地下41階
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憎悪に色が有るのだとしたら、きっと燃え盛る炎の色をしているのだろう。
赤銅色をした、錆びた鉄の色の様な――――――。
未だ悲鳴が上がる故郷から妹の手を引いて、背を舐める炎の舌から逃げながら、シュゾウ・アウレイアはそう思った。
弾ける火の粉が肌を焼き、熱が肺を蒸していく。胸を焦がすのは、思い出が燃え落ちていく熱ではない。
焦燥と絶望と、そして制御不能の憎悪とがとぐろを巻いて、シュゾウの腹の中で暴れていた。
妹が引かれる手を痛いと訴えても、シュゾウは走る足を止めることはない。妹の歩幅に合わせることもなく、半ば引き摺るようにして走り続けた。
当然、妹が先に息が上がり、足がもつれたところを木の根に躓いて転んだ。
「立つんだ、ギン! ほら、立って! 走るんだ!」
猫虎族の出とはいえ、酸素の薄い状態で森の中を、妹の手を引いて駆けずるのは荷が勝ちすぎていたのか。
立てと叫ぶシュゾウ自身も、もう膝を付いて一歩も動けなくなっていた。
妹は激しく肩で息をしながら、首を振るばかり。
幼い妹は、自分達の身に何が起きたのか、よく解ってはいないようだった。ずっと唖然とした顔で、ただ言う事に従うまま。
無理もない。眠りに付いたところを叩き起こされて、そのまま走り続けていたのだ。
斬り付けられた腕は赤く染まり、ぴくりとも動かない。流血による体力の消耗も激しいだろう。
もはや夢現の状態だ。これが現実であるか、夢であるか、燃え盛る火の熱に炙られたとしても、幼子の理解の範疇では、受けとめ切れずにいる。
それは幸いである、と言えよう。少なくとも、シュゾウはよかった、と思っている。
両親が殺される場面など……そんなもの、覚えていない方がいい。
「どーこに隠れたのかなあ、子猫ちゃあん?」
情欲を含んだ男の声。
ここかな、それともここかな、と手当たり次第に火球を弾として撃ち出し、森の木々を吹き飛ばしていく。
二つ隣の大木が吹き飛ばされていくのを、シュゾウ達は必死に這いずって入り込んだ、大木の陰から見た。
自分達を追っているのは、村を焼いたのは、貴族の軍隊。追う男は、その指揮官である貴族の男だった。
野党やはぐれ魔獣の仕業ではない。その証拠に、あの男が放っているのは、魔術である。
今や魔術とは、この大陸に限り、貴族とそれに連なる者達の特権となっていた。
偽星・不死鳥が天へと昇ったためである。
神が現世へと顕現したために、それ以外の神意が駆逐されたのだ。
即ち、不死鳥信仰に根付いたこの国……今は新たに建国された国であるが、転生を掲げる教義を仰ぐ者にしか、その加護は降りぬこととなったのだ。
それは、レベル制度の崩壊という形で現れた。
国家に傅いた者以外は、全ての者が、『レベル0』となり果てたのだ。
あらゆるスキルが消失した。
あらゆる魔術が消失した。
魔術主義であった社会だ。その生活基盤が全て覆された。
生きるために、あるいはこれまでの生活を捨てられないために、国に頭を垂れる者……つまりは、国籍を買い、不死鳥を唯一神として拝する者がほとんどだった。
だが、中にはシュゾウ達の出身である猫虎族のように、古から森に住み生きてきた狩猟民族といった、簡単には仰ぐ神を変えられぬ者達もいた。
彼らに対する仕打ちが、これだ。
国家の思想を一つとする。
新たに発った国、新たな王が掲げる王命である。
聞こえはいいが、それは少数派を除去することでしか為し得ないことだ。
旧体制は駆逐された。現に、冒険者は危険思想集団として駆逐され、新たに再編されつつあるという。貴族の子弟を中心として、だ。
