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完全装鋼士 : レベル0  作者: ノシ棒
幕間:空白期
40/64

地下35階

影が蠢いている。

闇よりなお濃い影の中から、男が一人、“ぬるり”と這い出て現れた。

中肉中背、くたびれたスーツ、元はアッシュブロンドであっただろうくすんだ髪。

野暮ったい眼鏡で人相は隠されていて、その表情もようとしてしれない。

だが、その口元。

口元だけが、邪悪に歪んでいる。

おぞましい角度へと、釣り上がって。


「順調かな順調かな……概ね、期待通りの結果になりましたねえ。いやあ、貴女はよくやってくれましたよ、子犬ちゃん」


かたかたと回る映写機のフィルム、その先に映し出された光を眼を細めて眺めながら、男は微笑んでいた。


「かくして、絆を結んだ少女は死に、男の心は砕け散った」


大仰に悲嘆にくれる仕草。

ですが、と男は機械仕掛けのようにして跳ね上がる。

口元に作り物の笑みを貼り付けたまま。


「掻き集めたそれを再び寄り合わせることが出来たなら、ねえ、より良いものになると思いませんか? 素敵に、壊れたものに」


こちらに手を差し伸べて、男は語る。


「とかく芸術品というものは、例えば骨董や絵や、上薬が塗られた茶碗なんかがそうですねえ。罅が入っていたり、一度壊れたものを修復したりしたものが、特に評価されることがある。

 死からの再誕、崩壊からの再生、破壊からの再構築……人はそこに美を見出すのでしょう。完全なる姿を、未来を夢想出来る余地のあるものにね。

 聞いたところによれば、貴方がたの世界でもっとも美しいとされる女神の彫像は、両腕が欠けているとか。その彫像は、さぞ価値あるものなのでしょうね。

 そう、美とは価値観です。存在の価値そのものです。つまり、価値あるものとは美しくなければならない……尊き存在とは、壊れていなければならない――――――!」


男は眼を閉じ天を仰ぐ。

その陶酔は、何に向けられたものだろうか。

想像するだけでも恐ろしい。


「砕けようが散ろうが、心は失われることはない。折り返しの地点なんですよ、今は。

 心は鉄を打つことに似ていると、誰が言いましたかね……ええ、全く、その言葉には共感できる。

 上質の鉄を作るには何度も折り返しが必要なように、心だって同じなんですよ、ねえ。鍛鉄とは、擬似的に破壊と再生を繰り返すことで、その隙間に別の要素を取り入れ打ち鍛えていくという技術です。

 面白いのが、叩かれる前と後では……破壊される前と後では、全く異なるモノへと生まれ変わることでして、ねえ。

 とにかく、私の仕事はしばらくお休みです。このような状況で時を過ごすのは私としましても好ましくなく、それに鉄を熱した後には仕上げの水入れも行わないといけませんし……さて、次は誰を捧げましょうか。

 ククク、ククククク! なるほどなるほど、それを考えて過ごすのなら、悪くない、悪くありませんねえ!」


聞いていますか、と男は頬を撫でる。


「ならば後は、火入れの時を待つだけ――――――」


伸ばされた手付きは、優しさに溢れていて。

恐ろしさに身の震えが止まらない。


「はて、彼ばかりずるいと? まあそんなものは運ですし、諦めた方がいいですよ。人の縁というものは、こればかりはねえ、天運ですよ。貴方がたには特にね。

 貴方が出会って来た人々のせいにしたらいいのでは?

 親が平凡だったから、隠遁した大魔法使いに出会わなかったから、爪を隠した英雄なんかいなかったから、貴族につながりのある美少女に話しかけてもらえなかったから、周りに認められなかったから……それでいいじゃないですか。

 そう思っていれば、楽になれますよ。周りに力あるものがいなかったから……自分を救ってくれない周囲が悪い、救う力のない周囲が悪いのだと、そう思えば、ねえ。

 奇跡が起きるって信じていればいいんじゃないですかね。神様が助けてくれて、神通力を授けてくれるとか。なんですかね、貴方がたはそういうの、好きなんでしょう? それって救いですよねえ、ほんと。

 まあ、お偉い剣豪のお弟子さんになったり、発明家の助手さんになったり、学業で身を興したりした方も居るには居たようですけど、もう全員“事故死”か“病死”されましたからねえ、ククク、クク。

 夢を見るというのはいいですよねえ、素晴らしい時間の消費法ですよ。夢を見ていればすぐ終わりますから、人生とか。眠りから覚めるように。だからこの辛い現実は夢なんだと……はい?

