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完全装鋼士 : レベル0  作者: ノシ棒
第1章 ―学園編:ナナシ―
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地下7階 プロローグ1:回想―ナナシ―

明晰夢、というものがある。

夢の中でこれが夢であることを自覚する、という現象であるが、これが中々に珍しい体験であるらしい。

そも夢というものが見ようと思って見られるものではなく、夢を自覚したからといって特別心象に残るものでもないかもしれないのだから。

夢の多様性も理由の一つに挙げられるだろう。

明晰夢でも、夢の中なのだからと神のごとく万能性を発揮したり、逆に自分の意に反した恐ろしい夢を見続けたりと種々様々なのだ。

なるほど。であるならばどうやらこの夢は、後者に分類されるケースか。

まるで現実感のない水の中を漂うよう様な感覚の中、ナナシはそう自覚した。

しかもこの夢は自分の脳が生み出した創造の産物ではなく、過去の記憶の再現の類であるようだ。

ともあれ。これが夢だと解ってはいても、自身の意思で制御できないのだから如何にもならない。つまらない映画を無理やり観せられているような気分だ。

過去の記憶を今一度見せられたとしても、別段新たな発見などありはしない。

むしろ、この記憶は自分にとって大事にこそすれ、あまり思い出したくはない類のものだ。いい加減にしてくれよ、と思う。

いちいち見せ付けられずとも、あの時の全ては余すところなく、自らの血肉となっているのだから。

ナナシが見ている夢。

それは、この世界にて産声を上げた瞬間の記憶――――――『ナナシ』の始まりの記憶だった。

だが、ナナシ自身は気づいてはいない。

ナナシの見ている夢が、明晰夢などではないことを。

それが、走馬灯と呼ばれるものであることを。



■ □ ■



かぁん、かぁん――――――と鉄を打つ音。

熱気が籠る工房の片隅で、膝を抱えて座る少年が、一心不乱に鉄を打つ老人の背を、静かに見つめていた。

まったく、面倒なヤツを拾っちまったもんだ――――――。

それが鉄を打つ老人、ジョゼット・ワッフェンの、少年に対する終始変わらぬ印象であった。

日がな一日、何をするでもなく鉄を打つ自分の姿をじっと見つめている。他にすることといえば、他愛の無い言葉のやり取りを自分と交わすだけ。

通じているかは不明だが、鉄を打つ間は邪魔をするなと言い含めていた。意図は伝わっていたようで、その間、青年が何をか接触を持ちかけてくることはまずない。またこちらから声をかけることもなかった。

何が楽しいのだかわからんな、とジョゼットは憎々しげに顔を歪めた。じっとこちらを見つめる青年が、癇に障ってたまらない。

自分から動こうとはしない受動的な人間を、ジョゼットは嫌っていた。人に言われねば動けない人間、それは即ち、向上心のない人間だからである。

確かに好きにしろとは言った。

だが、少年の好む事が自分がこうして作業するのを見詰めることだとは、到底思えない。

若かりし頃の自分は、あんな風に大人しくすることは出来なかったはずだ。

まったく、面倒なヤツを拾っちまったもんだ――――――。

再びジョゼットは、苛立たし気にハンマーを振り下ろした。

一際大きな音が響く。

近隣に遠慮の無い、全力の一打である。この周囲に人など住んではいない。近所迷惑云々など、考えなくてもよいのだ。

十五年前まではここも賑やかな町だった。だが魔物の襲撃に会い、滅ぼされてしまった。今ではただ瓦礫が残るのみ。

町民のもてなしを期待するのなら、そこいらの家の残骸を掘り返せば、きっと家主が骨ばった顔をして出迎えてくれるだろう。

かぁん、かぁん――――――と鉄を打つ音。

澄んだ音が不協和音を立て始める。どうにも調子が出なかった。

舌打ちを一つ残し、ジョゼットは立ち上がった。


「おう、坊主。飯の時間だ」


「どコ、いきまスカ?」


「はっきり、ゆっくり喋りやがれと何度も言ってるだろうが」


「■■■■■■――――――ゴウメ、ンナサイ」


「……飯を食ったら外出だ。準備しておけよ」


言い残し、工房を後にする。

慌てて後を追ってくる気配を感じながら、意思疎通が出来ないのは面倒だとジョゼットは思った。二ヶ月も顔を突き合わせていたおかげで少しは言葉を覚えたようだが、相変わらず少年が何を話しているのかはよく解らない。

