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完全装鋼士 : レベル0  作者: ノシ棒
第1章 ―学園編:ナナシ―
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地下4階

迷宮の構造変化に巻き込まれ、パーティーが二分された責任は、自分にあるとクリブスは思っている。

嫌な予感など常にしている。迷宮に入る前からだ。

それが冒険者の職業病というやつらしい。常日頃から危険と隣り合わせにあるために、恐怖心や猜疑心が異様に肥大化してしまうのだ。

臆病であることは歓迎すべき長所である。しかし本能が発する危険への注意信号を無視しなければ、探索など出来ない。

かと言って、踏み出す先を間違えれば、それは容易に迂闊さへとつながるだろう。

クリブスには、自分がその迂闊な一歩を踏んだのだという確信があった。

ナナシと鈍色が歩哨を買って出た時に、時間の確認をすべきだった。

迷宮の構造変化には様々な条件がある。あるいは時間、あるいは魔物の残存数、あるいは冒険者達の生き残りの数……。それを確かめずに人員をばらばらな場所へと配置することは危険だと、なぜ気付かなかったのか。

ナナシ達の実力に甘え、大丈夫だろうと判断を下した、自分のミスだ。


「天魔降身! 我が剣に触れるもの、万物皆灰塵と成せ――――――!」


パーティーメンバーの一人。魔剣士アルマ・F・ハールが、両手にそれぞれ握った片手剣と短杖で、魔物の群れをなぎ倒していく。

恵まれた身体能力から繰り出される一撃は、フロアボスである石造りのゴーレムの装甲も、まるでバターのように容易く切り裂いていた。

短杖から魔力の剣が消え、輝きの残滓が宙に舞う。閃く剣閃には見る者を惹きつける魅力があった。

自然、感嘆の吐息が漏れる程に。


「全滅、か」


「ハッ……ハアッ、ゼェッ、グ……」


しかしアルマの肩は激しく上下し、一見しただけで消耗していることが見てとれる。

無理もない。クリブスの援護も待たずして、一人で突撃を繰り返しているのだから、消耗して当然だ。

これまでの道中ほぼ全ての戦闘場面を、アルマは一人でこなしていた。

アルマもまた罪悪感を抱いているのだろうか。ナナシ達と別れる際に彼らへと道具を分け与えていたのは、アルマであった。それは支援を受けられない前衛職達が、迷宮内で日を跨ぐには、厳しい量でしかなかった。

全力を振り絞るような奮闘振り。付与魔術師という存在が何のために居るのか、よく考えて欲しいものだ。クリブスはそう小言を漏らしたくなったが、飲み込んだ。

焦りによる責め合いは、パーティーの崩壊を招く。独断行動はなにも実際に戦闘行動を行う最中に起きるものではない。意見のぶつけ合いもまた、パーティーメンバーが揃った中で行わなければ、思わぬ場所で危険が噴出することになる。

