魔法はオノマトペ
グエノスパレク。
そこは魔法が発達している世界。
人は誰しも魔力を保持しており、どんなに少ない魔力保持者でも竈に着火する【ファイ】や、部屋を明るくする【ライト】などの生活魔法を使うことができる。これらには魔力を込めて発音するだけで詠唱の必要はない。
10歳になると国民全員に魔力測定が義務付けられており、一定以上の魔力保持者は身分に関係なく魔法学院へ入学することが決められている。
学費は国が全額負担する。卒業後は国主体の魔法院、治療院、魔法騎士団、魔法研究所などへ優先的に就職できる。
生活魔法以外の攻撃、防御、補助、医療系統は魔力消費量が多い上に詠唱が難解な上、詠唱にきちんと魔力を乗せなければならない。基礎から学ばずに適当に使用すると魔法が暴発してしまう。だから学院での修学及び実技実習が必要不可欠となっている。
***
「【火の精霊よ 我の声を聞き届け賜え。カヤハ エル えーっと… ナフムセチ ボウ ノ…ヨエ? シュクッタ……プ…ユ…マトックシ ファイアーボール】…だっけ?」
小柄な少女は懸命に呪文をきちんと覚えていないらしく、詠唱がかなり覚束無い。
少女が持つ魔法の杖の先端から出たビー玉大の小さな赤い炎は、フラフラと不安定に進んで攻撃目標のカカシの肩を掠るとジュッと音を立ててそのまま消えてしまった。カカシは肩を数センチ焦がしただけである。
「ミュウ・ジオンレ、判定C。最後尾に並び直しなさい。」
「ええーっ。先生、ちゃんとカカシまで届いたじゃん!」
小さなファイアーボールを出したミュウは、判定が不服で口を尖らせて抗議をする。
「最初に“カカシを完全に燃やして判定A”だと説明しましたよね。」
しかし先生から冷たい視線を返され、しぶしぶ最後尾へ向かう。
「次。アルカティナ・ル・パルプー。」
「はい。」
ゆったりとした足取りで金髪ツリ目縦ロールの美少女が自動再生したカカシの前に立ち、杖を前に向ける。
「【火の精霊よ 我の声を聞き届け賜え。カヤハ エル ナフムセチ ボウ ノヨエ シュクッタプユマトックシ ファイアーボール】」
アルカティナの杖の先からスイカ大の赤い炎が飛び出し、真っ直ぐカカシにあたるとボンッと小爆発を起こしてカカシが燃えた。火がおさまると、カカシはそのままの形で炭化していた。
「アルカティナ・レ・パルプー、判定A。」
講師がそう告げると取り巻き達がアルカティナを囲う。
「やはりアルティ様は違いますわね。」
「なんと言っても祖先に大魔術師モトファ・ル・パルプー様がいらっしゃいますものね。」
「あの子の後だと更に際立ちますわね。」
「ミュウみたいな平民はあの程度が精一杯なのよ。よく学院に来れるものだわ。」
「皆さん、そんなこと言ったらジオンレさんが可哀想ですよ。」
アルティの声に周囲がクスクスと笑いを漏らす。
入学は身分に関係なくできるし学園内で階級は関係ない。しかしそれは表向き。実際は身分がまかり通っており、平民は大変いづらい。
詠唱は上手くないミュウだが、実は学院最多の魔力量を保持している。しかし平民であるが故に基礎学力が不足しているのと、元々勉強が得意ではないので呪文を正確に覚えていない。
兄弟が多く小さい弟妹達に食事を譲っていたため体の成長も遅く、同年代の子と比べてかなり小柄なのも周囲に馬鹿にされる要素だった。
ミュウ自身は学力は元が違うと諦めているし、体も弟妹達の為だったので寧ろ誇りに思っている。だから誰に何を言われても気にしていない。
ちなみに現在は寮食と学食も無料なので、食欲ストッパーを解除して日々恐ろしい量を食べている。それが縦に伸びることに繋がらないのは誰の目にも明らかであるが、誰もツッコめないでいる。
「あー、もう。呪文って難しすぎ!」
「あんたはアホな子だけど少しやればできるようになるわよ。なんでやらないの。」
ミュウが呪文の文句を言っていると、あっさりカカシを炭化させて戻ってきたサイカシィ・リ・リーグンが呆れ顔で話す。
「わたしの辞書に勉強と努力という言葉は存在しない。サイカは勉強しないのになんで頭いいのよ?」
「だって私は秀才だもの。」
「…ですよね。」
リーグン家は貴族であり、有名な秀才一族でもある。父は宰相、母は財務大臣、兄は若いながら魔法部隊指揮官補佐をしている。サイカの魔力量はさほどではないが実技もそつなくこなす。学力テストでは一位から落ちたことがない。