少年の言葉を、ジョゼットは認識することが出来ずにいた。

少年が異国の言語を話していたから、という訳ではない。それでも身ぶり手ぶりで固有名詞くらいは理解できるはずだが、それすらも出来ない。少年がこちらの言葉をわずかながら覚えたように、自分も向こうの言葉を覚えられようものなのに。

その言葉を、言葉として捉えることが出来ないのだ。ただの音の羅列や、ノイズにしか感じられない。

それどころか言葉だけでなく、青年の仕草、気配、存在自体が、全く認識出来ない時も多々あった。

まるで幽霊だ。

そんな奴がじっと自分の背中を見つめているのだから、気分が良いはずもなかった。


「おい! まだ熱持ってて危ねえから、それに近寄るんじゃねぇぞ! 火傷したらどうする、治療費払うのは俺なんだぞ!」


「ゴメナ……イ」


「ゆっくり、はっきりとだ。もう一度言ってみろ」


「ごめん、なさ、イ」


「ふん……煤の付いた手で顔擦りやがって、真黒になってんじゃねえか。こっちに来い! 拭いてやる!」


「うぐ……」


「勘違いすんなよ、くそ坊主。手前の顔がみっともなくってありゃしねえから、拭いてやってるだけだからな。汚え面が気に入らないだけだ、そこんとこ勘違いするんじゃねえぞ。解ったか!」


ジョゼットの言っている事が解っているのか解らないのか、覇気の無い顔をして笑いながら頷く少年。

舌打ちを一つ残し、ジョゼットは歩を進めた。

最近は、少年がどんな顔をしているのか、ようやく解るようになってきた。

初めはまるで酷いものだった。

そこに居ると解っていたのに、その所作の全てがあやふやに感じてしまうのだ。

ジョゼットには、しかしこの現象に心当たりがあった。

恐らくは、自分と同じような事情を抱えているのだろう。

初めて会った時から、少年が富裕層の出であることは解っていた。

小奇麗な衣服に、さっぱりと切られた頭髪。何よりも知性を感じさせる瞳と、どこか脅えの残る仕草は、高度な教育を受けてきたことの証拠だ。

そんな人物が生来から“舌足らず”であったとは、考え難いことだ。

だというのに少年の言葉は理解出来ない雑音ばかりだ。ならば、思いつくことはただ一つ。出来ていたことが、出来なくなったに違いない。

この少年が、『放神』を行ったであろうことは、容易に想像が付いた。


この世界は、数多の神々によって維持されている。

あらゆるものに神は宿っているのだ。土にも、石にも、原子の一粒一粒にも。そして、言語にも。

言の葉、言霊という概念がある。

人の魂を込められた力を持つワード、という意味で使われることの多い単語であるが、世に認められた言語である、という意味もそれは併せ持つ。

つまり言語が……言霊が相手に伝わらないということは、少年の用いる言語に、神の加護が全く宿っていないことを指していた。

神の加護を除去することは、実は簡単だ。

ここ数十年で目まぐるしい発達を遂げた、科学技術が体表的な例だろうか。動力として用いられる限りなく無色に近い魔力がそれである。

この無色の魔力は、多くの神の加護を掻き集め、一斉に魔力へと還元させることで飽和状態を起こし、ニュートラルな状態にさせて作成している。そうすることで結果的に加護を除去されたエネルギーを作り出すのである。多種の加護は人体に多大な影響を与えるため、機械技術を用いねば作成することは出来ないものだ。よって、人間にはこれは当てはまらない。

