番外編その8:暗き所で彼女は何を想うか
…どれだけ泣いていたのでしょうか?
起き抜けでぼんやりとする頭で最初に考えたのは、そんな事。
差し込む明かりも無く、暗い地下牢で時間の感覚は既に消え失せて…
今が昼なのか、それとも夜なのか…どれだけ時間が経ったのでしょうか?
私がこうして地下牢に繋がれてから…
昨日、連れてこられる段階で分かったのは、ここは通常の牢獄とは違うという事だけ。
私以外に誰も居ないこの地下牢では、どれだけ待とうと何も聞こえる事はありませんでした。
まだ、自分の身に起きた出来事が信じられません。
ここで誰かが、実は嘘だったと伝えに来てくれるのでは…
なんて思ってみて…だけれどそんな事、幻想だって分かっていて…
「う、ぅ…」
またこうして思い出すだけで、こうして目から溢れてくる涙が止まらない。
いつか…どんな形かは分からないけれど、いつか殺される事は覚悟していました。
彼が来る前と、彼が城から消え去った後で。
だけどこんな形で、なんて…
カツーン…カツーン…
きっとこの城での私の死は、全く無意味な物になるだろうと思っていました。
偶然を装っての暗殺か、もしくは私自身がこの身の魔力を暴走させて…
歴史の本にさえ載らない、誰からも無関心な死で終わるのだろうと。
私自身、そんな死に方に…何もない死に方になら不満はありませんでした。
カツーン…カツーン…
それが…国を傾ける脅威を召喚した?
私が召喚した勇者である彼が、テッシンが実は悪魔?
一人だけの召喚は危険だと分かっていた?
だけど、私たちには関係無いから?
元凶は私?
だから…処刑する…?
カツーンカツーン…
どうして、村に魔物を嗾けたと断言するのでしょうか?
本当に偶然か、誰か別の人…そういう可能性だってあるはずなのに!
そもそも村に魔物を誘導しておきながら姿を見られないのも、おかしい。
…そう、思い返せば彼の言葉には幾つも疑問や矛盾がありました。
だけど、あの場では思いつかなかったし…言えなかった。
カツン…カツン…
床を打ち鳴らす石突の音…
脅迫めいた言動でこちらに接してくるお父様…
頭の中を巡る、叱責されるという恐怖が私を縛り上げて…
唯々、悔しいと思う気持ちで涙が止まらない。
あんな状況で、何も言えない自分が。
彼が大罪人として汚名を着せられるのに、何も出来ない自分が。
この状況を望む方達に、思うがままにされている自分が。
惨めで、情けなくて…
「あら?もう少し取り乱しているかと思っていたけど…」
ふと、聞こえた声は聞き覚えのある姉上の声。
…どうして、ここに来たのでしょうか?
「起きてるんでしょ?起きなさい」
ガンガンと檻を叩いて、鳴らされた音が地下に響いて消えていく。
どうやら何か用があるみたいですわね…
「…何の用ですか?姉上」
返事をしながら、身体を起こす。
さっきまでは動く気力も湧かず、ベッド上で投げ出す様に転がっていたのが嘘の様。
人形を動かすような意識で、身体は動いていて…
今も気を抜けば、投げ捨てたマリオネットの様に崩れ落ちそうですけれど…
「食事よ、朝のね」
「朝…」
ここに連れてこられたのが昼下がりなので、随分と寝ていたようです。
「さ、早く食べなさい」
姉上はそれだけ言うと、トレイに乗った食事を檻の隙間から差し入れてきました。
普段口にするものとなんら変わらない、いつもの食事。
特に味も普段となんら変わることの無く…
「ふぅ…」
程よくお腹が満たされる量だけというのも、全く変わりなく…
ただ、どこか呆れたような目つきをした姉上がぼそっと何かを呟いて…
「えっと…?」
「あぁ、食べないなら口にねじ込むつもりだったけど手間が省けて良かったわって」
「ねじ込む?」
何故、私が食べないなんて思ったのでしょうか?
昨日ここに閉じ込められてから、何も口にしていないのに…
「ここで死なれちゃ計画としては困るのよ」
「…そうですか」
成る程、餓死を避けるため…と。
「ま、素直に食べるようだし明日からは来ないわ。
今回だけでも、周りにバレない様にってのはリスクもあるし面倒だし。」
本来は給仕が運ぶ物ですものね。
今日は様子見、と言う事でしょうか?
…いえ、そんな訳はないですわよね?
「で、ここに来た目的は一体?」
「言ったでしょ?これを運んでくるだけだって」
「…信じられませんわ」
私は知っていますもの。
まさか姉上が理由もなく、ただ食事を運ぶ為にリスクや面倒な事はしないと。
でも…だけど死なれたら計画に困る?
なら…殺される可能性は無いはずで…
だけど、そうしないなら他にする事も思いつかなくて…
「一体何を考えているのですか?」
「…私は何もしないわ、何も」
そう言って視線を逸らした先は…食器?