そんな秀才サイカと仲が良いこともミュウが疎まれる理由の一つである。
サイカに無理矢理教えられ、再びファイアーボールを唱えると今度はこぶし大の炎が出てカカシはボウッと燃えてぎりぎり炭化。なんとか判定Aを貰うことができた。
「次はレベル2です。カカシにサンダーボルトを落としなさい。先程と順番は逆になります。判定Aなら一巡廻ったら帰ってよし。但し、判定Aが出るまで居残りです。」
「ヤバいよヤバいよ」
ミュウは焦る。
ミュウは授業が終わったら即帰るつもりでいた。今日は魔道具屋の月に一度のタイムセール。10%オフならずっと狙っていた結界付テントを買えるのだ。但し、夕4刻から4刻半まで。居残りになったら絶対に間に合わない。
レベル1のファイアーボールですらあの体たらくである。レベル2なんて覚えているわけがない。
ミュウが必死にサンダーボルトの詠唱を思い出している間に、他の生徒は次々とカカシに落雷させていく。
「じゃあ、行ってくる。」
「【…ソラ ルドゥラ?あ、ムドゥラ】か。いってら~。」
歩いて行くサイカに、ミュウはお座成りにいってらっしゃいを返す。
「【雷の精霊よ 我の声を聞き届け賜え。アゴゥヘリィトゴメーヴェ ウル ソラ ルドゥム シュワマ ターナバ サンダーボルト】」
バリッと雷が落ち、サイカは判定Aを貰う。威力は高くないが流暢な詠唱と綺麗な落雷である。ミュウはそんなサイカを友人ながら尊敬している。
「リーグンさんは友人を選べば言うこと無しな方ですのに。」
「まったくですわ。」
取り巻き達がわざと聞こえるように言う。当然ミュウは聞こえているがスルーである。
サイカはミュウの隣に戻るなり
「ミュウ、顔が変。」
「【タナーバ…うっ。ターナバ】だ。そこは“変な表情してる”って言おうよ。」
ミュウは憮然とした表情で反論する。
周囲を見回したサイカは、ミュウの表情の原因に気付いた。
「ああ、またあいつら?」
「まあね。いつものこと言われただけ。【アゴゥヘリィトゴー…】忘れた!」
「【アゴゥヘリィトゴメーヴェ】よ。私がミュウといたいだけなんだから口出しすんなっつーのよね。」
本当はサイカ本人に言いたいのだろうが、自分達より身分が上のサイカには言えない為全てミュウに向かってしまう。そんなことを言われても身を引くタイプではないから言っても意味が無いのだが。
ぼんやりしているうちに、いつの間にかアルティが詠唱していた。次はもうミュウの番だ。立ち上がってアルティのサンダーボルトを見る。
バリリッ パチパチッ
大きな落雷の周囲に小さな雷が落ちた。アルティの詠唱はサイカほど流暢ではない。しかし魔法を派手に見せるのが上手いのだ。
同じ詠唱でも多少違いが出るのは、詠唱に魔力を乗せる時の想像力の差だと言われている。詳しくは未だ解明されていない。
「アルカティナ・ル・プーパル、判定A。次、ミュウ・ジオンレ。」
「はい。」
ミュウは返事をしつつ、脳内で詠唱を繰り返しながらカカシに向かう。
アルティと擦れ違う瞬間、ミュウは今までになく鋭い視線を感じた。訝しげにアルティを見ると彼女はミュウにだけ聞こえる声量で呟いた。
「魔法下手なんだから目障りな人はどこか行っててくれない?図々しいのは平民両親の血ね。」
ミュウは耳を疑った。自分のことを言われるならどうでもいい。しかし両親のことを卑下する発言をされるのは到底許せることではない。
速攻で言い返すか殴ろうかとも思ったが、ここで問題を起こしたらそれこそアルティの思い通りになってしまう。
どうにか自分を抑えつつ、イライラしたままカカシの前に立つ。とにかく今はサンダーボルトを唱えて一刻も早く魔道具屋へ行かなければならない。
だが。
(えっと、【雷の精霊よ 我の声を聞き届け賜え。アゴゥヘリィ……ト…ト…】なんだっけ。)
頭に血が上って詠唱が出てこない。元々完全に覚えていないことも災いし、続きが全く浮かばなくなってしまったのだ。
「ミュウ・ジオンレ、早く詠唱しなさい。」
「は、はい。」
先生に急かされても思い出せないものは思い出せない。焦れば焦るほどなにがなんだかわからなくなる。焦るミュウの視界にニヤニヤしているアルティが見える。そしてミュウに向かって口パクでとどめを刺した。
「さすがバカで出来損ないの平民の親から生まれた子だわ。」
ブッチーン!