神は自らを助けるものを助くと言う。ならばその逆は――――――。

すなわち、神を心底憎み、恨み、呪うことで、神の加護を消し去る法。それを『放神』と言うのである。

嘗てジョゼットが行い、そして力を失った、否、消し去った邪法である。

しかしそれにしても、全ての神々の加護を消去した訳ではない。自らが最も信じていた神の下を去っただけである。

だがこの少年は、嘗てのジョゼットよりも酷い状態だ。

言語まで消し去るとは、一体どんな事情が――――――。そこまで考えてジョゼットは頭を振る。

間違いなく、ろくでもない理由からに違いあるまい。

まったく、面倒なヤツを拾っちまったもんだ――――――。

面倒臭そうにして、ジョゼットは少年を伴いながら溜息を吐いた。


「おい、熱い所から急に外に出たんだ。身体が冷えるといけねえ、上着を着てこいよ。何だ、その顔は? お前何か勘違いしてるんじゃねえだろうな?

 馬鹿かお前。これで風邪をひかれたら薬代が掛かるからに決まってるだろうが! 解ったらとっとと上着持ってこい!」


最下級の魔物である小鬼(ゴブリン)に襲われていた少年を助けてから、はや二ヶ月が過ぎていた。

行く当ても、生きる術も持たない少年を、気紛れに家に置いてみたはいいが、あんまりにもひ弱過ぎて、全く何の役にも立たずにいる。

勤勉ではあるようで、やれと言ったことは何とか工夫してやれるように努力するその姿勢だけは、ジョゼットの好む所であった。

さて、そう考えれば、向上心はあるのだろう。

こうして大陸語を習得しつつあるのだから。実に面倒なことに、言葉の裏に含まれた意味まで読み解く程に。

まったく、とジョゼットはぼやきながら、瓦礫に躓いて転んだ少年の腕を掴み上げた。



■ □ ■



売店で適当に腹を満たした二人が向った先は、町から十二駅も離れた町にある、うらぶれた教会だった。

こんな場所に何の用が、と怪訝そうな視線を向ける少年に、ジョゼットは言う。


「これから此処でお前を調べる。まさか嫌だとは言わねえな?」


慌てて首を縦に振る少年。

ただ、怪訝そうな表情は変わらずのまま。自分を調べるというのなら、役所か、あるいは身体を調べるという意味なら医者ではないのだろうか、と言いたい風な顔だ。


「調べるのは『神意』だよ」


そう説明しても、理解した顔ではない。

ジョゼットは、果たして少年が何の神を放神したのか、それを調べにこんな辺鄙な場所にまでやって来たのである。そこから逆算して、少年の身に何が起きたのかを調べるつもりであった。

教会は冠婚葬祭の場の提供だけでなく、訪れた者の信仰の、具体的な形を調べる機関という役割も負っていた。

此処で少年を詳しく調べれば、青年が“こんな”になってしまった経緯も解ろうというものだ。少年のプライベートに踏み入ることになってしまうが、命の恩人に向って文句は言わせない。

