地下50階
――――――長い夢を見ていたようだ。
忘れ去っても心が覚えている景色を眺めるような、決して戻らぬという喪失感だけが胸に残る。そんな夢だった。
あの場所……あの世界の夢を見たのは、一体何年振りだろうか。
夢の内容まではもう、覚えていない。もはや何の夢であったかも、覚醒の感覚に流れて消えた。
浮上し始めた意識の中、油の臭いに混じった甘い香りを、鼻腔の奥に感じる。
「こしょこしょ、こしょこしょ」
キメ細やかな刷毛のようなもので鼻先を撫でられる感覚。
むずがゆい不快感に逆らえず、ナナシは静かに瞼を開いた。
「おっ、起きたか」
「……おはようございます」
「おう、おはようさん」
ナナシの顔の間近、ニヒと笑う女。
手には、彼女自身の艶やかな金髪が一房握られていた。
「こしょこしょ、こしょこしょ」
「それ、楽しいですか?」
「おー、楽しいぞー」
何が楽しいのか、その女は束ねた髪でもってナナシの鼻先をくすぐるのに夢中だった。
簡易ベッドに寝かされたナナシの枕元、頬杖を突きながら、にやにやとした笑みを浮かべてこちらの反応を伺っている。
底意地が悪そうに見えて、眦が優しく下がっているものだから邪険には出来ない。
ナナシの呆けた顔が面白いのか、今度は軽く頬をつねる。
細く、白く、華奢でいて……しかし、荒れて硬くなった働く者の手だった。
美しい手だ。
「冒険者のジンクス」
呆れの感情に眉間を揉むナナシへと、じとりとした目を向けて女は呟いた。
「俺はもう、冒険者じゃあ……」
「冒険者のジンクス!」
怒りというよりも、意地になっているのだろう。
あるいは、何かの強迫観念に迫られてか。不安に女の瞳は揺れ、恐怖に濡れていた。
ナナシは視線を逸らすと、溜息を一つ零した。
「あいたたたた。あー痛い、痛いからもう離してくださいって」
「心がこもってない」
「だっ、たっ、たっ! ちょっと、痛い、ひぇんはい、ほうひゃめへふははひよ!」
「やだ」
「痛い痛い……もういいでしょう、加減離してくれませんかね、ナワジ先輩」
「ふん、やっと名前を呼んだな」
皮膚を弾く音を立て指が離れる。
赤くなった頬を擦りながら、ナナシは恨みがましく女を睨んだ。
ナワジと呼ばれたその女は、先までの上機嫌は消え、一転して鼻を鳴らしては不機嫌な様子。
不機嫌なのはこちらの方であるとナナシは言いたかったが、その言葉は呑み込んでおく。
虎の……否、狐の尾を自ら踏みにいくことはない。
「そんなリアクションじゃ運が逃げるぞ。赤点だ、赤点」
「そういうのは点数制とかじゃないんじゃないかな」
「点数制だぜ、冒険者のジンクスはな。幸運を呼び込むための努力、いいじゃないか。オレは好きだぜ」
「俺は嫌いですよ」
はん、とナナシの言葉を掻き消すようにしてナワジは鼻を鳴らした。
「いつ頃から信じられ始めたのか、馬鹿な奴には幸運の女神が寵愛の加護を授けてくれる、ってな。
ギャグ補正ってやつだ。コメディで人死にはご法度だろうって、みんなで運命に総ツッコミするんだ。いいじゃないか、大好きだぜ」
「ええ……皆解っていてやっていたんだから、無理して馬鹿騒ぎして、痛々しくってなかった。
仲間が罠に掛かって芋虫のようになっても、爪を手のひらに食い込ませて笑っていた奴。妹が魔物に犯し壊されても、泣きながら笑っていた姉。そんなのが山ほどいた。
効き目なんてありはしない。あんなのは演出……そう、演出なんですよ。
無理に日常を演じているものだから、終わりがいっそ唐突に感じるんだ。超展開ってやつですよ。いきなりのイベントに、こっちはぽかんとするしかない。大嫌いですよ」
「だから、そうやって鬱屈した気持ちでいろって? それが正しい姿だと?」
「さあ……元々の性格ですよ、これは」
「お前は!」
言いかけて、ナワジはぐっと言葉を飲み込んだ。
激情を落ち着かせたようだった。
「お前は、昔はもっと可愛い奴だったよ」
「あの頃の俺は、笑っていなければ全部が無駄になってしまうようで……怖くて怖くて……だからあんなにはしゃいで、馬鹿やってた。それだけですよ」
「成長したとでも言いたいのか? 強くなったと?」
「逃げてただけですよ、あんなのは……ええ、直視したくないから笑ってたんだ。どうかこれ以上、不運を被せないでくださいって。
敗残者の、神様へのご機嫌取りだ」
「やめろよ、そういう言い方。オレは、しんどい現実と戦うためにお前が……冒険者達が編み出した術だと思ってた。
あの笑い顔は、戦うための、次の一歩を踏み出すための希望だったんだ。あの楽しくも騒がしかった日々へと必ず戻るって、誓いだったんだ」
「そんなものは……」
「うるせえよ負け犬、卑屈になるのも大概にしろ。お前は大人ぶって悟ったようにしてやがる。気に入らない、ああ、気に入らないね」
上体を仰け反らせた胸を張る姿勢が癖のナワジは、自然と人を見下すような視線となる。
突きだされた豊かな乳房が壁となり、彼女の元来の傲然な性格と相まって、対する者へ強烈なプレッシャーを与える。
彼女を前にした男の例に漏れず、気圧されたナナシは不満を飲み込んだ。
「正直言うとな、ちょっとだけ安心もしてたんだ」
ナワジは不機嫌そうに口を開いた。
何に、とナナシが問う前に、ナワジは自ら語り始める。
「そうやって下向いて俯いてぐじぐじしてるのがお前だよ。お前らしい。ずっと変わらない、お前のままだった。
それがちょっと嬉しくて、そんでムカっ腹が立つ。
本当はな、ここから叩き出したあのスカした野郎みたいに、お前がわめいて駄々をこねていてくれたらって思ってた。
そうすりゃオレが尻叩いてすっかり立ち直らせてやれたのによ。お前は物分かりが良すぎるんだよ、馬鹿野郎!
