地下27階
ご感想お書き頂けると嬉しいです。
しかし活動報告の使い方がわからないんだぜ・・・!
くだらないこと書いたりしちゃったけど大丈夫なのでしょうか。
とりあえず取り繕うように今回のご報告は真面目なので・・・。
感じる不自然さに自然と口数が少なくなる。
迷宮に在るべき者が存在しないという事実は、冒険者の感覚に強烈な違和感を与えるものであった。
――――――なぜ、魔物がいない?
口には出さずとも、クリブス班は皆同じ疑念を抱いていた。
もう半日はこうして入り組んだ通路を進んでいるというのに、嫌になるくらい湧いて出てくるはずのスライムはおろか小鬼の一匹、その影すら未だ見当たらない。
それだけではない。迷宮が防衛機構として備えているはずの罠が全く作動していない。形だけのそれらが虚しく転がっているだけだ。
そしてそれが迷宮であるならば、絶対に在るべきものであるはずの構造変化さえ、足を踏み入れてから結構な時間が経ったというのに、未だ一度も発生してはいないのである。
本来この型の同心円状迷宮は、中心部の空洞を芯として回転し構造を変化させるはずなのだが、平均的な構造変化時間を大幅に過ぎてもなお、迷宮に動きはなかった。気のせいとして済ますことは出来ない。
いや、構造変化自体は機能しているはずだ。何度も回転機講が作動する地響きを感じたが、その度に移動するブロックを無理矢理堰き留めるよう、不自然な動きで通路のスライドが引き戻されていた。
迷宮が軋みを上げ、砂埃が頭に降り注ぐ。
通常ではありえない現象である。
ならば、考えられる事は一つ。
「改造されてるのか」
「おそらくは、人の手が入っている……」
ぽつりと漏らしたナナシの呟きに、クリブスが返す。
アルマは眉間に皺を寄せ、鈍色はぱたりと“耳で”返事をした。
聞こえるように言った訳ではない独り言だったが、クリブスは会話として受け取ったらしい。
メンバーの中で一番気を巡らせているのは、クリブスだと言えよう。
役割分担ではナナシと鈍色が請負っているはずの索敵を、誰に頼まれずとも独自に行っているのは、焦りの現れだとナナシは捉えていた。
それは、責任を感じているからか。
「これは……ガセネタを掴まされたってのか?」
「……」
「クリフ」
「聞いている。偽情報だったのならどれだけ良い事か」
「まさか、ハメられた、ってこと、なのか? どうして……」
「僕に聞くな、馬鹿。君にも心当たりはあるだろう」
「まさか、でも……そんな……俺達全員をなんて……」
「過激派なんていうのはどこも同じだ。後先何も考えていない。死人に口無しであると、本気でそう思っている奴等ばかりだ」
迷宮に魔物の排出や構造変化といった自律性が備わっていることは、もはや言うまでもないだろう。
しかし、その自律性を停止させる方法があった。それは、迷宮に人の手を加えることだ。
魔物がいなくなったなら、もっと資源が採れたなら、マッピングの手間が省けたなら――――――誰しもが、そう思うだろう。
もっと、と願うことは人として当然の願望であり、そしてそれを実現するために、人間の文化や技術は発展してきたのである。自然を超克することこそが人間の文化、歴史の本質だということかもしれない。
そうして人は本能のまま、迷宮に手を加えた。
その結果、迷宮の自律性が全て失われることになってしまったのである。
安全を、効率を、利便性を求めての行いが、それらを産んでくれる根源を台無しにしてしまったのだ。
人の手が入った迷宮の機能が、ゆるやかに停止していく原因は解らないそうだ。よって、現行の国際法では、迷宮を人為的に改造することは禁止されている。
ある学者はこう言った。迷宮とは神を祀り上げるための祭壇であるのだから、穢れ塗れの人の手で汚してしまっては、無価値な物に成り下がり神が見放すのも当然だ、と。
真偽はともあれ、一つだけ確かなのは迷宮の基部をほんの少し改造しただけで、迷宮自体が機能不全に陥ってしまうということだけだった。例えば、この迷宮のように。
