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完全装鋼士 : レベル0  作者: ノシ棒
第3章 ―神撃編:放浪―
47/64

地下42階

無名戦術を語る際、切り離せない問題の一つとして、その発祥の不明確さが挙げられる。

現在では広く認知されている無名戦術であるが、その“起こり”は未だ武術という概念の存在し得ない時代、第五次大陸大戦末期であると考えられて来た。

武の開祖として崇敬される『武神アウレイア』――――――この場合の神とは、もちろん人物への評価を指す言葉だ――――――が生きた時代である。

無名戦術門下生幹部会、数撃かずうち達に言わせれば、アウレイアこそが無名戦術の創始者であり、鍛鉄の武の担い手であると主張するだろう。

アウレイアが記した書、無名覚書がその証拠であると。

しかし、その言には疑念を呈さずにはいられない。

これは書の真偽を疑っているのではなく、アウレイア本人によるものかなどという問答でもなく、その中身についてのことだ。

というのも、書に記された内容物が、あまりにも雑多すぎるからである。

戦闘技術についてはもちろん、その思想にまで言及した書。それが無名覚書である。

言葉にすれば簡単だが、その実はあまりに難解難入、奇怪としている。

元々武術とは、人が人のみの力でもって戦わねばならなかった時代に発生した技術だ。

技術の黎明期に相応しく“まとまりがない”のは当然である。だが、その必然性を吟味しても、おかしな点があった。記された論点の、その方向性が問題なのだ。

闘いの神髄とは即ち戦力を最大効率で運用することにあると、無名覚書には記されている。

しかし、猫虎族であったアウレイアがこれを記したとなれば、ここに矛盾が生じるのである。

当時は神意が失われてから時が経っていなかったとはいえ、アウレイアは猫虎族の人間。その身体能力は、例え加護が消え失せたとしても、他種族のものに比べれば言わずもがなであっただろう。

そんな身体的に優れた種に産まれたアウレイアが、“わざわざ自らの性能を落してまで”、技を用いる必要があったのだろうか。

同書に記された無名戦術の技術は、おおよそ全てが、どっしりと構えた受け身を基礎としている。攻め気を発したとしても、それはいわゆる“後の先”を取るスタイルとなっている。

それがつらつらと“未完成”の技術としてずらりと並んでいる。全ての項目に改良の余地有り、と締め括って。

当時の、生存に全てを賭けねばならなかったような時代に、このような“試行錯誤”などしている暇などあったのだろうか。

鈍重である身体操法は、あたかも身体の弱い、純人種が扱うことを前提としたようなものに感じる。

つまりは無名戦術とは、猫虎族の身体性能を十二分に発揮し得ない技術であるのだ。

“生き残るため”に編み出された技術、そして時代背景であるというのならば、これではあべこべではないだろうか。

地対空技など、その最たるものだろう。

普通に飛びあがって、叩き落とせばよいのである。猫虎族にとり、そんなことは容易に可能であったはずだ。

わざわざ構えを取り、体幹を整え、接地面を確認し、打突面を合わせ、手足の反動を付けて踏み切りを――――――などと。

そんなことを逐一考える必要などなかったし、そもそんな発想が猫虎族に生まれること自体が不可思議なのである。あるいはアウレイアが、もはや種の波に呑まれた純人種であったなら納得出来ただろう。

