当たり前だ
ウチでは80%増し(例えば)にする。なぜなら、5%なら誰も感動しないが、80%なら腰を抜かす。前者なら実施しないほうがましで、お金が生きない。そう言うと、馬を走らせる為に鼻先に人参をぶら下げるんだな、と思うかも知れないが、必ずしもそうではない。
業績が低迷して仮に会社が赤字だったとしても、つまり会社の経営が苦しくても、一番優れた業績を上げた人に対しては、賞与では必ず100万円以上を支給すると内規で決めている。もし足りなければ社長の給与を削ってでもそうする訳だ。
「よく頑張ったね! だが、この額で我慢して呉れ給え」と握手だけでは済ませない。業績が悪いから、世間も不景気で他社も同様に少ないのだからという言い訳(=この言い訳は経営者として最も「使い易い」が)を、しない事にしている。ウチでは頑張った人の期待を裏切らないのだ。
根幹にあるのは、賞与が充分に払えないならば、それは経営者の経営力不足のせいであって、決して社員のせいではないというのが筆者の考え方だからだ。もし頑張った社員へ払えないなら、経営者は責任を取らなければならない。拠って、自分の給与を削ってでも払うと言ったのだが、当たり前だと思う。
逆に言うとこうも言える:儲かった時、会社が儲かったのは決して社員のお陰ではない、経営者の優れた経営努力と施策の結果と考えている。だから儲かった時には遠慮をしない、筆者は充分な成功報酬を貰うことにしている、社員達が想定する額以上に。先の説明が当たり前なら、これも当たり前だと考えている。




