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完全装鋼士 : レベル0  作者: ノシ棒
―番外編:日常―
28/64

冒険者達の日常2

私の朝は、未だ太陽が昇る前から始まる。

夜明け前に起床。

どこか物足りない、一人分のスペースが空けられたベッドからもぞりと抜け出て、鏡の前に。

あちこちへ飛び跳ねる負けん気の強い髪を、目の粗いクシを通して宥め梳かし、何とか落ち着けさせる。

アルマの様な真っ直ぐな癖のない髪にも憧れるが、あの人が気に入ってくれた髪だから、このままでいい。

歯を磨いた。軽めに朝食も食べた。服も着替えた。最後に鏡を見て確認。

髪型、良し。

毛艶、良し。

制服のシワ、良し。

目元、良し。

歯の磨き残し無し、良し。

尻尾の毛の張り、良し。

笑顔、良し。

全て良し。

今日は快晴。こんな日は、何か良い事が起きそうな気がする。

根拠も無くそう信じられるのは、それだけ自分が舞い上がっているからか。自覚出来る程に心身の調子が良かった。絶好調である。

それはきっと、暖かな温もりに包まれて、眠りに着けたからだろう。

眼を閉じて、まどろみから覚めるまでの間ずっと感じていた暖かさを思い返すと、幸せな気持ちになれる。

閉じられた目蓋の裏側に映るのは、眼が覚めて最初に見た、彼の顔。

熱を持った頬の赤さを誤魔化そうと、軽く頬を両手で叩けば、また方々へ毛先が氾濫を起こした。

恨みがましく唸りながら撫で付けていると、後ろにあの人の気配が。

気配が近づくや否や突撃。

確認しなくても解る。

腰辺りに飛び込めば、汗の香りと熱気を感じた。早朝の鍛錬の帰りなのだろう。かすかに錆びた血の臭いが鼻をついた。

血と、土と、泥と、鉄と、お日様の臭い。

全部が混じって夜になる、月と星の臭い。

ナナシの臭い。


「おー、今日も早いな。えらいもんだ、えらいえらい」


機嫌が良さそうに、ぐいぐいと髪を掻き混ぜられる。

髪が乱れに乱れたが、構わない。それでいい、これがいいのだ。髪型のセットは、このためにしておいたのだから。

今日も自分の髪の手触りを、気に入ってくれるだろうか。

そうであってくれたら、嬉しいと思う。


「んー、モフモフだなあ、お前は」


やはり、良い事があった。

今日は何時もよりも、触れてくれている時間が長い。

努力した“かい”があったというものだ。

心地良さに眼を細めていると、何かに気付いたように手が退かされた。

ああ……もう少し夢心地でいたかったのに。


「あー、髪が乱れちゃったか。ごめんな。バイト前だってのに」


別にいいのに、とも言えない自分の喉が恨めしい。

「ううー」ともどかしさに唸っていると、それが不機嫌であると取られたようだ。慌てて「ごめん」と謝られた。

やはり、この人の目は節穴かもしれない。この尻尾の動きが眼に入らないのだろうか。

右に左に、上に下に。 ワンダフルフレキシブル、ワンダフルシェイキング。気付いて欲しい。

……でもきっと、気付いているのに、気付いていない振り。


「じゃあ、俺もシャワー浴びてからバイト行くから、お前も遅れないようにな」


予想通りの反応。

不満はあるが、これがこの人の最大限の譲歩だということはきっと皆解かっている。

名残惜しいがアルバイトの時間が迫っている。仕事道具の点検をせねば。

飛び跳ねる髪を配達局員指定の帽子ですっぽりと包む。ずり落ちそうなサイズの帽子は、中から耳で固定。

局員の識別番号が大きく印刷された認識票を首に。紺色の斜め掛け鞄を肩にくぐらせれば、準備完了。

郵便配達員の姿に早変わり。

生来の剛力を活かした貨物郵便の速達は、期待のホープとして配達戦力を期待される程。

体格に比して明らかな超重量に、街を駆ければ行交う人々が驚きの目を向けてくるが、こんなもの自分の装備である大斧に比べればどうということはない。