迷宮に手を加える――――――迷宮を改造するには、相応の時と人手と金が必要となることは、言うまでもないことだ。
一ヶ月、二ヶ月の仕事ではない。
つまり、クリブスがこの情報を得たその時にはもう、この迷宮は改造されていたということだ。
つい最近見つかったという迷宮――――――それは、嘘だった。
人の手が入っていない、未踏破の迷宮――――――それも、嘘だった。
罠だ、とナナシは、クリブス達は感じていた。
ナナシは覗き込んだ迷宮の深い孔を思い出す。
あれは、化け物の口だ。
自分たちは、喜び勇んでうきうきとしてその大口に飛び込んだ、愚かな獲物だ。
この迷宮自体そのものが罠として、自分たちを呑み込んでいる。
「……また地鳴りだ」
「やはり、構造は変わりませんか?」
「いや、そうでもないみたいだ」
ナナシがアルマに指し示した床は、先ほどよりも大きく、微かにズレが生じていた。
「なるほど。あれは“お引っ越し中”だったようですね」
「ああ……先を急ごう」
足早に歩を進めるクリブス。
ナナシもまた、ここに来て抱いていた疑念が、ようやく危機感へと変わりつつあった。
地上で作業していた国軍の騎士達が運び出していたのは物資ではなく、迷宮改造用の建築材かそれに類する何かだったのだ。
魔物達の姿が見え無いのは、事前に作業をしやすくするため、処理されていたからだ。
ならば、この迷宮内で、未だ作業は続行中のはず。
それも、より深い階層で。
どうりで監視が緩かったはずだ。交替の時間帯だったのか、撤去作業の手順の問題であったのかは解らないが、そのインターバルの隙に自分たちは潜りこんでしまったのだ。
つまり、地上と地下で、敵性勢力に挟まれてしまっている。
国際法を犯すなど非合法の極みを国力を使って行う彼らが、迷宮に潜りこんだたかが冒険者風情を、見逃す訳がない。
このままでは。
「先とは、どちらを指しているのですか?」
「おい、止せ、アルマ」
「……決まっているだろう。出口だ」
「賢明な選択です」
「止めろ、アルマ!」
ナナシの叱咤に、まるで悪びれた様子も見せずアルマは頭を下げた。
迷宮というものは流石は神を祀る祭壇と呼ばれていることもあってか、リカバリ能力もまた高かった。
例え基部に喰い込むような改造を施されたとあっても、一週間もあれば、低級の魔物や純度の低い鉱石くらいは採集できるほどに機能が回復する。
完全に元通りとなるには、やはり長い時間が掛かるだろう。
この迷宮が“発見された”と正式に公表されるのは、本来は一ヶ月後であるはずだった。
一ヶ月――――――迷宮が機能を辛うじて回復するには、十分な時間だ。
ほんの少しでも物資が産出されるなら、そこは“重要度の低い迷宮として登録”出来るのだ。
改造の証拠は、迷宮の構造変化によって消えていく。
あとは冒険者達が好き放題に荒らしていくだろう。証拠隠滅。完璧だ。
正直なところ、迷宮の産出機能を阻害するだけで、改造をする意味など無いのである。
資源の宝庫であるはずの迷宮機能を潰してまで、迷宮改造を行った理由とは何か。
それはつまり、迷宮の資源産出機能ではなく、場所そのものが重要だったということだ。即ち、人目に触れない場所だということである。
ここはつい最近まで確認されていなかった、と言われていた。それは事実だろう。この迷宮は、近隣の街からトラックで揺られなければたどり着けないような、荒野のど真ん中にある。
それが国軍によって見つけ出された、というストーリーであるのだから、彼らが誰にも知られない場所で“何をか”をしていて、それが達成されたため、ここが“ただの迷宮であるとして処理される”ことになったのだということは容易に想像出来る。
国軍が動いていることから考えられるのは、その“何をか”に貴族の一派が、もしくは国そのものが関わっているということ。
その処理中にナナシ達が潜り込んでしまったというならば、彼等にとり、“見られてはマズイもの”を発見してしまう可能性があった。
