地下26階
近いうちにタグを再編集しようと思います。
タグを変更ましたら、変更点等、活動報告と前書きにてお知らせいたします。
よろしくお願いいたします。
薄暗い部屋に、一つのオブジェクトが鎮座している。
それは奇怪な形をしていて、時折電流を流し込まれたかのように振るえ、蠢いていた。
まるで、生きていた時のことを、思い出したかのように。
狂気の具現、とでもタイトルを付けるべきだろう。
オブジェクトの素材は――――――生きた人間だった。
「殺して、殺して、殺して、殺して――――――」
「いたい、いたい、いたい、いたい、きもちいい……」
「おかあさーん、おかあさーん、おかあさーん、あかちゃん、あかちゃん、おいし、おいしいです」
オブジェクトが悲鳴を上げる。
幾人もの人間が絡み合って形造られた、おおよそ正気のままでは直視に耐えない造型。
視界に入れるだけで理性を抉り取る色彩。
台座の中心には、同心円状に寝かされた多数の女性達。女性達は皆腹を裂かれていて、臓物を引き摺りだされていた。
……否、臓物ではない。
腹ではなく、胎。
女性たちの胎からは、ミニチュア大の人型が……胎児だ。
女性達は皆、妊婦だった。女性達の胎から、胎児がつながったままの状態で、取り出されていた。
母体の外界にあって、非誕生。胎より産まれ出でていながら、非出産。
在り得ざる生命の冒涜。
取り出された胎児は、中空にフックで吊り下げられ、オブジェクトの頂上を飾っていた。
リング状のフックだ。それは胎児達の頭蓋を貫通し、一つの輪に繋げている。胎児達はまるで紐を通したビーズ細工のようにして、吊り下げられている。
女性達は時折、ふと自分が人間であった頃を思いだしたかの様に、手足を痙攣させていた。胎を裂かれてなお、未だ生きているのだ。
それは額に孔を空けられた胎児達も同じであった。胎児達は皆同じタイミングで手足を痙攣させていた。頭蓋が繋がっているからだ。
女性達は胎児を通じ、胎児達は女性達を通じて、一つとなっていた。
ここに肉の円環が築かれていた。
彼女達は相互補完によって為る高次元の存在へと昇華されていた。あらゆる生を奪われて。
その姿は、本来目や鼻の機能を果たすべき器官にチューブや針を捻じ込まれ、無理矢理に生かされているだけに過ぎなかった。
オブジェクトを機能させるためのパーツとして、メンテナンスされているだけだ。
取り出された胎児は母体とへその緒で繋がれたまま、くらりくらりと宙に揺れている。
胎児は母の胎内に在る時、完全な状態であるという。赤子が泣く理由は、世界の寒さに、目を焼く閃光に、雑音に、身を切り刻まれていくから。自らが、完全な存在ではなくなったと悟るからだという。
であるならば、この酷く不自然に吊り下げられた胎児達は、完全な存在であるだろう。未だ産まれてはいないのだから。
その証拠に、胎児達は泣き声一つ上げぬではないか。
外界に在って母と繋がっているという、矛盾を孕んだ胎児達。吊られる胎児達はその全てが、ゼリー状の液体に身を包まれていた。恐らくは、これが羊水の代わりなのだろう。
だが、この完全なる胎児達もまた、オブジェクトを機能させるためのパーツに過ぎなかった。
フックに吊られて揺れる胎児達は、皆、頭頂部が刳り貫かれていた。
脳のみが収められているべき場所には、何か、赤黒い植物のようなものが根を張っていた。
細い繊維を捩り合わせたようなそれは正体不明の物体だ。触手か、触腕としか表しようがない。
胎児達の頭頂部からは、華が咲くようにしてぬめりを帯びた触腕が延び、それらは宙に浮かんだ『テトラポット』に結ばれていた。
四つの頂点を持ったテトラポットは不規則に明滅していて、淡く光を放つ瞬間には、内部が半透明に透けて見える。
緑色の光を放ち半透明となったテトラポットの頂。
その三つの足には、それぞれ1つ、計三つの皺だらけの物体が収められていた。
残る一つの頂点は空洞。