犬狼族の血が流れるこの身体は、見た目以上の膂力が備わっているのだ。

平時は自重以上の荷を背負い、屋根を飛び交い、まごころを届ける配達員。

戦時は大戦斧を振り回し、味方の盾となり、屍山血河を築き上げる白銀の子狼。

それが私の過ごす一日。


「いってらっしゃい、鈍色」


「わんっ!」


本日の冒険者家業は閉店なり。

郵便局員、鈍色・ナナシノ。

行ってきます。



□ ■ □



仕事の始まりは挨拶からだ。

おはようございますとは言えないけれど、足を揃えて頭を下げる。

礼に始まり礼に終わるのが人の営み。

それは授業であっても、仕事であっても、食事であっても、鍛錬であっても変わらない。

そう母に聞かされた。

礼儀作法だけは母に仕込まれたもの。

私は母が何者であったかを知らない。ただ、冒険者であったということだけは知っている。

己を客観視し、立ち居振る舞いを意識せよ。そう母は言った。


「おはよう、鈍色ちゃん。今日も元気だねえ」


「わん!」


年配の局員達に愛想を振り撒く。

人にどう見られているか、ということ。人は己に相応しい言動をすべきだ。

逆説的に言えば、尊大な態度を執らば器は大きくなる。だが私はそれを好まない。

身に余る気概を持ったとしても、滑稽なだけだ。そう思っている。

成熟した肉体であらば、女の武器を使うことも出来よう。だがこの身体では、それも叶うまい。


「ベタリアンの小娘が――――――」


狼の耳が舌打ちを捉える。

大方受け入れられたかとも思っていたが、この職場でも未だベタリアン差別主義者がいたのか。

見れば、年若い局員。

ああ、目が合ってしまった。

面倒臭い。


「くぅん?」


何も解っていない小娘がするようにして、小首を傾げておく。

局員は年配局員に睨まれ口を閉じたが、悪意を向けられて良い気分などするはずがない。

こうして尻尾を振っているのは、仕方なくである。

自分の容姿が幼いことは、良く解っている。

こうして何も解らぬ幼子を装えば、角は立たぬ。だから、そのように振舞う。

普段仲間達や他者に見せている天真爛漫な装い。

確か、キャラといったはず。個性というものを意地するのも疲れるものだ。

といっても、仲間達は、あの人以外は皆気付いているのだが。

冒険者は、多かれ少なかれ、こうした馬鹿馬鹿しい装いを好む傾向にある。

授業中に意味も無く騒いだり、教員もどこか無責任な態度であったり、遠足気分で死地に飛び込むのも全部そんな冒険者の性質が為したものだ。

そう考えれば、余計な突っ込みをしない彼等もまた冒険者ということか。

訳あり貴族に、腹に一物抱えたメイド。

彼らもまた、私に負けず劣らず厄介な者達である。

一等に面倒くさい男があの人であり、皆それを解っていて、あの人を支えるために自分を偽っている。誰も彼もが似た者同士。

道化を演じているのは、私だけではないということだ。


「さ、今日は荷物中心だからね。お昼までゆっくり配っておいで」


「わんっ!」


集荷を背負う。

何倍もの体積がある荷物。しっかりと両足が地面を噛む。

局員帽で髪をまとめたら、さあ出発だ。


「わおー!」


扉につっかえつっかえしながら街へ。

街は朝の清々しい空気に包まれていて、昇りつつある太陽が眩しい。

日に目を細めつつ、跳躍。屋根の上へ。

どれだけの荷を背負っていても、重さを感じさせない程の動きが出来るのは、レベルの恩恵。

街並みを見下ろしながら、駆け出した。

家屋の屋根を飛び交いながら移動するのは、冒険者の特権だ。ちらほらと、冒険者らしき者達が同じように屋根の上を走っている。

彼らと肩を並べて、私も跳躍。

初めは一般居住区へ。手紙を投函、投函、投函……。都市の維持は何も冒険者やその関係者だけで行っているのではない。都市はそこに住まう人々によって成立つのだ。住人自体は、一般人の方が多いくらいである。