馬鹿馬鹿しいと子供ながらシュゾウは吐き捨てた。システムを一新したとしても、それを担う者達が同じでは。
錆色の憎悪の光景が、その証明ではないか。
歪んだ選民思想。歯止めの利かない欲動。略奪による充実。
「ちくしょう……ちくしょう……ちくしょう……ッ!」
シュゾウは震える妹の身体を強く抱き留めた。そうしなければ、自分の身体も震え始めてしまうから。
妹は、歯を鳴らして耳を押さえながら、目を閉じて、何をかを口の中でぶつぶつと繰り返し唱えていた。
「おとうさん、おかあさん、おとうさん、おかあさん」
妹の、父と母を呼ぶか細い声。
隠れた大木にほど近い地面が煮え爆ぜる様を見て、シュゾウは覚悟を決めた。
腰に差したナイフをすらりと抜いて、シュウは妹の肩を抱き寄せた。
「ギン」
妹の名を静かに呼ぶ。
耳を塞いでいても伝わったようで、妹は振るえながら顔を上げた。
シュゾウは務めて平静に、穏やかな笑みを浮かべながら、妹の髪を指で梳いてやる。
煤がからんでいくらかごわついた黒髪が、シュゾウの指の間をすり抜けていった。
「これは、夢だよ」
何のことか解らないと小首を傾げる妹に、然もあらんとシュゾウは苦笑する。
爆音がまた聞こえた。炎に頬が照らされて、肌が痛みを訴える。
だが兄妹は、お互いの瞳だけを見詰め続けていた。
「ゆ……め?」
「そう、夢さ。こわいこわい、夢なんだ。だって、あるわけないだろう、こんなこと。
猫虎族最強の戦士だった父さんが、あんなに簡単にやられるわけがないじゃないか。黒い髪が綺麗で、何年たっても美人だった母さんが、あんな、男達に、床に倒されて……。
そう、だからこれは夢だよ。夢なんだよ」
言い聞かせるようにして、シュゾウは妹へと何度もこれは夢だと告げる。
妹は一瞬だけ呆とした顔をすると、ゆっくりと息を吐いて。
「そっかあ……よかったあ」
そう言ってほうとして微笑んだ。
シュゾウもまた、そうだよと言って微笑んだ。
「だから、ギン、目を閉じな。そうして次に目を開けた時は、きっと父さんも母さんも、村の皆も、みんないるから。悪い夢は、全部忘れてしまえるから」
「うん」
後ろ手に握ったナイフの柄が軋む。
そこにいることはわかっている、とにやついた男の声が聞こえたが、覚悟を決めたシュゾウには、何ら影響を及ぼすものではなかった。
ただ、自分の声に従い目を閉じた妹の姿が、切なく胸を突く。
途端にシュゾウの全身を、冷たさと振るえが襲った。
がちがちと歯の根がぶつかり、口の中を切る。にっこりと笑っていたはずの顔は固まって、不細工な形となっていることだろう。だが、泣くことは出来ない。妹の前で、泣くことだけは。
それがただの強がりだとしても、それでもシュゾウは、妹を守るために刃を振るわねばならない。
どれだけ恐ろしいことであったとしても、もはやそう覚悟したからだ。
「そうさ、夢なんだ」
シュゾウは自分に言い聞かせるようにして、ナイフの握りを改めた。
胸に抱いた身体は頼りなく、小さな吐息は時が経つにつれてよりか細くなっていく。
妹の腕には、シュゾウのシャツを破いて作った包帯が巻かれている。その包帯は、もう白い部分が無い程に、朱に染まっていた。
今はまだ小康状態だと思っていたが、シュゾウが無理に走らせ、そして自らを傷付けた貴族の姿を目にしたために、傷口が一気に開いたのだろう。
斬られたのだ。この小さな妹は。子供であるにも関わらず、容赦もなく、そして慈悲もなく。
自分達が今も生きているのは、狩りと称する遊びの対象であったからに過ぎない。
奴らが狩りを楽しむために、生かされているだけなのだ。
村の男達はとっくのとうに皆殺しにされた。最強だと信じていた村の男衆は、全くの無力だった。
