地下25階
学園発、各外部都市行きの中央駅。
駅の臭いといえば、排気と蒸気の臭いに人の体臭と酔っ払いの吐瀉物の臭いが入り混じったものなのは全世界共通であるはずが、この駅はまた別種の熱気に包まれている。
学園都市の門である中央駅は、まだ空が紫掛かる早朝であっても人の波が引くことはない、24時間制の発着駅である。
放射状に敷かれたレールの中心に位地する学園都市中央駅は、魔列車の中継基地としても機能していた。ここを通してあらゆる物資が都市へと運ばれ、また各外部都市へと運ばれる。
物や技術はもちろんのこと、人も、である。
ここに、ひっきりなしにホームに鳴り交う発着のベルを耳に、運良く空いていたベンチの周りにたむろする若者達がいた。
「もう一度確認だ。忘れ物はないか?」
「はーい、ありません先生」
「わんおー」
「真面目にしないか。まったく、君達ときたらいつもいつも……」
「いいではありませんか。いつも通りが一番ですよ」
鳥頭、冴えない男、犬耳、メイド。多種多職が集まった異色の集まり。
冒険者科クリブス班のメンバーである。
大きめのトランクを引き摺るナナシを除き、皆軽装で身軽な装いだった。といっても旅装ではない、という意味での身軽さだ。
クリブスは手に仕込み魔杖を握り、術式が施されたローブで身を包んでいた。付与魔術士という前衛と後衛の役割の異なる両者をこなす中衛魔術士として、十全に機能を発揮出来得る装備である。
鈍色は腰に折り畳み式の戦斧、胸と手足には鋼鉄製の防御プレートを装備している。学園指定の制服と各所を守る防具だけという、突撃前衛としてはいっそ軽装であったが、攻撃を喰らわないことを前提とした戦闘法を執る鈍色にとっては、防具など余計な重りでしかない。
アルマはといえば、これは常の侍従服であった。しかし各所に防御装甲が施されており、スカートや袖の中にはナイフや杖が仕込んである様だ。パーティーを支えることを意識し、詠唱中のクリブスを守り後衛に徹するための装備が整えられている。
ナナシの肩にはだらしなく下げられた兜が。足元には、大き目のトランクが置かれている。遊撃要員のナナシにとってはこのトランク一つで完全装鋼、完全装備である。
迷宮探索のための装備に身を包んだ者達。
つまりは、彼らは今、旅に出るために駅に集まった若者達では無いということ。
迷宮探索に赴くため魔列車の到着を待つ、冒険者である。
「ナナシ、君はさっきから一体、何をそんなにニヤニヤしてるんだ?」
「ん? ああ、ほら」
そう言ってナナシがクリブスに見せたのは、学園から支給されている生徒手帳型のPDA。
指でフリックする毎に、何枚もの写真が流れていく。
「……これは、この前の旅行の時の写真か? いつの間に撮ったんだ」
「ツェリスカのここんとこ、こめかみの辺りに外部把握用のカメラが付いててさ、それで写真が撮れるんだよね」
「ああ、いつもの撮影趣味か。被写体に断りなくシャッターを切るのは関心しないが」
「人聞きが悪いこと言うなよ。これは思い出の記録だからいいんだって」
手帳へと無線で送信された画像データをスライドショー機能で表示させれば、学園に入学した時の写真から順に表示されていく。
たった5年しか過ごしていないというのに、なんとも懐かしく感じた。
落とし穴に嵌って身動き取れなくなった時の写真。
鈍色が授業中に薬品の調合に失敗し、顔を煤だらけにした写真。
クリブスと喧嘩をして殴り合っている写真。
アルマが未だ兵士であった頃の写真。
ナワジのセクシーショット。
お嬢様の照れて真っ赤になっている顔を取った写真と、その直後に撮ったのがばれて説教をされた時の写真。
写真が表示されると共に、思い出も湧き上がってくる。
そのほとんどが失敗の映像なのだから、笑ってしまう。
「くぅん……」
「そうですね鈍色。ここに写真があれば、ナナシ様あのお顔、是非とも保存していたというのに」
「わん」
「良いお顔をされています……本当に……」
「わんおー」
「ええ、忘れないようにしましょう。これが私達の思い出の絵、ですね」
「写真を撮るのが趣味だとか、年寄り臭いのでは」「ほっとけ、むしろ写真は若者趣味だろ。携帯電話のカメラとか」「携帯は好かない。僕は持たないようにしてる」「俺も、金ないからなあ」そんな軽口を言い合うナナシには、アルマ達の呟きは聞こえない。
