表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1047/1695

生(なま)を写す

 ところがどっこい、生意気で中三にして早や進歩的なこっちは(内心で)違う考えを持っていた: 絵は上手かも知れないが、この女先生は近年の科学技術の進歩を知らないーーー、と私は解釈したのだ。


 丁度この時期に、カラーフィルムが当時アメリカのコダック社で世界で初めて開発されたのである。このニュースを新聞で読み私はちゃんと知っていた。科学好きな少年だった私は、画期的な新技術だと思った;写真はやがてもう白黒の時代ではなくなる。これからはカラー絵の具を使わなくても、天然自然な色が再現され、木だって山だって写生の絵を遥かに凌ぐ美しい写真が出現する。


 その中にあって、写生とは一体何だ。写生とは(字句の通り)「なまを写す」のだから、絵は大なり小なり「写真と同じもの」。特にカラー写真が出現しようとしている時代に、写生なんてもう何をか言わんやである、女先生の時代錯誤も甚だしい。


 どんなに赤や黄色の絵の具の色遣いに頑張っても、遅かれ早かれ絵はついに「写真に負ける」。世の中にあるのは勝ち負けの生存競争と真実だけで、中間は無い。写生はもはや時代遅れの運命なのに、女先生は「(絵は写真とは違うと)強がり」を言い、負け惜しみを隠そうとしている。本人に自覚があるかどうか、哀れや、先生は遅かれ早かれ職も収入の道も失うであろうーーー。


 こんな思考をする生徒は、まことに扱い難い。それが高校の受験を控えた中三の盛りであった。ところがであるーーー。不遜な私の内心を覗いたのか、女先生はこっちの顔を正面から暫く眺めた。次に私の画用紙を指して、驚くべき事を言い放った。こっちの想定を超えた:


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