女達は半分は“使われ”、そして処分された。残りの半分は、どこかに連れていかれてしまった。
下賤な者共の末路には相応しい、と奴らは言っていた。女達は、配下の魔物達を増やすための苗床とするらしい。
そして村には火を放たれた。
浄化されるには、火で焼き清められなくてはならない。汚物は消毒だと、そういうことか。
その最中、シュゾウ達は必死に逃げた。必死に逃げたが、奴らは一定の距離を付かず離れず、時折魔術を放つのみ。
自分達が傷つき、悶える様を見て笑っていたのだろう。それでも生きている間は、逃げなくてはならない。そう唱えながら。
自己満足だということは解っていた。このままでは妹は死ぬ。ならば、ここで妹を捨て、自分だけでも逃げるべきではないか。
そんな考えが何度も頭を過った。
出来る訳がなかった。そんなことは、絶対に。
一瞬でもその考えが浮かんだ自分を、シュゾウは恥じた。
だが、どうにもならない。
自分が囮になったとて、妹は助からない。
逃げ切れないのは当然、身を隠したとしても出血が酷い。助けが来るまで、妹は持つまい。
森の中が炎で赤く照らされていた。
貴族に追われ、逃げている最中、シュゾウは叫んだ。
この世に神はいないのか。
奴らは答えた。
当たり前だ。
神は天上におわすもの。
この世に神が降りたとて、貴様らに振り向きはしないだろう。
これも当たり前なことだ。
貴様等害獣に、神などいるものか。
奴らの言葉を耳にした瞬間、シュゾウの心の堤は決壊した。
兄といえど、シュゾウも歳幼い子供。
親戚を、友人を、親を目の前で殺され、住処を追われることに耐えられるはずがなかった。
妹の存在だけが繋ぎとめていたシュゾウの正気が、音を立てて崩れていく。
限界だった。
妹を抱えたまま、シュゾウは膝を折ってしまった。
少しも足が動かない。
元々気力で走っていたに過ぎない。
限界だったのだ。
妹の目は限界にまで見開かれ、焦点は合わず。
半開きになった口からは、涎と意味のない吃音が垂れ流れていた。
だから、シュゾウは覚悟を決めたのだ。
魔物を伴った貴族共の気配が近付いても、シュゾウは俯いた頭を上げることはできなかった。
逃走の意思を失くした獲物につまらなくなったのだろう。木を一本ずつ燃やして隠れた場所を当てる、的当てゲームを貴族共は始めていた。
自分達はもう、ここまでだ。シュゾウの手にナイフがあった。
せめて痛みを感じないことを、祈るだけだ。
――――――何に、誰に?
神にでも祈ればいいのだろうか。
いいや、それすらも自分達には許されていない。自分達に神はいないのだから。加護は消え失せてしまったのだから。
いったい何が悪かったというのか。
ただ日々を過ごしていただけの自分達が、何か罪を犯したとでもいうのか。
妹だけは、何も悪い事はしていないではないか。
考えても解らない。
思考に逃げても、死は免れない。
命乞いなど無駄だろう。奴らにとり、子供であることなど関係はないのだ。
自分に出来ることは、妹と最後まで――――――いや、その後も、一緒にいてやることだけだ。
寂しがり屋の妹が、泣かないように。
そしてシュゾウは、ナイフの刃を、妹の首筋に当てた。
それは、何も知らぬ無垢な妹が辱められるのならば、という兄の想い。
苦しめられるのならば、いっそ。人としての尊厳を踏み躙られるのならば、いっそ。
いっそ、誇りある内に、自らの手で妹を、自分を――――――という。
シュゾウが抱いたのは、そんな、悲痛な覚悟だった。
「きっとまた、父さんと、母さんに会えるさ……すぐに、僕も」
ナイフを持つ手に力が入る。
妹の首筋に、血のしずくが一筋流れた。