それでいいのだと鈍色とアルマは顔を見合わせて微笑んだ。
「ちょっと、早くなさいな! なんなのそのお菓子の山は、置いていきなさいよ!」
「いやほら、オレってデカイからさ。食わないともたないんだって」
「ぐぬぬ……コレに栄養が全部行くとか……なんなのこの無駄乳……!」
「使えるから無駄じゃありませんーだ。お嬢様にはわかんねーかなー」
「だからわたくしは並みだと言っているでしょう!」
「はいはい、全方位攻撃型お嬢様は皆さんの迷惑になるから黙りましょうねー」
「んきー!」
「お、いたいた。おーっす! わりぃわりぃ、遅れたわ」
手を振りつつ合流したのは、ナワジとセリアージュ。
ナワジは満面の笑みを浮かべて、セリアージュは苦渋を舐めたような渋い顔で、どすんとベンチに座る。
「セリアお嬢様すんごい不機嫌そうだけど、先輩、何かあったんですか?」
「さあ? 朝からずっとこんな調子でよ。やることなすこと噛み付かれてなあ」
「わっふーわっふー」
「……何よ、鈍色。あっちいきなさいな」
はてと首を傾げるナナシの隣で、鈍色がセリアージュの周りをにまにまと笑いながら駆け回っている。
装備を見せ付けるような鈍色の仕草に、ああとナナシは得心した。
「あ、なるほど。今回お嬢様だけ留守番……」
「ああん――――――?」
「いえ……なんでもないです……はい、すみません……」
お嬢様が決してしてはいけない、メンチ顔だった。
「まーオレも付いてくっつっても、迷宮の中までは行かないからな。駅から迷宮までの足の準備にそのトラックの運転と、装備とか道具の整備くらいなもんさ。お前ら感謝しろよ。整備士雇うの高いんだぞ」
「ええ、もちろんです。ナワジ先輩には、大変ご迷惑をお掛けして」
「いいっていいって、クリブスよ。頭なんか下げんなって! わはは!」
「感謝しろっつったのはあんたでしょうが」
「お前は細かいんだよナナシ! おらっ!」
「あだだだだ! 頭が! 痛柔らかい!」
じゃれ始めるメンバーの中で、セリアージュは所在無さ気にぽつんとしていた。
今回の迷宮探索では、クリブス班に関わる面子では唯一の居残り組であるセリアージュ。迷宮探索も片手で数えられるくらいしか経験していない彼女は、冒険者特有の死地に赴く前に異様なテンションになるという現象に、付いていけないところがある。死への恐怖を吹き飛ばし誤魔化すための儀式には、それに関わる人間にしか共有出来ないものがあるのだろう。
そんな彼女の周りを鈍色は回る。両手を広げつつ、スキップなどをして。
まるで、「一人だけハブられちゃって、今どんな気持ち? ねえ、ねえ?」と問い質さんとばかりに、にんまりとして。
お嬢様の肩が振るえ始める。
訂正しよう。十分このテンションにお嬢様も適応している。
「こんんっの! 犬っころ! 待ちなさい!」
「わっふーわっふっふー!」
「待たんかこの泥棒犬!」
「ぐふぐふぐふ!」
「仲良く喧嘩しろよー」
一応止めておくナナシの声など耳に入る訳もなく。
ベンチの周りをぐるぐると追いかけっこを始める鈍色とセリアージュ。
他の客に迷惑であることこの上ない。
「皆はちゃんとマナー守らなきゃ駄目だぞ」
「君が言うセリフじゃあないだろうが、馬鹿が」
「そっすね……そうっすよね……」
極寒の眼を向けるクリブス、苦笑するアルマ、菓子を食うナワジ、睨み合う鈍色とセリアージュは何時もの調子。
各々が思い思いに魔列車の到着時間を待っていた。
クリブスとアルマが荷物の最終確認を始めたのを見て、ナナシもまた自分もと兜を持ち直したところで、何かを思いついたようにしてその兜を掲げた。
「それじゃあ、出掛けに一枚」
機械仕掛けの兜。
そのコメカミに備え付けられたレンズが、カシャリと小さな音でシャッターを落とした。
皆を背景に、自分の顔が半分だけ映るような構図、になっているだろうか。卒業探索が終わってゆっくり出来る時間がとれてから確かめよう。色々と。これまでの歩みを、少しずつ。
それは、かつて教えられた決して振り返ってはならぬという教えに反する事とは違うだろう。過去を大事にすることは、歩みを止めてしまうこととは違うはずだ。
列車の到着を知らせる、ベルが鳴る――――――。
「ほら、あなた達、列車が到着したわよ」
セリアージュが皆を急かす。
役目を盗られたなとクリブスは肩を竦めた。