クリブスが最も恐れていることが、それなのだろう。
いかに大貴族の子であるといえども、“存在しないはずの何か”を見たとあれば、“事故死”か“病死”は免れない運命となる。
後ろ盾の無いナナシ達は、もっと直接的な死の危険が降りかかることになるのは間違いがない。
そして、最も恐るべき事に、自分達はその存在しない何かを発見してしまい、非合法的に合法的な手段で闇に葬られんとしていた。
クリブスはガセネタを掴まされたのだ。
おそらく、クリブスが自らの伝手でようやく見つけたと言った情報屋は、既に貴族派の息が掛かった者であったのだろう。仕組まれていたのだ。
何のために、かは解らない。
先日のセリアージュの話は、メディシス家の事情も絡んでくるためにクリブスには伏せておいたのだが、情報は掴んでいるはずだ。これらの思考とナナシを襲った暗殺者とを結び付けるのは当然の帰結だと言えよう。
人格が大きく善性に傾くクリブスにとり、仲間が自分の判断ミスで危険に曝されることなど、耐えられなかったのである。
この迷宮の探索を諦める、とクリブスは言った。
「待てよクリフ。お前、それでいいのか? 本当に引き返してしまっても良いのか?」
「ああ、良いんだ。さあ、行こう」
「でも、お前は!」
「くどい! これはリーダーとしての決定だ!」
「……解ったよ。リーダーの決定に従おう」
単位数は満たしているのだから、学園が管理する迷宮の探索レポートであっても卒業は出来るだろう。
ナナシや鈍色は取得単位が怪しいところだが、アルマはそうであっても構わない。しかし、クリブスは事情が違う。
それでは家から掛けられてきた期待に応えられず、また自らがベタリアンであることの社会的格差を跳ね返すことは叶わない。
世論でさえ否定的意見ばかりなのだ。貴族間ではベタリアンであることなど、侮蔑の対象にしかならないだろう。発言力はゼロに等しくなり、また劣悪な遺伝子の発現と取られるため、血も途絶えることになる。
それらハンデを克服するには、功績を挙げるしかない。だが、政界ではそも功績を挙げるチャンスなど、与えられるはずもなかった。
クリブスには冒険者として一定以上の成功を収めるしか、道は無かったのだ。その武勲を以って、政界の道を切り拓くしか。
ハンフリィ家のしきたりだと言ってはいたが、家の掛けていた期待など皆無であったはず。クリブスは、自らを産んだ家からもその容姿で疎まれていたのだから。
クリブスは自身の力だけを頼りに、生きていくしかないのだ。
しかし、僅かな逡巡はあったもののクリブスが出した結論は、自分の将来を諦めることと同義だった。
クリブスはきっと、こう考えたのだろう。
アルマや鈍色は、襲われたとしても何とか地力で切り抜けられるかもしれない。だが、ナナシはそうはいかない。
ナナシの戦力は、鎧に依存するものであるのだ。戦士タイプの相手ならばともかく、鎧をナナシの下に運ぶことを阻害するような魔術を使われたなら、あるいは今回のように社会的な絡め手を使われたならそれでお終いだ。
魔術的防御に限っては、これは完全に機関鎧に頼った戦法しか取れないのである。炎や氷、風や地面を隆起させる類の魔術をぶつけられては、ひとたまりも無かった。
そして、常に鎧を身につけている訳にもいかない。
日常に死の影が忍び寄って来た時、最もな危機的状況に陥るのはナナシであることは、間違いがなかった。
もし今回の探索で何かあったとしても、クリブスは最悪権力を傘に切り抜けられるだろう。
鈍色とアルマも、海外に亡命なりなんなり出来るはずだ。
だが、ナナシはそうはいかない。ナナシはこの鎧から離れることが出来ないからだ。
つまり、クリブスの決断は、その理由の大部分がナナシの弱さにあったということだ。
――――――自分など、どうなってもいい。
その言葉が喉元までせり上がったが、ナナシはそれを口にする事が出来なかった。クリブスの心情を察したからだ。
ナナシは、クリブスが新たに発見された迷宮の情報を掴むのに、どれだけ奔走したかを知っていた。
