第三章: アカンタレの仕返し
28. 第三章:アカンタレの仕返し
1.粗製乱造
再度小二時代へ戻る。
先に書いた通り、小二当時私は病気の問屋みたいに腺病質で、泣き虫の苛められっ子であり、医院でもカルシウムの注射にベソをかいた。私より劣った子供は居なかったろう。子供心に、アカンタレを自覚していた。
学業が出来なかったとしても、男の子らしく活発に遊び回るとか悪戯を尽くすとか、何か専門分野に格別多忙だった訳でもない。仲良しの友達を作って親しむ事も少なく、顔の形も整っていなかったから、クラスの友達の目からも親戚の大人の中に混じっても目立たず、印象の薄いボンヤリした子だった。
もし内申書に「この子の美点・特徴」という欄があったなら、先生も判定に困り、「何も無いのが特徴」と記載したかも知れない。私は四人兄弟の長男だが、長男という理由で当初両親は私に期待を掛けた。けれども、テスト毎にビリから数える息子を眺めて、親達はため息を付いて、勝手な期待を諦めるしかなかった。
諦めついでに、残りの三人の弟・妹らも一緒くたに四捨五入で「不出来」と判断したから、無実の罪を被った弟妹らにとって、はた迷惑な兄貴だったろう。よくあることで、子供は耳がさとい。成績表を手にして顔を曇らせている母親へ、父親が笑いながら話しているのを、障子の陰でたまたま立ち聞きした: 「四人も造ったが、粗製濫造だったかーーー」
不出来な小二が、「粗製濫造」の難しい四字熟語の意味を知る筈はなかったが、悪口となると気配で判るもので、自分のせいだなと情けなく思った。
一層始末に負えなかったのは、学校の若い女先生。顔が平べったくてカエルに似ていたから、血縁関係があったのだろう。見るからに融通の利かない性格で、私のアカンタレを見えない処で強調した:不成績振りを誇張して通知簿に記載したのだ。
そればかりでなく「お母さんに見せなさい」と別に封筒をくれたが、その中へ骨身を惜しまずこっちの悪口を書き倒した。
漢語を混ぜて子供に読めないように暗号化して書いたが、なに、こっちは鼻が利くから、匂いで全部が判った:多分「この子はバカだから、死ねとか、殺せとか」書いてあったに違いない。居なくなれば、教育の手間と莫大な費用が省けると考えたのだ。
情けない事に、封筒の中身を真に受けた母親も母親である。女先生の露骨な挑発にさも思い当たる風に頷いて、私の前でガッカリして見せた。