「クリブス。リーダーとして、皆を導いてあげて。そして皆を助けなさい。皆には、あなた自分も含まれているということ、忘れないで。いいわね」
「ああ……ありがとう。行ってくるよ」
セリアージュはクリブスの肩に手を置いて言った。
「アルマ。メイドになってから、いい顔をするようになったわね。わたくしはそっちの方が好きよ。皆に尽くし、侍従の何たるかを学んだら、わたくしの下に来なさい。いいわね」
「はい、お嬢様。ですが私はもはや主を持つ身なれば、お言葉だけ有り難く頂戴致したく存じます。お嬢様のお心使い、身に染みました。行ってまいります」
セリアージュはアルマの最上礼を当然のようにして受け止めて頷いた。
「ナワジ。先輩だからって頭は下げないわよ。それに、貴女だって望んでいないはずよね。あなたは技術者でありながら冒険者と対等な立場にいられる存在よ。同じ目線でものを見て、貴女の物差しで計りなさい。いいわね」
「おう、お嬢。お前の代わりに、オレがちゃんとコイツらを送り届けてやるからさ。だからお前はいつも通り、胸張って待ってな。お嬢の仕事は、コイツらにおかえりって言ってやることだからな。じゃ、ちょいと行ってくるわ」
セリアージュはナワジの胸の中心を指で突いて押し出した。
「鈍色。皆を……いいえ」
セリアージュは諦めたようにして小さく頭を振った。
「――――――あの人のこと、よろしくね」
「わん」
返答は頷きが一つ。
たったそれだけの短いやり取りの中に、どれだけの想いが込められていたのかは、見詰め合う少女達にしか解らないことだ。
「行ってらっしゃい、鈍色。喧嘩の続きは、帰ってきてからよ」
「わんっ!」
セリアージュは鈍色の背をそっと押して言った。
「さて、ナナシ」
「うっ……はい」
「……」
「……あの、黙って睨まれると、怖いんですけど」
「……あなたを送り出すのは、二度目ね」
「いや、何度も迷宮探索に出かけたの、見てたじゃないか」
「わたくしの問題よ。いいわ、もう、認めてあげる。わたくしが間違いだった。あの時、あなたなんか冒険者になれっこないって言ったあの言葉、間違いだったわ。あなたが正しかった。あなたはもう、立派な冒険者よ」
「お嬢様」
セリアージュの瞳には、優しさとある種の諦観が一杯に湛えられていた。まるで自らの庇護の下から飛び立つ雛鳥を見る、親鳥のような。そんな目だった。
ナナシはこれまでセリアージュの忠告に耳を貸したことがなかった。
ジョゼットに学んで戦う力を得んとした時も、冒険者を志さんとした時も、学園に入学を決めた時も、ナナシが険しく残酷な道を選ぶ度、セリアージュはナナシの身を案じて引き止めていた。
その悉くをナナシは無視をし、時には冗談で流して、突き進んで来た。来てしまった。
そんなセリアージュが、初めてナナシを認めた。
ナナシは何かを言おうとしたが、二の句を継ぐことは出来なかった。
謝ろうとしたのか、感謝の意を述べようとしたのか、ナナシ本人ですら解らない、複雑な気持ちが渦を巻いて、吐息として漏れ出たのみだった。
苦しそうにして眉を潜めるナナシに、セリアージュは呆れたようにして笑うと、ナナシをくるりと振り向かせてその背を平手で打った。
ぱしん、という軽い音。
「しっかりなさい。ちょっと褒めたらこれだから、もう」
「お嬢様、俺」
「いいから。振り向いては駄目よ」
広がる熱。
ナナシの背に、セリアージュは額を付けて目を閉じた。
あの頃、あの廃れた街で始めて出あった頃のナナシは、見るからにひ弱で、情けなく、心も身体も小さな男であった。
セリアージュはそう覚えている。
なぜこんな所にいるのかさっぱり解らないと困惑する、今にも泣き出しそうな迷子のような顔をした男だった。
自分にとってナナシという男は、守ってやらねばならない男だった。
たまに気概を見せて立ち上がり戦いもするが、この男は自分の下に帰ってくるのだと、そう根拠もなく信じていた。
だからかもしれない。この男の背がこんなにも広かったことに、気付かなかったのは。
「まだ一年、もう一年しかないわ。冒険者になったら、隙を見せては駄目よ。貴方は貴族派に睨まれてしまっている。命を狙われることになるわ。迷宮探索と刺客、二つの危険に身を晒しながら生きていかなければならない」
「覚悟の上だよ。もう決めたことなんだ」
「そうね。あなたは初めから決めていた。それを信じなかったのは、わたくしの方」