その足のみ他三つと比べ形状が違うように見えたが、醜悪であるという点については全く等しかった。
テトラポットには、三つの人間の脳が収められていた。
『定時報告――――――せよ』
罅割れた老人の声が、薄暗い部屋に響く。
『えー、聞くだけ無駄だよお。どうせまた特になし、なんだし別にいいじゃん?』
子供とも老人ともつかない甲高い声が、それに応えた。
『ほほほ、これこれ、そう言うでない。様式美と言うものを知らんのかえ? 下々の者を気遣うことも、上に立つ者の努め。話くらい聞いてやろうぞ』
次いで響く、男とも女とも解からぬ艶のある声。
何処に発声機関が備わっているのか、それはテトラポットが発した声であった。
頭蓋に直接響く声は、造型のおぞましさとも相まって、更なる嫌悪感を掻き立てる。
その狂気の前に傅く男が一人。
男は眼前に佇む者共の醜さに、悪趣味が過ぎると胸中で唾棄した。
その男が言える立場ではなかったが、眼前の存在は男の美意識に反するものであった。
『審神者――――――ジョン・スミス――――――報告――――――せよ』
響く声に急かされ、ジョン・スミスは顔を上げた。
「いやはやいやはや、手厳しい。まったくもって皆様方の言う通り、特になし、でございます」
嫌悪感を微塵も顔に出さず、常の通りスミスは笑みを顔に貼り付け、応えた。
――――――美しくない。まったくもって、美しくない。
馬鹿馬鹿しいことに、これがこの世界で、最も神に近い存在であるという。
ただし、あくまでも神に近しい“だけ”の存在であり、人の手によって神を模したにすぎない。
神に等しい機能を持たせるために試行錯誤を繰り返していった結果、このように醜悪な容貌へと成形されていったのだ。
外見の醜美を問うべきではなかろうが。人の手により造型されたがための醜さは、むしろ当然と捉えてもいいだろう。
しかし、これが神の『姿』なのだとしたら。『カタチ』なのだとしたら。
神とは、欲と罪と理不尽と数え切れないほどの悲劇と、そして吐き気を催すほどの傲慢によって、成り立っていることになる。
神とは元来傲慢な存在ではあるが、それは神の存在としての機能、本能であり、決してそこに損得計算だとかいった、利が絡むことはない。
その傲慢は、自然のサイクルというカタチによって現れる。嵐となり、雷となり、人には決して制御出来ぬもの。その意味としての傲慢だ。
そこに利はなく、欲もない。
ただ機能として力を尽くすだけだ。
それが神という存在なのである。
つまり神とは、酷く自動的な、機械的なシステムであるということだ。
ならば彼らの方法では、決して神に至ることは出来ないだろう。
彼らが神を目指す理由は、世界の管理にあるのだから。
――――――認めぬ。断じて認めぬ。
胸中でスミスは嫌悪を顕にする。
これは、スミスが望む神の姿とは、まるでかけ離れた姿だった。
世界はもっと自由になるべきであり、人は自らの制御が不可能であるほど弱くはない。
象徴としての神ではなく、実際に神が権威として、支配者として君臨したとしたら、そこに“救い”はないだろう。
神とはただ、人に力を一方的に与えるだけのシステムであればよいではないか。
『アハ! ほーうらね! 言った通りでしょ!』
『ほんにのう。して、プランAの方はどうなっておるのじゃ?』
問われ、スミスはプランAの進行具合を思い浮かべる。
自分の担当とは違う部署のプランではあったが、連携を取らざるを得ない組織体系であったために、他部署の仕事であったとしても正確に把握していた。
「そちらは万事滞りなく、順調だそうでして、はい」
『重畳――――――重畳――――――』
言葉とは裏腹に、粘ついた波動が、テトラポットから部屋へと伝わる。
嫉妬か、羨望か。それに類する感情であることが、スミスには感じられた。
『プラン』とは神に至るための法を探るための、様々な試みのことを指している。
プランにはAからCの3つが存在し、それぞれが異なるアプローチ方法で、神域に足を踏み入れんがための研究が為されていた。
