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完全装鋼士 : レベル0  作者: ノシ棒
幕間:空白期
42/64

地下37階

背後からは、何十という軍靴の踵が、街路を叩く音。

規則正しい行進の足音が、万雷のように響いている。

毎年、定期的に行われる季節のイベント。貴族が支配する軍隊による、軍事パレードの催しだ。

特別な事情が無い限り、貴族はこのパレードに参加せねばならない義務がある。

政治上のパワーバランスから、パレードの先頭集団にある車上より、セリアージュはうんざりとした面持ちで手を振りつつ微笑んで見せていた。


「毎年毎年、飽きもせずにまあ長々と……税金の無駄遣いよね」


「お嬢様、今はお言葉に出されない方がよろしいかと」


「はいはい、解ってるわよ。貴女もお堅いわね、アルマ」


大きく嘆息するセリアージュ。

すかさず「お嬢様、笑顔を」とアルマに咎められ、眉間に皺を寄せながらもにっこりと微笑みつつ手を振る、などという器用な真似が出来るのは、貴族の淑女としての教育の賜物だ。

街頭には学園都市の住民達が、国旗を手にセリアージュへと振り返す。彼らもまた、セリアージュと同じ、作った笑みを顔に張り付けて歓声を上げていた。

付き合う彼らも大変だな、というのが率直な感想。そして、貴族の見栄に付き合わせていることを、申し訳なくも思った。


「くだらないったら。早く終わらないかしら」


「お嬢様」


「はいはい、スマイルスマイル。笑顔は無料よね」


政府高官が乗車するオープンカーの一台から、住民達へと手を振りながら笑みを振り撒くのがセリアージュの役目である。

セリアージュの家……メディシス家は、ナナシ達が知る以上に政府の重要なポストにある家であった。

“優秀”な“加護”を持った女性を輩出する、というのが表立った理由。メディシス家の女は皆、見得る範囲に差はあるものの、未来を見通す目を持って産まれる。未来視とは、ともすれば、王妃の座をも十分に狙える加護なのだ。

そして裏の理由は、この国が、龍脈を抑え付ける術を持った国だからである。

龍の血を引くセリアージュが国に付き従うというのは、最高のポーズなのだ。

つまりは、セリアージュは国力が龍に勝っていることを内外にアピールするための、“トロフィー”であるということだ。


「ねえ、アルマ。貴女、こんな馬鹿げたイベントに付き合わなくったってよかったのよ? 貴女なら抜け出せるでしょう。今からでも遅くないから、病院に……」


「それは、許されない事です。私はもう、あの方の前に姿を現す資格が、ありませんから」


「本当、頭の堅いったら……それじゃあ、あの無駄乳先輩はどこに行ったか知ってる?」


「いえ……姿が見えませんね。パレードにも参加していないようですし」


軍事パレードには、当然のことながら都市が保持する魔導兵器のお披露目会としての意味合いもある。

それを整備する整備士達もまた追従しなければならず、整備士達の頭であるヒナコ・マウラの孫、次期整備士長となるナワジもこの場に居なければならないのだが、姿は見えない。

その祖母、ヒナコだけが、面倒臭そうにして公用車を運転するのみであった。

セリアージュの乗るオープンカーの。


「あの子なら最近、ずっとゴミ漁りをしてるよ」


応えたのは運転手、ヒナコである。

バックミラー越しにセリアージュ達を見ながら、ヒナコは言った。


「あら、その……聞こえてました?」


「いいよ、気にしなさんな。頭の方の栄養が全部乳にいっちまったような娘さね。構いやしないよ」


「すみません、ヒナコさん……毎年付き合って頂いて、本当になんとお詫びしたらいいか」


「子供が遠慮なんかするもんじゃないよ。どうせ今日一日は、私ら整備士はせまっくるしい輸送車の中に押し込められて過ごさにゃならんのだから、ババアにゃ腰が痛くってねえ。感謝してるぐらいさ」


