エライコッチャ!
本当に運が良かった。偶然に遥か遠くから一台の軽トラが同じ道をこっちへやって来るのを発見した。救いの女神!この歓喜ときたら、なかった。
けれども速度はいぶかしく感じる程ノロノロとした遅さで、もしや砂漠の蜃気楼かそれとも自分の幻視かと心配した位だ。やっと車が近づいた時、こっちはもう死に物狂い、道の真ん中に立ちはだかって両の手を挙げた、片手では目に入らないと考えたからだ。命に代えても絶対に停車させる、という決意が相手にも伝わった。人間一所懸命になれば成らぬことは無い、証拠に車はピタリと停車した。
ノロノロ運転の理由が直ぐに分かった。ドアを開けて運転席から降りて来たのは今にもこけそうな様子で、目が眩むほどの年老いたお爺さん。どう見ても古老にカビが生えた風貌で、120は超えていたと思う。
お爺さんの耳が遠くて日本語が通じるかと心配したが、歩き疲れたこっちは大声を発する元気はない。声量の不足を補うために、手振り身振りで必死だ:岩岡村へ戻りたいと、白眼をむいてかすれる声で地団太踏んで、体全体が天まで昇るようにして訴えた。手ぶらで麦わら帽子一つのこっちの様子をしげしげと眺めて、お爺さんは一言も声を発しようとしない。こっちの言う事が、全く聞こえないのだ。
けれども返事を待ち受けているこっちの様子から、お爺さんは初めて意味を悟った。何しろ辺りは焼け付く太陽がいっぱいでオアシスは無く、サハラ砂漠かゴビ砂漠かと疑う人もいる位だ。まともな人間が家族団らんする場所ではなかったし、食料も無いから人が来れる場所でもない。
そこへ天から降ってわいたみたいに一人の老人が出現して、訳の分からない叫び声を上げ、手振り身振りでまるで路上で舞い踊っている。こんな処で阿波踊りの練習なんて聞いたことは無かったし、長い人生で初めての経験だから、お爺さんは腰を抜かしていたのだ。
麦わら帽子のしなびた男を眺めて、お爺さんは自分より遥かに年長で、どう少なめに見ても130を超えていると確信したらしい。奇声を上げて踊る姿から徘徊老人が介護施設から脱走してきたに違いない、と犯行を特定した。近隣ではそんな摸倣犯が多いのだ。ここまで思考してから、お爺さんは時間を掛けて初めて驚愕して見せた:「こらあーーー、エライコッチャ!」