熱が離れていく。
セリアージュはナナシの背を強く押した。
「しっかり、頑張りなさいな、ナナシ。大丈夫、きっと大丈夫よ」
「うん」
「行ってらっしゃい、あなたの信じた道へ。さあ、冒険者さん」
「うん――――――行ってきます、お嬢様」
卒業論文作成のための迷宮探索の後、来年一杯は、資格試験の対策と論文執筆に追われることになる。
そして卒業を迎え、それぞれの道を歩んでいくのだ。
貴族と冒険者の、決して交わらぬ道を。
セリアージュも解っていて、見送りに来たに違いなかった。
彼女だけではない。ナナシはいつ倒れるか解らぬ身で、鈍色は強い迫害に晒されるかもしれず、アルマは己の身に流れる血を隠して、クリブスは貴族の社会に戻る。
解っていて、誰も口に出さないでいるのだ。
学生がじゃれあっているだけの、なんともない日常の光景。
だがこの光景は……ナナシは、今自分は、何物にも代え難い光景を見ているのだと感じていた。
とても美しい、儚い夢のような――――――。
「行くぞ、ナナシ」
「ああ、行こう」
冒険者科クリブス班の、最後の迷宮探索へと。
□ ■ □
長時間クッションも利かない貨物室にすし詰めにされ、降りて直ぐにナワジの荒っぽいトラックの運転に揺らされたせいで、腰が痛む。
まだ地面が揺れているようだ。腰を擦りつつ、ナナシは眼下を見降ろした。
梁のように巡らされた木枠の足場は、とにかく組み上げただけのいかにも仮組みといった体で、足を踏み出す毎に大きな軋みを上げている。
深く縦穴式に広がった空洞に、螺旋状に組まれている木の足場は、利便性も考えず突貫で作業を行ったのかあちこちランダムな構造になっている。
もしもの時に崩しやすいよう、先遣隊がわざと脆く組んだのだろうか。
人を拒む造りは、こちらとしては都合がいい。
先頭を行く鈍色のハンドサインを確認。
湿った空気を肺に入れつつ、ナナシ達は“迷宮内”に張り巡らされた急ごしらえの足場の上で、静かに身を屈める。
「なあクリフ、何かやばい事してるような気がするんだけど。何でこんなコソコソしなきゃいけないの?」
「無許可探索だから、見つからないようにするのは当然じゃないか。もう少し下の階に下りるまでの辛抱だ。警報機が作動しているのは入り口近くだけだからな」
「いや、無許可なのは知ってるけど、そこらへんのあれこれをこう、偽造とかして潜り込んでくって話しじゃなかったっけ? 話は通してあるって、お前言ってただろ」
「ちゃんと通したぞ。それで国軍の調査団のスケジュールを買ったんだ。その隙を突いて僕達はここにいるという訳だ」
「という訳だじゃねえよ、話し通したってお前、闇ブローカーかよ! どうすんだよ、俺2つくらい封印破っちまったよ! 補償とか無理だぞ!」
「ふむ、君の結界破りの体質はいつ見ても興味深いな。どれ、そこらの適当な封印をもう一つ破ってみてくれ」
「クリフお前、信じらんねえこいつ……!」
「使えるものは使っていこう。気兼ねする必要なんてないさ」
「楽しそうだなこのやろう」
「どうせ最後なんだ。景気良くいこうじゃないか」
さも当然と答えるクリブス。
ナナシはコツコツと手甲に包まれた指でこめかみを叩き、聞き返した。
「クリフ、一応もう1回聞いておくぞ。お前の家とは、裏で話がついてるんだよな? “こっそりする”のはポーズだけで、何か問題起きたらカバーしてくれるようになってるんだよな?」
「言う訳ないだろう。せっかくハンフリィ家のネットワークにクラッキングして掴んだ情報なのに、そんな事をしたら他の冒険者の手で“安全確保”されてしまうに決まってるじゃないか」
「……貴族が馬鹿だって言われまくるの、解った気がする」
「おい、やめないか。君に馬鹿だと言われるのは不愉快だ」
「うるせえよ悪かったよ、事務手続きとかノータッチだった俺が悪うござんしたよ!」
諦めたようにナナシはがっくりと肩を落とした。
そういえば確かにクリブスは、情報を掴んだとは言っていたが、実家に話を付けたとは一言も言ってはいなかった。
何かナナシ達が失敗を犯せば、命は勿論社会的な制裁を食らう可能性が大である。
どうりで迷宮内部に忍び込むのに、私財搬入口や大きな亀裂の隙間を行くなど、手間を掛けさせられたはずだ。
書類上正規の探索にしてしまうはずが、もはや完全に無断侵入の盗掘だ。
