地下56階
じんとした熱い頬の痛みは、ナナシにとって慣れたものであった。
口の端から滴る涎混じりの血の味もまた。
「この・・・・・・日和見主義の臆病者が!」
ただ、幼い罵声は初めてのもの。
「おい、やめろ! くそ、暴れんなクソガキ! おいって!」
「いえ・・・・・・ナワジ先輩、離してやってください」
「ナナシ! お前!」
しぶしぶと言った体で羽交い絞めにしていた拘束を緩めるナワジ。
息が荒く、しかし冷静さを取り戻したといった風に、見せ付けるようにして襟首を正してシュゾウは立ち去った。
決して、後ろを振り返ることなく。
「何が先生だ・・・・・・!」
吐き捨てた言葉は隠しようのない怨嗟に塗れていた。
手を上げかけたナワジを、ナナシは静止する。
この仕打ちは妥当であるとして。
「ああ・・・・・・痛いなあ」
顎先まで垂れた血を親指で拭うと、ナナシはそれを一舐めして笑った。
自らを嘲笑する笑みだ。
貴族と社会構造に向かっていたシュゾウの憎しみは、今やナナシに牙を向くものとなっていた。
青く滲んでいく頬は、シュゾウによって殴りつけられた痕。
弟子に殴り飛ばされた際についた傷であった。
「あいつ、あのガキ! お前がどれだけ苦しんでいるか知らずに! なめた口を!」
「“俺の側”に立ちすぎている意見ですよ、それは」
「あれは子供の癇癪かわがままだろう!」
「でも、皆が思ってることだ。違いますか? だから俺は受け入れられない」
「それは・・・・・・!」
「一人だけ離れたところから眺めているような、無関心を装った奴。まるで対岸の火事・・・・・・わかってるんですよ、そんなことは」
「それは・・・・・・戦いを挑んでいったら、みんな死ぬんだ。戦えだなんて、言えるかよ」
「“戦おう”だなんて、誰も思っていないのかもしれない。“勝ち取ろう”だなんて」
ナナシが抱えてきた問題が全て顕在化していた。
もはや隠すべくもない。
異世界人・・・・・・“日本人”としての感覚の“ズレ”である。
地球で暮らした二十年は、ナナシにとって根深いものがあった。
異世界の十年は、どれだけ衝撃的で感慨深い時であったとしても、ナナシの根本であるこの二十年に敵うことはなかったのだ。
犯罪はいけないことだ。
他者とは対話をもって向き合わなければならない。
地球では聞き飽きる程に流し込まれてきた台詞だ。
当時は幾度となく馬鹿々々しいとさえ思っていた。だがいざその瞬間となれば、躊躇が真っ先に立つ。
道徳とよばれる観念が、全ての先に来るのである。
盗み、火付け・・・・・・人を手にかけたことなどもう、数え切れぬ程にある。
だがその全てに興奮はあれど、快感はなかった。事の後に、拭いきれない罪悪感が付いて周るのだ。
巨悪に狂わされ、余裕もなく獣のように放浪していた時はまだよかった。本能の赴くままにただ生きればよかったのだから。
だが自分を取り戻した今、積み重ねてきた“人間性”が重く足を引く。
自分では自覚できない程に、もはや修復不可能な程に、自分は地球人だったのだ。
すなわち、異世界地球の島国たる日本の基本理念。
戦争行為は、してはならない。
「どうして・・・・・・お前は・・・・・・お前達はそっくりだよ、ちくしょう」
力なくナワジはテーブルに拳を打ち付けると、機関鎧の作成に取り掛かり始めた。
これはと見出したものに与えられる、簡易機関鎧である。
ナワジもまた、ナナシのズレた感覚に気付いていた。
戦えと言う事はできない。それはナワジも同意見である。
ただし、“今は”、だ。
だからこうして、いずれ来る時に向けて備えているのだ。
ナナシが戦えと言わぬのは、いずれ許される時が、解り合える時が、嵐が過ぎる時来るかもしれないという、平和主義に基づいたものである。
これまでの戦いは、全てが反撃戦か救出戦に過ぎなかった。
いわゆる専守防衛の理念である。
これを、戦う力・・・・・・機関鎧と無名戦術を手に入れたからとて、こちらから打って出ようなどと、あっていいものか。
正義はある。宗教弾圧からなる民族浄化・・・・・・それは海を越えた他国への侵略のための足がかりに過ぎない。その先を止めるとすれば、それは正当な大儀となるだろう。
だが、正義で血を降らせることはあっていいことなのだろうか。
多少なりとも戦力が整いつつあるのだ。単独での“戦闘”とは訳が違う規模となる。
集団によるテロ行為・・・・・・それはもはや、戦争と言ってもいいだろう。
そうなれば、一度始まってしまえば、ナナシもまた死力を尽くさなければならない。
相手に付け入る隙と油断が多分に有ることも災いしている。
これまでの比ではない血が流れるだろう。
血で血を洗うような、熾烈で陰惨な戦争となるだろう。
だが果たして、それは。
「そう考えてる時点で、おれはこの世界の人間にはなれない・・・・・・わかってるんですよ、あの子には」
