手提げ袋
26. 手提げ袋
その昔砦の屯所になっていたこの場所が、石垣もあって丁度あつらえ向きで、ちゃっかり遺跡を土台石にしたらしい。昭和の時代に茶店が作られたのである。錆びた針金がそれを物語っている。今でこそ山を歩く人影はまばらだ。が、昭和の中頃の当時は世の中に大した楽しみも無かった。休日には案外ハイカーが多く、茶店も繁盛してーーー、やがて貧しい中に女の子が生まれのだ。
彼女の「生まれと棲家の跡」を、初めて見つけたーーー!のである。多少の苦い思いを混ぜながら、思わぬ発見に感動した。石垣に寄りかかって、想像の総仕上げをやり始めた: 小二当時、背の高かったアノ女の子は、今どうしているんだろうかーーー。
中学を卒業して、自分と同じように高校や大学まで進学したとは思えない。 小二当時、女の子が「手提げ袋」だったのを覚えている。私のように、ランドセルを買ってもらえなかったのだ。戦後の小二は、うちの家計もそうだったが、日本中が食うのに精一杯の時代。ここで茶店を開業して繁盛したとしても、たかが茶店。ハイカーの小銭で生計を立てるのが、楽であった筈はない。
中学の卒業時、経済的理由でクラスの三分の一が進学出来ずに、就職の道を選択せざるを得なかった。卒業後彼女は市内の何処かへ就職し、仕事が休みの日曜日になれば、この茶店を手伝って家計を助けていたのかも知れない。
時代が移り茶店はやがて廃れ、この廃墟になってしまったーーー。
小二の当時、山の上は電気が無かったのではあるまいか。発電機は無かったと思う。恐らく蝋燭かランプの生活で、山の夜は漆黒の闇であったか。でもお陰で、夜は満天の星が美しかったろうなーーーと想像を逞しくして空を見上げて、はっとなった。辺りの木々は鋭く空に突き出ていて、青空が一部しか見えなかったからである。
もう一度はっとした: ここからは南の瀬戸内海も見えず、少しも景色が立派ではない! 今から十数年前の時代でも、景色が見えるほど木々の背が低かったのではあるまい。
こんな場所を選んで、茶店を開店する馬鹿は居ないーーー。好い加減な自分の空想に気付き、「女の子」に手もなくひねられた気がして一人で苦笑した。茶店は、ここであった筈はないのだ。