あんな、闇ブローカーの男に直接話を通したくらいだ。必死になって、このチャンスを掴んだのだろう。
口惜しさに兜の下で歯噛みした。
やり切れない感情を堪えつつ、ナナシは先を進むクリブスの後を追う――――――。
喉元まで出かかった言葉は、しかし音にはならなかった。
「止まれ」
唐突に掛けられた、制止を強要する声。
硬質でいて、そして良く澄んだ男の声だった。
初めに唸り声を挙げたのは鈍色。一呼吸遅れ、アルマが双剣を抜いた。
警戒レベルが一気に最高にまで上昇。
まるで気配がしなかった。そこに居たという事実そのものを、塗り潰していたかのように。
こんな強大な圧迫感を放つ存在を、今の今まで感知出来なかったとは。
鈍色の鼻と耳でされ捉えられなかったのである。
尋常な相手ではない。
「悪いが、ここから先は通行止めだ」
そう言って通路の先、暗がりから現れたのは、銀髪の美丈夫だった。
男の目鼻耳、顔立ちの全ては整っていて、それぞれが黄金比で配分されていた。世が世ならば、その美貌だけで王家に取り入ることも出来たかもしれない。
涼しげな顔で、ナナシ達を冷やかに見詰めている。怖気を振るうほどの美しさだった。
しかし外見の美しさよりもナナシの目を引いたのは、その男の両目と武装である。
「何者だ! 何故ここに居る!」
「何者か、か。愚かしいことを聞く。だが生憎と、貴様等に名乗る名など持ち合わせてはいない」
クリブスの詰問を受け流しながら、男は無価値な虫を見るように視線を投げかける。
男の後ろには3人の女が。
全員が全員、絶世の美女とも呼べる容姿。女達は見た所、それぞれ戦士、魔法戦士、魔術師に就いていることが、装備品等から察せられる。
彼等は奇しくも、クリブス班とほぼ同じメンバー構成の“冒険者”であった。
そう、冒険者である。
この場に立ち入れぬはずの冒険者が、自分達と同じく冒険者が、目の前に立ちはだかっている。
目的、意図、状況……何一つ解らない。
だが、その実力の差があまりに開きがあることだけは理解できた。放つ威圧感、空間を漂う魔力のうねりは、鈍色の、アルマの、クリブスのそれとは根本的に異なる、圧倒的強者の質である。
彼女達の存在も、ナナシは感知することは出来なかった。現在もツェリスカのセンサーに反映されない隠身は、魔術隠行が行使されているためか。
辛うじてクリブスと鈍色、アルマは気付いていたようだったが、それでも集中していてやっとという状態だ。
「良い風が吹いたから、としか言いようが無いな。冒険者が迷宮に足を踏み入れる理由など、それで十分だろう?」
男はもはやクリブスを視界にも入れず、鈍色やアルマをじっくりと観察した後に、ナナシを見やった。
――――――こいつは。
視線に混じる、お互いの感情。
親近感とでも言うべき、不思議な感覚。惹かれあうような、引き合うような。
相手も同じなのだろうか、視線には、強い困惑の色が見てとれた。
揺れる眼球。左右でそれぞれ光彩の色が異なる虹彩異色症、オッドアイがナナシを貫く。
銀髪に、蒼と金のオッドアイ。その姿はまるで。
「オレイシス……」
そうだ。冒険者教本の最初のページに大きく描かれた冒険者の始祖、堕天使オレイシスの姿にそっくりだ。
「貴様ッ!」
思わず呟いたナナシの言に、男は激昂した。
烈火の如くの怒りに、ナナシは思わず踵を下げる。
「貴様も、貴様も俺をそう言うのか! あいつ等と同じように、俺を乏しめようとするのか!」
「だめっ! 落ち着いてお兄ちゃん!」
「ぐっ……す、すまない。ありがとうな」
側に構えていた少女の頭を撫でながら、男は冷静さを取り戻した。
落ち着けと何度も呪文のように呟いては、胸の辺りを握り締めている。
何かを仕掛けられた訳では無いというのに、おぞましい魔力が辺りに充満し、破裂寸前の風船を前にしているような緊迫した空気へと変貌させていた。
――――――こいつは。
それらの様を見て、ナナシは再び思った。