だが、こうまで自らを責めるようなアルマの戦い方を見せ付けられたのなら、苦言を言いたくもなる。


「アルマ、飛ばしすぎだ。ペース配分を考えて、僕の詠唱が終わるまで温存するんだ」


「……すまない、ハンフリィ。その提案は受け入れられない」


アルマは言葉を途中で遮り、背を向け歩き始める。滴る汗も拭わずに。

明らかな拒否の意。クリブスの神経を逆撫でするには十分だった。

不安定になっている。アルマも、自分も。


「待つんだ。次は僕が先頭を歩く」


「いや、いい」


頑ななアルマの態度に、クリブスは片側の瞼を閉じる。


「申し訳ないとは思っている……。だが、私が戦った方が効率的だ。早く彼らを見つけ出さねば」


汗で張り付いた銀色の前髪を払い除けるアルマ。

目深にベレー帽を被り直している所、罪悪感は感じているようだ。

長く伸びた二本の真紅の角が、帽子の下へと縮み、隠されていく。

アルマは気まず気に視線を逸らし、クリブスを見ようとはしなかった。

クリブスの喉から細く深い溜息が吐き出された。ナナシ達と早く合流しなければならないことは、解り切ったことだった。

このパーティーの精神的支柱は、ナナシだからだ。

リーダーとは言え、クリブスはただ司令塔として機能しているだけだ。

ここで述べておかねばならないのは、その事実に対しクリブスには、嫉妬も妬みもないということだ。

カリスマ不足を突き付けられている形だが、クリブスがそれを恥じ入ることはない。

“冒険者のリーダー”にとって必要な資質とは、知識と経験であるのだから。

リーダーの条件とは指導者ではなく、参謀であることを享受できる者だ、というのがクリブスの持論である。

元々、パーティーリーダーを務めることをクリブスは了承しておらず、ナナシ達とパーティーを組むことも拒否していたのである。

皆をまとめ上げ一つにするのは、副リーダーがすればよい。このパーティーでは、ナナシがその役割を担当している。

そしてナナシはその役割を見事に果たしていた。

クリブスもまた、ナナシの存在を頼りとし、心の支えとしていた。

アルマもそれを理解しているのだろう。

魔剣士とはただの称号に過ぎない。アルマの(ジョブ)は、正確に言うなれば、兵士である。

アルマは兵士という、大多数への滅私奉公を強いられるジョブであるにも関わらず、その関心のほとんどがナナシへと向いていた。

生まれついた故郷の加護神故に、兵士職を選ばざるを得なかっただけで、むしろその精神は騎士に準ずるものだとクリブスは思っている。

騎士は主を仰ぎ、自身の心的な神とすることで、神に等しい主を守るために力を発揮する職である。

アルマのナナシに対する感情は、騎士のそれに近い。

だが、アルマは兵士だ。騎士とは違う。具体的に忠誠心という形を示すことはできない。

アルマは心中で主と思っている人物に対し、何も返すことができないのだ。戦力と言う形でならのみならず、だが。

ナナシの側に侍っている鈍色を見る視線にも、時折嫉妬の色が混じるのをクリブスは知っていた。

だからあんなにも必死になっているのだろう。自らが捧げられるのが武力のみであるが故に。

現に、アルマのパーティーでの役割は剣と魔法の融合である魔法剣を用いての強襲掃討、中衛である。その本来の役割は、クリブスという後衛魔術師の詠唱時間を稼ぐ所にあったはずだが、ナナシとはぐれた今は突撃ばかりを繰り返している。

ナナシや鈍色のような突撃と壁役を繰り返す前衛を請負うには、本来相性が悪いはずなのだ。それはアルマとて解っているはず。

しかし焦りが勝り、アルマは突撃思考に陥ってしまっている。

仲間を想う心、と言うにはいささか個人的すぎる感情だろうが、人の心配をするあまり自分への配慮が疎かになっている。そんなところだろう。

なるほど、なるほど、大いに結構。

クリブスは肺の空気を絞り切り、得心する。

それだけパーティメンバーのことを考えられるのだから、素晴らしいことではないか。リーダーとしてこれほど喜ばしいことはない。

だが、しかし。


「止まれ、アルマ」


「……っ! 何だ! 早く行かねば、ナナシ様達が!」


「様、か。いいから黙って話を聞きたまえ。これは“命令”だ。兵士アルマ=F=ハールよ。命令だと言った。解るな?」


クリブスにもリーダーの矜持はある。

強い口調でアルマへと命を下す。兵士の加護神である神兵アルタナの課した誓約により、兵士は上官の絶対命令に逆らってしまえば、レベルが10低下するという特性があった。

学生でしかなく正規兵でもないアルマにとって、10ものレベルというのは大きすぎる痛手だろう。これだけの能力の低下ペナルティを喰らっては、仲間を助けに向かいたくとも、どうにもならない。

卑怯な手だが、これでアルマは話を聞かずにはいられなくなったのだ。


「ぐっ……!」


「アルマ、君の焦りは解っているつもりだ。きっと僕も、同じ気持ちなのだから」


「ならば!」


「だがしかし、しかしだ! 僕たちはパーティーだ! たった二人しかいなくても、それに変わりはない。僕の“指示”には従ってもらう!」


「……それは、命令か?」


「言っただろう、指示だと」


「……クリブス」


「もう一度言うぞ。僕たちはパーティーだ。リーダーが判断を下し、君たちは従う。そこに例外を挟んでしまったら、一体何のためのパーティーか。指令系統は徹底してもらおう。

