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完全装鋼士 : レベル0  作者: ノシ棒
第3章 ―神撃編:放浪―
53/64

地下48階

生きるというのは、なんてつらいのだろう。

つらく苦しく、無様でみじめで、意味など無いように思えてしまう。

生きるというのは、なんて切ないものなのだろうか。

生きようと足掻く子供の姿に、そう感じ入る程には、ナナシは年を取ったものだと自覚している。

こちらの世界に墜とされ、おおよそ十年の月日が経った。

何か変わったことがあっただろうか。何も、としか答えようのない自分がいることもまた、自覚する。

これを認めるまでに十年。この十年は、そのためにあったものかもしれない。

生まれ変ろうが、特別な力を身に付けようが、自分自身は何も変わらないのだ。

生き方が変わろうはずがあるものか。変えられようはずがあるものか。

力さえあれば、姿さえ変われば……などと思っている者には。

恥じるべきだ、とナナシは思う。

だが、自身の恥部とも言うべき部分を白日に晒されたとして、ではそこからどうしたらよいのか。

どうせお前の考えなどこの程度なのだろう、と暴かれたとして、そこから先、どう生きていけばよいというのか。

他者が受ける辛辣な言葉を聴き、自らの戒めとできることを、人は知っている。その本質にある卑しさによって。

教訓と呼ばれるものだ。ああはなりたくないものだ、という。

ナナシが堕天使オレイシスに向かって吐いたお互いを抉るような言葉、それを聞き、笑えた者はまだ人生を踏み外してはいない。

これから先もより良く生きることが出来るだろう。その卑しさによって。

では、既に敗残者であることが運命付けられたこの両名は、どうしたらよいのか。どう生きていけばよいのか。

このようになってはいけない、と人は教えられる。この二人の落ちぶれた姿を見て教訓とし、生き方を変えられる。

しかし、もはや道を踏み外した者が生きる術は、誰も教えてはくれない。

なぜならば、既に終わってしまっているからだ。道を踏み外した者達に生きるための道標など必要はない。

敗北した男はどう生きたらいいのか。

一体、何をしたら……負け犬が生きることを許されるのだろうか。


「うぐううーっ!」


呻き声を上げているのは、シュゾウであった。

ナナシの命により、背に鉄材を詰め込まれた荷を負わされたまま、鍛錬を続けている。

いくら猫虎族といえど、年端も行かぬ少年がその身に負うには、あまりにも重い荷である。

食いしばった歯が肉に内側へと食い込み、呻く口の隙間から幾筋の血雫が涎と混じって糸を引いていた。


「んぐぃぃあいぃぃいぎぃぃ……!」


体が壊れる寸前の鍛錬。危険であることは一目瞭然である。

限界の境界線上での鍛錬に、しかしシュゾウは怯む様子もなく、一心不乱に自身を痛めつけている。

錘を付けられた腕を上げ、布を巻いた木材、的に向かって突く、突く、突く――――――。

的はその表面を、シュゾウの裂けた拳から流れた朱色に染める。

その横で、シュゾウの妹であるギンジョウが、兄と同じく木材の的を可愛らしい掛け声と共に、小さな掌でとんと突いた。

寸瞬、瞬きの後。木材の的は乾いた音を立て破裂し、圧し折れる。

打ち込まれた衝撃が、木材内部、最も構造が脆い部分で爆裂したのだ。

無名戦術ヶ奥義の六――――――。

不定形の魔物に対する奥義、衝撃浸透掌底である。


「見ろよ」


兄妹の様子を壁にもたれ座り込んで見ていたナナシが呟いた。

隣に膝を立て、尻を下ろしていた堕天使へと向かって。


「こんな底辺にも差はある。理不尽だよな」


やった、と会心の笑みを浮かべ誇るようにしてこちらへと手を振るギンジョウに、ナナシは軽く手を振り返す。

気を良くしてより打ち込みに専念するギンジョウ。全身から、楽しくてしかたがないという気配が溢れ出している。

新たな“カカシ”に打ち込んではそれを壊し、立て直してはまた壊し。一打、撃つ毎に、磨がれていく。

それを暗く落ち窪んだ瞳で恨めしそうにねめつける兄の姿を、ナナシは見ぬ振りをした。

誰にも見られたくはないだろう。自分自身にさえ。

頭を振ってシュゾウは“カカシ”へと打ち込みを再開する。

となりでは妹が“カカシ”を軽く叩き壊している。

シュゾウの“カカシ”はその拳を拒むように、どっしりと構えていた。