そうして足りない部分を補うように、別の新たな神の加護を受けさせたなら、“生きる術”も戻るだろうとジョゼットは考えたのである。

説明を受けた青年はきょとんとした顔で、乱暴に扉を開け放つジョゼットの後ろへと続く。

言葉まで捨てたくらいだから、教会に入ることを拒むかとも思っていたが。やや拍子抜けだった。


「やれやれ」と呆れ声が教会の中から届く。錆ついた扉をくぐれば、そこには深い皺の刻まれた柔和な顔をした神父が一人、佇んでいた。


「誰かと思えば、久しぶりだなジョゼット。かれこれもう十五年振りになるか……」


「昔話はしたかねえな。無線で用件は伝えたはずだぜ」


「お前はまだ忘れられないのか……いや、よそう。それで、問題の彼はどこに?」


「お前さんの目の前にいるよ」


「む、おっ!? これは、また本当に存在感が無いんだな。話には聞いていたが、ここまで来ると異常だぞ。一体どうしてこんなことになってるんだ……?」


「そいつを調べてもらいに来たんだろうがよ」


「……そうだな。早速調べてみようか。いくつか質問をしてもいいかね?」


「ああ、無理無理。何言ってんのか解んねえって。こいつ、ここの言葉知らねえからな。難しい話は無理だ」


詰まらなさそうに肩を竦めるジョゼット。

少年は神父に頭を下げていたが、神父はジョゼットの方が気がかりであるようだった。口振りから察するに、ジョゼットと神父は往年来の友人だったのだろう。

ではさっそく、と簡単な準備を終えた神父は少年を魔法陣の中心に立たせ、聖句を叫ぶ。

すると、地面に描かれた魔法陣から浮き上がるように、青年の周りに幾つもの輝く魔法陣が表れた。

初めて目にした現象に青年が驚くが、横合いからジョゼットに拳骨を貰い大人しくなった。

魔法陣が少年の身体を上下に通過していく。神父の説明を聞くところによれば、CTスキャンやMRIのようなものらしい。

こうやって少年に付与された神の加護を調べているのだと、神父は言った。


「……なんということだ」


「どうした。何かわかったのか?」


「ああ。彼は恐らく……スタンドアローンだ」


「“孤立”してるだって? どういうことだ」


「彼の中には、神がいないんだ。神の加護が、何も、存在してはいないんだ」


「加護がないだと? おいおい、そんな人間がいるわけねえだろうがよ」


「事実だ。彼は、命名神の加護さえ受けていない。……なあ、彼はいったい何だ? この世に産まれ落ちた存在なら、たとえ魔物でさえも平等に産神の加護を受けるというのに、彼にはそれすらも感じられない。これではまるで亡霊だ。

 いや、それよりも希薄な存在だろう。まったく、まったくだ、まったく神意が感じられないんだ。彼という存在には!」


「ほう……だからか」


ジョゼットは得心したと頷いた。

放神を行ったのかと思っていたが、それ以上だった。まさかこの世に産まれていて、“全く”神の加護を受けてはいない人間が存在するとは。

なるほど神の加護など少しもないのだから、その言葉に意味が込められるはずもないだろう。言の葉が相手に届く訳がないだろう。

言葉が伝わらない理由は解ったが、しかしそうなると合点がいかない所がある。

青年の身なりは整ったものだったというのに、命名神の加護すらないとは、どういうことだ。

捨て子が命名神の加護を得られなかった事例はあるが、しかし青年は違うだろう。金銭に不自由してはいないというのに、命名の儀すら行われていないことが不自然でならない。

何よりも、産神の加護が宿ってはいないことには納得がいかなかった。そんなことはあり得ないからだ。

魔物も、器物も、人間も。ありとあらゆる存在は、世界に産まれた瞬間に産神の祝福を受けることになる。それは昔話に登場する魔王だって変わらないはずだ。

なぜならば、この世に存在するということを、許可されるということに等しいものであるのだから。

産神に認められていない、となるとどうなるか。

解りやすく言ってしまえば、それは人様の家に上がり込んできた他人か、それこそ亡霊の運命を辿ることになるだろう。

この世の前提に神がいるのだから、神の加護が得られないものは意味を得ることが出来ないのだ。少年の気配が異様に希薄なのも、そのためか。

つまり、世界そのものに異物であるとされたのである。

今はまだ世界も少年が真に異物であるかを判断しかねているようだが、世界に存在を認められていないのだから、いずれは――――――。

だが、今は未だ、青年は此処に居る。大きな矛盾を孕んで。

ジョゼットは二ヶ月を共に過ごした青年が、初めて得体の知れない存在に見えた。

思った通りの(・・・・・・)