そうやって納得したフリして飲み込むのが正解だと思ってるだろうがよ、ああ、それが正解だろうがよ、でももっとわがまま言えよ! めちゃめちゃ言ってみろよ!
我慢すんなよ! 禁欲は善か? 沈黙は美徳か? 我慢するのが格好良いって? 馬鹿が! 心の底からやりたかったこと、吐き出せよ!
酒、女、金、地位、何でもいいだろ、言えよばっか野郎! オレには言えよ!
今更それぐらいでお前のこと軽蔑なんかするか! 半分くらいは叶えてくれる奴だっていたろ!
お前のそういう所、大ッ嫌いだ!」
堕天使に、斯くあるべき、と説いたそれこそを非難するのだ、とナワジは言っている。
ナナシは、ああ、と苦笑しながら目を伏せた。
欲望は汚いものだ。汚いものは隠すべきだ。
そう思うのは当人のみ。自制すべきは当然だ。汚物をぶちまけるべからずである。金箔を貼り付けて金だと言い張るなど、もってのほかだ。
だが、もしも、だ。こんな己に真に近付きたいと思う者がいたならば、この内側に潜む汚泥をこそさらけ出すことを望むかもしれない。
ナワジは正にそれを望んでいた。ナナシへと、ずっと待ち望んでいたのだ。
自分と堕天使を同列として捉え、ナナシは語った。俺達はクズだ、と。
その言葉の中で、自分達の周囲にいた者達をも同列としてしまっていた。
人が離れていったのは、俺達のせいだ。その通りである。
金が剥がれて泥が出て来た。
これまで、これは金だと言い張ってきたというのに、なんだこの嘘つきめと言われる。文句を言う資格などない。
だがもしも、金の輝きなど興味がなく、自分の本質が汚さにあると知り、なぜそれを見せなかったのかと怒る人がいたならば。
堕天使の周りにいた女達と同列に扱うのは、これはナワジに失礼である。
なるほど、光りものがこれ程似合わぬ女性もないだろう。
彼女自身が昔からずっと、初めて会った時からずっと、こんなにも眩しいのだから。
「何笑ってんだよ! ああ?」
「いえ、いい女だな、と思って」
「う……くそっ、もっと早く気付けよ、馬鹿!」
「ええ、それは本当に、すみませんでした」
後悔に笑いがこみ上げてくる。
本当に、なぜ気付かなかったのだろうか。
否、本当は気付いていた。
ただ、自分はいずれは去るべき存在だ。いずれ地球に帰る。帰還を果たす。
それだけを支えにして、頑なに周囲の信頼を受け入れずにいた。
ここに生きる人達の清らかさから、意図的に目を背け続けてきたのだ。
信じるべきだった。
自分はどうしようもない奴だったとしても、この人達の心根には一転の曇りもないのだと。
「堕天使の奴に、謝らないとな」
周囲を信じ、それが行過ぎて依存した結果があの男の末路である。だが、それは間違いではなかった。
信じたのだ。あの男は。自分を取り巻く人間達の善性を。
自分に近付いた者達の狙いを見抜けなかったことは愚かではある。だが決して間違いではなかったのだ。
恥じ入るべきは、人は裏切る生き物だと身勝手に見限り、遠ざけたこの心根の方だ。
「なんでだろう」
「なんだよ」
「いえ、本音をぶちまけてしまいたい気持ちは、あります。でもそうすると」
「おう、言えよ。遠慮するなって」
「そうするとね、ほら」
「あん? だからなんだってんだよ」
「いえ、ほら……」
ナナシは苦笑しながらも軽く首を振った。
これ以上は語らぬといった態度に、ナワジは眉根を寄せて不満そうな様子だったが引き下がる。
ありがたいとナナシは思った。
口を開いてしまえば、きっと、連鎖的に底の底まで曝け出してしまうだろうから。
「先輩は、すごいですね。ええ、ずっと昔から、ええ、本当に」
「お、おい、やめろよもう」
「ええ、ええ、本当に、本当に……ククッ、クァッカッカ……」
ナワジの叱咤を受けて気付いたことは二つ。
堕天使の言動こそが実に人間的で当たり前な反応であったこと。
そして、そんな当たり前なことを気付けなかったほどに――――――。
「カッカッカ……いえいえ、少しはマシになったと思ったんですがねえ」
「お、おいナナシ? お前、大丈夫か?」
「いえいえ、失敬。ちょっとツボでして、はい」
ぞわり、として言い知れぬ不安がナワジの背筋を這い回った。
一瞬、ナナシの顔がふと煙のように揺らいだように見えた。
この男は果たしてこんな顔をして笑うような男だったのだろうか。
やはり、年月が男を変えてしまったのだろうか。
いや……そもそも、ナナシという男はどんな顔をしていた。
「本当に、ナワジ先輩は昔からかわらない」
ナナシの声に、はっとしたようにしてナワジは瞬きを繰り返した。
何かの見間違いだったようだ。
何か、恐ろしいものとの。
「お前は、ほんのちょっと変わって、でも根っこは変わってない。
そうやって言ってくれるってことは、オレのこと、少しは何してるのかなとか考えてくれてたってことだろ?