「言うがな、あれはガキがヒーローに憧れるようなもんだ。お前に夢を見ていただけだ。このクソッたれな現状を、全部ぶっ飛ばしてくれるんじゃないかっていう。
お前だってただの人間だって、理解したのはそこだ。それだけだ。尊敬が全部反転した。だから八つ当たりしてるだけだ」
「一度抱えてしまった以上は、見捨てることはできませんよ。別に戦わなくても、あいつを納得させることは出来たはずなんです。
でも俺は・・・・・・出来ませんでしたよ。師匠だなんて言っても、俺はこの程度です。本当の師匠っていうのは、たぶん・・・・・・」
「たぶん、なんだ?」
「胸を張って、前に向かっていく・・・・・・その背中を見せてやらなきゃいけなかったんだと思います。俺は振り返ってばかりいる・・・・・・」
「誰もがそうだろう。みんな昔を忘れられないから、憎しみが湧いて出てくるんだ」
「忘れられないということと、昔に執着するってことは、きっと違うでしょう。俺はね、今でもずっと想ってるんですよ。それで考えてしまう」
天を仰ぐ。
それだけでナワジには伝わった。
「俺がそういう選択をしたとしたら、“あいつら”はどんな顔するのかなって。表情のわかんない鳥頭にまた怒られるのかなって思うと、とてもできそうにない」
“彼等”の愛したナナシは、異世界の者であるが故の要素があったことを否定できない。
この世界の常識にない部分。それこそを宝としたのだ。
だから、捨てられないのだと。
甘さと解っていてもなお、それが己であるのだからと、この世界に染まることは出来ないのだと、ナナシは語った。
過去がこの時になって、ナナシの背にへばり付いている。
否・・・・・・優しく、抱き寄せているのだ。ナワジはそう感じた。
それは何者であっても、自分でさえ振りほどくことは出来ない抱擁だ。
ここでもし、ナナシが踏み込んでしまったのなら。
シュゾウが望んだような、殺劇の主となってしまったのなら。
きっと、ナナシではない、何か別の者へと変貌を遂げてしまうだろう。
それは“仲間”への裏切りであり、重ねた絆と積み上げた時を無に帰すことに等しい。
鎧を纏った皇・・・・・・よく名付けたものだ。
ナナシの恩人の一人である神父は、流石その名付け親である。ナナシの変貌、その兆しを見抜いていたのだろう。
『纏鎧皇』になってはならない。させてはならない。だが。
ナワジもまた、ジレンマに陥っていた。
「どいつもこいつも狂ってやがる。いや・・・・・・正常なんだろうな、これが」
「狂っていくことが正しいだなんて」
「血が流れすぎたんだ。昼飯を笑いながら一緒に食ったやつが、夕飯時にはいないなんてよくあることだ。狂わないわけがない。
お前も、オレも、殺し合いにセンチメンタリズムを持ち込もうとしている」
「それは・・・・・・ええ、正しいですね。きっと、これが正常だ」
「血を吸う鉄を、平穏を夢見て打っている。矛盾を込めてただ打ち鍛えている」
ナワジは機関鎧のプレートを、ハンマーでかあんと叩いて言った。
「どんな気分だったんだろうな、お前の師匠は。愛孫を、殺し合いの道具に練り込んだ老人っていうのはよ」
ナナシは答えられなかった。
もう顔も声も覚えてはいない。だが鉄を打つ背だけは鮮明に眼に焼きついている。
あの背にはいったい、何が背負われていたのだろうか。もはや解らぬことだった。
口を開きかけたナナシだったが、しかし唐突に鳴り響くアラームがその先を封じ込めた。
「爆発だ! でかいぞ・・・・・・また襲撃か!」
「ナワジ先輩」
「解ってる・・・・・・解ってるさチクショウ! 内通者がいる! 間違いない!」
その可能性はナワジもまた想定していたことである。
ナナシが気付いたのだ。才あるナワジが気付かぬはずがない。
炙り出さなくてはならない。そして、見つけ出したら・・・・・・始末せねばならないだろう。
ここまでか。ナワジは断続的に大きくなりつつある破砕音に顔をしかめる。
ここまで運命は過酷なものなのか。
これは試練なのか。神が課した罰だとでもいのか。
ならばどこまで、神は我々を試すのだ。
「これまで魔物ばっかりで、貴族の姿はなかった。たぶん、そろそろだぞ」
「出ます。ツェリスカの準備を」
「ああ、言わなくていい。ナナシ・・・・・・」
ナワジには一つの願いがあった。
この男と共に生きたいという、情念である。
それはふとした時に、鎌首をもたげ、浮かび上がる。
“彼等”はナナシの感性が特異であったことこそを愛したのかもしれない。だからこそ、そのままでいてくれと、そう願っていたのかもしれない。
だが自分は違う。
自分は、常にこの男に変革を促してきた。なぜか。
鎧を纏うこと。鉄の仮面を被るということ。
それは違う存在となることに相違ない。
誰も知らぬ内に、この男はいつも“変身”をしていたのだ。
“完全装鋼士”となっている間のみ、ナナシはナナシではなくなっていたのだ。
