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人生を降りる

 周りを眺めて同窓生でこの歳になって一線で仕事を続けている人は居ないし、仮に若い方へと年齢の幅を広げてみても、本気になって新しい分野への技術開発にチャレンジする人は見当たらないようだ。断っておくが、何もこれを自慢している訳ではない。本人には当たり前で、これ以上平凡な暮らしぶりはないと思っているのだから。


 もし本当に「(若く)見える」としたら、一番は筆者が今も第一線の仕事に関わっている為かと思う。二番目に何かにつけ「熱中する」タイプの人間だから、という気がする。一番目と二番目は相互に関連していて、「第一線でやっている」から結果的に、止む無く「熱中してしまう」訳でもある。

  

 話が変わるが:ウチでは必要に応じて時々営業マンを募集する。こんな場合50を過ぎた人は基本的に採らない。その年代と聞くだけで肩を持てない。人権団体から差別だと非難されそうだが、(裁判となった経験もあり)懲りているから。理由は:ウチの製品(=たった5種類程度)を覚えられないからだ。いや、正確に言うと能力の問題ではなく「覚えようとしない(=勉強しない・努力しない)」意欲の低さのためだ。


 それ位の歳でウチみたいな零細企業へ応募しようとする人は、大体において(前職の会社においても)出世していない人が「少なくない」(=「全員」と言わない処に筆者の良心がある)。このためか自分をどこかで卑下していて、自嘲気味に自分を見限っている(或いは、諦めている)。


「卑下とか自嘲気味とか」露骨に卑しめる言葉だから、50数年も営々と生きて来た人に対して、そんな失礼極まりない言葉をぶつける人は(筆者一人を除いて)誰も居ない。ここが思いやりに満ちた人間社会の良い処だが、同時に悲劇でもある。


 誰からも指摘されないから気付かず天下泰平で、(自己卑下に陥っていても)実は当人も直しようがない。これが身に沁みつき錆びついて取れなくなるから、ここが悲劇の所以ゆえんである。五十代といえば(筆者から見れば30も年下だから)若造みたいなものだが、既に人生を「降りている」人が多い。指摘されて思い当たる人は少なくないと思う。



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