『プランA』とは、人の手で神を作成すること。
すなわち、眼前の存在がこれに含まれる。
より強大な魔力をより多様な加護をと、付け足し付け足し、様々な力を一つに統合していくという、試みとしては非常に解かり易いプランであった。
それは500年以上前、スミスが所属する『組織』が設立される以前から試みられていたという。
組織の長である眼前のテトラポットは、少なくとも500年以上の時を過ごしているらしいというのだから、その執念はもはや怨念染みているだろう。
このプランによって力を付け足された者は世界中に散在するらしいが、スミスはそれを把握してはいない。
変わって、『プランB』からは毛色が異なる。
プランBとCは、神の成り立ちを考察することから始まった。
まず、神は大きく分けて2つに区分される。
世界が誕生した折に自然発生した高位神と、人や獣から神の位にまで階位を上げた下位神である。
基本的に高位神は、自然や世界を構成する要素そのものを司るために、世界には不干渉であり制御もできない。
人々が言う神というものは、後者の下位神のことを指していた。
下位神は、しかし“後付け”の神であるために、存在が不確かであった。そこで登場するのが、加護システムである。
祈りを捧げることにより神々の存在を確立させ、見返りに加護を受ける。これが、人が編み出した神との付き合い方だった。
元がこの世界の産まれであったための制御の容易さによる、神への一つのアプローチ法である。
ただし、下位神の精神や意識が人であった時のまま保持されているかは、不明である。
神というシステムから鑑みるに、その力と機能が世界に保存され、神となった瞬間に、個性や人格といったものは消え去るのだと予想されている。
そして機能を力によって果たすだけの存在と成り果てるのだ。
ともあれ、偉業を為した者、例えば英雄だとか呼ばれる者が、最終的に神の座にまで魂の位を上げ、死後に神へと転じるのであるという。
これには力の大小はあまり関係が無いようで、選定基準は不明である。
あまりもの影響力の大きさと存在の強大さに、世界――――――それを構成する高位神が、これは自分達と等しい存在である、すなわち世界の一部であると誤認し、世界を構成するシステムに加えてしまうのだというのが通説だ。これが人が神に至る過程であると。
簡潔にまとめるならば、『魂』の階位を上げるということだ。
これだけ見れば神に至る方法など解き明かしてしまっているようにも見える。
ただ、どうしたら魂の階位が上がるのかは、全く不明である。
そも、魂の定義さえ多種多様で、定まってはいない。
ただ力が強ければいいというわけでも、ただ偉業を為せばいいというわけでもない。
それならば高レベルの冒険者や、偉大な政治家、稀代の賢者は皆神になるということであり、スミスの眼前に漂うテトラポットもとっくに神へと成っているだろう。
そこで考え出されたのが、プランBとCだ。
かつて英雄達はその死後に下位神となり、世界の環に連なった。すなわち、神の影響下から抜け出たということだ。
この世界の存在は、須らく神の影響下にある。魂もそうであると仮定するのが自然だろう。
神の科した枷を逃れた者達のみが、同じ高みへと昇り行く。
ならば、|初めから神の影響下にない《・・・・・・・・・・・・》存在であったなら――――――。
プランAを含めた全てのプランが、この思想を基に進められている。
力の付け加え等、どうでもよいのだ。
神の加護をどう掻い潜るか。神の影響下からどう抜け出すか。この世界に産まれた者にとっての宿命を果たすためのプラン。
それを果たせば、神の道に通じるのではないか。
だが、と彼らは考えたらしい。
初めから、この世界の神の影響を受けぬ者達を『喚』べば、どうだろうか。
それに力を付け加えてやれば、どうなるか。完全なる存在となると言えぬだろうか?