次第に中心区――――――冒険者居住区へと。屋根の上からポストへ投げ入れる作業。

何事も訓練である。こうして手紙を郵便受けの穴に滑らせるのは、投擲の訓練にもなる。

それに、私はこうして朝の空気を吸いながら、街並みを駆けるのが好きだった。

迷宮という閉所で育った影響もあるかもしれない。

中心区に近づくにつれ、冒険者達の気配が多くなっていく。太陽は昇りきっていて、陽気が暖かい。

朝になれば冒険者達は、自主訓練に時間を当てる者も多い。彼等のように。


「あら、鈍色?」


「む……君か。おはよう、鈍色」


金髪龍尾の女と、鳥頭の怪人物のペア。セリアージュと、クリブスである。

二人は品の良い店のテラスに席を取り、本を広げて何かの相談をしているようだった。

文字と陣と文様の描かれた、常人には読み解けぬ本……魔導書。

魔術士達の、魔術講談だ。

彼等の下へと降り立った際、風圧で卓上にあった小石が地面に転がる。


「んわんおー」


「あなたはいつも元気ね」


「それでいて聡明だ」


クリブスが苦笑しながら小石を拾い上げた。

悪いとは思っているが、私が触れる訳にはいかない。

魔術士達の使う呪物は、素人が一見しただけではその効能が解らない。不用意に触れる訳にはいかないのだ。


「正解だよ。これは魔物達の感覚器を狂わせる音波を出す呪物……マジックアイテムだ。もっと効果が持続するものが作れないか、今彼女と相談していたんだ」


「錬金はともかく、魔術分野でならわたくしも口出し出来るもの」


「わふわふ」


「気を遣わなくてもいいのに、ですって? まあね、いいじゃない、これくらい。わたくしにも手伝わせなさいな」


「君達は仲が良いのか悪いのか。まったく、あいつがいなければ平和だな」


「喧嘩友達っていう言葉もあるのよ」


「わふん」


「なるほど。わからん」


「女子の考えてることは謎だな」などと言いながら肩を竦めるクリブス。

どの口がそれを言うのか。


「わふー」


「あーそうねえ。意外と女子力高そうよね、この人」


「僕のステータスにそんな力を示す欄はない。何を言ってるんだ君達は」


意外とではないだろうと思う。

月に一回は血の臭いをまとわり着かせていれば、解ろうものだ。

「君は馬鹿か」と口癖のように小言を言うクリブスだが、その実本人も中々抜けている所がある。私が犬狼族の血を引いていることを失念しているのか、どれだけコロンで誤魔化しても意味などないというのに。

お嬢様も本家本元本物の貴族であるのだから、あんなに適当に香水を着けていれば、その理由にだって気付いているだろう。

ベタリアンと蔑まれて来たせいか、容姿やファッションに無頓着なのが祟っている。

そこが好ましいのだから、黙っておくが。


「あ、こら! それわたくしのスコーン……!」


「わふーん?」


「このっ!」


「……喧嘩友達とは言いえて妙だったな」


頷かれても困る。

机の上を“綺麗にしてやって”から、もう用は無いと屋根の上へ。

「待ちなさい!」とお嬢様が叫んでいるが、尻尾で“さよなら”して次の配達場所へ。

女子寮の一室。

私の部屋の、隣室だ。

まもなく女子寮の屋上へ到着。屋根からロープを吊るして、目当ての部屋の窓辺へと。

窓をノック、ノック。ややあって、鍵の外される音。


「鈍色、待っていましたよ」


「わん」


窓の中からメイド登場。

待ち構えていたのは、最近板に着いて来たメイド服姿のアルマだった。

両手にはバスケットを持っている。


「ふわん?」


さて荷物をどう渡したらよいのか。

受け取りのサインお願いします、とペンと共に掲げて見せる。

あ、と声を上げるアルマ。


「手が塞がってしまって……すみません、これでお願いします」


と言って何ともないと言う風に意識せずアルマが伸ばしたのは、ぬるりと蠢く影だった。

正確には、影のように薄く粘性のある、魔力帯である。

これはメイドの職を経験して得たスキルではなく、お嬢様の龍眼のように血に宿る加護であるらしい。邪神の加護、ではあるが。

器用に影を操ってサインと荷の受け取りをするアルマ。


「珍しいですか? ああ、私が影繰りをするのはあまりありませんでしたからね」


「わふー」


「うーん、素手で触るのはあんまりオススメできませんね。一応、邪神の血の顕現ですので、呪われてしまうかも」


「わひっ!?」


「冗談ですよ、冗談。はい、サイン終わりました。配達ありがとうございます」


「わんわん、わふん?」


渡した荷は、プレゼント用の包装がされたもの。

“メイドプレイ”に夢中である意味女っ気のないアルマに、そのような相手がいるとは思えない。

思わず指差して問う。


「相手ですか? ええ、まあ、家族……兄から、でして」


「わん?」


「いえ……正直不仲で、嫌っていましたから、私は縁切りをするつもりでいたのですが……駄目ですね。肉親の情は、中々切れるものじゃない。たった一人の家族だと、そう考えてしまうと……」