オレがお前にとって、過去の人間になってはいなかったことが嬉しいよ。
其処に居るのに名前を呼ばれないっていうのは、寂しいもんだぜ」
言外に、言葉の内に、含ませた意味はそれだけではないだろう。
ナワジが顔を向けたのは、所狭しと積まれた機材の向こう側。
周囲を一瞥したナナシは、そこで改めて今自分が居る場所を確認した。
ナナシが寝かされていた場所は、恐らくは地下室。窓がどこにもなく、換気扇がからからと音を立てている。
ナワジの工房だ。
エアダクトからは、湿り気を含んだ独特の臭いが漂ってくる。傷が化膿して、膿みが染みだした臭い。怪我人の臭いだ。
町外れにある小さな教会の地下、この場所こそが、反乱組織の本拠地であった。
「カタコンベ……いや、迷宮の支流を改造したんですね」
「気配だけで解るってあたり、流石だな。こんな小さな教会じゃあ、流通ででかくなった都市をカバーできない。地下墓地をどんどん大きくしていったらしいぜ。で、そこにちょこっと手を加えたのさ」
「それは、何とまあ」
「罰当たりかい?」
「皮肉が利いてる」
祈りを捧げるべき神と、魂が眠る場所。
その祈りを捧げる資格があるのは、今や貴族連合のみである。
そんな教会の地下が、反乱組織の根城となっているとは、ナワジのニヤリとした獰猛な笑みからしてやったり、という意図が透けて見えるようだ。
「この部屋は工房ですか。加護の得られない反乱組織が生き残ってきた理由は、先輩の機械技術ですね?」
「話を逸らすなよ。知っているんだろう? 感じてるんだろう? もう、解ってるんだろう? なら目を逸らすな。見詰めて、向き合え」
「……それは」
「恐れる気持ちは、解らんでもない」
ナワジが散らかった机の上にある端末を操作すると、その場に薄青いモニターが表示される。
空間投射型のモニターだ。
「あいつのログだ。所々虫食いだが、プレス機に掛けられてぺしゃんこになったのをようやく復元したものだからな。見ろ」
薄青いモニターの一部が赤くマーキングされ、ナナシの前へと表示される。
「ナノボットだ。細胞の隙間に潜り込む、ウイルスサイズのな。本体から切り離されてもまだ独立して動いてる」
「すごいな……うようよいる」
「驚いてないのな」
「前々から何かある、とは思っていましたから」
「このナノボットを見つけたのはババアだけどよ」
ナワジは不機嫌そうにしてモニターに別のログを表示させる。
ババア、というのは彼女の祖母のことだろう。
「これがお前にどんな効果をもたらしていたか……お前に何をしたのかを分析したのは、オレだ」
「傷を治してくれるだけでは?」
「それだけならよかったんだがよ……」
モニターに次々と画像が表示されていく。
細長い“浮き”に繊毛が生えたような形をしたナノボット。
頭頂部からは作業用のアームが見え隠れしている。
出来の悪い悪夢染みたクリオネの捕食シーンかのような様相だ。
「そもそもこれは、生物に寄生することを前提とした作りになってる。この繊毛じみた足状のプロペラは、血液の流れに乗る舵の機能と同時に、血流でプロペラを回してエネルギーにする発電器官でもある。
マシンじゃないんだ。こいつらは状況に応じて自己判断する……」
「自己判断?」
「お前を戦わせ続けるための、だ。傷を癒すことはその一貫にすぎない。こいつらはな、お前の脳を制御してたんだよ」
あのウイルスのような微小機械の群れが、脳内に巣食っている。
その事実を聞かされたナナシには、しかし何の感情も浮かばなかった。
ああ、やはりそうか。そう思っただけだった。
「雛形のようなものは、初めから存在していた。一端バラしてようやく解ったよ。どうやら製造段階で、奇跡が起きたらしい。
神の加護によるものじゃない、数字の中に潜む、人間が己自身の力で掴むことが許された、偶然という名の奇跡が。
こいつは……このAIは本当に特別製だ。
素人の手作業でこんな複雑なものを作れたこと自体が驚きだが……技師の眼と腕に掛けて言う、こいつは“失敗作”だったんだ。
こんな回路じゃあ、製作段階の時に致命的なバグが発生するはずだ。物理的なバグだ。水が上から下に流れるように当然のものだ。どうにもならないものなんだ。
だが、本来ならそのままクラッシュするはずが、無理矢理そのバグは抑え込まれた。内側からの力によって。自分自身を制御することで。
あいつが普通じゃなかったからだよ。あのAIは、本当に特別製だったんだ」
「そりゃあ、あの人が命を掛けて作ったんだから……」
「違う。あのAIには、生体パーツが使われていた。人間の脳細胞だ。脳の片側にある色んな部位から掻き集めてきた、な」