そうして百数十年前に“喚ばれた”存在。それこそが現在、下位神の一柱に数えられる、冒険者の始祖。堕天使オレイシスであった。
つまり、眼前のこれが主体となって推し進めるプランAの本質とは、力の付与などではない。
神の観察実験の際に偶然発見された『異界』から、死して世界から抜け出た魂をこちらの世界へと引きずり込む試みだった。
そうして喚ばれた魂は赤子に入れられ、異界の魂はこちらの世界の住人として転生するのである。
――――――おぎゃあ。
オブジェクトに吊られた赤子が一人、ぷつりと輪から外れて、地に落ちた。
肉の触手に持ち上げられ、何処かへ運ばれていく。
そこらの街を歩く適当な妊婦の胎の中へと、すり替えられて詰められるのだろう。哀れな犠牲者が、また一人……。
堕天使の前例があるというのにプランが続けられているのは、ただ成功例が1つだけでは、それが偶然によるものと違うかが判断が付かないからだ。
こうして現在に至るまで、引き続きプランは進められていたのである。
魂の乗せ換えと力の付随技術。
その集大成が、この醜悪なるテトラポットだ。
魂そのものを扱い、練成し、強化して、次々と体を乗り換えていった結果が、これだ。
『ほほほ、ではプランBの方はどうじゃ?』
『えー、もういいじゃんかー。聞くまでもないよそんなのさー』
嘲りを含んだ声で、翠色のテトラポットが問う。
彼等はもちろん知っていた。スミスがプランBの責任者であり、そしてプランBが全く進展を見せてはいないことを。
「いえいえいえいえ、こちらも万事滞りなく。全く問題はありません、はい」
『つまりどういうことかえ?』
「つまりは、特になしと、そういうことでございます」
『アハハ! ほうらね! アハハハハ! アッハハハハハハハ!』
『ほほ、ほほほほ。これこれ、笑ってはいかぬぞ。ほほほほほ!』
先ほどとはうって変わり、心底愉快でならないとでも言いた気な声色。
『それでそれで? 君の“担当”はとうとう死んじゃったのかい? どんな愉快で滑稽な死に様だったのかな! 教えておくれよ!』
「いえいえいえいえ、これがまたしぶとく生き残っておりまして。ええ、はい、おかげさまで」
『……へぇ、そいつは良かったね』
『良き哉――――――』
プランの進行を奨励してはいるものの、本質的にこの存在は、自分以外に神に近づくものを許しはしない。
何という人の醜さよ、やはりこいつ等は神に相応しくは無い。
スミスは、決して声にも顔にも出さずにそう思った。
テトラポットは特にプランBがお気に召さないらしく、半ば放任してあるというのに、こうしてスミスを呼びつけ報告することを強要していた。
いい迷惑だ、と思わなくもなかったが、しかしそれは同時に気を向けているということでもある。
彼等が責任者に任命されたスミスに無断で、秘密裏に『転移召喚』された存在を、組織が捕捉する前に捕らえて自らに組み込むための実験を繰り返していることを、スミスは掴んでいた。
圧倒的に劣るはずの彼等の肉を何故欲するのか。
それが何故かは、スミスには解からなかった。神に近い存在として、何か感じ入るものがあったのかもしれない。
人としての在り方を自ら放棄した者を、人のまま在り続ける者が理解できる訳もないのだが。
しかし、非常に不服だったが、スミス自身も確証のない自信と確信があった。
人の手により神を造り出すならば、自らが進めるこのプランBしかないと。
だからこうして、組織が掲げている目的が自らが抱く望みと真逆に位置するものであったとしても、組織に留まり続けているのである。
『では――――――100名程――――――更なる召喚をし――――――補充せよ――――――』
果たして、その何人が生き残るのだろうか。
声は続く。
『その召喚を最後とし――――――全対象の死亡確認を持って――――――プランBを――――――閉鎖する――――――』
「は……いま、何と……?」
『あれれー? 聞こえなかったのかなあ? 全部始末しろって言ったんだよ間抜け! あれあれー? どうしたのかなあ? 何か言いたいことでもあるのかなあー? はっきり言えよゴミッ屑!』
「い、え……何も、ありません」