ミュウには自分の堪忍袋の緒が盛大に切れる音が聞こえた。
(なによ!落雷さえできればいいんでしょ。)
ミュウの思考は怒りで単純化し、頭の中に“落雷の音とイメージ”しか思い浮かばなくなっていた。しかもアルティより大きくて迫力のあるサンダーボルト。そんな妄想が頭を駆け巡る。想像力だけは立派である。
当たり前だがそれは想像の域を出ない。このままではアルティを見返すことなど到底無理である。ここで詠唱を思い出せば一泡吹かせられるのだが、現在のミュウの思考回路では不可能である。
不可能だとわかっている。だからこそ更に膨らむ想像の中の“凄まじい落雷”。
自分の頭の出来にイライラしたミュウは、ついにキレた。
「【アゴゥヘリィほにゃらら ウルなんとか!】 【ゴロゴロ】【ピカッ】【ドーン】って雷落ちろ!」
魔法演習場にミュウの声が響き渡る。
全員が一瞬呆気にとられたが、ミュウが発した言葉をそれぞれが消化すると、あまりのことに生暖かい視線を向ける。
先生も呆れ顔で溜息をつきながら判定を言い渡そうと口を開いた。
「ミュウ・ジンオレ、判て…」『ゴロゴロ』
先生の判定を遮るように、さっきまで晴れていた空が雲に覆われ『ゴロゴロ』という雷鳴が響き渡る。空が『ピカッ』と光ると、数瞬後『ドーン』と凄まじい地響きをたてながら一抱えもありそうな雷がカカシに落ちた。
凄まじい音と光に全員が目をぎゅっと閉じ、耳を塞ぐ。
最初に動いたのはサイカだった。
ゆっくりと耳から手を放しながら目を開けたサイカは、雷が落ちたと思われるカカシを見る。そこにはカカシはなかった。その場所には灰がこんもりと盛られていた。どうやらカカシの残骸らしい。
「ミュウ、今のあんたの魔法?」
サイカが声をかける。その声に先生や他の生徒も目を開けて周囲を確認し、驚きで声も出せない。誰もが何が起きたのか理解できなかった。
肝心のミュウは
「目がぁぁぁ!なんも見えないぃぃぃ!」
と目を押さえて転げ回っていた。
怒りで目を閉じるのを忘れ、凄まじい落雷を目を開けてまともに見てしまった為、眩しすぎて視界が真っ白なままなのだ。
「こんなことしといて通常の反応なのが面白いわね。」
カカシとミュウを交互に見ながらサイカは口角を上げる。
地面を転げながらもミュウは
「先生ぇぇ!私、判定A貰えますかあああああ?!」
「はいはい。落ち着けミュウ。水でも飲みな。」
「(ごくごく)ぷはぁ!ありがとうサイカ。おお、ようやく見えてきたよ。…あれ。カカシ無いじゃん。吹っ飛ばした?よっしゃ!判定Aですよね、先生?」
「それどころじゃないでしょうジオンレさんっ。自分が何をしたのかわかってないのですか?!」
全くわかっていないきょとん顔のミュウ。先生も事態を把握することに必死である。
なぜか言い放った“擬音”そのままの状況が起きたという事実。
ミュウはわかっていない。魔法が周知されて以来、普通の詠唱無しで魔法を放った者はいないことを。
過去の偉人や偉業などに興味が無いミュウには知る由もない。
「こ、こんなの偶然ですわ!あんなバカなことがあるなんてあり得ませんわ。」
「アルティ様でもできないことが庶民に可能なわけがないです!」
「そうよそうよ!」
アルティと取り巻き達が騒ぎ出す。彼女らは目の前で起きたことを“庶民が起こす”とは到底信じられない。