その本質を知るのは自分だけだという確信が、ナワジにはある。
彼等は“中身”に眼を向けるあまり、“一体”となった状態、ナナシの本質を見抜けずにいたのだ。
無理もない。『ツェリスカ』という鎧に宿る存在を知らねば、その発想には至らぬのだから。
だからナワジには、優越感があった。
この男の本質を知るのは自分だけだという。
そして、そんな自分でさえ知らぬことがまだある。
変身を繰り返す者が、鎧の内側に封ぜられ変質せぬままでいられるなどと、誰が保障できようか。
ガス箱に閉じ込められた猫だ。封を開けねば誰にもわからぬことだ。
変異は避け得ないことなのだ。ナナシ自身もまた、それに気付かぬままにいる。
でなければ、後ろを振り返るなどという、そんな言葉など口にはしないはずだ。嫌が負うにも変質してしまっていく、それを知っているのならば。
ならば、である。
であるならば、必ず変異していくというのならば。
この世界に根ざすように、変革を促していっても、いいのではないだろうか。
「守れ! 戦闘班の担当は打ち合わせ通り最前列だ! いいな、行け!」
ナワジは罪を犯した。
容易に想像できたことだ。
大きくなり続ける集団。編成されるトラック隊。
その逃げる先は、常に計算からはじき出した場所としている。
攻め込まれるおおよその方角は想定済。爆発音もそちらから聞こえてくる。
現在位置は、既存の地殻が崩壊してから廃道されたレール上にトラック隊は並んでいる。廃鉄道を道として陣を組み、車列を縦長に配置していた。
両脇は背の高く入り組んだ木々に囲まれたような、森の中だ。
まず敵は森の中から斥侯として、機動力の高い魔物に襲わせるだろう。
そうして足を止めさせ、主力・・・・・・貴族は後ろから、美味しい所を掻っ攫う。このような地形では常道の戦術だ。
だからナワジは、先頭車列に非力な女子供を集めた。避難も容易であり、理にかなっているからだ。
そして戦える者達も先頭部に集中させた。
魔物を殲滅し、先に進んだ方が生き残る数は多いからだ。
非情であるが、最後尾のいくらかは、切り捨てていくしかない。後ろで食い止めた結果全滅しました、など集団の長として許容出来ない。
それは受け入れねばならない痛みである。
そして、戦闘員達は全員それを通達されていた。
戦える者達もまた、みな承知のことである。ナナシも葛藤はあっただろうが、頷いたことなのだ。
それはシュゾウも例外ではなかった。むしろ、一番に首肯していたのだ。
ナナシが準備を急いたのは、そのためだ。
きっと、シュゾウは怒りから戦いに出るだろう。それをナナシは想定している。
“先頭部を守る”ために、飛び出していくだろう、と。
憎しみに関しての想像は達すれども、理解には至らない。
それは本気で、心底から他者を憎んだことがないからだ。
ナナシの根本の感情は、恐怖だ。この男の魂は、どれだけ力を身に付けようとも、弱者なのだ。
だから思い至らぬのだ。
そう、ナワジ達、異世界人には容易に想像できることなのだ。
シュゾウは、あの反骨心に溢れる少年は。
“最後尾”へと飛び出していってしまうだろうことは。
無謀に身を躍らせ、破滅の道を進むだろうことは、容易に。
ナワジは罪を犯した。
それをナナシには、終ぞ教えることはなかった。
「装着・・・・・・変身!」
鎧がナナシの全身に絡み付く。
何か、別の存在へと変貌していく。完全装鋼士と形容するしかない異形へと。
纏鎧皇になればいい。
あれだけ忌避したその想いが、完全装鋼士を前にしてするりと顔を出した。
■ □ ■
ナナシに強烈な悪寒が襲いかかったのは、遅い来る魔物を戦闘班員と共に、防御陣形でもって迎え討ってから直ぐのことだった。
数ヶ月に渡り施された訓練が実を結び、こちらが終始優勢に立っているというのに、粘り付く様な不安が拭えない。
「先生!」
「お前・・・・・・ギン! どうして残った! 何故皆と一緒にいない!」
四足のイヌ科魔物を蹴り潰して現れた少女・・・・・・ギンジョウ。
他の子供たちと一緒に避難をしなかったのか。
ナナシの糾弾に一瞬身を竦ませたギンジョウだったが、しかし毅然と言い返した。
「ごめんなさい! でも、私だってもう、戦えるから!」
「自惚れるな! 戦えるだなどと!」
「先生!」
なおも訴えるギンジョウに、ナナシは一端言葉を呑みこんだ。
汗を垂れ流して迫る尋常ではない様子は、戦いによる興奮のものではない。
修羅場は初めてのことではない。初めて戦場に立ったその時も、ナナシと違いこの子供達は、戦うという行為そのものへの恐怖を持ち得てはいなかった。
子供特有の純粋さで、自分が死ぬかもしれないなどと、そんなことは思ってはいないのではないか。そう危惧したこともあった。
だが、違った。彼女達はその才覚でもって、武芸者が最初に直面するであろう問題を、既に超越してしまっていたのだ。