常人ならざる発想こそがアウレイアが天賦の才を持つ者であったことの証明に他ならない、とするならば、そうなのだろうが。

ただし、戦力の最大効率運用の思想からは、大いに掛け離れることである。

この矛盾を解消することは出来ない。

無名戦術はアウレイアのように生まれつき強者が振るう技術には、編み出した技術には、あまりにも非力過ぎたのである。

どう考えたとしても理論的に、速力も膂力も、何もかもが猫虎族よりも劣った種族によって編み出されたとしか考えられない戦闘技術であるのだ。

無名覚書に記されたそのほとんどが、猫虎族に“相応しからぬ”身体運用法と構成であると気付いたのならば、同じ疑問を抱いた者も少なくはないはず。

もしかしたらアウレイアは別種族の出身であったのでは、という説さえ出るほどだ。

同書の後半からは明らかに多種族に向けた技術考案がなされ、またそのように変化していっていることから、このように雑多過ぎる内容となっているのである。

“まとまり”がないことは仕方のないことであるが、それにしても技の発展の“クセ”に一貫性がないことは理解し難いことだ。まるでちぐはぐである。

無名戦術とは戦後の混乱を静定するための、対人防衛戦術ではなかったのだろうか。

これは本当に仮定の話なのだが、もしかしたら、無名戦術は魔物と戦うための――――――いいや、それはないだろう。

いくら武装していたとはいえ、レベル補正の無い、真に生身で魔物へと立ち向かうなど。

正気の沙汰ではない。

……無駄な論述を講じて申し訳なかった。忘れて頂きたい。

無名戦術の戦闘技術において講じるのは、ここまでにしよう。

今回は、その“起こり”についての話である。

話を戻そう。

近年になり、戦火によって散逸してしまったかに思われた当時の資料が発見されたことは、誰もが知る所であるだろう。

そして研究が進むにつれ、面白いことが判明したのである。

それは、当時の『私立冒険者教育機関ヴァンダリア学園』に無名戦術の担い手、即ち数撃かずうちが在籍し、教鞭を振るっていたということだ。アウレイアもその教え子の一人であったという。

アウレイアが無名戦術の開祖、総帥である真撃しんうちであるとすれば、ここにもまた矛盾が生じることとなる。順序があべこべなのだ。

ならば、アウレイア以前に武を研鑽し、無名戦術として鍛え上げた者がいたと考えるのが自然であるだろう。

つまり、アウレイアは後に続いた者であるのだ。同書の内容がちぐはぐであるのは、それが師から受け継いだものに改良を加えていったからに違いない。

そう、無名戦術覚書の、その後半部分からが“アウレイアのオリジナル”であった、と考えるのは愚考であるだろうか。

となれば、無名戦術の発祥がいついかなる時に由来するものであるかは、定かではなくなる。

人間が己の肢体のみを駆使して戦う技術は、果たして誰によって開発されたのか。

……さて。

ここで登場するのが、かの大逆人である。

『天鎧皇』、『放神鎧悪』、『内獣外鎧』……その他諸々の悪名。彼に関しては、ことさら説明することもないだろう。政治雑誌でもなし、ここに詳しく記すこともはばかられる。

世が世であるならば、こうして名を記すことさえ許されなかった大陸史上最悪のテロリスト、『名無し』その人である。

ことさら説明することもないとは述べたが、それ以外に語るべくことが無い、というのが実のところだ。

語り尽くされた悪名は、彼の人格やそれまでの経歴全てを覆い隠してしまったのだ。その名までも。

罪科として名を奪われたのか、それとも初めから名無しであったか――――――流石にそれはないだろうが――――――かくして名無しの男となった彼であるが、語られる悪名に比べて意外にもその人となりはようとして知れない。