「まあ、ヒナコさんたら」


初めてセリアージュに、本当の笑みが浮かんだ。

しかし、どこか影がある笑みに見えるのは、勘違いではないだろう。

目の下に、化粧で上手く隠されてはいるが、濃い隈があった。ヒナコはそれを指摘することはなかった。


「それで、先輩はどこにいらっしゃるのです?」


「学園都市の清掃工場にいるよ。朝から晩まで、ゴミをひっくり返しては探してる。見つからない、見つからない、って泣きながらね」


「そう……でしたか……」


「あの子はもう、どこにも行くことは出来ない。一歩引いた立場にいるんだなんて言っておきながら、これだ。マウラの女はこれだから……」


「情が深いんですのね。ヒナコさんもそうでしたの?」


「そりゃあ、若い頃はね」


「いやですわ。今も十分にお若いですのに」


「はん……お前さんも、いつか男の話を笑って出来るようになれば、一人前の女さ」


「……そんな日が来るといいとは、思っていますわ」


「坊やに関わる未来は視えないかね」


「ええ……何も」


「そいつが未来って奴だよ」


俯いたセリアージュに、ヒナコは掠れた笑い声を零した。


「笑いな。形だけでもいいさ、笑っておくんだよ」


「はい……」


「転んじまった奴等は、置いていくしかないってこと、お前さんはちゃあんと解っているようだね。安心おし、そいつは冷たさじゃないよ」


「そう言って頂ければ、救いです」


「昔ね、振り返るなと、口癖のように言っていた男がいたよ。笑っちまうね、そりゃあ、後ろ髪引かれてるってことさ。未練だよ。つまり、まあ、人生なんてそんなもんさ」


「そんなもの、ですか」


「今を生きるか明日に生きるか過去に生きるか……どうしたって、残された者は生きていくしかないのさ」


ああ、それは道理だな、とセリアージュは思う。

ナワジは過去に生きると決めたのか。だからこの場にいないのか。ヒナコの眼は、錆付いた色をしているのか。

清掃工場のゴミ山をほじくり返したとしても、破棄されてから一月以上経っている。見つかれば奇跡だ。そして奇跡は二度は起きない。

見つけたとしても、もう、彼は。その脳が、破壊されてしまった男は。


「お嬢様、ヒナコ様。神影が掲げられますよ」


アルマの声に、二人は空を見上げた。

晴天に、花火が上がる。それは空でぱっと散ると、炎の鳥の形となって飛び去った。

火の鳥――――――“転生”を司る神である。その影を、人が真似たものだ。

国神である火の鳥は、クリブスの家……ハンフリィ家の者が司祭となりて呼び覚ます、とされる神である。

神体招来の秘術や伝承はハンフリィ家にのみ伝えられるもののため、いずれ時が来たらどのようにして神を迎え入れるのか、セリアージュはその辺りを詳しくは知らない。

過去の歴史を紐解けば、恐らくは、禄でもないことになるだろうな、という予想はあった。神の力が強大であることは言わずもがなだが、その力が顕現したとなれば、神の善性悪性に限らず、周囲に影響を撒き散らすのは避けられないからだ。

大陸中が滅茶苦茶になる……だが、それは百年単位での未来の話しだ。

神が顕現するための儀式など知る由もないが、おおよそのタイミングくらいは計れるものだ。

錬金の才には恵まれなかったが、その程度の魔術の才は有るという自負が、セリアージュにはあった。

“頭”を抑えられた各地の龍脈に力が淀み、溜まり、そして爆発し、それを抑えるため神に御降臨頂く……シナリオはこうだ。

先日の、もう懐かしくも感じる温泉街に旅行に赴いた際、暴発寸前にあった龍脈に流れる魔力量は、計測済みである。

逆算すれば、各地の龍脈が自然崩壊するまで、おおよそ数十年から数百年といったところか。

そして、そのスパンでハンフリィ家が火の鳥の神体を呼び出し、地脈を鎮める……という国を挙げての一大イベントである。

その繰り返しで、この国は成り立っていた。

大陸に存在する大小国家の中、冒険者学園が存在するのがこの国のみである理由もそこにある。

単純に、大陸崩壊を防ぐための術を持った国だからだ。パワーバランスが傾いているだけである。

地位が磐石になれば、そうなると、面子というものが大事となってくるらしい。

大陸にたった一つしか存在しない冒険者育成のための学園都市にあって、この国の貴族達が集まって軍事力を示威する意味を考え、セリアージュはまた大きく嘆息したい気分になる。