「あれが俺達の理想」


ナナシが示した先には、ギンジョウが。

一目で解る。その身に収まりきらぬ天性の才を。

環境が人を作るという。ナナシの血の効果によるものではないだろう。

少女の才が花開いたのは、厳しすぎる現実故か。


「あれが俺達の希望」


次に示した先には、妹の姿を務めて視界に入れぬようにと、黙々と打ち込みを続けるシュゾウの姿が。

確かに身体能力は目を見張るものがある。

だがそれは、種族の違いから由来するものだ。猫虎族であれば当たり前に備えているものでしかない。

こうして兄妹で並ばせれば良く解る。

シュゾウに武術を扱う才はない。

足運び、重心の移動、拳の握り一つをとっても、妹と比べればあまりにも拙い。

それはシュゾウが生粋の猫虎族の戦士として生まれたからだ。

本来、猫虎族とは身体能力の高さと種族特有のスキルを駆使して戦う者達である。

シュゾウはある種、時代の被害者とも言える。

もし旧来の世界で戦士を志したならば、“猫虎族の戦士として”才ありと称されていたはずだ。

こうして細かく、いちいち身体の調整をすることや相手の呼吸に合わせるやり方など、覚える必要などないはずだったのだ。

唐突に世界から、自身の全てを否定されたと言えよう。その生まれさえもだ。

だが、少年は折れなかった。

自身の無力さを痛感し、そして、だからこそ自らを鍛えることを決めたのだ。

それは自分自身からの脱却。真の意味での生まれ変りだ。

今、ここ。この瞬間に、少年は世界に産声を上げようとあがいている。

ナナシのように、状況に流されてではない。

堕天使のように、自らが変わることを望まずにいて力を欲しただけでもない。

自らの意思で、ここに立っている。

全てを振り切って、前に進もうとしている。

自分自身さえ捨て去って。


「それで、これが俺達の現状だ」


どうしようもない、と笑うのは自分達のことだった。

ナナシと堕天使は、崩れかけた壁を背に、二人して座り込んでいた。

堕天使は鬱屈とした感情を吐き出して疲れ果てたのか、呆として兄妹が鍛錬する風景を眺めている。

その横で、肩が触れ合う程の距離で、ナナシは堕天使に語りかけていた。

まるで学生時代に戻ったかのような気分。友人達へとそうしていたような、気安い距離だった。


「で、どうする?」


「……どうって」


「自己嫌悪は散々したろ。留まっていられない状況だって揃ってる。で、どうするんだよ」


「ど、どうって……どうって……」


「ここで何かしますって言えたら、そもそもこんな場所にはいないよな、俺達さ」


「うう……」


「材料が全部揃ってても決められないのは、結局さ、俺達みたいな奴らはさ、全部人のせいなんだ。

 口を開けて上を向いて、餌を待ってる。いつまでたっても美味い餌は落ちてこない。

 自分の所に落ちてこない環境が悪い、運が悪い、偶然が悪い、落としてくれない奴らが悪い……。

 自分で取りに行けと言われても飛べやしない。飛び方が解りづらいのが悪い、教えてくれない奴らが悪い……。

 何もしない理由作りに一生懸命だ……ま、やることないってのは解ったよ」


そうしてナナシは立ち上がった。

尻についた埃を払って、堕天使を見下ろす。


「俺達が本当に欲しかったのは、人だよ。動けない俺達を介護してくれる人だ。親のように何でもかんでもやってくれる人だよ。背中を押されるのをずっと待ってる。

 本当ならそんな稀有な奴はいないが、幸いここに、暇人が一人いる。子供の手前、口だけの大人にはなれないって奴がさ」


何を言わんとしているのか掴めないと、堕天使はナナシを見上げた。


「聞き方を変えよう。お前はどうなりたい」


「どうって……」


「見ろ」


そうしてナナシが示したのは、シュゾウが歯を食いしばる様である。

再び示した指を下ろしながら、ナナシは眩しそうにしてシュゾウを見ながら語る。


「言ったろ、あれが希望だ。俺達はああなるべきだったんだ」


「希望……」


「俺達の先に、あの子がいてくれる。ほんのすぐ前だ。ならもう、一歩進むだけでいい。

 踏み出す一歩が出ないってんなら、俺が押してやるからよ。

 あの子達のために、俺がお前を鍛えてやる。あの子達は俺を出来た大人だと思ってる。先生だなんてな……失望させられない。見栄だよ。だから俺は、お前を立ち上がらせてやる。いいな」