思い出すのは、恩人が語った孫娘の話。
魔物に食われて、頭が半分になってしまったと聞いた。
そしてその後、狂気に取り付かれた稀代の魔導技師が生まれることとなったのだ。
目的は、娘の存在の存続と神への復讐。
つまりは、そういうことだろう。
誰のものかは、ここで確認すべきではない。
「そんなものがカタチになった時点でもう奇跡なのさ。執念で掴み取ったものだ。ああ、呪いだろうよ、これは。まともじゃない。
製作者は、余剰分の金属粒子や燃料をタンク内に集めて、極めて原始的な作業媒体を作り出すことを設計コンセプトにしたようだな。
初めは呪いの伝達物質として作られたものだろう。“情報伝達”、“本質はそこ”だ。だが、それはもう別の形となった。制御そのものを目的とした機構へと」
「たしか……キマイラだったかな、あれと戦った後から、どうも感覚が鋭くなったり、感情が無理矢理抑え込まれるようなことが……」
「そうだな。ナノボットが今の形になったのは、ババアの改修を受けてからだろう。材料が良い物に変わったんだから、そりゃバージョンアップもされるさ。
さすがに、ミクロマシンの究極系である生命の最小単位の模倣……自己増殖も進化もしない、まだまだ未熟なものだが、作業用として見ればこれ程のものは他に無い。
つまりこいつがお前に仕掛けたのは、才能の接げ足し……いや、お前をパーツとして取り込むことで、自己完成することだったんだ」
自己完成。
保存の前、進化の前、自らを確立することこそがその目的であるのだ、とナワジは言った。
「あいつがお前を求める理由は……」
「自分が欠けていると自覚しているから、その埋め合わせに、でしょう? そりゃあ“半分”だっていうのなら納得だ」
「納得だって、お前な! 自分の身体が知らない間に改造されてたんだぞ!」
「俺がいなきゃ、あいつは自分になれなかった」
ナナシの余りもの落ち着いた表情に、ナワジは息を呑む。
何を当然のことを言っているのか。そんな顔だった。
「これで3年……あいつと離れて過ごしてようやく解りましたよ。俺も」
ナナシは静かに言った。
「俺もあいつがいなきゃ、“ナナシ”になれない」
その言葉を、ナワジはなぜか、打ちのめされたような気持ちで聞いた。
「それはどちらも、同じことなんです」
自分が感じていた、信じていた……こうして目の前にして温かな気持ちにさせてくれたのは、すべてまやかしなのだ、と目の前の男に否定されたような気がした。
「お前以外の誰にも、あいつを使うことは出来なかった。
どこで聞き付けたのか、ここにいる血の気の多い奴らが、あれを使えば貴族と戦えるんだろうって、無理矢理身に付けたことがあったんだ。
そしたら、手足をめちゃくちゃに壊されて、再起不能になっちまった。虐げられた者に対しても、あいつは容赦がなかったよ。
こいつはな、お前だけなんだ。やっぱり、お前だけなんだよ。お前だけを求めて、ここに居るんだ。
プレス機で潰されてめちゃくちゃになっても、AIは休眠状態に入って、お前をずっと待ち続けている。
いつかあいつが、お前を食い殺してしまいそうで、オレは……」
「解っています。でも」
ナナシは薄く笑いながら首を振る。
「先輩が言っている恐さは、俺の言いたいものとは違いますよ」
「どういうことだ?」
「喧嘩別れした後ちょっと気まずくて、どう接したらいいのかなっていう、そっちの怖さっていうかな……」
ナナシは、そこでようやく感じていた気配の方へと顔を向けた。
自然とそちらを見ることができたのは、ナワジのおかげだ。十分に尻を叩かれた。ありがたいことだった。
意図的に視界に入れないようにしていたそれが、目に映る。
そこに鎮座していたのは、赤銅色の耐火布に包まれた人型の塊であった。
具体的な造詣は布に包まれていて解らない。ただ、人型の何かがそこにあるようにしか見え無い。
だが感じるのは、重厚な鉄の気配。
鉄塊。
ああ――――――、と。
ナナシは声を漏らした。
其処に有ると、知っていた。
其処に在ると、感じていた。
其処に居ると、解っていた。
圧倒的な鉄の臭い。断続的な動力機関の震え。絶対的な呪いの気配。
忘れ得ぬ、忘れてはならない、忘れることなど出来るものか。
ああ、ああ、自らの半身よ。
お前は、お前の名は――――――。
「ツェリ――――――」
熱に浮かされたようにナナシは指先を掲げ……そして、力なく首を振って、その手を降ろした。
「どうした?」
「無理なんです。無理、なんですよ。今は未だ」
「“今は”、か……」
「ええ……今は」
「なんだろうな、複雑な気分だよ。こいつを直してやらなきゃって思ってたけど、本当によかったのかとも思ってる。
