お墨付きを与えた
++++「思いつくままに・好きなように」楽しみを数珠繋ぎにする、そう生きるのがむしろ正しい、と言えないか。進化論が終了したのだし、てっぺんなのだから転がる行き先は、理屈として「そこしかない」じゃないか?
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その年代で愛する人がちゃんと居て(或いは、新しく見つけられて)、仕事があるなら、宝くじに当選したようなラッキーさだ。体調が悪く心にもない哀れな声を出す日も多々あるが、若い人たちに比べて高齢者の幸福感が概して高いと言われるのは、この部分ではないかと思う。
子をもうけて自分の遺伝子を伝えたり、デイズニーランドで駄菓子やケーキをむさぼり食ってエネルギーを補給したり、出世に血道を上げたり、何かにつけ派手にやりまくり天下国家を論じるのは、全部若い人に任せて置けばよい。
「努力や達成や完成と言う人生の時間ではなくて、今日はよい一日だったと言うのが人生の時間だ」というシェーカー教徒の言葉がある。熟年向けの言葉だ。「遊びをせんとや生まれけん(梁塵秘抄の今様)」は老人の為にあるようで、結局珍しくもない結論に帰着してしまったが、老人の幸せの「在りか」にお墨付きを与えたつもりである。
お仕舞い
2022.12.10
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