「お前は一体、何者なんだろうな?」


知らず、口元が獰猛な角度へと釣り上がる。

ジョゼットの険呑な視線に、困ったように少年は顔を青ざめて口を開いた。

言語として認識出来なくとも、音としては認識できる。


「こっちの言葉で話せ。ゆっくりとでいい、言って見ろ」


「ウ、ア――――――」


ゆっくりと、辛うじて聞き取れる音を一つずつ繋ぎ合わせると、それはジョゼットの毒気を抜くのに十分なものとなった。


「ぼク、ハ―――――ア、イゴ、マイゴ、でス」


どこまで言葉を理解しているのか、「迷子」であると少年は言った。

頭を垂れ、困ったようにしてぼそぼそと話す少年が、ジョゼットの眼には何故か、笑いが込み上げるほどに可笑しく映った。

この少年が邪悪なモノであるはずがない。

不思議とそう思わせる雰囲気が、青年にはあった。

それは希薄になった存在故に、そう感じているだけの錯覚かもしれない。

しかし、ジョゼットは自分の勘を信じることにした。

思った通り。思った通りの男だった。人を見る目がある方ではなかったが、例え間違っていたとしても、この少年が善性なる性根を持っていると信じてやる。

かつて自由を求めた冒険者としての血が、騒ぎ始める。

神の影響下にいないということ。

それは、少年が真に自由ということなのだから。


「ぶわぁッはッはッは! そうかそうか、迷子か!」


「ふ、む。これは本部に連絡して、詳しく調査を……」


「止めとけ止めとけ、言うだけ無駄だ。何にも解りゃしねえよ。それより、こいつの事は誰にも漏らすんじゃねえぞ。いいな」


「まさか、このまま引き取るつもりか? お前は、身体が……しかし」


「おうよ、そのまさかよ。この二ヶ月一緒に暮らしてみたが、こいつは中々働き者でね。作業も大詰めになって、助手が欲しいと思ってたところだ。丁度いい」


「なんと、あれが完成するのか!」


「ま、そいつはさておきだ。なあ坊主よ」


ジョゼットは少年に、まるで悪戯小僧のようにして笑いかけた。


「このまま言葉が通じないのも不憫だろう?」


何度も縦に頷く少年。


「そうか、じゃあ新しい名前をくれてやる。どうだ?」


ぽかん、と口を開けて少年は呆けた顔をしていた。

しばらくして、こくりと一度、力強く頷いた。

ジョゼットは嬉しそうに口の端を釣り上げた。

常の獰猛な笑みであった。

だがそこには、隠し様の無い暖かさが含まれていた。


「ようし! なら俺がお前の名付け親になってやらあ! いいか、俺を通して間接的にお前へと加護を与えてやる。

 俺という魂がお前を認めるんだ。そこには神意は介在できねえ。放神者である俺の認識で、お前を世界へと縛り付けてやるからな。そうすりゃちっとはマシになって、しゃっきりとするだろうよ!」