多くは聞かないでおく。

元々が余り者達で集まったパーティである。各々抱えている問題は大きかろう。

俯くアルマの手からバスケットをひょいと取り、頭に乗せる。もう一つは胸に抱え込んだ。

苦笑しながらアルマは影を引っ込めて、私の耳に指を這わせる。


「そうですね、考えても仕方のないことです、ね。さ、今日のお弁当はアルマ特性焼きたてパンとこんがりベーコンの大盛りサンドですよ」


「わ……ふーん」


「きょっ、今日のは失敗してませんから! この前のように虹色の光を吐かせるようなことは、決して!」


疑わしい限りである。

一度失敗したものは二度と失敗しないのがアルマの美点であるが、彼女が作る料理は差が激しすぎて困る。

普通に美味いか、死ぬ程まずいかの二択。

もうクッキーを一口食べただけで泡を吹いて痙攣などしたくはない。なんだったのだろう、あれは。ホウ酸的な何かが混ざっていたのだろうか。私でなければ命に関わったかもしれない。

「お仕事頑張ってくださいね」と手を振るアルマに尻尾で応え、次の配達場所へ……行く前にちょっと一休み。

このバスケットの中身を消化しよう。

あとは荷物を運ぶだけだ。集荷票を確認すれば、どれも時間指定になっている。まだ早い時間だ、ゆっくり行こう。何時もの寄り道でもしながら。

屋根の上を走っていれば、目当ての場所に到着。


「いらさーい、いらさーい、ひまわりどぞー」


やる気の無い声。

街道で、花と風船を満載に積んだリヤカーを引いて芸をするピエロが――――――ピエロというには、それは無骨すぎたが――――――いた。

目当ての人物。


「おい、やめろガキ共。それ以上やったら温厚な日本人でも切れる……おい今ケツに浣腸くれた奴はだれだ! やめろ、やめねーかコラ! 石投げんな!」


花屋の客寄せバイトをしている、ナナシがいた。

子供に石を投げつけられ、大人気なく怒鳴り散らしている。

あんな鎧姿をしているからだ。

客寄せパンダのぬいぐるみは、子供にちょっかいを出されるのが運命だ。それと同じようなものである。

特技と特徴を活かしたいいバイトだ、などと言ってはいたが、私は気に入らない。

全身に機関鎧を纏った者は、それはさぞ珍しかろう。

さぞ珍しく……そして滑稽だろう。

機関鎧は、弱点と等しく認識されている。それを全身に纏っていれば、どう見られるか。

あの人は、笑われ者にされている。

本当に、ピエロだ。

それを言うと、見ていて痛々しく辛くなるのだと言うと、「どうってことはないさ」と彼は笑うに決まっている。何も言えない。

朝から鍛錬を繰り返し、昼は働いて、夜もまた鍛錬する。毎日がこの繰り返しだ。

一体何時身体を休めているのだろう。眠っている時間も片手で数えられるくらいのはずだ。

身体はほとんど傷で埋め尽くされていて、折れていない骨などほとんど無い。筋肉はいつもどこか千切れているし、打たれすぎて内蔵の位置が変わり、その働きもおかしくなってしまっている。