事後報告でうやむやにするか、家の権力を盾に無理矢理に正規探索として通してしまうつもりなのだ、クリブスは。
クリブスは根拠の無い無謀は決して冒さぬ性格だ。こんな無茶苦茶を通しても何の問題にもならないか、何の問題にもさせない自信があるが故の行いであるのだろう。
最近の貴族はやたらとアグレッシブらしい。セリアージュ共々、少しは自重してほしいと思わずにはいられないナナシだった。
「ほら、皆を集めろ。先へ進むぞ」
「了解しましたよリーダー」
現在クリブス班が足を踏み入れているのは『未踏の迷宮』、その地下部分である。
ハンフリィ家の情報網に掛かった新たに発見された迷宮で、未だ命名もされていない、手付かずの原生迷宮だ。
学園から各都市間直行の貨物列車に乗り4時間、そこから郊外行きのナワジが運転する輸送トラックの荷台に乗り込み、再びエンジンに揺さぶられる事2時間。
都市部からは大きく離れた荒原地帯に、その迷宮は存在した。
当りには何も無い赤土が広がっていて、その周囲には国軍の調査団が築いたキャンプと物資がうず高く積み上げられていた。
もう調査は終わったのだろう。ナナシ達が忍び込もうとした時には、もう調査団に追随する学者の姿はなく、軍人達ばかりが物資を持って右往左往としていた。忍び込むのは容易かった。
迷宮内部はというと、中空が空洞となっていて、縦に延びるシャフト型の重層構造が非常に珍しい、ドーナツ状の迷宮である。
壁沿いにらせん状に下へ下へと降りていく迷宮で、壁に向かって延びる横穴が各階層の部屋となっていた。本来はこの部屋に潜りこみ、蟻の巣を辿るように内部から外部へとうねりながら下っていかねばならないが、調査が済んだ階層までは、国軍が設置した足場を伝って直接内壁沿いに降りて行く。
迷宮の底は魔力溜まりとなっているようで、肉眼では確認できないが、絶えず立ち昇る魔力光が周囲を照らし、内部は非常に明るく光源は不要な程だった。
これもまた珍しく国軍が発見した迷宮であるためか、冒険者に根こそぎ掻っ攫われる前に成果を挙げようと、兵士や騎士達、学者達が大量投入されたようである。
低層階の魔物は一掃されていて、今の所は全く殺気や気配を感じない。
「足が遅いって非難されてるが、流石お国の軍隊だよな。魔物の気配が全くしない」
「ああ、当然だ。初動の遅さは如何ともし難いが、やるからには徹底的に、殲滅を旨とする戦闘集団だからな」
「まあ魔術ぶっ放して更地にしちまうんじゃ、殲滅しか出来ないだろうよ」
「ある意味、脳筋だな」とナナシが漏らした素直な感想に、クリブスは眉を顰めたが反論することはない。同意見だからである。
貴族の子弟を中心に構成される国軍は、兎に角魔術一辺倒の、大鑑巨砲火力主義だからだ。
かつてのクリブスならいざ知れず、冒険者となって、戦うことを“工夫する”ようになった今では、叩き潰すだけの戦闘は受け付けない所がある。
国軍という戦力としてだけ見れば、大火力を叩き付けるだけのシンプルな戦法は非常に理に適ってはいるのだが。
つまりは、気分の問題ということである。
“ちまちま”とやるしかない冒険者のやっかみであるかもしれない。
ナナシは迷宮に忍び込む前に見た、国軍の列を思い出す。
大勢の兵士達が規則正しく並び、木箱を抱えて行列を作っていた。
彼ら兵士達はその多くが市井の人々、食いつなぐ為か、それしか道が無く志願した者達である。つまり、主に貴族である騎士のための労働力や、魔術の詠唱を守るために戦闘の初期戦力として投入される存在だ。
ひっきりなしに動く兵士達。「まるで蟻のように見えて来るな」とはクリブスの感想である。アルマの複雑そうな顔を見やれば、それが事実であることは言うまでもない。あの働き蟻の一匹となるはずだった己に、アルマは何を思ったのだろうか。
国軍が原生迷宮を見つけた場合、ああしてまず、兵士を投入して威力調査を行うことが常套手段である。
そこで兵士がどれだけ消費されるかで、迷宮のランクが決定されるのだ。
強い魔物が住まう迷宮には、金銀財宝、強力な神意が宿った武具が存在するということについては、述べるまでもないことである。
迷宮を資源と言い換える者は少なくはないが、しかしそれは事実であった。
現状では国際条約により、迷宮で発見された物品の所有権は、基本的に発見者の所属する団体のものとされている。