 そうではないと? ああ、なるほど、女性関連のお話ですか。なんというか、下の話っていうのは皆お好きなんですねえ。ええと、あー、そうですねえ」


パラパラとメモを捲る音がする。


「えー、まあ、貴方もよくよく好き勝手したんだから、いいのでは? 散々楽しんだんでしょう?

 ははあ、最後は首を縦に振るしかない人形のようになって詰らなくなったと。いやあ、でもねえ、それも仕方のないことですよ。貴方がたはスタンドアローンですから、強烈に他者を惹き寄せてしまう。

 もう異界人だというだけで、どんなイケメンよりも最高に魅力的な男に映るんですから。心を込めて触れられでもしたら、一発ですよ。堕ちない女はいません。

 いや楽でいいですね、羨ましい限りです。口説いたり金を使ったり、めんどくさい手順は全部カットして、股を開かせられるんですから。

 『信者獲得』――――――我々は貴方がたの特性を、そう呼んでいます。別世界からの住人が持つ魂の性質への、我々が抱く本能的な憧れ。貴方がたの言うこと聞きたくなっちゃうんですよね、私達。

 でもそれは切欠だけって話しであって、獲得した信者の信仰を深めるのは、貴方がたの努力ですよ、それは」


メモを捲る音がする。


「知ってます? 貴方がたの世界の漢字という文字ではね、心という字はね、火を表しているらしいですよ。ロマンチックですねえ。 

 恋の火を着けることが出来ても、愛という熱を残せなければ、二人の間が冷え切ってしまうのは当然ですね。

 貴方がたの信者獲得は、それはもう科学燃料並みに爆発的に火を着けることが出来ますが、強すぎる火に炙られたものは消し炭になるだけですね。

 ちょっとこちらに気を許したような素振りを見て、ラッキー、とか思っちゃったものだから、ねえ。そりゃ深い仲にはそうはなれませんよ。じっくり温めなければ。

 いやその点あの方はちょっと異常といいますか、五年も少女達に囲まれて、あの程度の関係で済んでいたのには驚きましたねえ。

 彼を取り合って喧嘩したり、男冥利に尽きる展開がそこかしこで起きてはいましたから、少しずつあの方も彼女達に心を預けていたということなのでしょうが。

 良く言えば純情で、普通に言っても異常、悪く言えば不能。まあ、始まりが始まりですし、自罰傾向が強くなり過ぎたのは、怪我の功名といいますか、もう少し言い眼を見させてあげてもよかったのかなと私も反省している所存でして。

 はい? そんな甘酸っぱい良好な関係を築いていくまでの過程、ですか。何でそんなこと知りたがるんです? 無駄じゃありません? 人間関係とかマニュアルじゃないんですから、まったく……」


男の口から大きな溜息が漏れた。

肩を落として心底がっかりしたといった体。

何かが男の琴線に触れているようだ。


「あー、いや、本当に特に言うこともないんですよね。お互いに好意を持った少年少女が近くにいて、男が付かず離れずふらふらしてるもんだから、女の子達がアピール合戦を始めたってだけの話しで。

 いや、ですからねえ。何で何でって、自分が出来なかったかのは方法が悪かったからみたいな考え方、やめませんかね。

 やり方知ってれば出来るんですかね? 貴方だから、自分だから出来なかった、こう考えられないものですかね。

 それは五年も一所で命掛けの学業に励んでいれば、それなりに関係が深まっていくのは当然でしょう。

 いきなり関係性が出来上がってるような状態を見せられても? 

 初めから好感度マックスのデレデレ状態でおいてけぼりにされた感じ? はあ? 何言ってるんですか?

 あのねえ、そっちで勝手に補完してくれませんかね。学園に、冒険者に、迷宮……妄想が膨らむでしょう。いいですよ、適当なカバーストーリーを作られたら。ぜひそうしてください。

 仲が深まっていく過程を詳しく知りたいとか、ねえ、本当やめません? それはあの方達の過ごした時間ですよ。あの方達だけのものです。貴方がたが共有することはね、許されないものなんですよ。

 本当に大事なものはね、ちゃんとしまっておくべきなんです。外に漏らしてはいけないんですよ。そっとしといてあげましょうよ。

 知りたい覗きたい、気になりますか。そうですか。

 いえね、私そういうの、大嫌いなんですよね。

 なぜ少女達が好意を抱くようになったか、愛が深くなっていったか……暴くのはやめてあげましょうよ。大事にしてやりたいとは思わないのですか? 逐一心の推移を見ないと気がすまない性質なんですか?