ジョゼットは青年の肩を強く叩いた。

慌ててつんのめる青年を、なまっちろいやつだとまたジョゼットは笑う。

そんな二人を、どこか慈しみを込めた瞳で神父は見ていた。

何のことはない。

少年を無条件で信じられる程には、ジョゼットは青年のことを気に入っていたのだ。

内心悪し様に思っていたのも、中々意思疎通が出来ず、どこか危うい気配を持っていた少年への苛立ちを、好意を隠す仮面として使っていただけに過ぎなかった。

だから、少年が自分の足で立てるようになるともなれば、そんな意地を張る必要もなくなる。

ジョゼットは嬉しそうに少年の肩を叩き続けた。


「どうせ市民権だってないんだろう? そっちも任せとけよ、金は有り余ってんだからよ」


「ハハ、しばらく見ない内に世話焼きになったな」


「うっせいやい。さっさと儀式の準備でもしとけ!」


はいはいと準備を始める神父を、興味深そうに観察している少年。

別段どこにでもありふれた儀式であり、珍しくも何ともないだろうに、少年はきょろきょろと周りを見渡していた。

これも少年の特別な事情が絡んでいるのだろうか。

世間知らずというか、“世界知らず”というべきか。

一般として知られているはずの常識というものを、まるで少年は知らなかったのだ。

思えば、少年は初めて出会ったころからおかしな奴だった。


ジョゼットが少年と出会ったのは二ヶ月前。

その日、ジョゼットは何かの予感に導かれるようにして、街の見回りに出かけていた。

そこにこの少年が、ジョゼットの住まう廃墟の街へと現れたのである。

血まみれになって襤褸を纏い、足を引きずって歩く様は、魔物にでも襲われたのであろうか。そしてその背後には、正に少年を取り囲まんとしている小鬼の群れがあった。

ジョゼットが住まう廃墟の街は通称『地下街』と呼ばれ、誰も近づかないゴーストタウンと化している。

立地的に恵まれ、かつては鉄道が通り、物流ルートまで確保されているというのに、人が寄りつかなくなったその理由。

それは全て、十五年前に街の地下に、突如として迷宮が出現した所その一点にあった。

迷宮は須らく神代発祥のものであるため、自然発生したとは考え難い。人々は地下に迷宮が埋まっているなどと露ほども知らず、その上に街を築き上げてしまっていたのだ。

そして途方もない年月が流れ、“ガス抜き”が行われることなかった迷宮はついにパンクした。

地下から無数の魔物が這い出し、殺戮を始め、街は大パニックになった。阿鼻叫喚の地獄絵図とはこのことだった。

政府は大量の国家冒険者を派遣し、この事態を速やかに収集させたが、死んだ人間は返ってはこない。

街の中心に迷宮が出現したために復興も叶わず、結果ジョゼットの街はゴーストタウンと化したのであった。

今では街に訪れる者は、命知らずの偏屈な冒険者か、自殺志願者だけである。

居を構えているのはジョゼットだけであり、魔物の徘徊するような街だ、無理もないとジョゼットは思っていた。

そんな場所でジョゼットは少年を拾ったのだ。

襲いくる小鬼(ゴブリン)を叩き殺しながら、ジョゼットには何か、少年へと感じ入るものがあった。それが何かは、今は言わないでおこう。

当初はこの少年は勘当されて、死に場所でも探しに来た貴族の子弟かとも思ったが、そうでもない。

そも、話が通じなかった。こちらの言葉は何とか通じていたため、向こうの問題であることは直に理解できた。

ガタガタと身体を震えさせる様は、少年が死の覚悟など全く出来ていない様子が見て取れた。

とにかくジョゼットは胸を撫で下ろした。

少年が現れたのが、地下街を封印する結界から外れたルートであったからだ。蟻の巣状に巡らされた地下街である。見落とされたルートなのだろう。結界が消えた訳ではなかった。