お前を戦火に放り込むことになるならって……そんでオレはまた、指くわえて見てるしかなくなるんだ。
どうせオレは間接的にしか関われない。結局、お前が歩き出すのは自分の力でだ。それが悔しいのか、ほっとしてるのか……。
オレは、また待ってなきゃだめなのか? また、何もできずに、苦しんでるお前を見てるだけで……」
「もう少しだけ、本当にもう少しだけ時間をください。俺自身の感情に、決着がつくまでの時間を」
「そいつはやっぱり、わん子のことか?」
「……ええ」
答えるしかなかった。
果たして、とナナシはずっと考え続けてきたことがある。
己の拳は、今や自らの意識を離れ放たれる、無為無意識の領域にまで達している。
正確に言うならば近頃になって自覚するまでに至ったというだけで、以前から思考を超え拳が先んじて撃ち掛かる、そんな事は多々あったはずだ。
そう“造られた”のか、磨かれたのかは解らない。
だが断言できるのは、この拳の“引き金”は、己が引いているということだ。
“遅い”のだ。
AIは受動的な存在だ。入力ありきで、出力を決める。人に直せば、思考と決定の後に行動があるということだ。それでは遅すぎる。そこに判断が絡んでいては、遅すぎるのだ。
意識を、あるいは時間の概念すらも置き去りにして、この拳は放たれる。
ふと気付けば、敵に拳先がめり込んでいたことは一度や二度ではない。それはあの頃から見え始めた兆候だった。武の一端とでも言うべきものだろう。
であれば、だ。
果たして“あの時”、あの“意図せぬ初撃”を打ちこんだのは――――――。
もし、そうならば。
自分はとんでもない勘違いをしていたことになる。
全てを我が半身に押し付け、逃げたのだ。全てを忘れて。
これは許されることではない。
どんな顔をして“彼女”と会えばいいのか、解らない。
そんな幼稚な理由で、ナナシは口を噤んだ。
「自分の不甲斐無さに腹を立ててか? それとも、その喧嘩した後じゃ顔を合わせ辛いってやつか?」
「強いて言うならば両方かも……でも、前者に限っては、少しはマシになれたかもしれない」
「それは、あの兄妹が関係してるんだな」
「ええ……何て言うか、子供はいい。ああやって無邪気に、無条件の信頼を寄せられると、応えてやりたくなる」
「なるほどな。それでお前の技を教えてやってる訳か。なかなかどうして、面白おかしい道中だったようじゃないか。
教えろよ。お前が学園を発ってから、今まで何があったのか……あの時、学園の地下で、何を見たのかを」
一瞬だが、全身に緊張が奔ったのを自覚する。
眼前には、心の芯まで射抜くような眼差しを向けたナワジが居た。
「知らないとでも思ったか? うちのババアは今、別行動をしていてな。そこいら中から情報を引っこ抜いてるんだぜ。
技師の加護は特殊でな。神様に直接中指立てなけりゃ、“腕”があればそれでいいんだ」
「先輩はどうなんですか?」
「オレはやっちまったがね。だからよ、ババアはどこかに潜り込んだって、誰にも解りゃしないのさ。例え王城にだってな。今は経験を活かして筆頭技師だぜ。名実共に、“国”で一番の技師様だ」
「ああ、姿を見ないと思ったら、そういう……」
「そうだ。あの日、不死鳥が天へ昇った日、オレ達は命辛々逃げ出した。ババアはパレードに参加してて、オレは廃棄場が郊外にあったから、脱出に間に合った。
それより内側に住んでた奴らは壊滅状態だったがな。何もかもが秘密裏に行われたことだった……でも、偽星が顕現する前にお前は姿を消していた。
その後の外国との戦時中、戦後と、名無しの男が破壊活動をしてるって話じゃないか。こりゃ何かあったと見るのが普通だろうが」
「隠していた訳では、ないんですが、ただ」
「ただ……なんだ? さっさと話しな」
顎でしゃくって指示するナワジに、ナナシは所々詰まりながら、ぼそぼそと4年前の記憶を口にし始めた。
隠していた訳ではないとは言っていたが、だが思い出したくもないといった様子だった。
「あの日――――――」
あの日、病院のベッドの上で無為に日々を過ごしていたナナシは、突然来訪したおかしな声で笑う男に引きずられ、学園の地下深くへと連れられていった。
喉の奥でくぐもるような笑い声。ナナシの琴線に触れる物言い。
抵抗しようとしたナナシだったが、弱った体ではそれは叶わず。
どことは解らぬ場所へ引き摺られて行き、辿り付いたのは、地図には記載されていない、存在しないはずの学園都市地下施設。
そこでナナシが見たものは、常軌を逸する狂気の所業だった。
初めは、己の正気を疑った。次にこれが、現実であるかと疑った。