 知ってます? 出歯亀根性って言うんですよ、それ」


紙の擦れる音が止まる。

触れていた片方の手が、冷やりと、氷のように冷たく固まった。


「ええ……ええ! 本当に嫌いなんですよねえ、それ! このまま首をべっきりと折って差し上げたくなるくらい、私、大嫌いなんですよねえ! 最悪なのが、私がそれをし続けているということで! ええ、ええ!」


首が、絞められていく。呼吸が出来ない。

あと少しでも力を込められたら、折れてしまう。

怖い。

このままだと、死んでしまう。

何よりも恐ろしいのは、これだけ強く首を絞められているというのに、息苦しさも、痛みも感じないこと。


「ク、クアッカッカッカ……クク、ククク……取り乱してすみませんね。いやはや、貴方も他の方々と同じく起死回生の機会を狙っているようですが、ご愁傷様です。

 “此処”に来られる皆さんは何故だか楽天的で、騒ぎながら、何とかなるだろうという考えを捨てずに持っている方ばかりでした。貴方もそうですね。“何とかして”脱出しようとしている。

 でも無駄ですよ、それ。だって」


影が蠢く。影が嗤う。

それは、隠しようのない他者を見下した、嘲りの笑み。

否な予感が、した。


「その力、私達が与えたものなんですから、ねえ」


男の言うことは確かだった。

この力は、与えられたもの。

だが、与えたのは神だ。この男が所属する組織ではない。

否、まさか、神とは。

自分が神だと、そう思い込んでいた者とは。


「蛍光灯背負った蟲なんだか海洋生物なんだかよく解らない同僚の信徒さん達ですよ。ビカビカ光らせて偉そうな口を叩いておけば、勝手に信じ込んでくれて扱いが楽だと、そう言ってましたねえ。はい、返してもらいますよ」


体から何かが抜けていく感覚。

どれだけ集中しても、己の内側にはもう、どこにも力が見当たらない。

あの力は何処へ消えてしまったのか。

世界を変えられる程の、あの力は。


「キャッチ、アンド、リリース、アンド、リサイクル。そういうことですよ。お疲れ様です」


そんな。


「ああ、それと。貴方の半生だって描写されませんからね」


辛辣さとは裏腹に、それは慈悲に溢れた言葉だった。


「同じことですよ。貴方の過ごした時だって、貴方のものだ。それは他者と共有して良いものである訳がない。私が担当する方の人生映像はね、極力他者の目に触れないようにしているんです」


彼は特例ですよ、と男は言った。


「マニュアルではね、別の異世界人の人生映像を見せて、魂に揺さ振りを掛けるとなってはいますがね。私自身としましては、先に述べました通り、それ、好きじゃないんですねえ。

 まあ一応サンプルとして一度はやってはおかないといけませんでしたので、今回はあの方の記録映像を見せて、反応を見てみましたが、こんなものでしょう。次からは流れ作業でいきますかね。

 面接官もねえ、大変なんですよ。相手に光るものを見つけなきゃいけないとか、無理矢理にしなきゃいけないとなると辛いですよ。画一的な台詞しか言わない人達から何をピックアップしろというのか。

 プランを締結するにしても、フィードバックのために被験者からデータの回収をしなくちゃいけませんし。面接する方もきついんですって、ほんと。何人いるのかと。ちょっといい加減にしてほしいと。

 ですので、貴方の人生の“吸出し”はやめておきます。記録も保管も必要ありません。エミュレータに掛けるだけ手間ですし無駄ですから。

 貴方の人生は、無意味で無価値なものとして、このまま捨てられる。出会ってきた人々、積み重ねた努力、築いた絆……全部ね。

 そう、我々はそれを捨てるのです。それは、貴方だけのものになる。 失敗したとしても、此方で過ごした時は、貴方だけのものだ。衆目に晒されてよいものではない。大事に抱えておきなさい」


それに、と男は嗤いながら続けた。


「過ごした時も……築いた関係も……絆も……どうせ失われるのなら――――――そんなもの、長々と描写する必要はないでしょう?」


貴方もそう思いませんか、とその男は言った。


「ただ美しくあればいい。始まりがどうとか、過程がどうとか、要りませんよそんなもの。綺麗なものであったと、それだけ解っていれば十分なんですよ。誰も彼も、そこの所をまったく理解していない。

 積み重ねたトランプの山を崩す一瞬が、一番大事なのであって、積み重ねるまではねえ、結末が決まっているのなら悲劇でしかありませんよ。

 ぶっちゃけて言えば、かったるくありません? ね、そんなもの、必要ないでしょう? 