 悪いが、僕は仲間の信頼関係とは、仲間の指示を黙って聞けるか否かであると、そう考えている」


アルマはぐっと黙り込んだ。

クリブスの言う信頼関係は、個々人の間に結ばれる絆ではなく、パーティーという組織としての側面を捉えたものでしかない。

しかし事実でもある。立場上のみの命令系統を正しいと信じ、命を掛けて従うということは、そこに信頼関係が存在しなければ成り立たないことだ。


「僕を信じてくれないか。早急にナナシ達と合流してみせる。この探索を成功させる。僕の判断は正しいのだと、君が僕を仲間だと思ってくれているのなら、頼む」


「……その言い方はずるい。それでは、止まらざるを得ないじゃないか」


ようやくアルマはクリブスへと向き合った。

冷静になれたようだ。ナナシ達を見つけ出す前に、自分達がやられてしまっては元も子もないということに気付いたのか。

アルマは顎下から滴っていた汗を拭う。眼球が正常な色(・・・・・・・)へと戻っていく。

クリブスは安堵と疲れで大きく肩を落とした。メンバーの精神ケアがこれほど面倒だとは。

なるほど、ナナシは日々こんな苦労をしていた訳だ。やはり自分には参謀役が肌に合っている。


「それで、私はどうしたらいい? 指示をくれ、リーダー」


「ああ、そうだな……。まずは戦闘面での話だ。僕が詠唱している間、君には――――――」


アルマへの指示は簡単なものだった。

不必要な戦いは避け、戦闘時も無謀な突撃はしないこと。クリブスの詠唱に合わせ、攻撃と防御を使い分けること。

それだけだ。

後は自己判断で調整出来るだけの実力がアルマにはある。仲間の能力を正確に把握出来ることもまた、仲間としての信頼関係の現れの一端なのだろうか。

クリブスの短い指示。たったそれだけで、アルマの動きは大きく変わった。

中衛後衛の突破力に欠ける構成にしては、効率的に魔物を倒していく事が出来るようになったのだ。

いや、あるべき役割があるべき場所に戻っただけだ。この結果は本来、当然のものと言えた。

それを可能とするのがクリブスの役割。そして、力である。

クリブスの付与魔術(エンチャント)とアルマの魔剣が合わされば、この階層で敵わない魔物など、無い。

そしてアルマには切り札もある。今回は出し惜しみをしてはいられない。


「――――――天魔降身!」


アルマのベレー帽が今一度、“内側から伸びた真紅の角”に押し上げられ、地に落ちた。

くぐもった唸り声を上げ、アルマは“変身”を始める。

アッシュブロンドのボブは濃紺へと髪色を変え、その長さも腰の中頃にまで伸びていく。その腰からは、細長い尻尾が飛び出した。

肌が薄黒い青へと染まっていく。黒く濁った双眸からは、金色の光彩が輝きを放っていた。

アルマの容姿を知る人物に、これがアルマだと言っても、誰も信じまい。

だが、これこそがアルマの真の姿だった。

数瞬後、その場に立っていたのは常のアルマではない。この世でもっとも邪神に近い種族、魔人族の姿が、そこにあった。

そう、アルマは純人族と魔人族のハーフだった。

身に流す魔力の切り替えにより、体組織をより魔人に相応しいものへと組み換えることで変身。戦闘力を爆発的に飛躍させる。これがアルマの切り札である。

この姿は、クリブス達パーティーメンバーにしか見せない姿だった。

アルマが兵士と為らざるを得なかったのは、その身に流れる血の問題、人種差別によるものなのだから。

さもあらん。クリブスはそう思ってしまう。

亜人族は、その容姿に流れる血が色濃く反映してしまうのだ。

例えばクリブス自身がそうだ。

父方の先祖の血が濃かったクリブスは、ナナシ曰く、見た目が「鳥頭」そのものである。

腹違いの兄姉達は、純人族に近い外見をしていた。背中に生えた羽を見なければ、純人族と見間違えるくらいには。

鈍色もそうである。

彼女の場合、外見は大きく純人族と異なることはなかったが、その声帯は全く別のものとして生れてきたらしい。

彼女が人語を話さないのは癖でも何でもなく、発声という行為そのものが出来ないからなのだ。

千年前の大戦以降、人種の隔たりがほとんど消え去ったはいいが、このようなある種遺伝病のような事例は事欠かないようになっていた。

遺伝というよりも、その血に流れる神の加護が原因となれば、どうにもならない。

よって、取り立てて大きな問題とはなっていないのが現状である。

別段それは普通のことであるからだ。これをナナシに説明しても、何度も首を傾げてはいたが。

だが、アルマの場合は事情が違う。

アルマの容姿は、魔人族の中でも特別なものだった。

黒金の眼、青い肌と尾、そして真紅の角。

それは、伝説に残る邪神の姿。

千年前の神魔大戦の折、幾つもの加護神を屠り、世界を滅亡の一歩手前にまで追い込んだ邪神の一柱、その姿によく似ているのだ。

なるほど、これでは生きていることさえ認められまい。

容姿が邪神と似ている。ただそれだけで、邪神の加護を受けている、世の滅亡を望んでいると取られても、仕方の無いことなのだから。

アルマに対し同情が湧くが、クリブスから何かを言うことはない。

クリブス自身の問題もある。考えを割くには、余裕がなかった。

ナナシ以外を、亜人族の負の問題を抱えるメンバーで構成されたパーティー。それが自分たちのパーティーの正体である。

ナナシの存在が精神的支柱となっているのは、色濃い差別や侮蔑の思想を、彼が全く持ってはいないから。そのような人物は、自分たちにとり、非常に稀有な存在であったからだ。