つまり早い者勝ちである。
国の行える権力の行使は、その迷宮が何らかの危険要素を孕んでいた場合に、立ち入りの許可不許可を敷くのみでしかない。
この辺りの、個人の権利が守られ過ぎていて国益が無視された状態にあるという、訳の解らぬ事態となっているのは、冒険者の成立ちと歴史が生んだ伝統とやらの影響であるらしい。
貴族が冒険者を不倶戴天の仇として忌み嫌う理由の最たるが、これのためである。国益を吸い取る寄生虫のような存在であると認識しているのだろう。
迷宮の産む資源は早い者勝ちなのだから、組織的に人を投入した方が有利であるとは誰もが思い付く手だ。
ギルドや国家探索者というのは、国か民営のコミュニティかという違いはあるが、基本的な理念は等しくしている。
個人主義の馬鹿げた法が世界を縛っているのならば、それならそれで仕方ない。ならば、資源採掘のプロを多く囲い込んだ者が勝ちだ。人海戦術、これに尽きる。
そうして組織されたのが、所謂ギルド組員や、国家冒険者達であった。
ギルドや国家探索者として活動する者には成果の詳細な報告と、その一部を献上しなければならないという義務が発生するが、組織の後ろ盾を得られるということは非常に大きい。
利益の独占を狙って、パーティー単位で独立した冒険者達や一匹狼は数多く存在すれど、生き残れる者はほんの一握りなのである。
こうして個と集団、国とのバランスは保たれていたのであった。
さて、未だ迷宮が初期調査の段階である事を考えれば、地上で忙しく動き回っていた兵士達の目的は何だろうか。国庫を潤すためか、あるいは発見した資源や技術の戦術的利用か。はたまたあるいは、原生迷宮であることを“目玉”にして“売りつける”ことか。
どちらにしろ、見つからないに越したことはない。
「ああ、ほら鈍色、気を付けないと足を踏み外しますよ?」
「わんっ!」
「そうですね、貴女に限ってそんなことはあり得ませんよね。いらぬ心配でした」
「むふー」
ふらふらと足場を伝うナナシ達を余所に、アルマと鈍色は身軽に足場を跳んで行く。
クリブスは時折空を見詰めながら、ぶつぶつと意味の解らぬ言葉を口にしていた。
こいつは鳥頭の癖に、どうも高い場所が苦手だという。たまらぬだろうなとナナシは小さく笑った。
「ナナシ様! ここ、ここの足場がしっかりしてますよ。少し休憩を入れましょう!」
「おーい、声がでかいって」
「もう警報機器は設置されていませんから、大丈夫ですよ。それよりもほら、紅茶セットを持参してきたんですよ!」
「あんなに兵士がうじゃうじゃいた中で持ち込んだ荷物がそれかい。迷宮でティータイムって、お前ね」
「小規模のキャンプだと思えばいいだろう」
「え、乗り気なんだ」
「目くじら立てる程でもあるまい。長居は出来ないからな。短期探索で重要なのはペース配分だ。余裕を持って探索出来るなら、それに越したことはないだろう。だから、さあ、頼むから、早く腰を下ろそう。出来るだけ下の見え無い場所に」
「本音が出たなこんにゃろ」
「ナナシ様ー! こっち、こっちですよー!」
そういえば連携確認のためにアルマと迷宮に潜った際も、アルマは大きなバスケットを持参していたな、と思い出す。
恐らくは、侍従職に関わる“行”ではないかと、ナナシは目星を付けていた。
行、つまりは“縛り”というものが、加護に含まれる場合がある。それは時として人の行動様式を左右するものであった。
例えば、決まった時間に決まった方角へ礼拝しなければならない、といったようなものが、行の例である。
それこそ祈りのようなもので、完遂するかしないかは別として、行を行うという姿勢を示すことが大事であるらしい。
詳しい事は聞いてはいないが、万人が抱くイメージである“メイドらしい”行いをすることが、アルマに行として求められているのだろう。
行を破ればマイナス効果しかないのだから、寛容に受け止めるべきである。
多様な神が混在するこの世界では、他者の行に対して口を出さない事がマナーだった。
「ほら、お茶菓子も用意してあるんですよ!」
「えっ?」
アルマ以外の三人の顔色が、青に変わった。
「どうですか」と、どこか期待を込めた顔色でこちらを伺うアルマ。
――――――どうする。
――――――君が責任持ってなんとかしろ、アルマをああしたのは君だ。
――――――わんわん、わんわんッ!