戦うために産まれて来た種族とは、この事か。
彼女達の頭上に伸びる猫の耳。猫虎族とは、戦闘種族であった。
この兄妹と接する時、ナナシの胸中には常に戦慄と期待と、歓喜と羨望とが到来した。同時に、重圧も。
原石をこの手で極上の宝石へと磨き上げる喜びがあった。だが、それを為すだけの力量が己にあるのだろうか。
この子達に見合うだけの価値が、材料が、己の内には無い。ここが自分の限界であると知った。
こと戦いにおいては、経験以外のあらゆる面において、明らかに自分の上を行く子供達である。
そんな子が、ここまで焦りを覚えるとは。
その鉄火場の中にあってもなお冷静でいた少女が、ここまで狼狽する理由。
一体何故か。
「どうした、ギン。詳しく話せ」
「わからないよ! わからないけど、わかるの!」
「何だ、何が解るんだ」
「おにいちゃんが――――――!」
「シュウが・・・・・・? シュウ・・・・・・シュウはどこにいる!」
剥き出しの小さな拳が、飛び掛かるトカゲ型の魔物を絶命させる。
だがギンジョウの顔に安堵の色は無い。
嫌な予感が、した。
「お前、一人でここに来たのか! シュウは、あいつは今何処にいる!」
わからない、と目に一杯に涙を溜め、首を振るギンジョウ。
ナナシが何を言っても、おにいちゃんが、おにいちゃんが、とくり返すばかりだった。
「・・・・・・感じるんだな? ギン」
血の繋がった兄弟故の、何かを。
問うたナナシへと、ギンジョウは無言で頷いた。
「私が、代わりにここを守るから、だから先生・・・・・・お願い。お兄ちゃんを探して」
いけるぞ、という勝利を確信した歓声が戦闘中にも関わらず上がる。
その最中、二人の周囲は水を打ったように静かで、冷たかった。
勝機にほくそ笑むのは致命的な油断であると、ナナシは何度も彼等に教えていた。
だが冒険者でもなし、この兄妹のように才覚に恵まれていれば話は別だが、元が一般人であった彼等の意識をたかだか数ヶ月で変えることなど不可能だった。
そうでなくとも、これまで迫害され続けて来た彼等が初めて優勢に立っているのだ。逸る心を留めることは出来ないだろう。
この局面を乗り切り、このまま押し続けることが出来れば、今回もまた勝利を収めることになるはず。
不自然、だった。
これまで打倒して来た貴族は、残党狩りに精を出すようなエゴに固まった者達ばかり。
こんな、難民が優勢に立つなど絶対に認めることはない。あの爆発音と空を朱に染める炎は、間違いなく神意を得た貴族の魔術によるものだ。
自分達が参加した戦いならば、たとえ魔物であったとしても、劣勢に我慢ならず自ら手を下そうとするはずなのだ。それが力を得た者の常だ。
しかし戦力の随時投入という愚策を執り続けるばかりで、一向に魔術師、貴族が姿を見せてはいなかった。
魔物達による一定間隔の波状攻撃。
その御蔭でこうして戦線は“保ち続けて”いるのだが。
「――――――俺、なのか」
ふと、思い至ったそれが口を突く。
唐突な思い付きは、しかし限りなく真実に近いものであった。
貴族達の戦い方は、個人個人が強大な力を持ったが故に戦術的ではなく、言わば“狩り”の延長のようなものである。
これを狩りとするならば、自分達を獲物とするならば。
相手の狙いは利に拠るものではなく、その場限りのもっと単純なもの。
魔物の波状攻撃。いつ終わるともしれないそれが続いたとしたならば、もっとも強いものが、痺れを切らして出てくるのではないか。
つまり、自分が。
「オレイシス・・・・・・オレイシスを呼べ!」
「はいはい? おー! 勝てそうだな、俺たち! ま、勝ちの見えちゃってる戦い程虚しいものはないんだけね。まあ、虚しいけど、戦争だしねこれ」
「やかましい! 聞け、オレイシス! 俺はここを離れる。お前が後はもたせるんだ。解ったな!」
「え、おまっ・・・・・・職場放棄ってレベルじゃねーぞ! 本命が来たらどうすんだよ! おいって!」
オレイシスの叫びを無視し、ナナシは戦線を離脱する。
余りにも迂闊だった。
この身を防波堤として一歩も通さずの決意で皆を逃がすなどと、何故考えてしまったのだろうか。
間者の存在を危惧していたのならば、こちらの逃走ルートが看破されていることを前提として動くべきだった。
いくらルートはナワジによってランダムに選ばれるとしても、情報が筒抜けでは無意味だ。
そう、情報だ。
内通者によって、情報は漏れていたはずなのだ。
新しく加わった鎧の男・・・・・・それが誰であるのかなどと。
貴族の中にも顔見知りはいる。
個人的に恨みを持たれたものなど、在学時代に数え切れぬ程あった。
いや、そもそもだ。
“彼女”が自分のことを話さぬなどと、なぜ思い込んでいたのだろうか。
後ろへと下がるナナシへと、ギンジョウが縋る。
「先生!」
「ついて来るな! 下がっていろ!」
首が振られる。
ギンジョウの顔色は真っ青で、唇は震え、指には力が無かった。
