真剣勝負となった
無論岩岡村の小規模な林だから遭難なんて冗談だし、どう転んでも抜け出られない面積ではない。覚悟を決めれば棘だらけのつるバラだろうと笹薮だろうと、突破は不可能ではない。そう思考したものの、すでに体が疲れてもいたから同じ場所を無駄に堂々巡りする余裕はなかった。若くは無い体力の事を考え、消耗しないかと心配になった。
携帯やスマホを所持してなかったので、誰かに連絡を付けようは無かったが、仮に持っていても決して助けを求める事はあり得なかったろう。まだ真昼間だし、まるで水深60センチの浴槽内で自ら求めて溺死するようなものじゃないか。そんな事をすれば一生涯岩岡中の笑い者でしかないし、(愛想をつかされて)万が一にも配偶者から見放され離婚問題に発展する可能性もある。最近の軟弱と違い、こっちは恥を知る昭和生まれの日本男子であったから。
茂った木々で先が見通せないだけの事で、ひょっとしたらたった十米も先へ歩けば林の外なのかも知れない訳で、そんな可能性は充分あり得た。ただ自分には忍者の如き素早さが足りないだけなので、そう思うだけで恥ずかしくなった。おしっこがしたかったのに、あれやこれを考えて歩いていたら本能的に条件反射が起きて、おしっこの代わりに冷や汗がどっと出て来て、尿意の問題が解決した。疲れながらも以後の歩き方は鞭打つように真剣勝負となった。追い込まれて初めて人は一所懸命になる。
一生懸命になると何事も達成出来ると人は言いがちだが、本当に一生懸命になると自分の非力さが分るものだ。証拠に、いくら真剣になっても視界は依然として開けなかった。もう林の外へ脱出するのは諦め、ヘリポートへ戻る事だけを第一の目標に置いた。墓地へ下って出口まで歩けば、いかに長丁場だろうが確実に人の棲む世界へ戻れるーーー。