一瞬にも満たぬ間。
三者は無言で、目と目で語り合っていた。
数年もパーティーを組んでいれば、大半はアイコンタクトで意思疎通できる。
「ナナシ」
「解ってる。アルマ、その菓子は手作りか? 誰が作った?」
「はい、もちろん。私が手ずから、夜鍋して作ったんですよ。夜にこう、お鍋を使ってですね」
「いやもういい。言わなくていいから」
アルマの言うよなべとは、夜中鍋をかき回す作業のことだろうか。ナナシの知っている夜なべと意味が異なっているようだ。
少し恥ずかしそうに、はにかみながらバスケットを差し出すアルマに、ナナシは陥落。これは、腹を括るしかない、と覚悟を決めた。明らかに一人では消費し切れぬ量に、クリブスも諦めたように虚ろな眼だ。
毒消しや胃腸薬を大量に飲めば、探索中くらいは持つだろう。その後の保障は出来ないが。
未踏の迷宮ということで、罠や魔物の警戒を怠ることはなかったが、まさか伏兵がこんな所に潜んでいようとは。
しかも自覚がなく、善意100%な所が性質が悪い。
――――――6:4しないか?
――――――8:2だろう。
――――――せめて7:3で。
――――――9:1。
――――――おい何故増える、ふざけんな。
水面下で行われる、ナナシとクリブスとの交渉、もとい擦り付け合い。
鈍色を巻き込まない辺り、良心はまだ残っているらしい。
「何度も失敗して、ようやく完成した自信作なんです。きっとナナシ様もまんぞ」
「うがー!」
「ああっ!? 鈍色、何を! ああー!」
アルマが言い終わるよりも早く、鈍色が差し出されていたバスケットを叩き落とした。
上手い具合に足場に引っ掛かったバスケットは、そのまま脇に逸れ、通路横の亀裂へと落ちていった。
陶器が割れる音が派手にしたが、警報装置は作動しなかった。どうやらもう、調査がされた低層階を過ぎつつあるようだ。
ふぅ、とあらゆる意味でナナシとクリブスは胸を撫で下ろした。
「グッジョブ鈍色、グッジョブ!」
「よくやった鈍色、君は僕達の恩人だ! 本当によくやった!」
本当は小躍りするくらいに嬉しかった二人だが、不安定な足場の上だったので、両親指を上げてサムズアップの形を取り、そのまま両手を掲げて喜びを表す事に。
鈍色も両親指を上げ、誇らし気に「むふー!」と鼻息を漏らした。
「ああー」と虚空に手を伸ばしていたアルマは涙を目に浮かべ、恨めしそうにナナシ達を睨み付ける。
「ひどくありませんかこれ!? そんなに私が信用ならないと!?」
「ノーコメント」
「ナチュラルにデスシチュー作るくせによく言えるなっつーの。せめて味見してから持ってこいや」
「がうがう!」
「た、卵焼きは作れるようになりました!」
「はい嘘、それ嘘!」
「ダウト、俄かには信じ難いな」
「わふん」
「ほんとなのにぃ……」
いじけて膝を抱えるメイドを無視し、足場を渡りきる。
べそべそと鼻をすすりながら後をついてくるアルマだったが、だれも同情はしなかった。自業自得である。
ナナシ達は主縦坑から延びる横坑に飛び移っていく。横坑の小部屋は、アルマが知らせたように休めるくらいにはスペースがあった。
アルマではないが、ここいらで小休止を取った方がいいだろう。
クリブスに休憩を提案すれば、すぐさま許可が。
皆思い思いに岩肌に腰を降ろし、身体を休める。やはり、腰が痛い。電車とトラックのせいだ。
他の三人は何とも無いと言う風に、ケロリとしているのだから理不尽さを感じる。
こんな所でレベル差というものが、肉体面に強く作用していることを再認識させられることとなった。体力もまた、レベルを上げることによって補強されるステータスの一つなのだ。
「よし、ここで休憩をとるぞ。アルマは僕と道具の整理、鈍色は結界の準備と警戒を頼む」
「俺はツェリスカに下降ルートの確認と魔物の予測を立てさせとく」
兜のコメカミの辺りを押さえながら俯けば、網膜に緑色のモニタが投射される。
クリブスがクラッキングで入手した内部映像を元に、魔物の出現率の低いであろうルートが予測、表示される。
やっている事は火事場泥棒と変わりはなく、事実そうなってしまったのだが、これが冒険者というものなのだろう。実地体験とはよく言ったものであり、それを真実体験させてくれたクリブスは本当に優等生である。
もちろん皮肉の意味でだが。
だが何も、この迷宮を不必要に荒らそうとしているのではない。
生息する魔物の生体でも、入手した物資や宝についてでも、迷宮自体についてでも、何か一つでも新たな発見が出来たら良いと考えているだけだ。