「う、うう……」


「立て。お前の意思確認などもういい。三度目はないぞ。立て!」


ぐいと力強く腕を引かれ、痛みに顔を顰める堕天使。

そのまま背中を叩くように押されて、シュゾウの隣へと無理矢理立たされる。


「最初は柔軟からだが、お前みたいな奴は特別にスペシャルコースから体験させてやる。元国家冒険者様なんだから、根性はあるだろ?」


シュゾウの迷惑そうな目から、次第に同情の色が浮かんだのはなぜか。

強制的な仕打ちに抗議をしようとしたのか、堕天使が口を開いた瞬間。ナナシ達がもたれていた壁が大きく吹き飛んだ。

ナナシによる裏拳である。

経験に裏打ちされた拳は、ギンジョウのそれとは比べ物にならない程の威力がある。


「何か、言いたいことでも?」


「ひぃ!」


「錘は明日からにしてやる。打ち込み開始!」


見よう見まねで始まった堕天使の打ち込みは、それはもう、見れたものではなかった。

余りにも不恰好なものだった。笑ってしまうような、滑稽なものだった。

だが、ナナシにとっては最高の一打。


「世界がこんなになって、俺達もこんなになって、いやあそれが実は元からどうしようもない奴だった、ってのが解ったのだとしたら、じゃあどうしたらいい?」


ひいひいと情けない声を上げながら身体を動かす堕天使へと、満足そうにして頷いてナナシは言った。


「鍛えればいいのさ」


暴論である。

だが、事実であるとも思う。

弱さを武器にするのは辞めるべきだ。

弱いのだから、安全な場所にいてもいい権利があるなどと。

安全な場所からならば、どれだけでも唾を吐けるのだなどと。

力に憧れを抱いたのならば、思ってはいけない。

どうせ自分では踏み出せないことも解っている。

そして、背を押すものがいないことに、自分が内心そんな願いを持っていることを察してくれよ、と恨んでいるのだろう。

ならば望み通りにしてやろうではないか。導いてやろうではないか。

だから、頼むから、変わってくれ。

自分自身からの解放を。カタルシスを。

今こそ生まれ変ってくれ。この少年のように。


「ほんと、先生だなんてな……こんなの俺の役じゃないっての」


まるで自分自身の言葉がおかしくて堪らぬと言った風にして、導かれる側にいたはずの男は、苦笑の形へと頬を持ち上げた。





■ □ ■





堕天使の情報によれば、ナナシが名を授かった場所――――――街外れの教会の、その地下を反乱組織は拠点としているらしい。

かつては大陸内に分散する大小国家間の貿易で栄えた都市である。

教会は境界に通じ、都市防衛の要としての機能をも持っていた。

これだけの大都市には相応の規模の教会があるはずだが、ナナシの知る教会は、都市内とはいえ電車で移動せねばならない程の端に位置し、しかも小さく、その中には神父が一人。他の管理者はいなかったはずだ。

だが天変地異に巻き込まれてなお教会としての体が残っているのだとしたら、見た目に反し、大都市に相応しい堅牢さであったということだろう。当然としてそこを守っていた神父もまた、大都市を守るに相応しい実力であったということだ。