「貴族に栄華を、冒険者に栄誉を……ね。ここに冒険者なんて、いないでしょうに」


アルマの叱責が飛んだが、セリアージュは何処吹く風。

探索者の国家資格を得て、純粋な冒険者となるのは、実は一握りしかいない。

例えば貴族に従う騎士であったり、金で兵力を提供する傭兵であったり、都市護衛専門の衛兵であったりと、卒業後の進路は様々である。

端的に言えば、国家資格とは、力の証明書として使われるのである。

冒険者だけでなく、力を振るう職に就く者にとっては、これが最高の証明となるのだ。

国家機関で教育を受けたということ、そして国家に抱えられる実力があるということを、国が保証してくれるのだから。

クリブスが最たる例であろうか。政治家志望であるのは稀な例であるが、そういった“箔付け”に使われるのが主である、という訳だ。

戦力の最前線は迷宮と、そしてそれを虎視眈々と狙う国々の防衛線であるのだから。

迷宮とは、資源の採掘地と同義である。

活発に高位の資源を産出する迷宮であれば、どの国も喉から手が出る程に欲するだろう。

この世界では、そこかしこで侵略戦争が勃発していた。

大儀の理由付けが簡単だからである。

神が宿る神殿が迷宮だ。であれば、そこを聖地とし、なにやら宗教上の折り合いと難癖を付けて、聖戦……侵略戦争を吹っ掛ければいいだけだ。

建前だけでも、宗教上の問題とした国家間の諍いには、他国や世界の警察を自称する大国であろうとも表立っての介入は難しい。

こういった派手な示威行為での牽制もまた、不要という訳ではないのだ。解っているから腹正しくもあるのだが。

ともあれ、この軍事パレードに参加している本年度の国家資格授与者は、冒険者という名の貴族の私兵。いずれ騎士となる者達である。

神影を仰ぎながら祝詞を朗々と読み上げる司祭……ハンフリィ家の家長の姿に、セリアージュは誰にも知られずに舌打ちを零した。

美しい女だった。クリブスの姉である。弟を、毛程も愛していない、クリブスの姉だ。

舌打ちは、しかしアルマだけには聞こえていたようだった。


「何、この感覚……」


諌めようとしたアルマの言を遮るように、唐突にセリアージュはその表情を険しくさせる。

晴れやかなパレードにそぐわぬ、危機感に溢れた表情に、アルマは眉根を顰めた。


「お嬢様? いかがなされましたか?」


「いえ……ううん、おかしいわ……何なのこれ」


この場において、セリアージュだけが感じる力のうねりがあった。

二の腕を擦る。肌が粟立っている。体の芯から湧く寒気に、全身が凍え始める。吐息さえ、白く雲っていくようだ。

セリアージュは自分を抱きしめるようにしてふらりと崩れ落ちた。アルマが慌ててその肩を支える。肩は細く、そしてはっきりと解る程に震えていた。


「お嬢様、一体何が……」


「何、これ……何なの、これ……! 勘違いなんかじゃない! 何なのよ、これは!」


「どうした、お嬢様。下かい? 下になにかあるのかい?」


「どうして誰も気付かないの!? どうして誰も気付かなかったの!?」


それは責を問う、必死の叫びだった。


「嘘……嘘よ……ああ、そんな……!」


セリアージュの龍眼が、煌々と翠の、強い輝きを放っている。

アルマがはっと息を呑む音が聞こえた。天を眺めながら、呆然として。

だが、セリアージュは地を掻いていた。走る車内の、シャーシの底、地の底を睨み付けて、何をかを見極めようとしていた。

この時になって、周囲の者達もまた異常を察知し始める。

神影を模したとしても、ただの花火だ。すぐに火花は消え失せるはず……だというのに、その影はいつまでも残り続けている。

儀式は行われたが、依り代は準備されていないのだ。あれは影でしかない。だが、そこに残り続けているということは、そこには、本物の『神意』があるということ。


「神が――――――降臨する!」


瞬間、龍脈が爆発した。

天が震える。

大地が揺れる。

世界が悶え、歓喜しているかの様だった。

神の降臨に――――――。

その日、セリアージュは運命が壊れる瞬間を“視た”。



□ ■ □



どこをどう歩いたのか、引き摺られていったのか、ナナシは全く覚えていない。

見覚えのある街。馴染みのあるはずの光景。5年も暮らしたはずの土地。

だというのに、此処が何処だか解らない。全く見ず知らずの場所であるかのように感じている。

それは、眼に映る景色が、全てセピア色に染まっているからか。

どの道を通ったのかはまるで解らないが、下へ、下へと進んでいったことだけは理解出来た。

ビルの階段を降り、地下鉄の線路を辿り、点検通路を下って……そして今、打ちっ放しの格子と鉄網に囲まれた、簡素なエレベーターの中にいる。

上と下を指すボタンしか存在しないエレベーターだった。ここが何階であるかを示すランプなど有りはしない。

耳の奥がごうごうと鳴っている。気圧差からくる耳鳴りだ。体感からすれば、数分はエレベーターに乗っていたように思える。それは下へ、下へ……奈落の底へと下り続けていた。