隣では、アルマが嫌悪感を顔に現わしていた。黒い魔力に中てられたからではない。生理的に受け付けない、という顔だ。鈍色もまたアルマと同じく不快感を露にし、牙を剥いていた。
アルマがこのような顔をするのは、邪教の魔力を感じた時であるとナナシは知っている。アルマ曰く、“同類は解る”、らしい。
それは信仰の違いによって虐げられて来た者に通ずる“卑屈さ”が、そう感じさせているのか。
男の容姿はかの堕天使に酷似していた。
アルマの感覚を信じるならば、そのために迫害を受けてきたのだろう。
ならば、男の出自は邪神信仰の集落か、あるいは閨閥貴族に生まれクリブスのように半ば捨てられたのだろうか。
その精錬された立ち居振る舞いを見て、恐らくは後者だろうかとナナシは当たりを付けた。
「そうだな。さっさと終わらせて、俺達の家に帰ろう。みんなで、一緒に」
男達が武器を抜いた。
全く理由は解らないが、男達はこちらを敵対勢力であると認識している。
話し合いでどうこうとなるような状況ではない。
戦うしか、ない。
「ガアアッ!」
先手必勝。
鈍色が自分に課された役目を果たさんと、突出していた男へと飛び掛かった。
「おっと」
「わうっ!?」
しかし渾身の突撃は、まるで羽毛を受けとめるように優しく、男の腕に抱き止められた。
キマイラとの戦いを思い出させる、絶対者の憐みの抱擁。
己の懐深く敵意を持った者を招き入れるということは、勝利に揺るがぬ自信を持っているか、あるいは相手に同情を感じているかのどちらかだ。
「こんな小さな女の子まで戦わせているなんて……」
「うううっ! ガウウウッ!」
「もう大丈夫だからな。君はもう、戦わなくったっていいんだ。俺には解るよ、君は本当は戦いなんか嫌いで、優しい子なんだってことが」
言って、慈しみを込めて頭を撫で付けてくる男を見上げ、鈍色は頬を桜色に染めた――――――。
――――――次の瞬間、驚愕に眼を剥く。
心底信じられない、と有り得ない現象を目の当たりにしたかのように、若干の恐怖を滲ませながら。
恐怖の眼は男に向けられてはいなかった。むしろ、自分自身の内側にこそ向けられたものであった。
己の心が、信じられない。そんな眼だった。
唖然としていた鈍色は突然狂ったように暴れ出し、男の拘束を抜け、飛び退いた。
「ギャン――――――ッッ!」
そうして、あろうことか鈍色は、拳を握りしめ自らの頬を殴りつけたのだ。
渾身の力を込めたのだろう。
顎先が掠れる程の速度、一瞬の勢いで首が大きく後方へと流れ、ガクガクと膝が震えると、身体はそのまま垂直に崩れ落ちた。
血反吐と共に歯が2本、軽い音を立てて転がって行った。
慌てて男が駆け寄り抱き起こすも、鈍色は自らで意識を落とし、反応を示さない。
「い、いったい何を! どうしてこんな……!」
困惑に取り乱したように見える男に、ナナシは何も行動を取ることが出来ずにいた。
「止めろ」とも「その手を放せ」とも、口を開く事すら出来ない。凄まじい圧力で以って、身体を縫い止められているからだ。
それはクリブスとアルマも同じであった。魔力に対する感知能力が優れる二人の方こそ、その反応は顕著だった。
クリブスは嘴を小さくガチガチと震え合わせ、アルマは彼らと顔を合わせた当初から顔色が悪く冷や汗が止まらない。
口を開けばその瞬間に潰されるということを、本能が叫んでいるのだ。
逃げろ、と。
だが足が動かない。
指一本動かせずにいるナナシ達の前で、男達は何がしかのやり取りをしていた。
「クソッ……! 俺が、あの子を傷つけてしまったのか。俺のこの血塗られた手がまた! 俺のせいで!」
「ううん、お兄ちゃんが悪いんじゃないよ! お兄ちゃんのせいなんかじゃない、だから自分を責めないで!」
「ああ……その一言で俺は救われるよ。あのメイドの子も、きっと奴隷のように無理矢理連れてこられたに違いない」
「うんっ! 私たちで助けてあげよっ!」
「女の子の顔が傷つくのを見るのは、心が痛い。あの子の治療を頼む」