シュゾウは頚動脈に狙いを定め、痛みをなるべく感じぬように、すっと一息にナイフを引いて――――――。
「……えっ」
溢れた血は、しかし妹のものではなかった。
それは、横合いからぬっと出て来て無造作に刃を掴んだ、見知らぬ、大きな手から滴ったもの。
「うあっ!」
その大きな手はシュゾウからするりとナイフを抜き取ると、もう一方の手で、シュゾウの頬を打ち付けた。
目から火が出るとはこのことか。父にいたずらをして頭を殴られた時よりも、何十倍も痛い平手打ちだった。
その音に妹が驚いて目を開けていた。
「痛いか」
問うたのは、見知らぬ男だった。
何時からそこに居たのだろうか。
加護が失せたといっても、猫虎族の自分達の優れた聴覚に察知されることなく、男はシュゾウ達の側に立っていた。
落ち葉や木の枝を踏む音さえさせず、まるで幽鬼のようにして。
シュゾウが初めに感じたのは、恐怖だった。次いで、混乱。何故か、どうしても、この怪し気な風体の男が、敵だとは思えなかった。
殺気が無いからなのだろうか。それとも、あの下種な貴族の男のような情欲を感じないからなのだろうか。
「い、いた……い」
「そうか」
「痛い……痛いよ……!」
「なら、これは夢じゃないな」
緊張が解け、涙がぼろぼろと零れ落ちていった。
妹もまた泣き出して、おにいちゃん、としがみ付いて来る。
シュゾウは妹の小さい身体を抱き締めた。
ああ、生きている。
僕達はまだ、生きている。
「借りるぞ」
男はシュゾウから奪ったナイフをひらひらと空で揺らして、木の陰から何となしに身体を出した。
近所に散歩に出掛けるような、気安い足取りで。
途端に自分達を探していた貴族の怒声が上がる。男はうんざりだとでもいう風に肩を竦めた。
当然、男の態度に腹を立てた貴族の激昂した声がまた上がった。
貴族が金切り声で何かを叫んだ後に、死ね、と言ったことだけは理解した。
そして、獣の臭いが立ち込めた。むせ返るような血の臭いも、また。
貴族が魔物のたぐいを男へとけしかけたのだ。
今や、神の後ろ盾を得た貴族派にとって、魔物は制御不可能なものではない。邪悪な者共は、神の威光の前に傅いたのである。そう宣伝されている。
貴族派は、魔物の使役術を手に入れていた。
木の陰からそっと顔だけ出して外をうかがう。
男は、数十に及ぶ獣型の魔物に囲まれて立ち尽くしていた。
絶対絶命。
だが、男にそんなものを意に介した様子は、ない。
「おにいちゃん……おにいちゃん……」
男はこれは夢ではないと言った。
痛みを感じるならば。妹を抱き締められるならば。
シュゾウを現実に繋ぎとめていたのは、己の手の内にある、小さな手。
妹の震える掌だった。
冷たい……シュゾウは掌から急速に体温が失われていくのを感じた。
それは、妹の生きる気力が失われていくのに相違なかった。
シュゾウと同じように、妹も絶望を感じているのだ。心が幼い分、より大きな絶望を。
自分からナイフを取り上げたあの男が魔物に喰い殺された後は、自分達の番だ。
それも猛った貴族相手に、より残酷な殺され方をするだろう。
シュゾウは妹を抱き締め、その瞬間を待った。
目を閉じてしまえば、世界は自分と妹の二人だけになった。
怖くて怖くてしかたがなかったけれど、妹と二人きりだけの世界はとても静かで、温かかった。
静かだった。
とても静かだった。
「あ……」
否、静か過ぎた。
妹の呆けたような声に、シュゾウは思わず目を開けた。
腕の中で妹が、息も絶え絶えに手を伸ばしていた。
血が流れ落ちた身体で、視界はとうに霞んでいるというのに。
眩しいものを見るかのように瞳は細められ、求めるように必死に手を伸ばして。