「リーダー、詠唱を頼む」


「解った」


アルマが真の姿を続けて露にした理由が、あの曲がり角の先にあった。

濃厚な魔物の気配。大群がすぐそこへと押し寄せて来ている。

クリブスの返答を耳に、アルマが通路の先へと、手鏡を投げ入れた。

鏡面に映る炎の揺らめき。火トカゲ(サラマンダー)達の群れ。


「精霊達よ、我が声に集いし凍てつく氷の刃と為れ。魔術付与(コンジール)剣製保護(カヴァーエッジ)


クリブスはすかさず氷雪効果付与呪文を選択。発動させる。

瞬く間にアルマの持つ片手剣へと凍て付く魔力が集い、極寒の冷気を発し始めた。

アルマは短杖を一振りし魔力刃を発生させると、青白い輝きを湛えた片手剣と共に、身体の前で十字に重ねるよう構えた。

剣と魔法刃による二刀流。これがアルマの戦闘スタイルである。


「行け、アルマ! 討ち漏らしは任せろ!」


「了解した!」


頷き、敵陣へと切り込むアルマ。

先頭の火トカゲの首を跳ね飛ばし、続く後列の魔物へと向け跳躍。左右の魔物達は端から無視。

ほどよく(・・・・)敵を残す戦い方は、クリブスの魔術による援護を見越した体捌き。闇雲に突撃殲滅を狙わぬ戦闘法は、自身に掛かる負担の軽減を意図したもの。

なまじアルマ単体で全滅させてしまえるのだから歯がゆく感じるのかもしれないが、長期に渡る迷宮探索では、ペース配分が最も重要になってくる。

雑魚に全力を出す必要などない。

見る間の内に魔物の群れは数を減らしていく。


「ふむ、こんなものかな」


「……早い」


「当然だ」


魔物の気配が消えた事を確認し、周囲を見渡しながら肩を竦めるクリブス。

アルマは十分に余力を残しているというのに、一人で全力で戦っていたよりも数段早く片が付いたことに、驚きの表情を見せていた。

これがパーティーの相乗効果である。それが、クリブスがナナシから学んだことである。


「一人はパーティーのために、パーティーは一人のために。ナナシはそう言っていたか」


「ナナシ様が……なるほど」


アルマは神妙な顔をしてしきりに頷いていた。

いつか誰かに「ナナシが言った」と騙されて詐欺に会うのではないか、と心配になるクリブスであった。

自分に従ってくれるのも、ナナシの影響が大きいのだから複雑だ。


「さあ、探索を続けよう」


「了解した。しかし、この階にはいなかったか」


「組み換えが終わってすぐだからな。だが気にすることはない。彼らは無事さ」


「何故そう言い切れる? 少人数で迷宮に挑んだ場合、難易度が跳ね上がることは理解しているだろう」


「そんな簡単に死ぬ奴だったら、僕は未だにソロだったよ。あいつが僕達のパーティーの副リーダーだということ、それが証拠さ」


「……信じて、いるんだな」


アルマの言葉に肩をすくめることで返答する。

ナナシも、一癖も二癖もあるこのパーティーのまとめ役を負っているのだから、並みの人間ではあるまい。

爪弾き共を集めた最終クラスに所属している時点で、自分達も同じようなものだが。


「先を急ごう。今度こそ先頭は任せたぞ」


「了解。進路警戒。戦闘に入り次第、一端下がらせてもらう」


「連続で変身するのは負担が大きすぎるか。そうしたまえ」


アルマとクリブスは二人で周囲を警戒しつつ、歩を進めていく……だが、直ぐにその歩は止まることとなった。

異変。本能が、強大な敵性存在への恐怖を訴え掛ける。

あの通路の先、小部屋に繋がる鉄扉の先に、何かがある。


「……血の臭いがする」


「……これだけ濃い血の匂いだ。一人や二人どころじゃないぞ」


瞬間、むせ返る程の異臭に迷宮内が満たされる。

それは冒険者にとっては嗅ぎ慣れた匂いだった。

即ち、血臭。死の臭いである。


「どうする、リーダー」


「ナナシ達との合流を待つべきか……いや、先に進むしかない、か」


クリブスが呟くと同時、迷宮内が明るく照らされる。

背後から迫る魔物達の気配。火トカゲの群れだ。