「先生・・・・・・お兄ちゃんを、助けて・・・・・・!」
「ああ・・・・・・解った、大丈夫だ。ここに残って、オレイシスの指示をよく聞くんだ。いいな?」
ナナシはギンジョウの髪へと手を置いた。
自分の発言のあまりもの軽さを自覚しながら。
はい、と短く返事を返したギンジョウは、未だ顔色は優れないものの、幾分か不安が和らいだ様子だった。
ナナシに心酔している彼女にとって、ナナシに触れられることは、子供が眠れぬ夜に大人に縋るそれに等しい。
それがまやかしでしかないと知りながら、自分の心を誤魔化すしかない。
子供の純粋さはいつも、大人にいいように扱われる。
「無事で居てくれ、シュウ――――――!」
あの魔物達の目的が誘い出しにあるのだとしたら。
撒き餌に釣られて飛び出してきた獲物は――――――。
ナナシは駆け出した。
空が朱に染まっている。
■ □ ■
楽しい時はそうと解らずに過ぎ去ってしまう。
何の刺激もない、唯流れていくだけの穏やかな日々でさえ、ある日唐突に終ってしまう。
そして、きっとその瞬間は悲劇の最中にあるのだ。
そんなことは重々解っていたはずだった。
だが、しかし、こんな終わりを遂げるなど、誰が想像し得ただろう。
もう少しだけこのままで――――――そんな希望を持つことすら、許されてはいないのか。
何だこれは。
何なのだ。
悲鳴が上がり、緋沫が顔に散る。
逃げ惑う人々の背が、一瞬ぶわりと大きく膨れ上がったかと思うと、そのまま破裂した。
身体の中から火を噴き上げて、一瞬で干からびた枯れ木のように、煤へとなって消えて行く。
一方的な虐殺。
こんな光景が在ってもいいのか。許してもいいのか。
いいはずが、なかった。
だが。
「その構え、見た事がありますよ。なるほど、君は彼の関係者というわけですか」
彼、とその男は言った。
口元の小さな火傷の痕を撫でながら。
この男が言う彼が、誰を指すものか、すぐに想像がついた。
一体どのような関係であったのか。それは解らない。だが、男の眼に宿る隠しようのない汚らしい感情から察することはできよう。
きっと自分も、同じ眼をしているのだから。
それは憎悪だった。
恨みを買い、晴らしにきた。それだけのことなのだろう。
そして自分は、この男にとって、晴らすべき恨みの対象ではない、ただのゴミだ。
悔しさに歯噛みする。
知るかよ、とだけ短く答えた。
その男はそれでも満足そうに頷いた。
見詰める目が、しかしまるでこちらを見てはいなかった。
「彼自身ではないというのが残念ですが、いいでしょう。ソレともう一度手合わせすることを夢にまで見たのです。
いえ、むしろ君でよかったのかもしれませんね。気が紛れていい。より良い餌にもなるでしょう。
ええ、本当に、彼ともう一度まみえることを、学生時代から何度夢見た事か。
この日が来るのを本当に待ちわびていましたよ。本当に、本当に・・・・・・クソ忌々しい! 本当なら彼女は私のモノだったはずだというのに!」
何が起こったか、理解するのに時間が掛かった。
男が口を閉じるまでの間に、二転三転。視界が回った。
肉の焼ける臭い。
自分の身体から、不快な音と香りが立ち登っていた。
「ククク・・・・・・まあ、いい。奴の前の前哨戦だ。お前の死骸をバラバラに並べて、奴の悲鳴でも聞くことにしよう。
メインディッシュはその後に、ゆっくりと頂こうか」
男がニヤ付きながら、近付いてくる。
ああ、自分は負けたのか。手も足もでなかったのか。敵わなかったのか。
一体、何のために技を鍛えたというのだろう。
こんな狼藉を決して許さぬと、そう決めたからではなかったのか。
悔しくてたまらなかった。
強くなりたかった。
力さえあれば、全てが思い通りになると思っていた。
そうすれば、今度こそ・・・・・・今度こそ、大切な人達を守れるのだと。
今度こそ――――――。
「恨むのならば己の無力と、お前に力を与えてくれなかったあの男を恨め」
訳の解らない事を口走り続けていた男の言の、それだけは頷けた。
先生、先生――――――僕の神様、お恨みします。
どうして僕に、もっと力をくれなかったのですか――――――。
「それでは、“焼き殺してやるぞ羽虫共”――――――!」
ああ、こんなものか、こんなものなのか。
ここで終幕が引かれるのか。
あの火の玉に焦がされて、死ぬのか。
こんな所で。こんな無念を抱えて。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ――――――。
でももう、手足は少しも動かない。
威力も規模も抑えられた魔術は、即死を許さず、死ぬまでの間、極限の苦しみを与えるためか。
熱い死が迫る。
「だめぇっ!」
しかし死の鎌はこの首に届くことなく、間に割って入った少女の背へと、吸い込まれた。
叫ぶ。
ああ、まただ。
また庇われた。
また守れなかった。