「…だけど、貴方がやるのよ?」
「…!?」
そこまで言われて、気が付きました。
そして、今まで人形の様に感じていた体はからはとても力強くて速い鼓動が聞こえ、それに応えるように全身から汗が湧き出してきました。
「ラル王女は、自らに着せられた罪で処刑される事を恐れていたわ。
罪人として死にたくない、あらぬ罪での処刑なんて御免だと。」
…唐突に、姉上が語りだす。
それに合わせて私の手が、それを求めるように伸びていく。
「そんな中で、食器の中に手違いで紛れ込んだ一本のナイフを見つけるのよ」
「あ、あぁ…」
今、私の手に握られている一本の石のナイフ。
私では食事にしか上手く扱えないけれど…それでも…
「「このまま刑が執行される位なら、いっそ…」」
それでも、私自身のか細い喉を切り裂く位ならきっと…出来るでしょう。
「…それで、どうする?」
聞かれて、おもむろに鋒を自分に向けてみる。
こうして見てみると、とても薄く鋭利な刃は…スッパリと切れてしまいそうな気がして…
これで首を撫でる様に引けば、私は…
「あっ…」
そんな考えが頭をよぎる中、気が付けばナイフを取り落としていました。
カラリ…と床とぶつかる乾いた音が周囲に響き、そして溶けていって…
「全く、何してるのよ…」
呆れる姉上の声に動かされる様に、拾おうと伸ばした手まで震えていて…
そうして掴んだナイフも、柄を強く握って落とさない様にするのが精一杯で。
そうやって俯いている間に、頬から地面にこぼれ落ちたのは汗か涙か分からず…
「折角与えた最後のチャンスなのに…ねぇ?」
そして姉上からの、こちらを見下す様な言葉。
暗に、『出来ないの?』と問いかける…その言葉。
いつもならきっと、それは私の心を傷つけていただけでしょう。
だけど、今だけは違っていて…
『ここで死なれちゃ計画としては困るのよ』
頭を巡るのは、先程の姉上の言葉。
じゃあ、今の私はしている事は?
正に…その困ることなのでは?
「…姉上」
少しだけ考えてみましたが、私には分かりません。
言っている事とやっている事が矛盾している姉上の考えている事が。
だけど、素直に教えてくれるでしょうか?
「何よ?」
「…どうしてこんな事を?」
「分からないの?」
意を決して問いかけてみても、姉上は普段と特に変わりありません。
いつもの『出来ない』と私を見下す姉上のそれと。
だけど…視線では私を捉えていても、瞳は別の光景を見ているような…
なんとなく、そんな気がしました。
「もう止まれないのよ…私達」
「…そうですか」
その私達に、私は含まれていないのでしょうね。
きっと姉上の召喚した彼や…きっとお父様の事。
それにお城の人々も…でしょうか?
彼らは止まる気も無く、姉上には止められない。
だから姉上は彼らではなく私に止めさせようとしたのでしょう。
自分の関与を疑われない様に、こうして給仕に扮してまで…
「私達の想いも…どこかで歪んだのかしらね?」
普段なら絶対にしない、自嘲気味の苦笑いと問いかけるような言葉。
…きっと昨日の彼が言った事への皮肉なのでしょう。
『それをたった一人の矮小な想いです、何処かで歪んでしまったのでしょうね』
姉上に加えて騎士団や王宮に勤める方々の大半…それだけの人数がいても、歪んでしまった想い。
はたして歪まない想いというものには、どれだけの人が必要なのでしょうか?
「・・・」
そんな事を考えはじめると、今の私では何も言う事は出来ませんでした。
私と同じだという同情でも、私よりはマシだという卑屈や自虐も…
きっと姉上の心の陰りは、私の言葉だけでは晴らす事は出来ないでしょう。
「…このナイフはお返しします」
それだけ告げると、食器類をトレーに乗せて檻の隙間から押し込む。
結局、今の姉上の言葉は聞かなかった様に振舞う事にしました。
「明日からは欲しがっても、出てこないわよ?」
「えぇ、構いません」
既に、私がそうする事は警戒しているのでしょうね。
いえ、罪人が…でしょうか?
何はともあれ、姉上がこうして持ってきて下さらなければ…今までもこれからも、ナイフが紛れ込むなんていう事故は起こりえないのでしょう。
だけど、それでいい。
今ようやく、こうやって生きる事が大事だと思える様になったから…
たった一人で願ったせいで、どこかで歪んだ想いの形があの人であったとしても。
信じてはいないけれど…本当に村に魔物を嗾ける様な人だったとしても。
それが私の願いの結果であるなら、きっと…
「私は、信じますわ!きっと彼が助けに来てくれるって…」
召喚の儀式に一番強く願っていた事なんて、一体どんな事だったかは思い出せません。
世界を平和に導く者?私をここから連れ出してくれる人?私と共に戦ってくれる優しい人…?
でも、きっと…神様が私の願いを聞き届けてくれたなら…
半ば願望の様で、半ばそうなると確信めいた何かが心中に渦巻いています。
「それから、確かめます…彼が本当に話の通りなのか」
もし本当であれば、きっとそれは歪んでしまった想いなのでしょう。
私が願い、歪んでしまった想い…
罪として償うのはそれからでもきっと遅くない、はずです。
そしてその時は…
「だから、必要ありませんの」
「…そう」
私の答えは、今の姉上にはどう映ったのでしょうか?
その仕草や反応から推し量る事は、私には出来ませんでした。
「叶うと良いわね、その願い」
姉上は短くそれだけ言うと、下げたトレイを受け取り立ち去っていきました。
そして再び訪れる、闇に飲み込まれるような静けさ。
きっとそれは私にまた恐怖や孤独を与えるのでしょう。
「…信じる」
だけれど…先程も思い切って口に出した、その言葉。
もう一度口にしてみると、私を苦しめていた孤独も恐怖も後悔も…どこか和らいだ様に感じられて…
「テッシン…」
差し込む明かりも無く、暗い地下牢ですが…
先ほどよりも、どこか暗く無くなった様な…そんな気がしました。