それも、尋常な数ではない。先の魔物達の倍の数はいる。


「この魔物の湧き方は……どうする、リーダー! 判断を!」


「これは、まさか……罠なのか?」


迫り来る魔物。

閉所へと追い詰められていく。

生き残るにはこれらを殲滅するか、あるいは扉の先に逃げ込むしかない。

クリブスが判断に躊躇するのは、これが恐らくは罠であるからだ。

こうして獲物を追い詰める、追い立てるような行動を制限する罠は珍しくない。

そして、追い立てられた先は破滅が大口を開けて待ち構えているのが常だ。

前門の虎、後門の狼。果たして自分たちにこの状況を打破出来るだろうか。


「……部屋に突入しよう。アルマ、頼めるか?」


「了解。アルマ=F=ハール、先行する!」


勢い、アルマは扉を蹴破る勢いで開け放った。

クリブスもアルマの後ろに続き、小部屋に突入する。後ろ手に締めた扉から、焔の粉が舞って出た。

危機一髪か――――――そう胸を撫で下ろすには、まだ早い。

最初に視界に入ったのは、食い散らかされた生徒達の死体。

次に、そこいら中に散らばった手足が作る、朱色をぶちまけたような水溜り。

ああ、ここは地獄だったのか。


「馬鹿な……」


唖然と紡がれた言葉が、自分の喉から発せられたものであるということに、しばらく気付くことは出来なかった。

アルマも呆然として、“それ”の“食事風景”を眺めている。

現実逃避をするのは止めよう。

“それ”を注意深く観察する。

獅子の頭。

鬣の如く蠢く蛇の頭。

猛禽類の上半身に、爬虫類のような下半身。

時折羽ばたくコウモリの翼。

クリブス達の眼前で、混成獣『キマイラ』が、咀嚼音を響かせながら生徒達の臓物に頭を突っ込んでいた。

闖入者に目もくれもせず、一心に血肉を貪っている。信じられぬ光景であった。

魔物の中でも上位に数えられるキマイラ。ともすれば英雄譚に登場するような魔物である。

いくら迷宮に湧く魔物の強さは一定ではないとはいえ、こんな強力な魔物が学生用に管理された迷宮に出現するだろうか。

例年、思い出したかのように高い難易度の試験が行われる年がある。国家資格の価値を高めるために、資格取得は容易ではないと、“落とす”ことを目的とした試験だ。

言わずもがな、落とされるのは命である。

人為的な、あるいは神為的な手が入ったのではないだろうか。外れの年を引いたか。クリブスの脳裏にいくつもの考えが浮かんでは消えていく。

しかし、此処にキマイラがという事実は認めねばならない。

ふ、と咀嚼音が止み、キマイラが顔を上げた。血濡れの、醜い顔。

その瞬間、言い表せない悪寒が体中を這い回った。

これは、見定められている。

食した味を――――――。


「……天魔、降身」


静かにアルマが変身を始める。

アルマも言い表せぬ感覚を、この瞬間にも感じているはずだ。唯でさえ青い顔を、さらに真っ青に染めていた。

キマイラが口蓋を開ける。

――――――咆哮。

身体が竦み上がり、動きが制限される。

鈍色の咆哮(ハウリング)と同じスキルだと判断する。

スキルとしての咆哮(ハウリング)は、対象が自身に恐れを感じている場合、その効果を増大させる特性を持っていた。

つまりは、クリブス達の体を這いずるこの感覚の正体は、恐怖である。


「――――――ナナシ」


知らず口をついたのは、ナナシの名。

彼の名を呼んで、何になるというのだろうか。

謝罪の言葉でも述べようと思ったのだろうか。

――――――何に対しての?

決まっている。

彼らを置いて、“リタイア”してしまうことに対しての、だ。

願うことならば、ナナシ達には今すぐにこの迷宮を脱出してほしかった。

だがそれも叶うまい。

きっとナナシ達も自分と同じく迷宮探索を続け、この場に辿りついてしまうだろうから。

キマイラが猛烈な勢いで突進を仕掛けて来る。

それは、明確な死の具現であった。


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