「えー。そんなのどうでもいいじゃない。雷は落ちたんだから帰りたい。」
ミュウにとって詠唱無しなんてタイムセールより価値が無いのだ。
「先生!あんな偶然の雷で判定Aなんていけないと思います!」
「そ、そうですね。詠唱もできない人ができることではないですね。…ジオンレさん。もう一度やってみなさい。」
「えー。やだ。帰る。」
ミュウは結果を出したから終わりだと主張するが、周囲は納得しない。
「疑いを晴らせばすぐ帰れるわよ。同じ方法で他の魔法を試してみな。」
取り巻き達を見ながらにやりと笑うと、サイカがミュウに勧める。
「うー。それもそうだね。帰りたいからやりまーす。」
動機が不純である。
カカシに歩みよりながらブツブツと呟く。
「何がいいかな。雷以外がいいよね。こうでこう……うん、こんな感じにしよっと。」
ミュウ的脳内会議が行われ、決定されたようである。
カカシに杖を向けながら、頭の中に音と画をイメージする。
「【ヒラヒラ クルクル】」
サンダーボルトの時とは違う言葉が聞こえ、何が起こるのかとミュウとサイカ以外が身構えた。
「……?」
先程とは違いなんの音も光も起こらず、先生も生徒も不安げに周囲を伺う。その状況をミュウは楽しそうに見ている。
ひらり
「あら。蝶?」
アルティの後方から一匹の半透明の光り輝く青い蝶が現れた。すると赤・黄・緑・紫・橙・桃色の半透明の輝く蝶が列を成してカカシに向かう。カカシに到達すると七色の蝶は『ヒラヒラ』と舞いながらカカシの周りをダンスを踊るかのように『クルクル』と回り出した。
「「「うわぁ。きれい…。」」」
見たことのない幻想的な光景に、驚きと感動の声が上がる。七色の蝶は存在はするが、一堂に会したり、ましてやダンスを踊るなどあり得ない光景だ。
これが偶然や自然現象なわけがない。ミュウの判定Aは確実である。この時うっとりと見つめる先生には判定のことなど脳内のどこにも無かったのだが。
綺麗で感動的な光景。しかしそれは唐突に終わりを告げる。
「最後に…【ボンッ】」
『ボンッ』
「「「キャーー!!!」」」
唐突に蝶が消えると、カカシが『ボンッ』と爆発したのだ。蝶の競演に夢中だった生徒と先生から悲鳴が上がった。
「おおー。上手くいった♪ んじゃ、帰りまーす。」
「私も帰るわ。」
手を振りながら正門へ向かうミュウをサイカが追う。
「サイカ!わたし頑張った。褒めて褒めて!」
「お前は犬か。」
「だって綺麗だったでしょ。」
「確かに素敵だったわ。」
「実はギルドの依頼で行った森の湖のフェアリーの踊りの真似しただけだったりする。」
「…フェアリーって滅多に人前に出てこないはずよね。」
「そうなの?今度の休日にまた遊ぶ約束したよ。」
「さすがミュウ。訳が分からないわ。それと最後の爆発はいい趣味してるわね。」
「終わりはスカッとしないとだと思うの。」
「その気持ちはわかるわ。で、タイムセール行くんでしょ。見立ててあげるわ。ミュウが選ぶとテントのサイズ間違えそうだから。」
「そそそんなことないよ!」
楽しそうに帰ってゆく親友同士をぽかんとした表情で見送る、カカシの残骸を被るクラスメイトと先生。
これがいろんな意味で歴史に刻まれる第一歩だということを、誰も知らない
今は。