4:偽メイドの怒り
大変遅くなりました。
随分と前言よりもオーバーしておりますが、『ジャック』四話完成です。
つぅーー、と背筋に冷たい汗が流れるのを感じながら、予想外の威圧感に、ランチ曰く色々と軽い男は顔をひきつらせていた。
「あら、どうなさいましたお客様。お答えしないんですか?」
ランチの笑みが深くなる。
「それとも、、」
凍てつくような鋭さはそのままに、ランチの瞳がゆっくりと細められていく。
(まずい、)
男は自分の顔が緊張から固まっていくのを感じた。
「お答えできないのですか?」
緊張故に、男の体の末端は既に冷え切っている。動けと念じても、もう上手く細かな動きもできる気配も気力もなかった。
まだ青年になって間もないとは言え、大の男一人をその視線だけで凍り付かせるランチの視線は、態度は、雰囲気は、その美しい銀色と瞳の水晶をことごとく裏切っていた。その事実だけで、人ひとりを混乱させるほどに。
吹きすさぶ全てを凍えさせる冬の息吹の如く、ランチの視線を受け、その場にただ黙って立っていては、いづれ足裏から順に氷りついて動かなくなるだろう。
そう、本気で思わせるだけの見えない圧力が、確かに男を襲っていた。
ふふふ、と鈴を転がすような笑い声が小さく辺りに響いた。
「さようでございますか、」
くつり、くつくつ、、ふふふふっ、
辺りに、楽しそうな少女そのものの笑い声が、控えめに木霊していく。
「さようでございましょう、さようでございましょうとも。お客様。」
少女の明るい笑い声など、周囲を明るく染め上げ、ときには人を癒し和ませることすらあるだろう。
しかし、それらとランチの笑い声を同一とは一体だれが思うのか。純粋そのものの少女の明るさを纏いながらも、その奥に隠れているのははっきりとした悪意と敵意。見る者が見れば、きっと何人かは言うだろう。
狂気だ。と、
だがそれは間違いだ。
そもそもランチは少女ではない。体の時はある時から止まったままであるが、その生きた年数は成人女性よりも一回り上回る程度だ。
外見との食い違いで、時折不思議な雰囲気を醸し出すのはそれによるものである。
まあ、今回は幸か不幸かそれが不気味さへと繋がったようだが。
幸か否かで言えば、想定外にランチの雰囲気に気圧されてビビッている男にしてみれば不幸だし、想像以上に男の不安を誘えて自分を対等かそれ以上の存在だと植え付けられたランチにしてみれば幸も幸、万々歳と言ったところであろう。
膠着状態に陥った男が固唾を呑んでランチの行動に目を光らせていると、あぁ、とランチが目を丸くして呟いた。まるでそのまま胸の前で手でも打ちそうな様子である。
突然のランチの奇行に、幾分かメンタルを消耗しながらも、男は未だランチの次なる動きに集中する。
「あぁ、そうでした。まだお客様に正解をお話ししておりませんでしたね。」
「正、解、、?」
首を傾げてランチはさぞ愉快そうに笑う。
「ええ。ええ、そうですとも、正解です。」
またしても予想外のランチの言葉に、男は口をぽかんと開けて呆けている。もはや何の事だと想像する力さえ掻き消えてしまったらしい。
ふふ、とランチは腰の前で揃えていた手を離して口元に添える。
手の裏に隠れて見えないはずの唇が、また吊り上がったのが、見えた気がした。
「お客様、貴方は地上からやってきたのでしょう?」
今の今までピクリとも動くことのなかった男の肩が、ひく、と一瞬小さく動いた。男も意地があったのだろう、それはこの上なく小さな動きだった。しかし、その男を支配下に置いていると言っても過言ではないランチにすれば、その小さな動きの一つすら、見逃してやるわけがなかった。
「よくも下からやってきた侵入者の分際で、我が主人の庭を荒らしてくれたな。罪人風情が。」
「っっ、!!」
地を這うような低い声は、地獄の使者であろうかと言うほどに底冷えする、情の欠片もありはしないのだと人の無意識に囁いているようだった。その証拠に、男はガタガタと震えて止められない体をどうにか抑えこもうと、必死だった。涙すら浮かんでいるようにも見える。
今迄とは雰囲気がガラリと変わり、もはやその美しい銀色ですら彼女の鋭さを、躊躇いのなさを、冷たさを象徴し、引き立たせるようにしか思われない。
男の情けない姿をランチは、ふっ、と一笑に付す。
「どうせこの地を割いたのだとて、ここへくる途中でたまたま見つけた姑息な手段でも使ったのでしょう?」