道化を装うことも出来ず、スミスは首肯した。
プランBとは、Aのように魂を扱うのではなく、異界の住人をそのままこちらの世界へと転移召喚する試みであった。
召喚と言うには、やや語弊があるかもしれない。
当然だが召喚には魔術を使用するため、魔術的要素の存在しない異界においては、召喚魔術が発動しないのだ。
スミス達が行うのは、世界を一瞬だけ繋げること。観測点から針のように、世界の“境”を延ばすことだけだ。
『世界』というものは、他の世界が近付くとそれに混じり合おうとする性質があり、延ばされた世界の境はその一点を持ってして、異界と繋がる道になる。
すると極小のブラックホールのような、物理的には観測出来ない、空間の穴が形成される。
その穴を潜り抜けさせることにより、魔力無き異界の住人をこちら側へと、引き摺り落とすのだ。
当然、これは禁術である。
世界同士が混じり合ってしまっては、“こちら”か“向こう”のどちらかが崩壊してしまうからだ。
“向こう”の世界は魔力素を含まない宇宙から精製されたらしい非常に珍しい世界であり、魔術によって繋げた道は一瞬で寸断されてしまうため、その心配はないが。せいぜいが、人一人を落とす程度の穴が出来るくらいである。
魔術の無い世界、というものがどれだけ特異であるか、ここからでも解るだろう。
ここで言われた『召喚』のイメージとしては、プランAが金魚すくいで、プランBが落とし穴に獲物が掛かるのを待つのに近いだろうか。
死して世界の境から抜け出た魂とは違い、魔力要素の無い異界の中に在る存在に直接介入することは、不可能なのである。
そのため、対象は老若男女選べず、召喚魔法の性質からか召喚された者のほぼ全てが迷宮へと送られる始末。
ほとんどが魔物に殺されるか、遭難して死ぬか、“壁”の中で生き埋めになるかのどれかだった。もしくは彼等に捕らえられ、実験体にされるか、である。
そも召喚の成功率が低く、そして生存率まで低いとも成れば、生き残った対象は常に監視下に入れねばならなかった。
監視は主に対象に着いた担当官が行うが、文字通りただ監視を行うというわけではない。魂の階位を上げるために、様々な試練を課すことも担当官の使命であった。
『転生者』は力を付け加えられており、この世界の存在となりレベル制に組み込まれるために放っておいても構わないのだが、『転移者』はそうはいかないのである。
要所毎に自ら困難の渦中へ飛び込むよう、軌道修正してやらねばならなかった。そしてまた、死亡率が跳ね上がることになるのである。
転移召喚された異界の存在は、狙い通りこの世界のくびきに囚われることがなく――――――レベル0であった。
これにはスミスも相当に手を焼いた。試練の難易度が高すぎれば対象は死に、かといって低すぎれば効果は見込めない。
プランBはそれぞれ対象に適した試行錯誤を繰り返し、そして様々な道具や人材を活用しなければなくなったのである。
しかも召喚の特殊さから、何人もの魔術師を使い潰さねばならないのだから割りに合わない。
つまり、非常にコストが掛かる、ということだ。
組織運営の面から見ても、また併せ持った傲慢さによっても、眼前のオブジェクトはさぞこのプランBを潰したくてたまらなかったことだろう。
そうしてプランB閉鎖の宣言である。
それは、最終プランであるプランCの準備が整ったということ――――――。
『ええー、そんな事はないんじゃないのー? だって君さあ、あのゴミと同じ“名無し”に改名しちゃうくらい入れ込んでたじゃないのさあ』
「趣味のようなものでございますよ。まさかまさか、皆様方の決定に背くようなことなど、決してありませんとも。ええ、本当に」
『……ふうん。つまんないの』
突然の宣告に衝撃を受けたが、とうとう時が来たか、とスミスは納得した。逆に、今までよく続いたものだと感心したくらいだ。
感謝してやってもいい。
認めるのは癪だが、あの御方を見つけられたのは、こいつ等の力添えがあってこそだったのだから。
『ほほ、これで話は終わりじゃの? ではスミスよ、もう下がってよいぞ』
はい、と優雅に一礼を返し、スミスは転移魔術を発動させる。