しかし、この少年をどうしたものか。

話は通じず、そして戦う力もない。

さらには金もないとなれば、このまま放り出せば、直ぐにでも魔物の餌食になるのは明らかだ。

そうなっては寝覚めが悪いと、そして自分の目的に役立つかもしれないとの打算によって、ジョゼットは少年をしばらく家に置くことに決めた。

そうして二人の、奇妙な共同生活が始まったのである。


お互いがお互いに深く干渉し合わずに、かといって意識し合う毎日。

少年からすればジョゼットに気を遣うのは当然のことだったが、ジョゼットからしてみれば少年は気配がするのに認識がずれるという幽霊のような存在である。

意識しなければ見失ってしまうために、少年とはまた違った意味で気を遣っていた。まるで、赤子を見てはらはらとする気分のようであった。

血みどろの姿で現れなければ、気付くことはなかっただろうなとジョゼットは思う。

そして毎日ジョゼットは鉄を打ち、何が面白いのか少年はその背を眺めていた。

時に涙を流しながら、少年は静かに膝を抱えていた。

まるでこの世界に一人置き去りにされた幼子のような、そんな仕草を少年はすることがあった。

だがその眼は諦めを宿してはいない、ぎらぎらとした光を放っていることにもジョゼットは気付いていた。

こんな所で腐ってはいられないと意思が込められた眼。

いずれ、と未来への挑戦を誓う眼。

その眼は――――――。


「さてと、坊主。お前さん、名前が無い訳じゃあるめえ。今更だが、お前の名前を教えてくれないか? これから先、名乗ることは無くなるからな」


「―――■■――――――■」


「……悪い、もっかい言ってくれや」


「彼から名前を聞き出そうとしても無駄だぞ」


準備を終えた神父がジョゼットに言う。


「名は体を表すというからな。あらゆる神の加護を受けてはいない彼の、その象徴である名。それはやはり」


「俺たちには認識できない、ってか?」


「理解不可能の極地だろうな。だが別にいいじゃないか。彼の名付け親になってやるのだろう?」


「いや、お前よう。名付け親になるとは言ったがよ、そりゃこいつの名前を一から考えてやるって意味でじゃねえぞ? こいつから名前聞き出して、それを認可してやればいいじゃねえか」


「だから、それは無理なんだと言っただろうに。お前経由で命名神の加護を与えることになるのは変わらないんだ。認めるんじゃなくて、今ここで考えてやったほうが、ずっと効果があるだろう」