老人であったとも言われているし、青年であったとも言われている。人間ではなかったとも。

伝わっているのは、悪逆非道の外道人であるとだけ。彼個人に関する記録の全ては、闇に葬られたのだ。

ただ、名無しの行った破壊活動は、史上最悪の名に反することがないことだけは確かである。

軽く挙げただけでも、以下の通り。

民衆への恫喝に始まり、都市施設破壊、国軍に対する妨害工作に、王城への単騎突入、近衛兵の殲滅、そして――――――王の殺害。

新政府が設立し、ようやく世情も安定に入ってきたかという時に、これだ。

大陸が再び大混乱に陥ったことは、言うまでもない。

しかしこれらも、次の名無しによる世界規模のテロリズムに比べれば、可愛いものだ。王族への狼藉を小さき問題とするのはいささか不敬が過ぎるが、この場合は仕方なかろう。

なぜならば、名無しは歴史上唯一無二の大罪――――――『神墜し』を為してしまったのだから。

大質量が墜落したことによる物理的な被害は甚大。

それ以上に、どのような悪魔的方法を用いたのか、神性を人が滅ぼしてしまったことが問題であった。

人如きの小さな存在が絶対者を地に叩き墜とすなどという、真に神をも畏れぬ行いが、神々の逆鱗に触れたのである。

こうしてカスキア大陸は、神に見放された地となったのだ。

大陸に遺された民衆の恨みたるや、錚々たるものであったはず。

かような大逆人と武神との間に、一体どのような関係があるというのか。

ここで思い出されるのが名無しの、老人であったか青年であったか、男であったか女であったか、明らかではない外見のことである。

名無しの姿形が不明瞭な理由、それは彼が公の場に出現した際には、全身をくまなく鎧で包んでいたからだ。

それも、唯の鎧ではない。

機械駆動にて非力な身体能力を補助させる、武装兵器。

そう、『機関鎧』である。

そしてアウレイアの装備もまた、部分的ではあったものの、機関鎧であった。

先に述べた通り、生まれつき強靭な肉体を持っていたアウレイアが機関鎧を纏っていた理由とは、如何なるものだったのだろうか。

『名無し』と『無名戦術』。

そして『機関鎧』。

これらの相似点と、新たに発見された資料のみで両者を結び付けるのは、強引な論法であるだろうか。

十分に議論の余地があると、私は主張したい。

……ただし、初代学園長である『龍桜貴人』のデスクに残されていた走り書きがその資料だった、とすれば、そも情報の正しさを問われることになるだろうが。

しかも内容が支離滅裂な要領を得ないものばかりで――――――有り体に言えば、かなり“愉快”な内容で――――――所々が破かれてもいる。

公のみで私など存在せぬとさえ称された計算高い人物が、そんな私的なメモを残すとは、考え難いではないか。

これは後世の者による悪戯である、というのが現在の研究による見解である。仕込み、というやつだ。

冷血鉄血を地で行くような龍姫が、こんな乙女のような妄想を垂れ流していたとしたら、面白かろう、という。

かの大逆人と聖母とが、拙い恋心によって結ばれていたならば、面白かろう、という。

マスメディアの誇張があったことも否めない。

秘められた慕情。許されざる恋。物書きならば、垂涎の題材だ。

今後も研究が進むにつれ、更なる資料の提示と解釈とが明らかとなり、新たな歴史として刻まれていくことは間違いがない。

どうか曇りない眼で、真偽を見定めて頂きたい。

次々と明らかになる資料。そこに含まれる情報の中に、きっと真実は隠されているのだから。

しかし、しかしである。

もしも大逆人と武神とが、師弟関係にあったなら――――――。

ここで、「面白かろう」、などと書き記してしまうほど命知らずにはなれない。

そんな迂闊を踏んでしまえば、いかに温厚篤実な数撃かずうち諸君であったとしても、怒りに震える拳を隠すことは出来ないだろう。

表現の自由が保証されているとはいえ、何でもかんでもぶちまけて良い訳はない。

配慮も遠慮も無い文を読まれ、ああ考慮も無いのだな、とは記者として思われたくはないものだ。

ただ、これまでの創作家達がそうしてきたように、夢想することは許して頂きたい。