鎧に隠されて、支えられているが、あの人の身体はもうボロボロだった。今もまた、鍛錬での無理がたたって身体のどこかに不調が起きているはず。

当たり前だ。

レベル0の身で、迷宮に挑めば、魔物達と戦えば、当然そうなる。

そしてそれらに打ち勝とうと思わば……相応の代償を払わねば。身体に刻まれた傷は、その代償だった。

ストイック、などと生ぬるい。自分を追い詰めて、追い込むような所業だ。

打てば打つほど強くなるとはいうが、あれでは、いつかへし折れてしまうのではないか。

抗いようの無い……何か、運命のようなものに、あの鉄で出来たピエロは踊り狂わされ、死んでしまうのではないかと、怖くなる。

だから私は、たまにあの人の笑みが、怖くて、切なくなる。


「ったく、しつけのなってないガキ共が……んお? 鈍色か?」


急に名前を呼ばれて総毛だった。

体臭も音も届くような距離ではないし、気配も消していたはずだが。

異様な勘の鋭さ。こうしてふとした時に、背筋をぞくりと寒くさせられる。


「わ、わんっ!」


「おー、やっぱお前か。なんだよ、居るなら声掛けてくれたらいいのに」


「くぅん……」


「仕事中だからって気を遣ったのか。いいっていいって、どうせ売れねーしさ。こんな魔術で無理矢理咲かせた花なんぞ、風情がないったら」


確かに。

カートの中を見れば、どれも季節はずれの花。その全てが咲き誇っているのだから、異様である。

彼の言う通り、魔術によって生命力を活性化させられ、無理矢理咲かせられたのだ。

花を買うような感受性豊かな人間は、そういう季節の移り変わりや風情とやらも気にするのだろう。鎧ピエロの滑稽な動きと風船欲しさに子供は寄って来るが、買い手は誰一人いないようだった。