生きながらにして刻まれていく人々。
人の形を失っていく過程を見た。
逆さに括られたへその緒も取れない赤子が鳴声を上げて、クレーンに吊られていた。
表面を解かされ、内蔵を綺麗に抜かれた赤黒い人型が、ベルトコンベアで運ばれていく。
運ばれていく先には、粉砕機が作動していた。
最後は、とろりとしたゼリーのようになって加工口から搾り出されていた。
それはナナシの、否、冒険者達にとり馴染み深いものであった。
独特な色、におい……それはどのような加護を持っていても否定的な干渉をしない、安価な回復薬だった。
つまりここは、回復薬の原料保存と、精製工場であったのだ。
保存されていた“彼等”が口々に叫ぶ、救いを求める絶叫は――――――。
英語、フランス語、ロシア語、中国語、日本語……。
聞き間違えようがない、地球の言語。
ナナシは、この世界のカラクリを知った。
「まあ、こんな所です」
語り終えたナナシは、疲れたように息を吐いた。
「ああ……そういえば、はっきり言ったことはありませんでしたよね。俺、異世界から来たんですよ。地球っていう所からです。信じられますか?」
「馬鹿」
一言だけ返したナワジは何かに堪えるようにして、ぐっと下唇を噛んだ。
「後はもう、語ることもありませんよ。星が昇って、帰る所がなくなって、唖然としてたら戦争が始まって、適当に暴れてたら指名手配を喰らって、今に至る。それだけです」
「同胞達を楽にしてやっていたんだろう? 大陸中を巡って、儀式場を片端から潰して回った」
それは、ナナシが意図して語らなかった部分だった。
囚われた地球の人々を前にして、くぐもった声で笑いながらその男は、懇切丁寧に、彼らの発する言語を翻訳して聞かせた。
ナナシも知らない地球の言葉を、男がすらすらと言い換えてみせるのは、こうして召喚した人達から学んだのだろう。尋常ではない手段でもって。
一つ一つ。膝を折ったナナシを逃がさぬように、男は言い聞かせた。
愕然とするナナシに向け、そして言い放つ。
――――――さあ、“彼等”を救えるのは、貴方だけですよ。
男の言葉に含まれたその意図を、ナナシは正確に理解した。
ナナシの出来ることは、すべきことは一つだった。
ナナシは産まれて初めて、殺意を持って、“人間”を撃ち殺した。同胞達を――――――。
簡単だった。拳を、足を、順に振り下ろしていくだけだ。
次第に出切るだけ苦しみを与えぬよう、出切るだけ簡潔に簡単に素早く死なせられるよう、“工夫”するようになった。
頭の奥で音が聞こえた。
何かが致命的に壊れていく音が。
そしてナナシは旅に出た。
囚われた同胞たちを“解放”する旅へと。
ナナシはその旅の最中に、無名戦術の奥義を開眼させたのだ。
同胞達の命でもって、無名戦術は研磨されたのである。
神と戦うための術から、殺人術へと。
「オレ達は、これを見つけた」
ナワジが端末を操作すると、また別の画像がモニターに表れる。
古い文献をスキャニングした画像だった。
「『神創改天』……?」
「神降ろしにおける、学園都市儀式魔法陣化計画――――――神意研究機関『神創改天』の計画書だ」
極秘、という印が押されたその文章には、学園全土を魔法陣化することで魔法陣内に存在する生物を贄とし、国神を降臨させるという計画が細部まで緻密に記されていた。
つまり学園都市総生贄化計画である。
こんな重要書類がそのまま残っていたのは、やはりあの男の差し金であるように思える。
「学園都市で学生やってりゃ、後ろ暗いことの一つや二つはあると理解するもんだが、ここまでのものとはな。
ずっとおかしいと思ってたんだ。学園に搬入される用途不明の機材、地下に存在する謎のスペース、搬入路……当時からババアは情報をオレに決して見せようとはしなかった。
オレが技師だったからだ。そいつがどんな機能でどんな用途に用いられるかくらいは、リストを見るだけで解るからな。
大規模な儀式の準備がされていることは、ババアは知ってただろうぜ。だが、それだけだ。それが“神降し”とは、思ってもいなかったんだ。
非戦闘員の甘い考えだったかもしれねえ。そんな凶行には走らないだろうと、高をくくっていたんだ。どうせまた胸糞悪い研究か何かだろうとな。
オークだかなんだかに犯された女や、探索中に死んだ冒険者の死体がどこぞに流れていくって噂、お前も聞いていただろう」
「七不思議のあれですか。俺も何も知らなかったら、そういうのを連想するでしょうね」
「ああ。だがそうじゃなかった。きっと、これを世界中で起こすつもりなんだ。少しずつ神域を広げていって、世界中を一つの神の下に支配する。
