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よりよく生きる為

 作り上げた複数の発明品を眺めて、ビックリされる事はよくある。ある日突然発明品が天から降って湧いたみたいに感じるらしく、大げさに、天才だ!とかスゴ~イ!という。


 けれども当然だが、その人たちは製品が出来上がった「瞬間だけ」しか見ていない。何故それらの発明が筆者に「可能だったか」までは思い到らない:五十代で人生を降りなかったからだとか、裏に開発費を支える経営力があったからだとか、年齢を重ねたからだとか、(364日ではなくて)365日休み無しに振動実験し続けたからだーーー、を知らない。


 「スゴ~イ!」と言いたいのだったら、「五十代で人生を降りなかった」という一見「当たり前に見える」(=決して突飛でも天才的でもない)事実を、スゴイと言って欲しい。スゴイというのはひと皮剥いてみれば、筆者の場合この程度の事なのだ。


 発明した製品の仕組みを観れば分かる通り、本当の意味で頭の良い人なら、同じ発明を二十代三十代で出来ると思う。けれども、筆者は(本当の意味で)決して頭の良い人ではない。だから発明に76~80年掛かった。それを支えたのは、基本的に人生をずっと続けて「降りなかった」という以上のものではない。人が20~30年で出来るかも知れない事を、あきらめず80年掛けたからだと言える。


 この歳(82)だからxxxが出来ないと、立ち止まって意識する事は今でも余りない。考え方を人に押し付ける気はない。が、何時の時代も幾つの歳になっても、超長寿時代の現代でも、よりよく生きる為(筆者の場合は80で発明する為と言い換えてもよいが)に、これが人の本来の姿という気がしている。


 何故なら、人は死ぬためではなく「生きる為に生まれて来た」と思うからだ。50代で人生を「降りる」必要はないし、70代でも降りる必要はない、「降りる」のは生きる原理に反する事だ。だから言った、終活などもっての外。



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