「さあ、着きましたよ」


男が囁くようにして微笑んだ。

エレベーターの扉が、チン、と嫌に軽い音を経てて、ギシギシと開く。

奈落の底。扉の奥には、闇よりもなお深い暗がりが口を開け、生臭い吐息を吹き掛ける。

ナナシはこの空気を良く知っていた。


「めい……きゅう……?」


「ほう、さすが国家冒険者を志すだけのことはありますねえ。空気で解りましたか」


スミスと名乗った男は、ナナシの襟首を放すと、迎え入れるように両手を広げる。

暗がりに浮かび上がるくたびれたスーツの男。嬉々とした表情は、おぞましく輝いて見えた。


「そう、ここは迷宮――――――ようこそ、『学園都市地下迷宮』へ。歓迎、いたしますよ……ククク、ククククク!」


学園都市地下迷宮。

「馬鹿な」と、口が勝手に呟きを漏らしていた。

暗がりは奥深く、先を見通すことは出来ない。こんなに巨大な空洞が足元にあって、どうして誰も気付かなかったのか。

隠蔽されていたとしても、迷宮が身近にあったのだ。学園が設立されて数十年。誰か気付いて然るべきではないか。そも、迷宮が機能として備える構造変化に巻き込まれ、都市が崩落するのではないか。

ナナシがかつて過ごした、あの街のように。


「そんな……そんな、馬鹿な……!」


「残念ですが、これ、現実なんですよねえ」


「どうして……誰も、気付かなかったんだ……!」


「それも、貴方は知っているはずですよ」


耳鳴りが止まらない。低い地鳴りが続いている。

それは幻聴ではない。細かく土壁が振動していることに、ナナシは気付いていた。

これは、記憶に新しい現象。


「構造変化を……無理矢理止めてる、のか……」


「ご名答」


拍手の音が虚しく響く。

そうだ。この微細な振動と地鳴りに、ナナシは覚えがある。

クリブス班の皆で潜った、最後の迷宮探索……鈍色が死んだ迷宮で、それを見たはずだ。

これは、構造変化を無理矢理に阻害しているために発生する振動だ。

いかなる術を用いたのだろうか。我々が暮らしていた学園都市とは、この巨大な空間、固定化された迷宮の真上に建てられたものだったのだ。

そして、この鳴り止まぬ耳鳴り……加圧されたかのような力の“うねり”もまた、覚えのあるものだ。

温泉街に存在し、龍脈を封じていた鎮石。あの時の、全身の神経を逆撫でするような、あの感覚と同じものだ。鎮石が、この迷宮内のどこかにあるのだという確信がナナシにはあった。そして、恐らくそれは事実なのだろう。