『影』を用いた魔術は、邪神の加護によるものだ。
神の蹴落とし方を探る組織であるのだから、まっとうな神の加護など得られはしない。組織に属する者はスミスに限らず、皆邪神の加護を受けていた。
中には潜入調査のために、彼の元同僚のように転々と信仰を変える者もいたが。
神に善悪など存在しないのだが、邪神はそんな自らの存在を危ぶませる者も受け入れる、ある意味大らかな神であった。
ただ、人間の道徳にそぐわない行を強要されるだけだ。故に、その加護を受ける者は社会的に蛇蝎のごとく嫌われることになるのだが。
スミスが影へと沈んでいく。
影がぬるりと蠢いた後には、醜悪なオブジェクトがただ佇むのみ。
部屋は静寂を取り戻していた。
ただ腐肉の臭いを漂わせて。
□ ■ □
さてどうしたものか。
何処の施設の中、薄暗い執務室の椅子に腰掛けて、スミスは顎をさすりながら考える。
あの腐肉の部屋と同じ施設内にあるというのに、全く血の臭いのしない、カビた紙とインクの臭いと古書に溢れる執務室。
スミスは帽子とコートに肉の臭いが染み付いてしまったことに顔を顰めながら、侍従を呼び出すベルを鳴らす。
さて、プランBの閉鎖が宣言された以上、奴等は本腰を入れて潰しに掛かって来るだろう。
しかたなしに始めさせたプランなのだから、それはもう、嬉々として。
プランAは利益をも生み出すのだから、もう一方は不要なのだと。
赤子を差し出せば中身を優秀な者に入れ替えてやる、というビジネスは、子供を政治の道具としか見ていない貴族達にとって、とても魅力的な取引に映ったらしい。
所謂前世の記憶を保持したままの赤子達は、中には小賢しい考えを持つ者もいたが、平和ボケした国に生まれ育ったものが、海千山千の政治の怪物達を相手に出し抜けるはずもない。
負けたように見せかけてやれば満足して、何十人と女をくれてやれば簡単に溺れ、傀儡に成り果てる。取り扱いが簡単であるところも、人気の一つのようだ。
後継者問題をクリアするだけでなく、いずれは新たな肉体へと乗り換え処置もしてくれるというのだから、永遠の命などを求める者達にとっては垂涎の的であるのだろう。
ただ、事が事だけに、あまり派手な動きは好まれない。
大掛かりな活動はスポンサーである貴族連盟から反発を喰らうことは解かっているために、その作業は誰も知ることの出来ない“闇の闇”の中で行われるのだろうが、それでも情勢は激化するに違いない。
大陸のどこかで戦火が上がるかもしれぬ。いや……あるいは、全てが崩壊するかも。
どこまで彼らの主プランであるプランCを進めるのかは、自分には解らないことだ。
最悪の事態にならぬことを祈るしかない。
「祈る、ですか」
それは神にであるか。
それともアレの良心にであるか。
どちらにしろ、未だ猶予があるとしても、早急に手を打たねばならなかった。
先日の暗殺者騒ぎのように、直接的な手段に出られては対処のしようがない。
あの時は元同僚が駆けつけたため事なきを得たが、次も無事に済む保障などないのだ。
上手く貴族派の仕業であると誤魔化したようだったが、奴等の指示によるものであることなど、解かりきっていた。
聞くところによれば、自分達の組織と関係が浅くは無い、龍眼の力で商業進出に成功した大貴族――――――メディシス家の令嬢が、独力で組織の“陰”を掴んだらしいが、それは正しかった。
――――――彼女のような人材が手元にいたならば。
人事に恵まれなかったスミスはそう嘆いたが、居ないものは仕方が無い。
独力で事を遂行せねばならないだろう。
今までもそうしてきたし、これからもそうしていくに違いない。
「ククク、クァッカッカカカ――――――結局は、今まで通りですかねえ」
タイムリミットが縮まっただけで、自分のスタンスは変わらない。
ただ時間と自由に使える金が制限される以上、自らのプランの短縮を計らねばならないか。
そうして積極的に介入を進めることで、奴等の牽制にもなろう。彼が生き残りさえすれば、必ずそう動くはずだ。
長い大理石の廊下を歩きながら、スミスは自らの“担当する者”に思いを馳せる。
正直なところ、別に彼でなくてもよかった。
ただ、他の候補者と違い彼は強運だった。
