳が入っても「現役で一線で仕事をしているから」・「熱中するタイプだから」・「彼女がきっと居るに違いないから」だと、一旦は先に書いた。表面的には確かにそう見えるし、少なくない人がこれを指摘する。
けれども五十代で人生を降りて、精神的に「老化している」人が少なくない現実を眺めたり自分と引き比べて再考するなら、物事はそんなに単純ではないと判る。「若く見える」為の根は見えない処にあり、それは五十代でもうスタートしているからだ。
筆者の人生は、老年期も含めて平均的な人の5倍くらいを生きて来た気がしている。様々な体験をして来たからそう感じる:若い時に海外ビジネスや鉄砲の製造に関わった人は少ないだろうし、喫茶店の経営をしたり酷い失業も経験したし、一時的に業界でトップセールスマンを張ったし、43で起業して58で再度起業し、75を過ぎて数々の発明をやったりもした。その都度頭を180度切り替えて、それぞれに合わせて生きた。
振り返って、確かな事が一つある:様々な場面に遭遇して、少なくとも物事に受動的な姿勢(=待ちの姿勢)を取らなかった。Walkingをしていて向こうに林が見えたら遠くても訪ねてみようとし、雑木林内で酷く迷ったら翌日に謎を探ろうとするし、女は今でも好きだが愛されるよりこっちから仕掛けに行く方が好きで相手が悦ぶ体位を徹底して研究する。
口を開けて待っていても(イケメンでもない限り)女は自然には寄って来ない(=彼女は出来ない)。そもそも新規の発明など、物の見方が受動的であっては80で出来はしない。
受動的な思考を取り続けていたなら、5倍の人生の中で何一つ実現出来なかった、という気がする。五十代で人生を降りる(=諦める)という「老化した」思考は、筆者とは正反対の極みだ。大切だったのは、頭の良さ悪さではなく、「生きる姿勢」だったように思う。