「ごめ・・・・・・ね、シュ・・・・・・く・・・・・・やくそ、く・・・・・・まもれ、な・・・・・・」
言うな。
頼むから、言わないでくれ。
何もかも、弱い自分が悪いのだから。
「ご・・・・・・ね・・・・・・およめさ・・・・・・なりたか・・・・・・」
止めてくれ。
あやまらないでくれ。
手を伸ばす。彼女の震えるながら掲げられた手へと、お互いに。
しかし指先が触れ合う瞬間に、彼女の手は落ちた。指先が掠っただけで、握りしめることは出来なかった。
虚ろに開かれた瞳は光を映さず、薄紅色に染まっていた頬は青く土気色に変色していく。
嘘だ、と叫びたかった。
目を閉じてしまえれば、どれだけ楽だっただろう。
自分の名前を呼ぶ度に嬉しそうにしていた彼女――――――もう二度とその口から言葉が紡がれることはない。
いつも微笑みに溢れていた彼女――――――もう二度と笑うことはない。
ずっと一緒にいようと約束してくれた彼女――――――もう二度と約束は果たされることはない。
死んだ。
死んで、しまった。
女の子一人守る事すら出来ない、僕の弱さのせいで――――――。
「面白い余興だったが、もう飽きた」
ぼう、と彼女の身体が火に包まれた。
パチパチと彼女が焼ける音。肉の焦げる臭い。それを間近で見ていた。
煤になっていく彼女を。
「ああ、あああ、ああっ・・・・・・うううあああァアアあァアアアあああアァあアあァあアアーーーーーー!」
――――――かくして。
全ては為るべくして、為ったのである。
いずれ少年は力を求め、力に狂うのだろう。誰もがわかっていたことである。
もちろん責任の所在は少年にあるのではない。
宗教迫害難民を秘密裏に弾圧する政府にでもなく、それを知らずにのうのうと暮らす“国民と認められた”者達にでもなく、そして彼の純粋さを利用せんとした鴉の笑い声を上げる男にでもない。
否、間接的にはそうなのだろう。そのような状況を産み出したという点から視れば、直接そうとも言える。
だがその責の大たるは、彼の結末を予期していながら、自身の精神性の薄弱さと忙しさにかまけ手を打たなかった、その師にあるのは言うまでもない。
彼の師がツケを払わなければならなくなって、ようやく後悔と懺悔に血を流すことになることも、これもまた言うまでもないことである。
で、あるために。
全てはまた為るべくして、為るのであろう。
少年の絶叫が、虚しく夜空に吸い込まれ、消えていく。
それは断末魔の叫びだった。
少年の体を、内側から炎が焼いていく。
足から黒く焼け焦げて、煤になっていく。
喉には火の粉が飛び込んで、迸る叫びを潰していった。
だがそれでも少年の魂は、怨嗟の雄叫びを上げることをやめなかった。
身を焼く炎よりもなお熱い、憎悪がいつも胸を焦がしていたからだ。
肉が、骨が、炭となってもなお蠢く、少年だった黒い物体。憎しみの塊。
最後に残った片腕に、いつの間にか堅く握り締められていた、宗教的意匠を凝らした逆十時のアミュレット。
その先端が、憎しみの塊の、心臓に突き立てたられた。
■ □ ■
踏み締めた砂利が火花を散らす。
行く手を阻む細い木々を薙ぎ倒しながら、ナナシは息が乱れるのも構わずに駆け続けていた。
しばらくして、最後尾へととうとう追いついたナナシは、其処で見た。見てしまった。
覚悟はしていたはずだった。
だが、脚が止まる。
「惨過ぎる・・・・・・ッ!」
砂利を踏み締めていた脚甲の底は、いつしか粘着質な水音を発てていた。
鼻を付く、鉄錆びの臭い。
空を舞い落ちる煤は、これは人間であったもの、なのだろうか。
夜空の下に在って尚暗く、朱色の液体は、逃げ遅れた人々から流れ出した血液。
その血液もまた、泡になって弾けていく。煮えているのだ。体を内側から炎で炙られて死した人々の群。
子供もいた。老人もいた。その誰もが皆、真っ黒な塊となって、体液を全て外に垂れ流していた。
うつぶせになっているものが多いのは、逃げ惑う背に、後ろから一撃ずつ加えられていったからだろう。
覚悟はしていた。していたはずだった。
だが、これはあんまりではないか。
神から得た力がなんだというのだ。
人は己の領分を超える力を得たならば、ここまで残酷になれる生物だというのか――――――。
「うう・・・・・・」
聞こえた呻き声。
生き残りかと駆け寄ったナナシが、折り重なった死体の山を掘り起こすと、其処には倒れ臥した神父の姿があった。
「神父様! よかった・・・・・・しっかりしてください、傷は浅い!」
「ナナシ君・・・・・・か。すまない、皆を・・・・・・ッ!」
「喋らないで下さい。さあ、身体を起こして」
背中に手を回し、神父の身体を支える。
ナナシは周囲の様子を窺った。
生者の気配は何処にも無かった。
つまりは、そういう事だった。
ナナシは拳を地面へと力無く打ち付けた。かしゃん、と軽い音が鳴った。
