岩岡村の魔法
翌日の昼休み、また同じ林へ出掛けた。同じ場所に車を停めて再度林に入った。悔しかったからで、雪辱を期して再挑戦であった。今度はヘンゼルとグレーテルの童話の教えに倣って、迷わないようにちゃんと目印を持参していた。何処で道に迷ったかどうして迷ったのか、原因を調べる為であった。
例の「池のそば」を過ぎ「鳥の広場」を通過して、「ヘリポート」まで来た。再度歩いてみて、距離が案外短いのに気づいて驚いた。精々1km未満。これが正規の道でA道だ。
前日どんな魔法を掛けられたのか、ヘリポートの周囲を念入りに再調査した。目印があるから今回は確実に戻れる。そして、ついに別のB道の存在に気付いたのである。筆者は何度も繰り返してB道へと入り込んだ結果、迷ったのだった:
ヘリポートの中心に立って眺めると、B道の入り口は(ここが正しい道ですよ、と言わんばかりに)間口が広く誘い込まれやすい地形をしていた。そればかりか、筆者が歩いて来た本道であるA道の入り口部分は草と笹で「殆ど完全に」深く覆い隠されていた。ここで初めて意外なトリックに気付いた:
前日筆者は苦労して薄暗い木々の間で草むらと格闘しながら、やっとの思いでA道から広いヘリポートへ飛び出した時、覚えているが、ほっとして開放的な気分があった。広場の周りを不用意にうろつき歩き、序に墓場へも下りて三十分もリラックスしていた。そんな風に時間を潰している内に、踏み付けてなぎ倒されていたA道の入り口部分の草たちは、体制を立て直すのに十分な時間を稼いだ。
倒されていた草は元の形へ寸分の違いも無くしっかり立ち上がっていたのだ。まるで何事も無かったように道は完全に塞がれ消滅していた。
筆者が好きな工学的表現を使えば、草たちは弾性体(=時間を置けば元の形に戻る)で出来ており、塑性変形(=一旦変形をすると元の形に戻らない現象)を起こさなかったのだ。時間さえ与えられれば、まるでバネが元の形に戻るように完璧に元へ復帰していた。もし目印を付けて無ければ今回も迷うことは起き得た訳で、なんと巧妙な仕組みか! 岩岡村の魔法だった。




