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初めて花開いた

 ここで設問:もしその気になってやっておれば、先の6点の新製品の開発は若ければ(例えば五十代なら)、もっと早くに実現していたろうか? それは、正直分からない。けれども確定的に言えることが少なくとも四つある:

40~50代を通じた販売の経験があったればこそ、「市場で何が売れるか」・「産業界がどんな製品を欲しているか」を学んだのは確か。だから開発する時に初めから目標をきっちり決められた事だ:「緩まないナットを作ろう」と。

 次に、五十代には加工技術(=フライス盤や旋盤を使いこなす知識)を持っていなかったから、もし50~60代に人生を降りていたら、80になっても開発のチャンスはやって来なかったろう。

 次に、先に紹介した通り、五十代はドイツのSH社製品に注力していたから、仮に何か発明のアイデアを思いついたとしても、見向きが出来る状況ではなかった。

 次に中でも最も大事な点が開発費だ。製品を開発する時点でお金が手元に潤沢にあった事。国内外の特許申請費用(=行政費用)一つ取っても、(申請数は10件を下らないから)合計1000万円近く要した。


 開発に成功した製品は6点で、その中から売り出したのは先のWebの通り3点だが、開発中に試作段階で失敗した製品は実に20種類位ある。たった3点の成功を支える陰に20点の失敗作が存在した。実験装置を含めたそれら試作品製造の経費を全て加えるなら、当然人件費も要る筈だから、特許費用を含めて総額は数千万円になる。家が二軒ほど建つ。並の中小企業には捻出が無理な額だろう。


 この開発費を支えたのが、不況を切り抜けて順調に会社が伸びた結果として、貯められたお金だ。言い換えればアイデアを思いついたとしても、筆者の年齢が60以前なら開発資金の捻出は到底無理だった。50~60代まで働き続けたから、貯金が出来たのは大いに確かなのだ。


 そうした条件が整い、言わば栄養を与えられたからこそ、発明の才(=そうしたものが、筆者にあるとすれば)が70代後半になって初めて花開いたと言える。「年齢を重ねる価値」が、ここでも証明されたような気がしている。


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