「んがー! 面倒くっせえなあ!」


がりがりとジョゼットは頭を掻いた。

自分にはネーミングセンスというものが無いことを、ジョゼットはよく自覚している。

現に、孫の名前を考えてやろうとしたら、息子夫婦達にやめてくれと懇願されたくらいである。

どうしたものか、と考えても何も浮かんではこない。

名付け親になってやると言った手前、放棄することもできない。

自棄になったジョゼットは、どうにでもなれといった風に叫んだ。


「もういい、名無しだ! こいつの名前は『ナナシ』だ! それでいいだろう!」


「いや、ナナシって、お前そんな適当な……」


「文句言うならお前が考えやがれ!」


「ハァ、まあいい。それで、市民権も作るのなら姓も付けなくてはいけないが、そっちはどうする?」


「ぐ、む……。ナナシと続いて……」


「続いて、何だ?」


「ナナシ……ナナシの……ええい、もういい! こいつは名無しのナナシで決定だ! 異論は認めねえ!」


「……解った、それでいこう。君もこれでいいかい? 嫌なら嫌と言ってくれていいんだぞ」


神父に話を振られた少年は、直にこくりと頷いた。

新たに名を得る時は、その名に心底納得していなければならないために当人に拒否されるのが一番の懸念出会ったが、杞憂だったようだ。

神父は名前を気に入ったというよりも、ジョゼットが付けた名前だから、という方がこの少年にとっては重要だったのではないかと思った。

きっと、そうなのだろう。

少年はとても嬉しそうにしている。これで本当に意思疎通が出来るようになることが、嬉しくて仕方ないに違いない。

早速儀式を始めようと、神父は少年を跪かせ、その頭に手をかざした。


「神の御許において、この者に新たな名を授けたまえ! ジョゼット・ワッフェンが名付けし汝が新たなる名は『ナナシ・ナナシノ』! 今ここに、汝に第二の生を与えん!」 


ジョゼットから光の粒が立ち上り、少年の周りを覆っていく。


「おい、何か変だぞ」


「おかしいな……こんなに長い間魔力光が漂うことはないはずなんだが」


立ち上った輝きは、それを認めてよいものかどうか、迷うようにして、少年の周囲を漂っている。

ジョゼットと神父が異常ではないかと声を上げようとした時、ようやく魔力光は魔法陣として形となって、少年の身の内に収まっていった。

見えない衝撃に身体を貫かれたように、少年はうわあと短い叫びを上げて尻もちをついた。


「長かったな。だが、なんとか成功したようだ……穴だらけのようだが」


「問題ないならいいさ。おい坊主、大丈夫か。ったく、なまっちろい奴だな。足腰鍛えてねぇから簡単にすっ転ぶんだ」


「す、すみませン」


ジョゼットが差し出した手を、少年は礼を言いながら握り返し、立ち上がった。

そうしてジョゼットは、はたと気付く。


「……お? しゃっきりとしたみたいだな」


「ああ、存在感が濃くなっている。何も変わらないことも想定はしていたが、どうやら効果はあったようだ。うん、ちゃんとここにいると解るぞ」


「ボくが、ココにいる、と、ワカリます、か?」


「おー、わかるわかる。へぇ、なるほど見違えたな。霧がかかったような印象しかしなかったが、ちゃんとすりゃこういう風に見えるわけだ」


「ヘン、ですカ?」


「いいや、どこにも異常はないよ。ただ、この世界に認められただけさ。否、ジョゼットに認められたんだな」


「アリガト、ゴザイマス」


「ふうん、中々の色男じゃねぇか。ま、俺の若い時にゃ負けるがな」


「君もよくこんな偏屈な爺と暮らしていられたな。相手するのが面倒臭かったろうに。これからは遠慮せずに言うんだよ? さあ、言ってごらん。クソ爺って」


「んだとゴルァ! こっちは世話してやってたんだぞ! 感謝も尊敬もされまくってるに決まってんだろうがよ!」


「そんなことがある訳ないだろう。だいたいお前は昔からな――――――」


喧嘩を始めた二人に、曖昧に少年は笑みを返すしかなかった。

ころ合いを見て少年は、二人に制止の声をかけた。

そして神父と向き合い、真摯な眼を向ける。


「アリガト、ゴザイマシタ。ぜんぶ、シンプサマのオカゲ。オレイ、シタイデス」


「気にしなくてもいいんだよ。ここはあらゆる神が集う神の家だ。迷える者を救うのは当然さ。それが迷子だというのなら余計に、ね?」


「ハイ……ほんとうニ、アリガト、ゴザイマシタ!」


深く頭を下げる少年。

神父はそれに、聖句を唱えることで返した。

君のこれからの人生に、幸あらんことを――――――。

そして少年はジョゼットと向き合う。

初めに声をかけられなかったからか、ジョゼットは拗ねたよう顔をしてそっぽを向いていた。


「ジョゼット、サン」


「何だ坊主」


「ぼク、タスケテクレタ。ほんとうニ、ウレシイです。ぼク、シヌカモ、アブナカッタ。ジョゼットサン、イノチ、オンジン」


「……かーーっ! いいんだよ! んな堅苦しいことはよ! それよりもまず初めにやらなきゃならんことがあるだろう!」


「えと、オレイ、ヲ」


「だから、それ以前にだ! “まだ”得体の知れない奴を住まわせるほど俺はお人好しじゃないぜ?」


「マダ……? あっ!」


少年は何かに気付き、姿勢を正した。


「ジョゼットサン」


「おうよ」


「ぼクは――――――ナナシ。ナナシ・ナナシノでス!」


「おうよ。俺はジョゼット・ワッフェンだ。よろしくな、ナナシ!」


手を差し出してきたジョゼットに、少年――――――ナナシも右手を差し出して握り返す。

月日を感じさせるごつごつとした、そして力強い掌だった。

込められた力が存外強く、ナナシは痛いと情けない顔をした。

ジョゼットは悪戯が成功したような、得意気な顔になっている。

負けじとナナシも力を込めた。ジョゼットは更に握力を上げる。

二人は顔を見合わせて、破顔した。

正反対でいるように見えて、意地っ張りな所は良く似ているようだ。

神父が呆れたように溜息を吐いた。

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