そしてシュゾウも顔を上げた。
初めに、濃厚な血の臭いが鼻を突いた。
次いで視界に入ったのは、魔物の群れ……その死骸の中心に、一人の男が佇んでいる姿。
巌の様に、山の様に、男の姿が大きく見えた。
いや、実際に巨大であった訳ではない。
体躯の大きさのみで計るならば、猫虎族の成人男性の方がよほど大きいだろう。
そんな猫虎族の大人達に守られて育ったシュゾウは、自分達の村が攻め滅ぼされるなど、夢にも思わなかった。
猫虎族の男は最強の戦士であると信じていたし、自分もいずれそうなるのだと、信じて疑わなかった。
だから今も、これは何かの悪い夢なのだと、そんな思いが捨て切れずにいた。
男の姿は、それこそ悪夢に出てくる悪鬼のようだった。
何よりも、男の漂わせる空気が、重く息苦しい。
そんな男が襤褸を纏った風体で、何をするでもなくつっ立っている。魔物達を皆殺しにして。
果たして、この男があれだけの数の魔物を仕留めたのだろうか。
それは、辺りに転がる魔物の死骸が物語る。
手型、足型に所々を陥没させ、あるいは千切られ、切り裂かれた魔物達の死骸。
レベルによって補正を受けた魔物を、レベルを失った人間が倒したのだ。レベル0の人間が――――――。
「かみ……さま……?」
妹の声。
男は僅かに顔を傾けた。
伸び放題にした白髪混じりの髪に、無精髭。
みすぼらしい格好は、間違っても神々しさなど感じないだろう。
絞り込まれた体躯をしていなければ、杖を着いたその姿は、老人と見間違えていたかもしれない。
「捨てていけ、こんなもの」
男は吐き捨てるようにして言った。シュゾウ達に視線を投げ掛けて。
髪の間から覗く鋭い視線は、睨み付けられているかのようにも感じた。
だが、シュゾウは男の言わんとしたことを余す所なく理解した。
貴族の金切り声は何時しか止んでいた。
シュゾウのナイフが、貴族の男の喉下に、深く突き刺さっていた。
成就したのだ、とシュゾウは感じた。この男が、自分の代わりに、果たしてくれたのだと。
だが、森は未だ赤銅色に燃えていて、村の焼け上がった灰が降っている。
「い、妹が……ギンが……!」
気付けばシュゾウは、男に跪いて訴えていた。
この男が敵ではないと、何故か、そう理解していた。
男は自分達に近付くと、徐に自らの指先を噛み切った。
「これが最後だろう」と呟きながら、流れた血を妹の傷へと流す男。シュゾウはそれを止めようとは思わなかった。
すると、どうしたことか。見る間に妹の傷が、塞がっていく。
魔術的な要素ではないはずだ。不死鳥の星が天に在る限り、貴族連合に反する者達は、スキルさえ使えないのだから。
だが、妹の傷は治癒されていった。不思議には思ったが、問うことはない。ただ、妹が生きていることが有り難かった。
男の姿を認めた妹の瞳に、精気が宿り始めていくのに、シュゾウは涙を堪えることが出来なかった。
本当に何故かは解らなかったが、気付けば男を見上げ、自分も妹と同じ言葉を口にしていた。
ああ、ああ、神様……と。
男は少しだけ笑って言った。自嘲するような、暗い笑みだった。
違うさ。
俺が神様なら、お前たち皆を助けている。
俺は――――――。
「何も出来やしない、唯の、“名無し”さ」
それだけ言って、魔物達の後ろに続く、未だ燃え盛る村の方角と男は足を向けた。
後ろ手に手を振って歩を進める男は、死地に向うというのに、恐れを全く感じさせない足取りだった。
そして男は足を肩幅に開き、拳を構えた。
距離が開いているというのに、骨の軋む音がここにまで聞こえてきそうな、そんな堅く、固い拳を。傷だらけの指で。
拳を構え、襲い来る影と相対する男の背を、シュゾウは見た。
それは、大きな背中だった。