男はもう恐怖のどん底だった。ランチの言葉を理解しているのかいないのか、その言葉に必死にぶんぶんと縦に頭を振っていた。
「人さまの敷地に土足で勝手に上がり込んでおいて、思い付きでそれを破壊する。」
はっ、と吐き捨てるようにランチは笑う。
「初めてで右も左も分からないうえ、ここには恐ろしい怪物がいる?慎重に慎重を期してやられる前にやってしまおう?先制攻撃??馬鹿か。そんなものは慎重なわけでも戦略だとも言わない。ただの小心者のくせに大きなことを言う愚か者が、臆病風に吹かれて無抵抗の相手にただ暴力を振るっているに過ぎない。」
ランチの蔑むような眼は、男から逸らされることは一瞬だとてなかった。
「そういうのを何て言うか知ってるか?」
男はランチに慌てて首を横に振った。
それに、ぎろりとランチの目が開かれ、光の元に淡い灰色の水晶が煌めいた。
「卑怯。」
「、っ、違っ、!!」
男が卑怯という言葉に、咄嗟に反論しようとランチに食ってかかろうとする。が、ランチの冷たい視線に、結局尻込みした末に、再び黙りこくった。
「くっ、、!」
舌打ちでもしそうな男の様子に、呆れた目をしたランチは、そのまま言葉をつなげる。
「本当に自分のしたことの劣悪さが分からないようね。愚かさもここまで来るといっそ哀れの一言に尽きる。」
ランチの言葉が区切られた。呆れ返った様子から一変。言い切った次の瞬間には彼女は再び微笑みを浮かべていた。
「さて、少年。貴方にも分かるように私が分かりやすく、今の心境を教えてあげましょう?」
弓なりに引き上げられた形の良い唇は、区切られた後の、最後の一文を紡ぎ出す。
「我が主人の治める領地に断りもなく足を踏み入れ、地を割き、その主人を落とす。これだけのことをしておいて、ただで済むとは思うまいな? 人間。」
「ひっ、!」
とうとう地に膝をつき、全身をガタガタと震わせる男は、何とも哀れな姿だった。数分前の無駄に爽やかな笑みを浮かべていたその顔は、見るも無残に崩れ去っていた。口はぱくぱくと閉まることなく広げては縮めを繰り返し、目には今にも零れそうな程に涙が溜まっている。
そんな哀れな男を感情なく一瞥すると、ランチはそのままの足で地面の裂けめに向かって声を上げた。
「旦那様。威厳と品格をお持ちの旦那様。どうぞいらしてくださいませ。」
威厳、と品格の部分を強調して聞こえたのは気のせいではない。この場面で情けなくもいつも通りの立ち居振る舞いで出てこられても締りと言うものが足りなくなってしまうのだ。
だいたい、今の今まで面倒だからとか、別にこのまま裂けめの底とかにいても良いかなーとか、どうせしょうもない理由で出てこなかったのだ。
(このくらい言っておかないとあの阿保雇い主サマは、私との約束を思い出しやしないわ。)
心なしかふつりふつりとこみ上げてくる怒気をやり過ごし、ランチは自分の雇い主が出てくるのに備え、出迎えの姿勢を整える。
屋外であることを考慮して、少々簡略化はしているが、身に沁みついた礼式は確実に違えることなく発揮された。片膝を軽く折り、もう片方は僅かに曲げるに留め、そして腰はきっちり45度、そして最後に、地面に付かないギリギリでスカートを持ち上げる。後は、彼女の雇い主が現れた瞬間に少しだけ一度スカートを上げればいいだけである。
(名ばかりながら執事兼任家政婦ですもの!これでも王宮の一歩手前まで引きずっていかれたことだってあるのよ?!)
どうだ見たか美しかろう、とでも思うよりも先に雇い主への苦情が先に来るあたり、流石はランチとしか言いようがない。
(っっんの、阿保ジャ〇アンがッッ!今に見てなさい、今はまだ無理だけど、その内王宮料理長のアーグさんに豆フルコースを教えてもらうんだから!!)
一体、イアンはランチに何をしたのか。ここまで彼女恨みを買うなんてとんだ猛者か阿呆にしかなしえない芸当だろう。何故ってそりゃあ、女性は強し。女性は怒らせてはいけない。彼女たちはきっとこの世の最終兵器か何かなのだから。
その上で、それを身をもって十二分に理解しているにも関わらず、命知らずな芸当をやらかすイアンの頭が本当に危ぶまれるものである。
ランチは人知れず裂けめに向かって祈っていた。早く、早く来い。と、
その時、瞬間、裂けめの方を向いていたランチの前髪が、ふわりと揺れた。
(っ、!)
