仕返し
29.仕返し
こうして不真面目な大人たちから誤解を受け続けたが、私にも小さなプライドが何処かにあった。先に述べたが、泣くのは「男の美学」と考えて、辛うじて精神の均衡を保っていた。自分のアカンタレを内心で正当化しようと努めたのだ。
ところが、そんな均衡を根底から揺るがす者が現れた。クラスで一番温和しく弱くみえた、あの高倉町の女だ。山中に連れ込んでプライドをメリケン粉みたいに粉砕し、「お前は、やっぱりアカンタレ!」と、とどめを刺したからだ。
女先生も含めて、周りは情の薄い人間ばかりで味方が居ない。四面どころか五面楚歌。そんな中で偉人の伝記として、世の中の全てを敵に回しても屈しない鋼のような気概が私にあったーーーと書きたい処だ。が、あにはからんや、週イチのカルシウム注射の針で穴だらけにされた細腕では、隙間風が吹いて気概もへったくれも無い。可哀想に、私は無力だったのだ。
けれども、ここで私が世のすね者とならなかったのは、そこが小二で、すねるだけの知恵が未発「だったからだ。すねる代わりに、行く行く五面楚歌のヤツらへ、「仕返しをしよう」と考えたのは当然の成り行きである。「アカンタレでない」のを、証明したかった。少なくとも、「アノ女の子」に対してはーーー。
日々の通学途上でこれを真剣に考えていたら、突然天から降って来たように、素晴らしいアイデアが湧いた: 大きくなったら、絶対に「社長になる!」
小二の知識の範囲では: 社長は大勢の家来や召使いを持ち、威張れる。いまいましいヤツらは、せんぶやっつけてしまえる。しかも、金持ちだ。
そうなると、高倉町の女だって「山での(私の醜態を)見なかった事にする」と謝り、逆にすり寄って来るかもしれない。金に目が眩んで結婚したいと言うに違いない。粗製乱造なんて品質に疑り深い親も、生んだのはトンビやメダカではなく、やっぱりタカだったかと出来の良いせがれを思い知って安心するだろう。あのカエルの女先生へも、残酷な復習が出来る。
当時クラスで流行していた野球選手や汽車の運転手へなりたいなんてのは「子供騙し」で、ロクでも幼稚な考えと私は見下げた。一番いけないのは、どちらも家来が一人も居ないからだ。目標は「家来が居て・威張れる」社長でなければならず、この辺りの目の付け所は案外しっかりしている。学業は良くなかったが、まるっきり馬鹿ではなかったようだ。