「これもやっぱり、因縁なのかね」


半日の訓練で根を上げて精も根も尽き果て同行をしぶる堕天使を放置し、件の教会へとナナシ達は赴いていた。

人間関係をこじらせていた手前、ここに戻れないという理由もあったのだろう。

しばらく時間を使ってしまったが、そう早くは攻められることもないはずだ。

恐らくは根絶やしにするための包囲戦を仕掛けられるはず。そのためには準備が必要なのだから。

ナナシ達が教会に近づくにつれ感じたのは、こちらを刺すような視線であった。

先の堕天使のように舐めるような粘つくものではない、明確な拒絶の意が含まれた、敵意の視線だ。

首筋が粟立つ感覚を覚えながらも、ナナシは懐かしさに顔を綻ばせた。

この道は、右も左も解らなかった頃、“あの人”と共に歩んだ道だ。

自分の――――――ナナシの、始まりの道。


「先生、待ち伏せされています。数は……七人程でしょうか?」


「十二人だよお兄ちゃん。どうする先生? いつもみたいにする?」


思い出の中の教会よりも、ずっと寂れて崩れた教会を前にして佇むナナシへと、シュゾウ達が声を掛けた。

重厚な扉の向こう側にある気配を察知したのだ。


「警告に来たんだから、荒事は無しの方針でいこう。話がまとまるまでお前たちはここに待機してろ。俺だけで行く」


「結局腕尽くになるような気がするんですけれど」


「その時はその時さ」


シュゾウ達を後ろに下がらせ、そっと扉を開ける。

砂が扉の車輪に食いつき、耳障りな音が鳴り響いた。

薄暗い教会の中は、割れたステンドグラスから光が差し込み、砂塗れになっていてもどこか清浄で神秘的な空気を感じさせるものがある。

この場の空気だけは、過去の記憶のままだった。


「失礼する!」


足を踏み入れれば、更に強まる殺気。

そこには、農具や工具で武装した数人の男達が待ち構えていた。

更に机の影、椅子の陰に数人。

全員が武装している。


「十四人……二人とも後でメニュー追加だな」


両手を上げ、害意がないことをアピールしながらナナシは近づく。


「旅の道中、貴族の過激派がここを襲撃するという情報を得た。ここを通して頂きたい」


「旅、だって? こんなご時世に旅だって? 嘘を吐け! 旅人なんざ、いる筈がないだろう!」


「待ってくれ、こちらに敵対の意志はない。誰か、ここの責任者の所へ案内してくれ」


「ふざけるな! 出ていけ! どうせ貴族共の差し金だろう!」


そうだそうだ、と大声を上げる周囲。

取り付く島もない。


「なら、ここでいい。そのかわり聞いてくれ。この街に反政府組織があると過激派の連中に知られている。

 襲い掛かってこないのは、誰も逃がさないように包囲網を敷いているからだ。

 もう時間はないぞ。すぐに皆、待避するように言ってくれ。せめて女子供だけでも」


「信じるもんか、お前が貴族達のスパイなんだろう!」


「俺たちは貴族になんか屈っしはしない! ここを守るんだ!」


そうだ、こいつを逃がすな、と。

声が熱気を帯びるまでは、そう時間は掛からなかった。

周囲をぐるりと囲んで囃したてる若者達。

屋外にシュゾウとギンジョウがいる以上、ナナシも迎撃態勢を執らざるをえない。

両陣に剣呑な気配が漂い、もはや衝突必至と覚悟した、その時だった。


「待て!」


一触即発の空気を破ったのは、その一声。

ナナシ達の背後、歯車の音と共にスライドしていく懺悔室の下から、隠し階段が出現する。

何物かが、ゆっくりとした足取りで上ってくる。


「そいつはオレの客だ。お前達は下がってろ」


「で、でも」


「黙りな。ちょっとでも手を出して見ろ、返り討ちにされるぞ。お前達が束になったってそいつには敵わねーよ」


包囲が解かれ、人垣が割れる。

その間を肩で風を切るようにして人影が現れた。

「よう」と片手を上げ、気易い声を掛けながらその人影は足早にナナシへと近付いていく。

目の前まで来るや否や、芸術的な軌道で放たれた右ハイキックは、しかし予め予測していたかのように添えられていたナナシの掌に、音もなく吸い込まれた。

ここでようやくその人物の姿を認め、ナナシの顔が驚愕に歪んだ。

しまった、という、悪戯を咎められた子供のような、自らの失敗を悟った顔だった。


「お前、何受け止めちゃってんだよ。おい」


心底腹に据えかねる、と大きく書かれた顔で、不機嫌さを隠しもせず睨みつける、その人物。