 ここから先は、腹がよじれるくらいの展開が待つ、喜劇の幕開けなのだから」


というわけで、と男は首にかけた指に力を込める。

骨が、気道が、締まっていく。


「ああ、言っておきますが、貴方は運が良い方だ。このまま捨てられた方が、きっとずっと幸せですよ。だって、普通に死ねるんだから。

 アレの手に掛かれば、永劫の時を彷徨うこととなる。人柱ですよ。恐ろしい。おぞましい。私はごめんですね。

 練られに練られた粘ついた情欲を支えるだけの柱となるのは……材料にされるのは、ごめんです。

 貴方がたも本当に不幸ですね……いや、これは冗談ではなく。

 死んだと思ったら生き返って。自分の意思でもないのに此方に呼び落とされて。

 新しい人生が始まったかと思えば、ここは生き辛い世界で。レベルなんて“計り”があったりして。

 挙句の果てに、貴方がたの存在理由とは、“建築材”であるときた。

 ええ、ですから、殺されるのなら、それはそれで人の死に方でしょう」


まって。

せっかく、せっかく“生き直す”ことが出来たのに。

これからは、ちゃんと真っ直ぐにいきようと思ったのに。

自分に胸が張れるように。卑屈に生きなくても済むように。

それが、こんなところで、こんな。


「“これからは”、なんてものはね、初めから誰にも無いのですよ。此処に来る前からそう生きるべきでしたね。それは魂の問題で、自分なんてね、そうそう変えられるものじゃありませんよ。

 だってそうじゃなければ、力があれば何でも出来る。そんなことになってしまう。まあね、真理なんですがね。でも人格が先にこなければね。巨大な力を振り回していても、それが赤子だったら困るでしょう?

 此処に来る前、つまづいていたのなら、こっちでも倒れたまま。這いずって進めばいいものを、それを無様だなんて思うから。

 背伸びをしたっていいことありませんよ。身の丈にあった生き方と、在り方をせねばね……まあ、借り物の力が自分のものだなんて思うから、痛い目に合うんですよね。

 神様に文句言いながら手を上げたりした口なのでしょう、貴方も、ねえ? 自分で言ったんじゃないですか。そんな禄でもない相手から授けられたものなんて、禄でも無いものに決まってる。

 突然に貰ったのなら、また突然に取り上げられることも考えておかないと。

 コンバート特典は機能として平等にあった訳ですし、そっちでやりくりしたらよかったのに」


手が、首、締まって。


「貴方がたには蔑みと同情とが混同した感情を何時も抱く。いいえ、感想ですね、これは。批評家らしく、最後まで、無慈悲に“いて差し上げましょう”。恨めばよろしい。あらゆるものをね。それが貴方がたの救いです。それでは、さようなら」


まって、まって、まって。

まだ、死にたくない。

“また”、死にたくな――――――。


「はい、では次の方、面接室の方へどうぞ」


すぽん、と呆気ない音を立てて、男は“それ”を無造作に引き抜いた。

男の下げた“それ”から、脊髄がぶらぶらと揺れている。

そのまま、次、と男が手招きすると、何処からか機械に釣られた――――――拘束された、人型が現れた。

呼吸している。苦痛に唸り声を上げている。

その人型の頭部に位置する部分は、ゆで卵の殻を剥いたように、半分だけ、綺麗に“蓋”が開けられていた。

中身が外へ露出している。

何か、管のようなものが差し込まれて、そこからその人型を構成していた重要な要素が流出し続けている。

物質でも血液でもない。それは、情報だ。情報を、吸い出されているのだ。

魂と言い換えてもいい。

これは、魂を吸い出す機械だった。


「それでは、最終面接を始めます」


にこやかに男は笑って――――――そして、こちらを見た。

今気付いたと言わんばかりに、眼を少しだけ開いて。


「それとも、貴方が先に面接を受けますか? そんなにこっちを見て、興味深々なんでしょう?」


影が。

手が。

暗がりから、こちらへ、ぬるりと伸びて来て――――――。

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