神の昇る天の下に、世界を創り改めるんだ。
制御不可能な神の力をコントロールできる人間……偶像は、扱い易い奴を選出する。それが王だ。
王のためにと、誰もが“良かれ”と思って勝手な行動を始める。過程は隠し、結果だけを提示する。王はそれに疑問を抱かず、ただ喜び……その繰り返しだ。
良かれと思う基礎を教育によって洗脳しておけば、後は負のマッチポンプが発生する。
人の手により唯一神を産み出すこと。それが『神創改天』のプランだったんだ」
しばしの沈黙が降りる。
ナワジの拳が、微かに震えていた。
「これで、敵の姿は見えた。後は……どうする?」
「決まってる。叩き潰すだけだ」
言い切ったナナシに、ナワジはやはり、苦りきった顔をした。
「そう言うと思ってたよ……でも、オレは、本当は……」
「矛盾してますよ、それは。俺も、そうですが」
「なあ、ナナシよう……どっかさ、逃げちゃわないか」
寒さに震える身体を抱き締めるようにして、ナワジらしくもなく、視線を逸らせ床に向けてつぶやく。
「どこか、遠くに……誰もオレたちのこと知らない場所へ。二人ぐらいなら、大陸から逃げたってバレないさ。オレが船を作るよ。それに乗って、どこかへ……」
「無理ですよ、先輩……だって俺はもう、とっくに逃げてしまっているのだから」
ナナシの言葉の意味はナワジには理解できなかったが、そこに込められた意味をナワジは全て承知した。
ナワジの想いが拒絶されたこと。
そして、ナナシが一人で戦う決意を固めているということ。
きっと、三年間も意味の無い獣のように放浪していたことは、その決意を固めるために必要な時間だったのだろう。
「俺しか解らない。俺しか知らない。なら、俺がやらないと」
「どうして、お前は……いや、もう聞くのはやめるよ。なあ、こっちにきてもうそろそろ10年経つんだろ?
お前はこの世界で何か見付けられたか? お前が冒険者になったのは、誇れる何かを見付けるためでもあるんだろう?」
「そんなんじゃないですよ」
否定するように笑って、ナナシは言う。
「でも、そうだな。まだ探してる途中なのかもしれない。ただ」
「ただ?」
「光りは……見えたような気がするんです。あの子達と出会ってから」
真っ直ぐにナワジへと、ナナシは答えた。
「あの二人のために、何かしてやれたらいいなと、そう思っています。でも俺がしてやれるのは、あいつ等が望んだ戦い方を教えてやるくらいです。
そうして得た力を何に使うのか……シュゾウの目を見ていれば解ります。あいつは、時々暗い目をするから、きっと堕ちていくでしょう。俺と同じように」
「そっか……」
「そんなことをする必要がないように、兄妹二人で手を取り合って、穏やかに暮らしていけるようにしてやれたら、それが一番だとは解っているんです。
でも、理屈じゃなくて、何て言ったらいいのか。俺は、それがあいつの望みなら、叶えてやりたい。叶えてやりたいんです。なんでこんな風に思ってしまうのか……」
「そいつはたぶん、お前が大人になったからだよ」
「先輩は、どうなんですか?」
「女は生まれた時から大人さ。お前が望むことを、オレも叶えてやりたいと思ってる。例えそれが破滅の道であったとしても」
ナワジの目には、個人の情動を使命で拭い去ったかのような、危うい輝きが灯されていた。
それは悲嘆に暮れる女の眼であった。
「お前の武器は一つだけだ。
オレ達はお前を支援してやることはできない。
さっきお前を囲んだ若い衆を見たろ。あれがここに居る一番のやり手達だ。どうだ、お前と比べたら児戯だろう。
反乱組織なんて言われちゃいるが、なんてことはない。虐げられた者達の寄り合いっていうだけだ。大半が戦えない女子供や、怪我人や老人だ。
支援を受けられるとは思うなよ。自分達が食うだけで精一杯なんだ。ここに有る機材も学園から持ち出せたものを使い回してるに過ぎない。
あいつだって、満足に整備出来ちゃいないんだ。だからお前は戦うのなら、一人で、国に喧嘩を売らなきゃならない」
「覚悟の上です」
「――――――は、は! 言うじゃないか! だがお嬢様のことはいいのか? お嬢様は向こう側だぞ」
力なくナナシは頭を振った。
仕方が無い、と迷いを振り払うように。
「大陸中を巡っている時から、ずっと感じていました。何かに監視されているような感覚と……助けられている、という感覚を。
各地に点在する儀式場への進行ルートは、明らかに軍の警戒網が手薄になっていた。
今もそうです。反乱組織の居場所が割れているというのに、部隊の編成も出撃の気配もない。彼女らしからぬ手の遅さだ。
導かれるようにして、俺はここにいる」