ほぼ同じ目線の高さ、至近距離から発せられる怒気に、ナナシは思わず後ずさった。

眼力に物理的威力があるならば、それだけで吹き飛んでいたかもしれない。


「う……す、すいません」


「ふん」


間髪いれず飛んできたのは、顎先を掠める左フック。

ナナシは甘んじてそれを受けた。

視界がぐらぐらとゆれ、まるで何十年と寝かせた濃厚で味わい深い美酒を口にしたかのように、思考が甘く酩酊する。

しかし、踏み止まる。

鍛えられた技が、身体が、経験が、この程度の一撃で倒れることを良しとしない。


「……なんだそれ。可愛くない」


その人物は口をとがらせながら、拗ねたように言う。


「昔のお前ならこれだけで腰砕けになったっていうのに。久しぶりだし、せっかく優しく受け止めてやろうと思ったのに、つまんねー奴」


待ち構えるように広げられていた両腕が、所在無さ気に降ろされた。

指先が寂しそうに宙を彷徨っていたのは、見間違いではないだろう。


「はは、は。それだけ俺も成長したんですよ」


「その様子なら、何で殴られたかは解ってるようだな?」


「ええ……」


「じゃあもう一発、殴られろ……よ!」


腰の後ろに挟まれていた巨大スパナを引き抜き、一閃。

強烈なアッパースイングに、今度こそナナシの意識は刈り飛ばされた。

仰向けに倒れ込んだナナシへと満足そうに息を吐いたその人物は、周囲の取り巻きへと指示を出す。


「おい、お前等。こいつをオレの部屋まで連れて来い。そうしたら全員席を外せ。誰も入ってくるなよ」


「そんな! こいつ、きっと貴族のスパイですぜ! そんな奴とお頭を二人きりになんざしたら、何が起こるか」


「言ったろうが、オレの客だってよ。それにナニか起きたって問題ねーだろ。こいつはオレの“コレ”だからな」


そう言って立てられた小指に、遠巻きに見ていた若者たちは絶望の呻きを上げた。

文句でもあるか、とドスの効いた問いに、皆一様にあらぬ方向へと顔を背ける。

その顔が総じて赤かったのは、この人物の持つ色香に自分自身を重ねた想像を掻き立てられていたからだろう。

冗談だと笑って指は下されたが、誰も信じられなかった。

いつも何かに苛立った顔をしていたこの人物が笑う姿を、若者たちは初めて見たのだから。


「こいつはヘタレだから、そんな甲斐性なんかねーんだけどよ」


「は、はあ。でも、本当にいいんで?」


「くどい」


それ以上の追求を許さぬという、明確な意思表示。

若者たちは渋々と、ナナシの身体を持ち上げた。

重すぎず、かといって軽くもなく。

強張った筋はまるで鋼のワイヤーを寄り合わせたように細く硬かったが、意識を失い次第に弛緩していく身体は、争いとは無縁の乙女の肢体のように柔らかくなる。

ナナシの体を抱え起こした男達から、誰とはなく息を呑む音が聞こえる。

触れただけで理解できる。常識外の柔剛性を兼ね備えた肉体だ。


「止めろお前ら! 先生を離せ!」


「先生を離せーッ!」


「あん? 先生?」


転がり込んできた小さな人影。シュゾウとギンジョウだ。

二人の言葉に、その人物は訝しげに片眉を上げた。

顎に手を当てて考えている内に、いつの間にか、若い衆達はそのほとんどが打ち倒されていた。

自分たちよりも二回り以上も年が離れた子供達に、身体の出来あがった筋肉質な男達が拳で打たれ、蹴りを打ちこまれ、瞬く間に数を減らされていく。

まだ年端もいかぬ少年少女だというのに、何という戦闘能力か。


「へえ。中々面白いことやってたみたいだな、こいつ」


合点がいったと頷いてから、その人物は旋風の如く暴れ狂う兄妹の中心へ、散歩しているだけとでもいう風な気軽な足取りで踏み込んだ。


「そこまで。落ち着きな。オレ達は敵じゃない」


純粋な膂力でもって、二人の動きは封じられる。

右手にはシュゾウの腕が、左手にはギンジョウの足が掴まれていた。

即座に相手の間接を取ろうとするシュゾウだったが、しかし技を完遂することは出来なかった。

関節を極めるにはこちらも関節を固定する必要がある。それは関節技、という技術の仕組みとして逃れ得ない絶対則だ。

機動力が落ちるということである。

しかし逆に、関節の稼働域をある程度制限させるに留まることで、その場に縫い止めず相手を意のままに動かすことも可能ではある。ナナシはともかくシュゾウでは、体格差によってそれは不可能。