文字として起こしてしまえば責任を取らねばならないが、この頭蓋の中だけは唯一自由な世界であるのだから。

外道と王道とが交わったその瞬間――――――彼等の出会いとは、どのようなものであったか。

想像は膨らむばかりである。



――――――『新暦578年発刊・月間:冒険者・特集:無名戦術の謎に迫る』――――――より引用。





■ □ ■





面倒なことになった。

男は地に伏せた少年を一瞥し、息を吐いた。

それはさも面倒だと言わんばかりの、疲れに満ちた溜息だった。

そもそも、今回が初めてのことではない。

放浪の最中、あるいはもっと以前より、そもそも最初から、男は自分の内面がどこかボタンを掛け違えたかのようにズレたことを自覚している。

ヒューマニズムは絶えてはいないため、悪いことに、窮地に陥っている人を見捨てることが出来ず、偽善的にこの兄妹のように救ってしまうこともしばしばだった。

そして結果が、救われた、と思い込んだ者達による縋り付きだ。

男の中に、希望を見るらしい。

救われた側からは無理からぬ話ではあるが、自己満足というよりも自己治癒のために人助けをしてみたというような正義感の欠片も無かった男にとっては、迷惑なだけだ。

隊列を乱し、突出した馬鹿をゲリラ戦術で刈り取っていくのがやり方だ。今回だって、村が焼かれ、大方人が死に絶えた後になって、ようやく重い腰を上げたのである。

男は見ていたのだ。

兄妹の家族が、隣人が、友人達が殺されていく様を。

そして、略奪行為に夢中になっているお貴族達を、後ろから一突きで仕留めていった。

兄妹達を襲っていた貴族が最後の一人である。

戦うに良いタイミングとなるまで、虐殺を黙認していたのだ。茂みの中に身を隠し、息を潜めて、じっと見ていたのだ。

男がもっと大胆であったならば、救えた命であっただろう。だが、男は臆病だった。

つまりは、そういうことだった。

村人達を、男は見殺しにしたのである。あるいは、自らの殺戮のために、囮にしたのだ。

男に頭を下げて懇願する少年の行い、男にすればてんで見当違いのものでしかなかった。

罪悪感も感じる。勿論、純粋に面倒臭さも感じている。

こんな時は、いつも黙って立ち去る。それに限る。その後、幼子達がどのように生きていくかまでは、面倒は見切れない。

無責任と言うなかれ。初めから自分本位なのだから。


「僕を、弟子にしてください」


「……なんて言った?」


男は怪訝そうに問うた。

煤と泥だらけになった手と顔で、さらに土で額を汚して少年は叫んでいた。

男は“仕込み”杖を地に突くと、先を促すように手を振った。

背中には小さな重みがある。幾分かは血色が良くなった少年の妹が、小さく浅い呼吸を繰り返していた。


「僕を、弟子にして下さい」


少年の口から今一度放たれた言葉に、男は簾の様に伸び切った前髪の奥で顔をしかめた。

視線は決して寄こさずに、前を見据えたまま。

意識は残したまま、聴覚のみを傾けるという何とも器用な真似をしつつ。


「血の臭いに誘われて来たか」


少年の言葉を遮るようにして、男は吐き捨てた。

刃鳴りの音が聞こえた時には、魔物の死骸がまた一体、量産されていた。


「死体を埋め終えたら、さっさと此処を離れるんだな。こいつらは偵察用の、コウモリ型の魔物達だ。部隊が戻らないことに気付いたんだろう」


真っ二つになった大型コウモリのような魔物が、一つ、二つ、地に落ちた。

奇妙な光景だった。

男が抜く刀も、収める刀も、別段に速いという訳ではない。

しかし、男があらかじめ空を飛ぶ魔物達の動きが解っているかのように刀を突きだすと、そこに面白いように“するり”と魔物たちの胴体が吸い込まれていくのである。

まるで身投げ……刀身自殺だ。

魔物の血を吸った刃がぬるりと輝くのを、少年は喉を鳴らして見入った。


「僕を、弟子にして下さい」


もう何度目になるかわからない台詞。

男が救った兄妹、その兄の方は、緊張した面持ちで言った。


「なぜ、俺に言う」


心底解らないといった風に、男は尋ねる。

少年は決意を込めた様に、一瞬息を吸ってから答えた。


「強くなりたいからです」


「俺が強そうにでも見えたか」


「いいえ」