「逃げたものもいる。散り散りに逃げていったが、これでは、もはや・・・・・・。
私たちはこの場に結界を張られて、閉じ込められてしまったんだ。もう、どうにもならなかった。
一方的な虐殺だったよ・・・・・・私一人が、生き残ってしまった。こんな老いぼれが」
「もういいんです神父様。しかし、結界、ですか」
また知らず結界を抜けたのだろうか。
ナナシに備わった【神意遮断】という特性は、本人にその発動を悟らせることがない。
ならばナナシがここは未だ結界の中であると判断したとしても、何の不思議もなかった。
問う。
「常時発動型の結界ですか? 単発なら俺が触れればどうにかなりますが、そうでないなら、また神父様に解除してもらわない、と――――――」
そこまで言って、ナナシの口は閉じられた。
待て、と自問する。
それはおかしいではないか。
何故ならこの大陸は顕現した唯一の神意に汚染されていて、それを信望する者のみにしか加護が与えられないはず。
「ああ、そうだね。どうしたんだい、ナナシ君?」
抱えた神父が、不思議そうに聞いた。
飲み込んだ唾が喉に張り付き、痛みを発する。
だが、問わねばならなかった。
「・・・・・・神父様、聞いてもいいですか? あの時、地下のアジトで襲撃を受けた時、ここと同じように結界で閉じ込められていたはずだ。
あなたの両手は、その拳は血で染まっていた。戦っていたのだからそれは当然だと・・・・・・神父様、一体どうやって結界を解除したんですか?」
我々は加護を奪われた者達だ。
魔術は、力は使えない。
なのになぜ神父はあの時、結界を解除出来たのか。
「ああ、なんだ。そんな事か。簡単なことだよ」
何という事は無いという神父の声色に、ナナシも考え過ぎであったかと安堵の息を吐き、胸を撫で下ろした。
否、撫で下ろそうとした。
胸を撫でる手は鋼に包まれた指ではなく、節の大きな、骨ばった老人の手。
神父の手――――――。
「こうやってだよ」
風船の爆ぜるような音が、何故か自分の胸から聞こえた。
身体の内側から衝撃が炸裂する。内蔵が口から飛び出して行ってしまうような感覚。
モニタに流れる大量のエラーメッセージ。
受容不可能な激痛に、ツェリスカがエマージェンシーコードを発し、首筋へと安定薬物が投与される。
「お、ご――――――げぼぉあッ!」
激痛――――――激痛――――――激痛――――――。
呼吸が出来ない。
天地が逆さまになって回転し続けるような感覚に、ナナシは悶え、地を転がって蠢いた。
「やはり凄いな、君は。いや、あいつが鍛えた鎧が凄いのか。普通、人間ならば肺を四散させられれば、即死するはずなんだが」
心底驚いた、という風に語る神父に、ナナシはようやっと口を開いた。だが、言葉は出ない。
ツェリスカが体内へと打ち込んだナノボットが、傷を癒すために一斉稼働しているのを感じた。
これはもはや治癒ではなく、再構築というレベルだった。
肺を内側から破裂させられたのだ。
器官が損失しなければ、エネルギーの続く限りはナナシの体は生かされる。
元からある材料を分解し、再び組み上げるという作業が、今ナナシの体内の中で、他の全ての機能をシャットダウンしてまでも最優先で進められていた。
幸い心臓は無事であり、脳に血流は送られ続けていたために、思考の断絶という最悪の事態には陥らなかった。
だが衝撃はもちろん心臓にまで達しており、電気ショックを与え続けなければ今にも止まってしまいそうな程の、頼りの無いか細い鼓動を発している。
「ぞ、ぞで・・・・・・ば・・・・・・ぐぶ、あッ」
「ああ、“これ”かい? 何を不思議がることがあるんだ。これは、君と“あいつ”が造り上げたものだろう」
ナナシの胸を打ち、胸部装甲に深い陥没痕を残した手。
独特の捻りを加えられた掌。
見間違えようがない。
それは己にとり、最も馴染み深いものだ。
「たしか、【乱雑無章】、で合っているかな? あいつから名前だけは聞いていたんだが、まったく、ネーミングセンスの欠片も無い。君もそう思うだろう?」
答えることは出来なかった。
【乱雑無章】――――――無名戦術最新奥義である。
衝撃を任意の場所で炸裂させることにより、体組織の結合を分断させる、特殊な捻りを加えられた掌底だ。
本来は軟体型の魔物に用いる技だが、応用として、鎧で武装した魔物への鎧透しとして用いられることもある技だった。
対鋼体型魔物用奥義の鎧砕きとはまた違う意図を持った掌底は、対象の内部破壊に特化したもの。
かつてナナシが技の名と動きを教わり、そして自らが奥義として磨き上げた技。
それが、ナナシの呼吸器及び、内臓を爆砕させた衝撃の正体だった。
自らの奥義が自身に牙を剥いた。
しかも、己が放つそれよりも、数段に研ぎ澄まされている。
「ど、じで・・・・・・なぜ・・・・・・!」
「だから、何を不思議がるのかと。君もあいつから聞いていたはずだろう?