「ええ、もちろんですとも」
男達のパーティのやり取りは、傍から見れば普通の掛け合いにしか見えなかった。
だがその言葉の端々で、こちらに殺気を飛ばしている。肌が焼け付くような、背筋が凍りつくような、臓物が掻き混ぜられるような感覚。
全く隙がなかった。瞬きの合間に、首をもがれてしまうのではないか。そんな危険を容易に想像させる雰囲気を、彼等は纏っていた。
それが解っているからこそ、鈍色を助ける事も出来ない。
実力の差が開いている事はもとより、これで数の上でも勝ち目が無くなった。
逃げようとも、背を見せればその隙を突かれるだろう。
「まったく、どこの世界にも下種な輩は居るんだな。やっぱり迷宮は嫌いだよ。貴様等と同じ澱んだ空気を吸わなければならないなんて。
はあ……まったく、あまり乗り気じゃない依頼だったけど、依頼料分の仕事くらいはしようか。おい貴様等、今すぐに引き返すというなら見逃してやってもいいぞ。
解っているだろう、俺達には敵わないことくらい。それでもなお刃向かうというのなら、この刃の切れ味、その身で味わう事になるぞ」
「そうそう、私達も暇じゃないの。ほんとはさっさとやっつけてやりたいけど、お兄ちゃんが許して上げるって言うんだから、大人しくしててよね。ちなみに出口はあっちだよ。人生っていう名の迷宮のね」
「……むこう、騎士たちが、いっぱい」
「すみませんが、ここから先へ通す訳にはいかないのです。私達と戦うか、騎士達に捕まるか……残酷な事を聞いているのは解ります。ですが、選んで下さい」
長い金髪を風に舞わせながら憂いを含んだ目を伏せ、魔術師の女は鈍色に杖を向けた。
癒しの波動が鈍色を包む。高レベルの術士の回復魔術であるというのに、ゆっくりとした治癒速度。それは、治癒が終わるまでにさっさと立ち去れというポーズであるか。
答えは言うまでもない。
ナナシは乾く喉を無理矢理に動かして、掠れた笑いを一つ漏らした。
釣られるようにして、クリブスとアルマの金縛りが解かれていく。
震える手は変わらないまま。
「こちらは三人、向こうは四人。いや、魔術師が鈍色の手当てをしているから、実質三人か。仕掛けるか、ナナシ?」
「手当だって? ありゃあ人質って言うんだよ、クリフ」
「しかも相手は全員が格上ともなれば、正に絶体絶命ですね、お二方。さて、どうしますか」
「そりゃあ」
「ああ、そうだな」
クリブスは懐から短杖を取り出して構えた。仕込み杖である。
親指で鯉口を切れば、刀身から染み出るように輝きが漏れ出る。魔力結合によって刀身が微細振動を発生させる、液体形状記憶合金の輝きだ。
武器を取り出したことを認めた男達からの圧力が、更に増していく。
「あの小柄な眼鏡の魔術師、彼女は僕が受け負おう」
「では私は、あの赤髪を二つ縛りにした、小生意気そうな娘の相手をいたします」
「俺はあの男か」
それぞれが、それぞれの相手を睨み付ける。
ナナシの相手は初めから決まっていた。
この男しかありえないと思っていた。
何故ならば。
――――――こいつは。
睨み付け、見詰め合う瞳の中にお互いの姿を宿しながら、ナナシは三度そう思った。
ああ、こいつは。
「まず間違いなく皆負けるだろうが、幸運なことに僕達は“何も見ていない”。それに、見たところ理屈や理詰めが好きな手合いのようだ。揺さ振りを掛けられるかもしれない」
「そのまま舌先で丸め込めないかな?」
「あれは紳士的に見えて、その実暴力が大好きという顔だな。君と同じだ」
「そりゃあ無理だな」とナナシは納得する。
都合が悪くなれば手を上げるような人間ならば、その手を振り下ろさせてやらねば収まるまい。
それは自分も同じ、似非平和主義者であるからして、よく解る。
腕力で物事が解決するのが一番すっきりとして、気持ちが良い類の人種であるということだ。
褒められた人間ではないが、だから冒険者などやっている。
「ねえ、もうおしゃべりはいいでしょ? 逃げないなら、そろそろ始めようよ。羽を毟られて丸焼きにされた鶏みたいにしてあげるんだから!」