森羅万象を司る龍脈でさえ、龍の巫女ですら近付かねばその存在に気付かぬほどに封じきるのが鎮石の機能である。

迷宮そのものに打ち込めば、内部を流れる魔力など何者にも、微塵も感じさせることはあるまい。


「鎮石を打ち込んで……迷宮の気配を消していた……」


「二重丸です。迷宮とは神殿であり、神の容れ物でしかないと言います。中身が空っぽなんだから、天然自然の龍脈を封じるよりもよっぽど容易いらしいですよ。

 例えば龍のお嬢様は人類最高峰レベルに魔力感知器官が優れているようですが、いやあ、人間の感覚がカバーできる範囲は本当、狭いですよねえ」


そうして誰も彼もが日々を能天気に暮らしていたのだ。自らの足元に、こんな、おぞましいものがあるとも知らずに。

何故そう感じるのかは解らない。解らない……だが、ナナシのあらゆる五感が、五感を超えた所にある魂が、叫んでいる。

この迷宮はあってはならない――――――と。


「では、参りましょうか」


ナナシの狼狽する様子を楽しむようにして、スミスはつかつかと歩を進める。

暗がりの奥へと踏み込んでいくスミスの背を、ナナシはほとんど無心になって追った。

反射のようなものだった。スミスがにたにたと笑っている気配がした。


「無理矢理、構造変化を停止させた迷宮は、魔力が淀んで溜まっていく。そんな迷宮はですねえ、とってもとっても、邪法の儀式に適した場所になるんですねえ。

 例えば……『神降し』、とかね」


「……ぐ、うう」


「クックック! こらえなくてもよろしいのに! その怒りをぶつける相手も用意してさしあげましょう。嬉しいでしょう? さ、こちらですよ」


ナナシの返答を待たずにスミスは語り掛ける。

聞き流せばいいものを、ナナシはその一言一言を無視することが出来なかった。

この男の言葉を聞き落とせば、破滅的な状況に追い込まれてしまうのではないか。そんな恐怖があった。それは、『地下街』での経験がそう思わせるのか。

スミスの声には、聞くものの心の内を削り取るような、そんな形容不可能な恐ろしさがあった。

何か、この男はこれから、おぞましい一言を吐こうとしている。


「はい、ご到着です。いやあ、いい光景でしょう?」


「は、あ……あ、ああ……あああっ!」


にこやかに振り向くスミス。

ナナシの喉から悲鳴が迸った。


「何をそんなに驚いてらっしゃるのです? これは、迷宮には付き物じゃあないですか。ねえ?」


「嘘だ……そんな……これは、この“人達”は……!」


「人、人ですか! ククク、ククククク! クアッカッカッカ! 欠片も信じていない言葉は、言わない方がいいですよ! そんなこと、少しも思っていないんでしょう? 

 これはもう、人ではないのですからね! 後から後から湧いてきて、潰しても潰しても補充の利く命。神の宿るべく迷宮を支える奉仕種族。冒険者にとって、とても身近な、迷宮に付き物の存在……そう、これすなわち―――――」


ガチガチ、ガチガチと、煩く何かが鳴る音がした。

魂が内側から崩壊していくような感覚。

震えは身の内から出でて、今や全身を支配していた。

膝が笑う、腹が痛む、肩が、腕が、ぶるぶると独りでに震えだす。

ガチガチと鳴る硬質な音は、歯が擦り合う音だった。顎が震えて、ガチガチと歯がぶつかる音だった。

この、人達は。

否……違う。

“これ”はもう、“人”ではない。

人でないならば、何だというのだ。

ナナシは知っている。

そう、これは――――――。


「“魔物”以外に、ありますまい!」


呻き声が聞こえる。

苦痛に喘ぐ声が聞こえる。

断末魔の声が聞こえる。

希望を捨てるなと叫ぶ声が聞こえる。

復讐を誓う声が聞こえる。

恋人を呼ぶ声が聞こえる。

母を求める声が聞こえる。

帰りたいとすすり泣く声が聞こえる。

人生を後悔する声が聞こえる。

声無き声が、皆、叫んでいる――――――。

なぜお前は、“こう”ではないのだと。


「さあ、殺しなさい! 冒険者の務めを果たしなさい! 貴方はなんとしても彼らを殺さなければならない! さあ、さあ殺しなさい! 殺すんですよ! さあ、早く! さあ、殺しましょう! 今すぐやりましょう! 殺しちゃいましょう! さあ!」


ナナシは涙さえ流しながら、“彼ら”の声を聞いた。恨みの視線を受け止めた。

スミスの背を追って、学園地下迷宮を進んだ先。

そこには、迷宮としてはポピュラーな、薄暗い空洞が広がっていた。中部屋、とも呼ばれるスペースだ。そして、そんな場所にはおおよそ魔物が数多く巣食っているのが常である。安易に足を踏み入れた愚か者共を供物とすべく、待ち構えているのだ。