悲劇に塗れるが、活路を見出せる運、悪運が強かったのだ。
迷宮から逃げ延び、“信者”を得て、そして力さえ身につけた。
その時にスミスは、彼しかいない、と。そう思ったのだ。期待したのだ。
未だ確信に至らぬこの想い。固める必要がある。
彼は、自分が望む神の“カタチ”と、見事に合致しているのだから。
だから自分は『スミス』となり、自らの全てを彼のために尽くそうと誓ったのだ。
そう、彼が神へと至るために。
スミスが組織の人間と根本的に違うのは、組織の人間が神へ至る道を探す求道者であるのに対し、スミスが新たに産まれるであろう神を崇める、狂信者であることだった。
だからスミスは、彼の命を無視するかのように無理難題を押し付けてきた。
本当に死んでしまっては困るが、しかし自分が講じた策程度は乗り越えてもらわねば、という押し付けに等しい期待からである。
そして見事に彼は全ての試練に打ち勝ち、その度に新たな力を身に付けて来た。
彼の魂の階位が順調に上がっていることを感じ、スミスは自らが神を構成する礎の一部と成っているのだ、という感動と快感に背筋を震わせた。
このままいけばきっと。
きっと彼は、私が望む神に成る。
“神を討つ神へと”――――――。
「やあやあ、ありがとうございます。お勤めご苦労様」
侍従が扉をノックするよりも早くに、影を繰って扉を開け放つ。
驚愕に固まる侍従の手から、スミスはさっと帽子とコートを奪い取った。
ゴミ箱に適当に突っ込んだものと同じデザイン。傷や汚れまで同じであれば、強迫観念さえ感じられる。これがスミスの正装であった。
くたびれたコートと帽子を被りながら侍従に礼を言うも、小さい悲鳴を上げて逃げていく女侍従の後姿に、スミスは苦笑した。
どうやら、自分は女子供にはことごとく嫌われる運命にあるらしい。
この侍従に限っては、以前無理矢理に侍従服を剥ぎ取ってやったからかもしれないが。
そういえば、その剥ぎ取った侍従服をプレゼントした元同僚からも、やたらと嫌われていた。
有能ではあったが、自分の出自に眼を背け続け、「今よりはましになるはず」などという頭の悪い理由で組織に属していた半端者だとばかり思っていたが、中々どうして。
彼を信仰し尽くすことによって、容姿と血の葛藤を乗り越えたのか。
真の信仰に目覚めたようで、喜ばしい限りである。
だがまだまだ、これからだ。
そう、全てはこれからなのだ。
「はてさて、しかし次の試練はどうしましょうかねえ?」
それにしても時間が無いというのが残念でならない。
これまでじっくりと、理不尽と暴力と悲劇とに彩られた喜劇を演出してきたというのに、台無しである。
「本当は物語の山場として、とっておきのイベントにしたかったのですが、仕方ありませんかねえ。丁度、『神降し』をするには最適な場所であることですし。まあ、妥当といったところですかねえ」
心底残念だ、とでも言いた気に、スミスは息を吐いた。
自らが演出する脚本に生じた綻びが、美意識に反すると思っているからか。
しかし、舞台上の役者がアドリブを演じたとしても、それら全てを御し、一つに統合するのが一流というもの。
スミスには自分が“本物”であるという、自負があった。
御しきってみせよう。そして、導いてみせよう。
主演は貴方。観客は皆無。
演出家は私。脚本は悲劇。
道を示そう。
だから貴方は、唯々、進みなさい。
腕が折れても、足がもげても、血を吐きながら進みなさい。
神への道を、鋼で出来た鎧を纏って――――――。
「ではそろそろ、“子犬ちゃんに”退場してもらうことにしましょうかねえ。ククククク、クァッカッカカカカカ! ククク、カカカカカカカ――――――!」
果たしてその時、彼の瞳はどれほどの絶望を映し出すのだろうか。
その光景を眼裏に描き、スミスは彼―――ナナシがセフィロトの樹を駆け上がっていく姿を夢想して、狂笑を上げる。
一頻り奇妙な笑い声がこだました後には、辺りには何者の気配も無くなっていた。
ただ影が、“ぬるり”と蠢いていただけだった。
闇に生きる者共が動き始める。
投稿開始からちょうど2ヶ月!
今後とも頑張ります。
ご感想いただけたらば励みになります。