ランチは、自分の唇が勝手に持ち上がっていくのを抑えられなかった。
(来た)
緩やかな、優しいとも感じられるほどの風が、暖かく裂けめから吹き上げられた。
そして、次の瞬間には、いつの間に上がってきたのか、ランチのすぐ傍に暖かな風がふわりと吹き降ろされる。そちらへ僅かに体を向き直し、ランチはスカートを少しだけ一度持ち上げる。そして、確認するまでもなく、彼女は主人への出迎えのあいさつを延べた。
「おかえりなさいませ、旦那様。」
顔をそっと上げれば
ランチのすぐ横には萌黄色のフロック・コートがふわりと揺れた。朝日を浴びる新芽色に染め上げられた生地は、イアンの纏う暖かな風と相まって、まるで雄大な自然そのものを見ているようだ。見る者に確かな信頼を感じさせる。
勿論、それを間近でみているランチにだけ、感じられないなんてことはありえない。
自分の眉間に、明らかな理不尽によってしわが刻まれたことを自覚しながらも、ランチはこっそり閉口せずにはいられなかった。
(まったく、嫌になるわ、、)
もう一度、下げた視線をばれないように、そっと上げてみれば、やっぱりそこにはさらりさらりと揺れる金糸に包まれた白い顔、萌黄色に包まれたその人がいる。そして彼は、前方遥かな所に奇妙な姿勢で固まる男をただ、見止めていた。
珍しいことに上手いこと格好つけちゃって、なんて思いつつも、ランチは固く引き結んでいた口元を引き上げずにはいられなかった。
どんなに普段が酷かろうと、本当はこんなことを自力でできる人ではないと分かっていようと、
やはり、配下として、疑いようもなく信じられる上司と言うのは、格好いいと思ってしまうものだろう。
ちょっとくらいね、と胸の内で付け足しつつ、ランチはそっと笑う。
(誇らしくたって、仕方がないわ。)
ふふふ、と笑うときには最新の注意を。
声が隣の雇用主に聞こえることなど満に一つもないように。
なぜって、、それは勿論、聞こえてしまえばきっと彼は調子に乗ってしまうから。
(そうすれば、格好良さなんてまるで無かったことになるわ。確実に。)
台無しよ、とまだ起こってもいない事態に対して、ランチは蔑むような視線をイアンに送った。
ランチがイアンに多少怒気と言う名の殺気を交え、冷たい視線を送っている中、当のイアンはその鋭く抉り込むような無言の攻撃を不幸なことに長年の勘と経験知で察し、内心汗が止まらない。
現状がいったい本日何度目か、そんなことはもう既にイアンはカウントすることを諦めていた。
(えっ、待て待て待て待て待て・・・ってやっぱり気のせいじゃないよな?!何故だ、俺はまだ何もしていない!)
イアンは色々と突っ込むべき発想をしていた。が、残念なことに今現在彼に、いや彼の思考に正当かつ適度な鋭さでもって指摘できる者は一人とていない。
よって、彼の思考回路は本能の赴くままに、駆け足で暴走へ突き進んでいく。
(え、あっ、、いや、俺はまだ何もやらかしてなどいない。うん。たぶん。)
(、、、っっ、どうしよう、!なんとなく不安になってきたんだけど!!ど、どうしよう、、あっ、も、もしかして、あれか?あれなのか??!)
(これが終わったらランチに黙ってこっそり王都に行ってレストランで豆抜きスープを食べようとしてた、、のがバレたのか!!???!?何故だ!今日こそは下手にバレるようなヘマはやらかしていない、はず!だ、うん。)
多少不安を残しつつも、一応の収束を見せた、かに思われたイアンの暴走思考回路はやっぱり止まらなかった。むしろ止まったか、に見せかけて突然の急ブレーキで横転横滑り乱回転ついでに崖から真っ逆さまの様相で、大事故につながりかけていた。
うん、大丈夫、、、たぶん、と思考停止しようとしたその瞬間。イアンは哀れなことに、とんでもなく彼にとっては重要なことを忘れているのに気が付いてしまった。
(、、、て、あれ、、?)
あれあれあれ、、、と高速で思考が復活していく。
そして、本当に残念なことに、イアンは致命的欠落を発見してしまう。
(大丈夫なら何で俺はランチから睨まれているんだ!??!)
はっきり言おう。今ソコ?である。
正直、端っから話題はそれだけである。自分の危機のわりに、抜けてるを発揮するのが決定的かつ致命的過ぎる。
本当に残念な男である。
慌てに慌てたイアンは、とうとうその思考を放棄した。
ようするに、無かったことにしたのである。
(よし、何もなかった。うん、何も。)
この際背中の滝よろしく流れる汗は気付かないフリを決め込んだ。
(さ、さて、、そろそろ俺の品行方正さとやらを観客に披露するとしようか。)
色々と、目まぐるしい何かをやり過ごし、イアンはやっとのこと正常な空気に戻った。
よし、と内心で妙な気合いを入れなおし、イアンは男へ視線を集中させる。
(品位品位、、)
「、、さて、」
内心唱えている言葉は別にして、イアンの滑り出しは比較的まともに決まった。
ランチのやってみせたように、無表情を意識して、口角を引き、ほぅ、と息を零すように笑う。
(これで、パーフェクトだ。)
「私は一体何のために、このような手間をかけたのだろうか。」
最後にやや首をかしげ、イアンは目だけは笑わないようにもう一度、今度は黙ったまま微笑んだ。
前の方で、なんとかかんとか言いつつ、今回大して進んでません。
すみません、単なる技量不足でした。
次回こそ大股で進んでいきたい所存です。