無名戦術の成り立ちは、技術として確立もされていない個々人の戦闘法を寄せ集め、加工しただけにすぎないのだと。
私の冒険者としての全ては、常にあいつと共にあった。そして、あいつも元々神官だった。もう解るね?」
つまり、と神父は続ける。
老いてなお衰えの見えない身体。
そこに刻まれた無数の傷口が、煙が上がるほどの超速回復を始めていた。
傷を負い、倒れていたのもブラフだったのか。
「私こそが無名戦術のオリジナル、というわけだ」
拳、突、掌、握、その全てに即応出来るよう、軽く開かれた猫の手のような独特な構え。
どうして見間違えようか。
あれは、無名戦術の構えではないか。
違うのは、あれがナナシの様な才覚の無い人間でも扱えるよう、所々をオミットされた型ではないということだ。
似て非なる構え。それは、個人によって最適化された、おおよそ“型”というものから外れた癖の強いもの。
シュゾウや、ギンジョウの本能的な構えに近かった。そして、ナナシの知るもう一人の使い手とも似ている。
神父の姿が、記憶の中のおぼろげな老人の影と重なる。
血反吐と共に、無意味な言葉の羅列が口から漏れ、ナナシは混乱の極地に陥った。
騙し撃ちにも等しい先制攻撃。
周囲は死体の山。
ならば、つまり、神父は――――――。
「鈍感な振りはもう止めなさい。解っているはずだ。君の事情と内心を慮ることは出来るが、それは人を傷つける。
ナワジ女史然り、あのお嬢様もまた然り・・・・・・そして、君の弟子である、シュゾウ君もまた――――――」
「あなた、は、貴方だったのか・・・・・・!」
会話可能にまで回復したナナシは、震える舌でようやっと吐き捨てた。
文字通り、血を吐く程の痛みを感じながら。
「裏切り者は――――――!」
「そうだ。だから早く立ちなさい。戦いはもう始まっているのだから」
迫る足底を前に、ナナシは地を転がって跳び起きた。
神父が本気で殺しに掛かってきていることを、機動力を奪うその技が知らしめていた。
激痛と困惑に眩暈を起こしながら、ナナシは叫ぶ。
「どうして子供達まで殺す必要があった! あんなに可愛がっていたのに、なぜ!」
「愛していたからだよ、ナナシ君。こんなにも寒い世界で生きていくには、子供たちはか弱過ぎたんだ。
私は見ていられなかった。どんな境遇に置かれても、希望を失わない子供たち。哀れだと思わないか? ならば、いっそ、と。君もそう思っていただろう」
「それは独善だ! 貴方の・・・・・・大人の理屈を、子供たちに押し付けるなんて!」
「独善だなどと、君がそれを言うのか。ただこちらの世界に流されて来ただけの異邦人の君が、流されるままに手を血に染めた君が、この私に道理を説くのかね?」
「貴方はそうやって笑みを振りまきながら、ずっと皆を騙していたのか!」
「救っていたのだよ! 報われぬ希望に正しい終りを与えるために! 理不尽に踏みつぶされることが、彼等にとって一番の救いなのだ!
世界を呪って死んでいけるのだから! 奴らの思うがままに事が進んでみろ、それすらも許されなくなるぞ!」
「あの子達は笑っていたんだ! こんな何もない場所で、自分達の将来を語らいながら、希望を持って生きていたんだ! 終わるために抱いていたわけがない! きっと未来は明るいはずだった!」
「君の言う通り、希望とは生きるための力、人が歩む為の力だ。私もそう思っているよ。
生きることがその全てである子供が希望を抱くのも、当然のことだ。
だが・・・・・・だがだよ、ナナシ君!
やがて重荷となり、行く先への枷となり、最後には腐臭を放つならば・・・・・・そんなものは捨ててしまえ! 希望が腐り落ちるその前に!」
「俺は・・・・・・この世界に絶望したことはない! どんなことが起きたって、世界は変わらずに美しいままだった!」
「それは君がどこまでいっても異邦人でしかないからだよ!」
「醜いのは人だ! どの世界だって、間違うのは人間だけだ! そのはずだ!
宛ての無い旅をして・・・・・・この世界を見て、俺はそれを学んだ! それは変わらない、これからもだ!」
「君が羨ましいよ、ナナシ君・・・・・・。だがね、それは若さ故のセリフだ。私は神父なのだよ。神父だったのだ。
その私が、神に見放された者達に、一体どうして生きよと言えるのだ! 君はあいつの背を見て過ごしたはずだ。
これ以上哀しい人間を産み出すことを良しとするのか? そうなるならばいっそ、楽にしてやろうとは思わないか!
君はそうしたはずだ! 君のように幸運に恵まれなかった同胞を、儀式の贄として囚われた地球人達を、救済の名の元に手にかけたはずだ!」
「うるさい、黙れえッ!」
「神の教えを知らず、己が信念すらも抱かぬ名も無き者よ! どこまでもこの世界にとって不要物であると、何故気付かない! 神に囚われたこの世界を救おうとでもいうのか!」
「もう、いい・・・・・・! 貴様を黙らせてやる・・・・・・ッ!」
震える拳を無理矢理に握りしめて、止める。
左拳を前に、右拳を顔の後ろへ。弓をつがえるように構える。手は軽く握った虎拳である。
全く同じ型を執った仕手が、左右対称に構え合っていた。
「無名戦術真撃――――――ナナシ・ナナシノ。貴様を撃ち滅ぼす!」
「いいだろう。来なさい、ナナシ君!」
神父からの名乗りは無い。
それは、武人ではないという意の表れだったのだろうか、それとも別の思惑故にだったのだろうか。ナナシには解らない。
振りかぶった拳と共に、もう一人の名付け親へと、ナナシは授かった名を叩き付けた。
新無名戦術、対、旧無名戦術。
突き付け合った拳に、決別の痛みが奔った。