魔物達は、そうして迷宮を支えているのである。

この学園地下迷宮も、同じであった。

ただし、この迷宮に存在する、魔物の“種族”は――――――。


「あ、ああ、あああっ! 嫌だ……嫌だ……!」


「さあ、やるんですよ! こうやって、今までみたいに拳を握って! さあ、あれの頭を砕きなさい! さあ!」


「嫌だ……嫌だあぁ……」


「もう子供じゃないんですから、駄々を捏ねてはいけませんよ。さあ、さあ! 殺しなさい! さあ!」


「無理だ……無理だよ……」


「さあ! 殺すんですよ! 殺せ!」


「俺には“人”を殺すことなんて出来ない!」


その魔物は――――――『人間』という名の種族であった。


「同じ“地球人”を殺すことなんて……!」


魔物には一見して同じ種族であったとしても、多岐に渡る分類バリエーション分けがされている。

この“魔物”を分類するならば、こうだろう。

人類種……『地球人』。


「あれはもう人間ではありません! 改造されてしまった、もう魔物になってしまったのです! 貴方の手で葬ってやるのが慈悲でしょう! さあ!」


膝を折って跪くナナシの髪を掴み、その光景を見せ付けるスミス。

涙すら溢れさせ現実を見ぬようにしていたナナシだが、もはや誤魔化しは利かない。

“それ”の前へと背を押され、無理矢理に立たされる。

視線を落とした。真っ直ぐに“それ”を見ることが出来なかった。

俯いた先に、布……Tシャツの柄が見えた。

それには『英語』で、愛を意味する単語が書かれていた。

あらゆる地球の言葉でつぶやかれる意味の無い声。その全てが、地球の言語であったのだ。

ナナシの聞き覚えのある、もはや遠い母国の言葉もそれには含まれていた。

正確な数は解らない。

何十という言語の数。

何百という呻きの数。

数えれば、正気ではいられない。


「――――――して」


叫びに散々に掠れた声が、俯くナナシへと落ちた。

大きくびくりと身を震わせて、ナナシは数分も掛けて視線を上げた。

愛を意味する英語が見えた。膨らんだ胸が見えた。女なのだろう、細い首が見えた。

そして、どろどろに解かされて変型した、“魔物の顔”が見えた。


「お、ねが――――――ころ、し」


それは懇願だった。

最後まで紡がれることなく、だ液がぐちゃぐちゃと泡立つ音に紛れて消えていく。

先まで視線を落としていた“彼女”の足元は、赤黒い肉のドームに包まれていて、様として知れない。

部屋の中は、その全てが肉の菌糸に覆われていた。


「ひぃ……!」


ナナシは首を振って後ずさる。

何かに躓いて尻餅を着いた。指先に、湿った、粘着質な感触。

確かめれば、そこには肉のドームから、顔だけ出した少年がいた。

未だ幼い、小学校低学年くらいの男の子だった。


「と、とけっ……から、だだだ、ぼくっ、ぼぼぼっ、ぼぼぼぼ、くくくくののののの、からだっ! とけっ、とけけけっ、けけけけけけ」


悲鳴を上げて飛び退る。

また何かにぶつかった。

今度は女だった。

女は下半身が肉のドームに包まれいて、露出した上半身を自ら慰めていた。手は空を切って、おそらくはそこに、乳房があった場所を撫で回していた。胸から解け落ちるどろどろに蕩けた肉の雫を、掻き集めているようにも見えた。


「何よ……向こうに行ってちょうだい。今いいところなんだから、邪魔しないでよ。ああ……いい……いいわ……ああっ、あああん、んあああああっ! いっ……くううう!」


別の何かにぶつかる。

それは男だった。

ぶつかる。

それは女だった。

ぶつかる、ぶつかる、ぶつかる……。

それは老人だった。それは母だった。それは教師だった。それは赤子だった。それは病人だった。

それらは皆、元は人間であった。

今はもう、迷宮を維持するための歯車……魔物とされてしまった彼らは、地球人だったのだ。


「迷宮を稼働させるエネルギーは、人間の魂なのですよ。

 自律性を備える密閉された“空間”、それを支える“小さき者”、産み出される“果実”……迷宮に、魔物に、アイテムと言い換えてもいいでしょう。この三つの要素によって、迷宮のサイクルは成立っている。魂を燃料にしてね。