少年は男をまっすぐに見て応えた。

その目は嘘を吐くまいとした誠実な、ある種悲壮な輝きを宿していた。


「頼めば、きっと教えてくださると、そんな方に見えました」


「……土下座すればやらせてくれる、か。言ってくれる」


つまりは「ちょろそうだった」と、少年は言いたいのだろう。

隠さずに話したことは評価出来るが、それだけでは頷けない。


「力、つまり、こいつを身に付けたいってわけだ」


男は飛んでいたコウモリ型の魔物に手刀を叩き込んで言った。

背に負ぶった少女に衝撃が行かないようにしているのは、男の技である。


「何のために」


「……生きるため、です」


言い淀んだ少年に、男は頭を振った。


「やめておけ。安全な場所にまで連れて行ってやるから、全部忘れて、暮らしていけ」


「安全な場所なんてないですよ……!」


少年の声には解っているだろうと、責めるような音があった。


「皆死んだ。皆殺されてしまった。だから僕は、生きなきゃいけないんだ……!」


「そうだな。だから、そいつはもう、捨てていけ。全部終わったことだ。こんなご時勢だ。生きてるだけで、もういいだろう」


「よくない!」


劇的な反応だった。

男に噛み付かんばかりに、少年は詰め寄る。


「息を吸って、吐いてるだけなら、そんなのは死んでるのと変わらない! 貴族の奴等が言っていた、家畜と同じだ! あいつらの思うとおりになんてなりたくはない!」 


「そういう意味で言ったんじゃない」


男は再び頭を振った。

この世界の人間の命は軽い。金で買えてしまう程に。

だからこうして、彼らは死んだのだ。

市民権を買えなかったが故に。邪教と判断されて。

家畜よりもなお残酷に、楽しむためだけに、狩り殺されたのだ。


「何でもします。何でもしますから! だから、どうか!」


「駄目だ」


「ついてくるなと言われても、後を追います。頷いてくれるまで、僕は諦めません!」


「駄目だと言っている」


「何故ですか! 決してあなたの迷惑にはならないようにします! 足手まといだというのなら、囮にしてくれて構いません」


少年は拳を握り締めて言った。


「皆をそうしたように……!」


気付いていたのか、と男は言えなかった。


「何と言われようが、駄目だ……お前に才能がないからだ」


苦し紛れだった。卑怯な言い訳だった。

余程の自信家でなければ違うとは応えられないだろう。才覚とは、己で証明することでのみ示されるのだから。

そしてそれは、少年に余す事無く伝わった。

ギリ、と食いしばった奥歯が鳴る音が聞こえた。


「なら、テストしてくださいよ」


少年は、ならば才覚を証明すると決めたようだ。

ぐっと握り締めたままの拳を双つ、顔の前に構えた。

幼い、しかし確かな決意を込めた、戦いの構えだった。


「正気か? 妹も放っておいて……見ろ」


頭上では、異常を察知した魔物の群れが。


「飛び去っていったな……こいつらは本当に趣味で人狩りをしていたんだろう。近くに部隊は無かったが、それでも急いで離れなければ足が着く」


魔物達は円を描いてぐるぐると滞空すると、端から遠方へと飛び去っていく。

報告に戻っていったのだろう。通信機器を作動させるものがいなくなれば、こうして人力……魔物の力に頼るのは当然のことだ。

男にとって、あの通信偵察用の魔物は見慣れたものである。男が襲う部隊は、ほぼ壊滅状態にまで追い込まれることになるからだ。

相手側にとり、通信偵察用の魔物を使わざるを得なくなった状態は、それだけで緊急事態が発生している証明となる。

貴族共の調査隊が到着するまでには未だ時間はあるだろうが、早くこの場から離れなければ。


「今はそんなことをしている場合じゃ……」


「何時だって同じことですよ、そんなのは!」


正気ではないのだろう。

地面には墓穴、空には魔物達の描くとぐろ。そして焼け焦げた村人達に囲まれて、少年の思考はとうに擦り切れていた。

しかし、少年の叫びは事実でもある。

どうせ死ぬつもりならば、何をしようが、それは何時でも同じことだろう。


「だから、僕は、僕は!」


自棄になっている。