情報を持ち帰ること。
それが未踏破迷宮に踏み入る最初の冒険者に求められる、義務である。
探索から論文提出までが卒業試験であるために、高評価を狙うならよほどの武功を上げるか、あるいは過去報告例のない新しい発見をするかが望ましい。
国家冒険者となってからの“探索の目的”が定まっているナナシや、政界に乗り出さんとしているクリブスにとっては、特に今回の探索は千載一遇のチャンスであった。
無許可探索とは無茶をする、とも思ったが、それで罰せられることが無いのなら、これほど良い話はない。
国軍の手が最初に入ったために、“お伺い”を立てなくてはならなかっただけであり、こうして見つかりさえしなければ、どうとでもなる問題だ。
そも、迷宮への無断侵入で一々調査をして犯人を追いかけ捕まえて刑罰を与えていては、刑務所はフリーランスの冒険者で溢れかえってしまうだろう。
荒くれだらけの冒険者達はやはりと言うか、剣ではなくペンを振るって書類に向かうことが、苦手な奴らばかりなのだから。つまり、頭であれこれ考えるより先に、手足が出てしまう奴等であるということだ。
そこにお宝があれば飛びつかずにはいられない。
モニタに表示される情報を確認しながら、ナナシは今一度階下を見降ろした。
鈍色が引いた結界線のぎりぎりまで近づけば、底から先は闇。奈落の底。
孔を覗けば、ぐらり、と崖下に引きずり込まれるような感覚。
否……その表現には語弊がある。
それは、高さを感じたことによる眩暈ではなかった。
そうならば、先ほどの不安定な足場の上での方が、よほど恐ろしかった。
計り知れぬ感覚に、ナナシは困惑に首を傾げた。
「なあ、何か、こう……変な感じがしないか?」
「何か、とは?」
「その、何て言ったらいいか……さっき急に身体がふわって浮きあがるみたいな、妙な感じがして」
「ナナシ様、大丈夫ですか? 無理をせず引き返しても……」
「いや、ここまで来ておいて今更引き返すなんて無いだろ。気のせいだよ、気のせい。大丈夫だ」
「わんっ!」
「おう、ありがとな鈍色。ちょっと元気になったよ」
身体の内側から引きずられるような、引き寄せられるような、そんな不可思議な感覚。
意識を向けていなければ消え去ってしまうような、刹那の感覚だった。
気のせいだな、とナナシは頭を振った。ありえるはずがない。
もう失くしてしまった“自分の名前”を囁かれたような――――――そんな懐かしさを感じたなど。
「……ナナシ様? やはり、どうかなされたのですか?」
「いや、俺の気のせいだって。ああ、うん、気にしすぎなのかも。外の迷宮に潜るのは俺も初めてだから、緊張してるのかね」
「無理はするなよ、ナナシ。不調を感じたら直ぐに報告するように」
「それを言うなら腰が痛い。帰りもあのトラックでナワジ式ドリフトー、とかされるんだと思うとげんなりだ」
「わふー」
「おっさん臭いって、お前だって俺と同い年だろうに」
「がるる!」
「はいはい、ごめんなさいね」
どうにも最近ナーバスになり過ぎて、神経質になっているようだ。
余計な事を考えるのは止めて、探索に集中しよう。
唯でさえ国軍達の目が行かない、手が届いていないはずの階へと向かっていくのだから。そこは罠も魔物も駆逐されていない、学園の生徒用の迷宮ではない、本物の迷宮が待ち構えているに違いないのだ。
あの縦孔のように大口を開けて。
足を滑らせれば、奈落の底まで一直線だ。
ナナシは気を引き締めて、前を見据えた。拳を握り込めば、常の通り力強く頼もしい感触が、鉄が軋む音と共に返ってくる。
流石は職人気質のナワジの腕。ツェリスカはほんの短時間で完全に整備されている。
これならば今日の探索は期待できるだろう。そうほくそ笑みながら、ナナシはモニタ上にマップを表示させ、内部構造から考え得る出現する可能性がある魔物の種類をリストアップしていく。
おおよそどれもが戦闘を経験した種族の魔物達。慎重に行けば、このメンバーであればやられることはないだろう。
表示されるデータを基に、ペース配分と戦術とを組み上げていく。魔物の種類ではなく、“カタチ”によって戦い方を想定していくのは、身体と心に染み付いた、何時もの思考。
だが、それとは別に、ふと脳裏に浮かんだことが一つ。
地上に群れていた、働き蟻……兵士達の姿。その人数。
蟻とクリブスに称される程に、数を集められていた彼ら。
ここが手付かずの迷宮だとしても、あんなにも物資が運び出されるものなのだろうか?