言って、切っ先を向けたのは戦士の少女。
少女の武器は、槍。
「剣道三倍段と言うが」とクリブスは大きく息を吐いた。
「……それは楽しみだ。だが、こう見えても僕たちはハンフリィ家に連なる者。そう容易くいくとは思わないことだ」
「ハンフリィ、家? まさか……貴族!?」
「訳あって、冒険者をしているがね。君達のリーダーもそうだろう?」
挑発的な笑みを見せ付けると、オッドアイの男は苦々しく顔を歪めた。
クリブスは己が貴族である事と、冒険者である事を主張したのだ。
やりあうにしても、まず取り合わねばならない。面倒事を言ってくれる、という顔だった。
「冒険者同士の迷宮内での殺し合いは、条約によって禁止されている。違うかい?」
「……その通りだ」
「お兄ちゃん!?」
「だが」とオッドアイの男は言った。
「お前たちが本当に冒険者であれば、の話しだ。資格証明を見せろ」
言って、男達が懐から取り出したのは、掌に納まるカード。
国家冒険者資格である。
「早くお前たちも資格を提示するんだ。これはあまり人に見せたいものじゃない」
「お兄ちゃん……まだ劣等性だって見下されたこと、気にしてるの?」
男は少女の問いには答えず、寂しげに笑うだけ。
「君達が側に居てくれるなら、それだけで俺は十分だよ」
「お兄ちゃん……!」
対するクリブスは、どうしたものかと俯くばかり。
資格証明書などありはしない。
そも、それを受け取るためにこうしてこの場へとやってきたのだ。
冒険者同士の争いはご法度であるが、それは頭に国家冒険者同士の、と付いた場合のみ。
法に記される冒険者とは、国家冒険者資格を有する冒険者以外には無いのだから。
「どうやら、出任せのようだな」
カードを懐にしまう男の眼は、極寒の冷たさを滲ませている。
「お前たちを国家冒険者と貴族の名を騙る“盗掘者”と断定する」
盗掘者。フリーランスの冒険者にとって、この上ない侮辱の言葉だ。
しかし、法的には事実であるのだから反論も出来ない。
口先の戦いは敗北。物証を求められてはどうしようもない。
だが問題はない。この後の展開は、どうせ変わらない。
「安心するといい、命までは奪わない。だが、依頼は依頼だ。やり合うというのなら、身柄を拘束させてもらう。五体満足でいられると思うなよ」
「結構」
頷いて、クリブスは笑った。
クリブスはしたたかに、大貴族の名をちらつかせ牽制に用いた。
言外に、自分達を捕らえた所で権威の後ろ盾により無駄であることを含ませて。
捕まったとしても、自分達は本当に“何も見ていない”のである。騎士達に遭遇しなかったということは、彼等の手が入っていない、元のままの迷宮部のみしか目撃しなかったことの証明にもなる。
それに今更家の名を出した所で、将来の展望が塞がれたのならば、何ら不都合もなかった。
ここでクリブスの腹は決まった。
「礼を言わせてもらおう。僕はお前たちのおかげで、冒険者になれそうだ」
「……俺達を倒すことで手柄を上げようって? 馬鹿なことを。そんなことをしても、犯罪者は冒険者にはなれはしないんだ。もう諦めろ」
「手柄など。ああ、でもその通りだ。そうさ、馬鹿なんだ」
いっそ清々しい顔でクリブスは言った。
憑き物が落ちたような、肩の荷を全て降ろしきったような、寂しくていてそれでいて力強い笑みだった。
無許可探索には違いがなく、冒険者としては“よくある事”であり、彼等にとっても後ろめたい理由があるため厳重処分で終ろうことでも、クリブスは貴族なのだ。
小さくとも不祥事を、しかも国軍の世話になったとあらば、家に引き戻されるのは間違いがなかった。
その後は、一生をどこか寂れた塔の中か、屋敷に軟禁されて過ごすのだろう。
それは政治の道を志していたクリブスにとり、命を絶たれたも同然の仕打ちだ。
だが、今は。そうなる未来が確定した今だけは。
全ての荷物を取り払って、ナナシ達を自分の未来のために利用しているという罪悪感が意味を為さぬものとなって、初めてクリブスはただのクリブスとして、此処に立つことが出来ている。