許容できない光景を見たものが自失状態に陥ることは、まま有る事だ。

その場合は、小さな爆発をあえてさせてやらなければ、収まりが着かなくなる。

男は一方的な闘争の空気に、息を吐きながら少女の身体を物陰へと下ろした。

立ち上がった無防備なその背へと、少年は雄叫びを上げ、踊り掛かる。


「わああああッ!」


猫虎族の狩りの基礎を忠実に守った飛び掛り。

手の爪を前にむき出し、全身のバネを活かした両足跳躍。

幼子であっても、確かに戦士の血を引いていることをうかがわせる矢の様な一撃。

だが男はそれを見もせずに、後ろ手に手首を毟り取ると、そのまま一本背負いの要領で少年を地に叩き付けた。


「ぎゃっ!」


肺に衝撃を受け、空気を求めてもがく少年に、男は思った。

――――――速い。

肉食獣の如く身のこなしは、流石は猫虎族のもの。

本能に則した行動は、出鱈目に見えてしかし理に適っている。

撤回しなくてはいけないだろう。

才はある。間違いなく、この少年には、戦士としての才がある。

だが。


「駄目だと言っている」


男は冷たく少年を見下ろす。

少年は愚直であった。あまりにも。

その純朴な性根は好意に値するものである。だが、これでは不十分なのだ。

例えば男のように、薄ら暗い部分がなければ。


「うううッ!」


少年は痛みを堪え立ち上がると、男の下半身に向けてタックルを仕掛けてきた。

軽い体躯での突撃は悪手だ。猫虎族の速度のも活かしきれない。

覚束ない足取りで、男の腰へと組み付く。耐久力の無さは、これは年齢からして仕方が無い。

そこまで考えて、男は瞑目した。

何故、俺はこの子供の才を計ろうとしているのか。


「無駄だ。もうやめろ」


「動……ない……ッ!」


「当たり前だ。俺とお前とじゃ、ウェイトが……」


「僕はここから、一歩も動けない!」


少年の叫びが木霊した。

男との“鍔迫り合い”を言っているのではない。

言い訳のしようがない。男は、その気迫に呑まれていた。


「ずっとここに留まり続ける! 僕も! 妹も! “ここ”からもう、どこにも行けやしない!」


頭頂部は腹部に押し付けられていて、その表情はうかがい知れない。

ただ、酷く歪んでいるのだろうことだけは解った。

それは悔しさか、それとも憎しみにか。


「生きなきゃいけないんだ! 引き摺ってでも、ここを離れなきゃいけないんだ! でも、動けない、動けないんですよ! だって僕達は、ここで死ぬはずだったんだ!」


自分達はもう終わっているのだ、と少年は叫んだ。

始めるには、踏み出すしかない。そして、そのためには力が必要なのだと。


「力がなけりゃ……僕はもう、どこにも行けない! 生きるための、力がないと! 強くならないと!」


「……強くなって、どうする」


「戦う!」


寸瞬の迷いも無い答えだった。

だが、それは。


「戦う、戦う、戦うんだ! 戦わなければ、もう、生きていられないじゃないですか!」


「それは……駄目だ。それは、駄目だ」


「じゃあなんで助けたんですか! せっかく二人で、死のうと思っていたのに!」


奥歯を鳴らしたのは少年ではない。

喉にまで競り上がった言葉を吐き出せず、苦悩する男のその顔は、少年に対しあらゆる面で優位に立つ大人であるというのに、しかしまるで敗者のように、苦渋に満ちていた。

恐らくは、男自身でさえ己の情動を説明出来はしないだろう。

男は少年の襟首を捻り上げると、また地面へと少年を叩き付けんとする。

しかし少年は、猫虎族特有の身体の柔軟さを発揮し、身体を捻り襟首を自ら引き千切って着地。

雄叫びを上げ、男へと再び踊り掛かる。


「あなただって同じの癖に――――――!」


男はその光景に息を呑んだ。

あの手、あの足運び、あの重心の移動法は――――――。

自らに無意味に挑み来る少年の姿が、何かに重なって見えた。

それは、在りし日の幻影だった。

それは、かつての己の姿だった。

男からしてみれば、正しく児戯にも等しい“それ”。

かつて男がそうであったように、改善の余地を多く残した未完成な“それ”。

“それ”は、『無名戦術』の構え。


「く、お――――――」


速いだけでは、届くには不足である。