「ほらこれ、持ってきな」


「わふ」


ぐい、と押し付けられたのは、短く切ったひまわりの花束。

本当はひまわりという名ではないが、彼がそう呼び続けているのだから、これはひまわりの花でよい。

ブーケも何もない、新聞紙で包んだだけの花束だったが、どうしてだろう。


「ふわ……わふ」


すごく、嬉しい。

どうしよう。

嬉しい。

彼から花を貰ったのは、初めてだ。


「一応売りもんだから、内緒な」


兜の口元に指を当てる彼。

きっと、その鉄の仮面の下は、いたずらっ子のようにして笑っているのだろう。


「わんっ!」


「お、おかえしか? おー、食い物! さんきゅな」


側に置いていたバスケットを一つ、彼に押し付ける。

アルマもこれを見越して二つ分用意したのだろう。

「そこら辺座って食おうぜ」という彼に二つ返事で頷いて、カートの脇に腰を下ろす。彼の隣へと。

ここは私の指定席だ。誰にも譲るつもりはない。

ナナシが兜を脱いだ。蒸れた熱気がわっと上がる。汗が少し滲んでいた。ナナシの臭いがした。


「どうした鈍色、そんな鼻ひくつかせて」


「わふん」


「うん? ああ、そうだな早く食おうぜ」


いただきます、と二人で手を合わせる。異国の風習。

バスケットの中身はサンドウィッチの山。

ナナシは適当に端のものを手に取ると、かぶりついた。

私はどれからいこうか、じっくり選んでからにする。


「……ところで、鈍色。これ、だれが、作ったの……?」


様子のおかしいナナシ。

まさか。


「わ、わう、わん……」


「そうか、やっぱりアルマか。やっぱりな」


深く、何かを納得するようにしてナナシは頷いた。

そして顔を上げると、とても爽やかな顔で微笑んで、口を開いた。


「おぼろろろ、おろろろ……」


「ふごっ!? ふわわわわ! わんー!?」


ナナシ、虹色の泡を吐き撃沈。

冒険者は何も、迷宮探索だけをしている訳ではない。それを支えるための資金繰り、つまりは日常場面に比重を置くのは当然のことだ。

つまりは、これがクリブス班のメンバーの日常。

私と、愉快な仲間達の日常だ。



□ ■ □



仕事の時間が終わって帰宅の準備をする。

ロッカールームで鈍色を待っていたのは、踏み躙られた花束だった。

黄色い花弁が当たりに散らばっていた。そのどれもが泥と土で汚され、潰されていた。

じっと落ちた花を見る鈍色の顔は、前髪の作る影に隠されていて、様として知れない。

年配の局員が気遣うような声を掛けたが、鈍色は何の反応も見せることはなかった。

くすくすという忍び笑いが聞こえた。

年配の局員が怒声を上げる。「誰がこんなことをした、恥かしくはないのか」と。

「ベタリアンが――――――」という小声が応じるように聞こえた。誰が口にしたのか、鈍色の耳は捉えていたが、彼女が犯人に対して何をかをすることはなかった。

鈍色が言い争いを始めた局員達を見ることは一度もなかった。

ぐしゃぐしゃに踏み潰された花を一つ一つ、丁寧に拾い上げて、土を払って抱えていく鈍色。

そのまま、糾弾と差別の声を置き去りにして、外へ出る。

鈍色は、全てが煩わしいと思った。

一々悪意の的になるのも、庇われるのも億劫だった。

犯人に改心をさせ、自分を皆に認めさせる……結構、結構。心温まる良い話しではないか。

笑ってしまうな。

鈍色は仲間達には決してみせぬ、普段の天真爛漫な朗らかな笑みとはまるで異なった、鋭く暗い自嘲の嘲りに顔を歪めた。


「よう、鈍色。仕事、終わったか?」


「わ、う!?」


建物に背を預け、片手を上げて呼びかけたのはナナシだった。

鈍色を待っていたのだろう。兜を脱いで小脇に抱え、塀に腰掛けていた。

ナナシの姿を認め、鈍色は咄嗟に圧し折れた花を背に隠した。何故かは解らないが、鈍色はそれを見られることを恥じたのだ。ナナシにそれを見られたくはなかった。

気付いているだろうに、ナナシは肩を竦めると、鈍色に近づいて何とも無いと言う風にして手を差し伸べた。


「ほら、帰ろう」


無骨な手。

鋼の篭手に包まれた手。

冷たい手。

それがナナシの手だった。


「……そうかい」


何時までも返されぬ掌に、ナナシは苦笑すると手を引いた。

後ろ手に握られた花に、力が込められた。

そして、ナナシも後ろ手に何かを隠しているのに気が付いた。


「ん? ああ、これか。いや、あー……ガキんちょ共にイタズラされてさ」


それは嘘なのだろう。

ナナシの鎧には傷が刻まれていた。

額には血の滲んだ跡。

明らかな暴力の痕跡だった。

そして、その両手は綺麗なままだった。

それが示すことは。


「面倒なことばっかりだな」


そう言って苦笑するナナシの、ぬるい笑み。

事なかれ主義とでも言うのか。ナナシは自分自身への侮蔑や蔑視を、へらへらと笑って過ごす悪癖があった。

代わりに、仲間達への侮辱は我が事以上に激昂する性格の持ち主でもあった。だから鈍色はしおれた花を隠したのかもしれない。

こんなに近くに寄られては、それも意味はなかったが。


「どうした。帰らないのか?」


鈍色は俯いたまま、その場に固まって動けずにいた。

見る間に瞳に涙が溜まっていく。

鈍色は項垂れたまま、諦めたように、恥じるように、懺悔するようにして、くすんだ花束を差し出した。

罪を告白し、叱られるのを待つ子供の様な姿。

ナナシはなるほどと頷いて、花束を手にした。


「汚したのを気にして、怒られるかもって? せっかくくれてやったのにって、責められるかもって? 馬鹿だなあ、お前は」


ナナシは崩れた花束をさらに毟っては小さくしていく。

自分もこうして千切ったのだから、鈍色に罪はないとでも言いたいのだろうか。

いや、違う。


「それとも俺ががっかりするとでも? どうして? 花は、ほら、綺麗なままじゃないか」


言って、ナナシが掌の上に乗せて見せたのは、一輪の花。

茎が落とされて“顔”だけになった、幾分か欠けてはいたが、それでもにっこりと微笑むひまわりの華があった。


「ほら、綺麗だ」


そっと、ナナシはひまわりの華を、鈍色の額にかざした。

鈍色の灰色の髪の中に輝く、日の光があった。

茎を輪のようにして、小さな冠を作り、それを鈍色の狼の耳に通したのだ。

たった一輪のひまわりは、灰色髪の海の中で咲き誇っていた。

暗く沈んでいた鈍色の世界が、鮮やかに彩られていく――――――。

ナナシはそれを見て、満足そうにして笑うのだった。


「さ、帰ろう。手は空いただろ?」


全部解っている。口に出さずとも、ナナシは解っていた。

差し出された手を、鈍色は握った。

無骨な手。

鋼の篭手に包まれた手。

冷たい手。

なのに、どうしてこんなにも暖かいのだろう。


「どうした、ご機嫌だな鈍色」


いつもの帰り道。

いつもの時間に、いつもの景色。

いつも、何時も、同じ事の繰り返し。それが日常。暗闇から私が得たもの。

それは光だった。

私にとって、光とは、この人のことだった。

髪に飾られた花にそっと触れた。ひまわりは私。いつもお日様に向かって顔を上げる。

鈍色とは、鋼の放った光の色。

鈍色は鉄と共にある。

鉄が錆付き、輝きを失うその日まで。


「わんっ!」


いつもの帰り道。

なんでもない日々の一コマ。

それなのに、この人がいるだけで、どうしてこんなにも色付いて――――――。

鈍色は冷たく暖かな掌を握り、強く思った。強く願った。

どうかこんな日々がいつまでも続きますように――――――と。

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