冒険者として。
「大人しくしていれば痛い目を見ずにすんだ、とは言ってくれるなよ? 悪いが、僕も腹が立ってるんだ。何でだろうな、あの男が腹立たしくてたまらない」
「ええ、私も同意見です。さも不幸を背負っていますよとでも言いた気な、いけすかない顔。不愉快ですね、決めつけで他人を語るのも気に入りません。私がナナシ様の奴隷であると見破ったのは、大いに評価に値しますが」
「おい」
クリブスは横目でメンバー達にアイコンタクト。
視線で指示を飛ばす。
「つまるところ、八つ当たりというわけだ」
「クリフ……」
「これくらい、いいだろう? 最初で最後のわがままだ、付き合ってくれ。和解はなし、言い訳もしない。全力でぶつかって行きたいんだ」
クリブスは、これを最後の探索としようとしているのか。
仕方ない、と刀を向けながらも苦笑していたのは、“冒険者らしい”とおかしさが込み上げてきたからか。
即ち、呆気ない唐突な終わりに。
理不尽な結末に。
「何、心配するな。こんな時にこそ権力は使うものだ。捕まっても僕がいなくなるだけで、君達はこれまでと同じように探索を続けられる。僕の身に替えても、そのようにする。
その時はナナシ、君がこのパーティーのリーダーになるんだ。僕が抜けた穴はどうにかして埋めてくれ。もう一度卒業探索をするならば、お嬢様を連れて行ってもいいだろう」
「……うん」
「ちゃんと聞いているか? これはパーティーリーダーの引き継ぎなんだぞ」
「うん」
「全く馬鹿の一つ覚えのように、うんとしか言えないのか」
「うん」
「肯定するな、馬鹿」
「うん……ごめんな、クリフ……」
「謝らなくてもいいさ」
じっと、アルマは二人のやり取りに聞き入っていた。
主人とその親友、自分の戦友との間に割って入らないよう、意地っ張りな鳥頭の別れの挨拶に、水を差さないよう。
「なあ、クリフ」
「なんだ?」
「俺達、良いパーティーだったよな」
「ああ。きっと、そうだっただろう。そうに違いない」
「楽しかったよな。本当に楽しかった。こんな日がもうちょっとだけ続いて欲しいって、いつも思ってたよ」
「そうか」
「こうやって皆で肩並べるとさ、ドキドキしたんだ。今だって……鈍色が足りないけど、それもまあ、冒険者っぽくていいよなって。お前もそうだったか? 俺と同じ気持ちだったか?」
「……ああ」
「うん、そっか。じゃあ、仕方ない」
「仕方ない」とナナシはしかし満足そうに頷いた。
男達のパーティーは、どうやら攻めあぐねているようだった。
冒険者というだけならばともかく、騙っているとしても、相手は大貴族の名を口にしたのだ。手を出してしまって良いものか、とでも思っているのだろう。
だとしたら、こちらから手を出してやるのが親切だ。
正当防衛の名聞をくれてやろう。
「それじゃあ、先輩達の胸を借りようか!」
先手はこちらのものである。
「ツェリスカ――――――!」
『撃発準備完了――――――』
「精霊達よ、我が声に集い燃え盛る刃と為れ! フルブレイズ・カバーエッジ――――――!」
「天魔降身! 我が主に仇成す者、皆灰塵と成せ――――――!」
雄叫びを挙げながら、ナナシ達はクリブスを先頭に、それぞれの標的へと飛び掛かる。
「フィスト・バンカァア――――――ッ!」
迎え撃ったのは、冷たく光る“鋼”の腕。
音よりも、火花が散るよりも速く、鈍い鉄の衝撃が身体を突き抜けていくのをナナシは感じた。
――――――こいつは。
衝撃が苦痛を、苦痛が確信をナナシへと齎す。
男を視界に入れてからずっと頭の隅で疼いていた感覚が、直接触れ合うことで浮き彫りにされていく。
こいつは――――――俺だ。
まるで鏡に映った虚像のように、形だけ違う、同じもの。
この男もきっと、自分と同じ想いを抱いたはずだ。という確信がナナシにはあった。なぜならば。
この顎を打ち抜く拳には、隠し用の無い憎悪が込められていたのだから。