そもそもシュゾウには、そんな師のような器用な真似が出来るとは思えなかった。

シュゾウに自惚れは無い。無いからこそ、力に対してひたむきでいられる。それは常に冷静に、彼我の実力差を判断出来ることに繋がる。

つまりは、単純に背丈の問題だ。

モデルのような体型の相手では、手足が届かなかった。

多対二の状況で、足を止めることは下策でしかない。

ギンジョウはというと、困惑した顔で足を掴む人物の顔を見つめている。

勘の良い妹のことだ。

先の言葉に嘘がないと気付いたのだろう。


「わりぃな。驚かせるつもりはなかったんだ。これが、こいつとオレのやり取りっつーか、なんだ? 昔っからの愛情表現? みたいなもんだったから」


「……愛情表現って」


「信じちゃくれないか?」


「信じるとでも?」


「だよなー……あっちゃあ、子連れで来るとはなあ。しくったか。てっきりあの野郎と一緒に置いてくるもんだとばかり思ってたぜ」


「あの野郎? オレイシスか……そうか、僕達をずっと見ていたのか。この街に入ってから感じていた視線は、お前達か!」


「まあね。だが余所者を見張るのは当然だろう?」


苦笑い。

手を離されるが、シュゾウ達が構えを解くことはない。


「なあ、小さな戦士さんがたよう。聞いてくれよ。オレは本当にお前達をどうこうしよう、だなんて思っちゃいないさ。ちゃんとした理由だってある」


「ちゃんとした理由?」


「そう、理由がある。オレはさ、こいつには勝てねーんだ」


いっそ朗らかに、“ちゃんとした理由”が高らかに宣言された。


「だってオレはさ――――――こいつに惚れちまってるんだから」


知ってるか、惚れた方が負けなんだよ。

などと、片目を瞑りながら悪戯っぽく笑う。

堂々と、これが正当でまっとうな理屈だと言い放つ歪みの無い豪胆な態度に、シュゾウ達は口を開けて固まった。

だから納得しろとでも言いたいのだろうか。この人物は。

その自信がどこから来るものか、全く理解出来ない。

だが、その言に偽りが無いということだけは、頷かねばならないことだった。

その言葉には、確かに、愛があった。


「これ、こいつには内緒な」


唇に人差し指を当てて苦笑する仕草に、何故かシュゾウも顔に血が巡るのを感じた。

照れた風に頬を掻く姿は、これまでのギャップとも相まって、幼い少女のようにも見えた。


「ついでに、同じ学び舎で学んだ仲でもある」


「ああ、冒険者学園の」


「そうそう、そこの魔道技師養成クラスだったんだよ、オレ」


「魔道技師と先生にどんな接点が? 格闘家と機械屋なんて、対極でしょう?」


「はは、まあ色々とあったのさ。色々と、な」


「それはいったい」


「聞くなよ。大人の事情ってやつだ」


シュゾウはこの人物に師が負けるはずがない事を理解している。

身体を掴まれた時に感じた、強者が持つ威圧感は、明らかにナナシの方が上。

だがしかし、そのナナシは顎を仰け反らせ仰向けに倒れている。

なぜか。


「つまりこれは……ええと」


「私知ってるよ! 痴話喧嘩ってやつでしょ? 先生ったら、もー!」


「有り体に言えば」


なんだそれは、とシュゾウは思わず毒気を抜かれてしまった。ギンジョウも同じ様子。若干憤慨気味ではあったが。

周りではうめき声を上げながら、倒れていた若者達が立ち上がりつつある。

再び包囲されるのではと身を固くした二人だったが、反応はというと、賞賛の言葉。

小さいのにすごいもんだ、と痛む手足を撫で擦りながら感心したと笑う若者達に、シュゾウとギンジョウはきょとんとした顔をしていた。

演技であるとは思えない。

頭からの歓迎の言があったとはいえ、なんて明るい連中なのだろう。

これが暗い地下に潜って生き延びてきた反乱組織だとは、到底思えなかった。


「オレはさ、お前達の先生のこと、本当に大好きなんだ」


「そ、そうはっきり言われても」


「むー……」


「な? オレの事、信じちゃくれねーかな?」


一瞬気絶した師の顔を見る。

しばらく考えて、シュゾウ達は差し出された手を取った。

さんきゅな、と力強く、小さな二つの手は握り返された。

顔の豪奢さと美麗さに似合わぬ、荒れた手だった。

それは、働く者の手だった。技師の手だ。


「よし! ナワジ・マウラの名において、お前達を歓迎する!」


つなぎの胸元を堂々と開いた格好に、鋭く天を向いた狐耳が金髪と尻尾に良く似合う、女丈夫。

嬉しそうに破顔したその人物は、名を、ナワジ・マウラと言った。


「ようこそ、我らが隠れ家へ!」


ナワジは巨大なスパナを肩に担ぎ、にっかと笑って言った。

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