「誘導されていると? 何かの罠か?」
「いえ……これがきっと、彼女の意思なんでしょう。だから、俺は彼女を……」
拳を握りしめる。
その手の中にも迷いはなかった。
だが――――――迷いが無いことは、ナナシにとっての救い足り得るのだろうか。
ナワジには解らない。
「ああ……本当にいい顔してるよ、お前。覚悟を決めた、男の顔だ」
ナワジは思わず、ナナシの頬に手を伸ばしていた。
そのまま後頭部に手を伸ばし、ぐいと引き寄せる。
ナナシとナワジ両者の鼻先が、擦れあった。
ここしかない、とナワジは思った。
きっと、この男は消え去ってしまう運命にあるだろう。
自分を残せるのは、ここしかない。
「可愛くない。本当に可愛くなくなったよお前」
「すみません」
「いいさ、そんなに格好良くなったんだから、帳消しだ。許してやる。そんでこれは今まで一人で頑張ってきた、ご褒美だ」
「せ、先輩?」
「黙ってろ。こういう時には目を瞑るもんだぜ」
二人の距離が近付いていく。
「でもやっぱり、嘘付きにはお預けだな」
触れ合う瞬間。
ナワジは顔を逸らし、軌道をナナシの頬へと修正した。
ナナシの頬に、しっとりと濡れた、柔らかく吸い付く唇の感触が残った。
鉄鋼業を生業としているのに、ひび割れもない、瑞々しい唇だった。
ゆっくりと離れるナワジは、ナナシの耳元で囁いた。
「戦う理由は、子供たちのためってだけじゃあないだろう?」
「やっぱり解りますか」
「解るさ。ふん、話を聞く限りじゃあ、おおかた初めは鳥野郎のためだったんだろう。まったく、男ってのはよう」
曖昧に笑ってナナシは答えない。
「正直に言えばぶちゅーっと熱いベーゼをしてやったのに。初チューだぞ初チュー。欲しくないか?」
「いやあ、ははは。遠慮しておきますよ。あの男衆達に殺されてしまう」
「ちぇっ! 甲斐性のない奴!」
つまらなそうにベッドを蹴って、椅子に座ってくるくると回るナワジだったが、上機嫌に唇を指で撫でていた。
これで十分、否、これでいいのだ。ナワジはそう思った。
自分達の関係の中で、残すべきものはきっと愛ではない。
それは後悔にもにた、苦いものであるべきだ。
鋼を噛むような。
「組織の長の座を預かってる身だからな。本音を言えばお前に付きっきりになりたいが、それは出来ない。
だが出来る限りのことはするさ。必要な物があれば何でも言えよ。
オススメは今すぐ装着して、調整を任せること。オレの手が空いてる時しかできないからな」
「はい、ありがとうございます」
「ふん。あーあ、面倒くせー奴だなーもう!」
椅子をくるくると回すナワジ。
背筋にだらりともたれ掛かって、頭を逆さにして回っているものだから、頭髪が遠心力で振りまわされている。
毛先がナナシの頬に当たっていた。間違いなくわざとである。
「先輩、当たってるんですけど。結構痛いんですが」
「当ててるんだよ。ぶっちゃけるとさ、お前がどこから来たのかってこと、ババアから聞いて知ってたんだわオレ。
ババアの方は“ジョゼット”とかいう爺さんから手紙で知らされてたらしいぞ。自分に何かあったら弟子を頼む、ってさ」
「……そうだったんですか」
「そうだったんだよ」
懐かしい名を聞いた。
漣のようにして、心の表面がざわつく。
喉まで出かかった感傷の言葉を、ナナシはぐっと呑み込んだ。
「とにかく、だ。貴族達の襲撃の件は、ちびっ子共からおおよその話を聞いたぜ。お前の見たてでは襲撃までどれくらいある」
「戦時下でもなし、これまでの彼女の手抜きの具合から考えて、早くて1週間、遅くても2週間。どれだけ準備に手間取っても、4日以内にはここを後にした方がいい」
「解った。そうしよう」
伝声管を使って指示を下すナワジの透き通る大声にナナシは背を向ける。
自然と向き合うことになったのは、あの鉄塊。
赤銅色の耐火布に包まれた鋼鉄の塊は、黙して語らず。ただ静かに其処に在った。
こんなに近くに居るというのに、手を触れることは出来ない。布一枚の距離が、途方もなく長く感じた。
ナナシは『彼女』を捨てたのだ。
それも一方的に――――――きっと、自分の思い込みで。
堕天使にも、ナワジにも、二度と会う事はないと思っていた。
だが、ここに再び出会うこととなったのだ。
全ては『彼女』が引き寄せた因縁の様に思えた。
ふと、伝令を終えたナワジが、こちらを見詰めていた。
「なあ、いいのか、ナナシ。お前は本当に、それでいいのか。後悔しないか」
「決めたんです。それでも俺は」
ナナシが口にしたのは、絶対の禁忌。
「神を撃つ――――――」
神墜としである。
エオルゼアが私を呼んでいる