 魔物は人を襲い、その魂を迷宮へと捧げるという役割を持った、運営存在であると言ってもいいでしょう。

 しかし、どの様な形であれ、迷宮を維持するためにその存在があるというのなら、それはもはや魔物と同義。捧げるのが、自らの魂であったとしてもね。

 理解しましたね。彼らはね、“人柱”なんです。この地下迷宮を支えるための、柱なのですよ。

 魔物でありながら、贄……建築材としての運命に囚われている。どこにも行くことなく、彼らの魂はここで消える。使い潰されて、残ることはない。

 恨みも、憎しみでさえも、魂に還元された全てがこの迷宮を維持するエネルギーとなり……そして消費されてしまうのです。

 材料なのですよ、貴方達地球人は」


その言葉を聴いた瞬間に、ナナシは拳を振り抜いていた。

頬を打つ感触と、音。

顔面を打たれたスミスは鼻血を噴出しながら、しかしにやりとして笑っていた。口元から覗く歯が、まだらに赤く塗れていた。


「何なんだ……これは……何なんだこれは!」


「神へと至る術――――――」


スミスは血に塗れた口元を歪めて、言った。


「この世界に産まれた存在は、いずれ神へと至る、高みへと昇る術を見つけることを至上命題とするよう、魂に定められています。神にね、囚われているのですよ。

 それを良しとしない者達がいた。彼らは血眼になって、その術を探さんとした。そして見つけたのですよ。神無き異世界……地球を。

 神に支配されぬ世界の住人……それは、神に最も近しい階位に在る存在であると言い換えてもいい。神へと至る術を探るには、彼らを使うしかないと、そう考えた。

 この世界においては、最も神に近い者となる地球人をね。そうして、二つの結論が出た」


二つ、と指を上げながら、スミスは続ける。

情報量が多い。ナナシは語られた話の、半分も理解が出来なかった。

何を言っているのか解らなかった。理解したくもない。


「一つ、『プランA』……転生プログラム。空っぽの赤ん坊の器に、地球人の魂を込めて放牧するプログラム。

 そして、一つ、『プランB』……転移プログラム。異界の魂をこちらの世界へと無差別に召喚するプログラム。こちらは質よりも量をとったやりかた、ですねえ」


胸ポケットからハンカチを取り出して口を拭うと、スミスは前髪をいじりながら、なんでもないと言った風にして続ける。


「この場に居る方々は、皆プランBの被験者なのですよ。あなたもまた、同じです。

 次々と……ええ、次々と、地球人達は喚び堕とされる。ただの建築材の、補填としてね」


「嘘だ……こんな……嘘だ……」


「腹が立ちましたか? 地球人が自分だけではなく、召喚されたその理由が、ただ迷宮の材料にされるためにあったと知って」


「俺は……俺達はお前らに引きずり込まれたってのか! 材料として! ただの数字として数えられていただけなのか!」


「先ほどからそう言っているでしょうに。理解力が無いですねえ」


「じゃあ……じゃあ、俺が、俺達がこの世界で生きる意味なんて……」


「こちらとしてもね、誰でもよかったんですよ。ええ、無差別召喚ですよ。突然こちらに呼び堕とされ、そしてこの場に拉致されて来るんです。

 とにかく質よりも量。貴方の世界の年間行方不明者の数、知っていますか? その何割がここにいるのでしょうね。

 貴方達地球人は、とても目立ちますからね。神に拠らぬその魂そのものが、ビーコンのようなものなんですよ。

 地球人というだけで、どこに居るかが、我々には解ってしまうんです。

 “神意遮断”の特性で、何をしているかまでは……そのために、私達がいるんですがね。そう、私達、目と手足がね。

 ええ、この場に彼らを運び、蕩かしてエネルギーにしているのは、私達の仕業ですよ。私自身も、何十人とこの部屋に連れて来ました。

 質が悪すぎて使えない方々は処分しましたがね。ですが、そちらの方が幸せでしょう。生きながらにして、迷宮に消化されるよりはね」


情報量が多すぎて理解が出来ない。

スミスの吐く言葉は大量でいて、そして邪気に塗れていて、脳が受け入れることを拒絶している。

だが、理解したこともあった。

それは、絶対に己がせねばならないという、確信でもあった。


「そう……この迷宮をあってはならないと感じたのなら、破壊せねばならないと感じたのなら、それを支える柱を……彼らを殺さねばならない。さあ――――――」


骨の軋む音。

拳が握られるが、した。

なぜ、この迷宮を壊さねばならないと感じているのか。

答えは出ぬままに、拳が動いた。


「彼らに、救いを」


「ああ……あああ、ああああ……ッ」


吐息が煩い。

動悸が痛い。

ああ、出来ない。

俺には、出来ない。

絶対に、無理なんだ。

こんな恐ろしいものを――――――“そのままにしておくなんて”。


「う、う――――――わ、あ、あ、あ、ああああッ! わああああッ!」


それは、何時か抱いたものと同じ想い。

違うのは、少女を救うためではなく、どこまでも自分のための行いでしかないこと。

その日、ナナシは生まれて始めて、殺人を経験することとなった。

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