それに術理が伴わなければ。

男の口から焦りの声が漏れ出ていた。

少年は男の構えを真似ただけだ。だが、そこにはほんの僅かながらも、術理が存在している。

幼い、虚実入り混じった体裁きは、しかし男を翻弄し始めていた。

“学ぶ”とは、“真似ぶ”ということだ。

学問のそれも同じことである。学習の本質とは、まず、先人の知恵を身に付けることにある。

即ち、手本を真似ることから、全ては始まるのである。

少年は、戦士としては未熟が過ぎた。

しかし、学ぶ者としては……“弟子”としては、これほどの理想を体現したものがあろうか。

少年の拳が男に迫る。


「おお――――――」


ゆっくりと流れる時の中、男は見た。

少年の足が、男の膝の上に叩き付けられる。

相手の足をその場に縫いとめ、自らの足場と化す術理。

少年は学んでいたのだ。

獣型魔物と戦う男の姿を見て、素早い敵の動きを止める法を。

こちらの最大戦力を確実に届かせるそれは、無名戦術奥義の弐。

対多脚型魔物用奥義、垂直蹴撃――――――『清淡虚無』。


「うおおおおおッ!?」


驚愕の雄叫び。

全力ではない。しかして本気にならざるを得ない一撃だ。

そして男は、必死であった。自覚せぬままに、心の底からの情動に突き動かされていた。

少年は、男の使った技、その術理を完全には理解していない。それを、“蹴り”であると誤認しているようだった。

男の膝を蹴り砕かんとして、踵に力を込めている。

使い方としては正しい。正しいが、術理としては間違っている。上半身が疎かになっていては、隙だらけだ。

男は身体を捻ると、少年と擦れ違うようにして体を入れ替える。

ビチッ、とゴムを捻じ切ったような、耳に粘りつく音が聞こえた。


「ひ、い、い、い、い――――――!」


少年は額を抑え、苦悶の悲鳴を漏らしながら地を悶え転がる。

抑えられた手の指、その隙間から、鮮血が溢れ出ていた。

頭頂部寄りの額。そこは、猫虎族の……獣人族の、耳朶がある場所。

男の親指と人差し指の間には、血の滴る、二等辺三角形の肉片が握り込まれていた。

それは少年の、耳であった。


「は……はぁ……ッ、ふーッ、ふーッ、ふぅぅーッ!」


「もういい。よせ」


額から垂れ落ちた血が目に入って、それでも男を睨み付ける少年の両の瞳は、朱色に染まっていた。

男は気圧されたようにして顔を歪めた。手の内の少年の耳が、重い。


「僕は……僕は……!」


「もういい! よせ!」


足は震え、呼吸は乱れ、手は肩からガタガタと揺れている。

だというのに、少年の闘志は微塵も萎えてはいない。

それは男に対する八つ当たりであるのかもしれない。憤りのぶつけどころの無さを、男へと向けているだけなのかもしれない。

男はそれを受け止めてやらねばならないと思っていた。同時に、受け止め切れないとも思っていた。

血と混じり、桜色となった涙を零しながら、少年は喉を震わせる。


「僕は、ここじゃない何処かに行きたい――――――!」


少年の叫びは、天に向かって虚しく吸い込まれていった。


「もういい……もうやめろ!」


男の声は、懇願に近い響きを持っていた。


「弟子にしてやる……してやるから……!」


瞬間、少年は膝を地に着いた。

力尽き崩れ落ちる姿は、しかし、男は情けないとは到底思えなかった。

情けないのは、俺の方だ。男は自嘲しようとして、失敗した。顔面だけが、歪にひくついた。


「僕は……アウレイア。シュゾウ・アウレイアです」


少年は涙を零しながら、男を眩しそうに仰ぎ、微笑んでいた。

その顔を、どう表現したらよいのだろうか。

男には解らなかった。

だが、10年ばかり前……男が“この世界”に初めて足を踏み入れ、傷付き、そして誰かに救われた時。

自分も同じような顔をして、同じような台詞を吐いていたような気がする。

記憶の彼方に消えてしまったことだ。

酷く打ちのめされてもなお憧れの眼で自分を見やる少年を、真っ直ぐに見返すことが出来ない。

男は項垂れ、少年から目を逸らした。

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