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完全装鋼士 : レベル0  作者: ノシ棒
第2章 ―喪失編:仲間―
24/64

地下22階

いくら低級の魔物しか遭遇しないとしても、袋小路に追い込まれては分が悪い。

殿を務めていたナナシは、数体のフローターデビルの視線を一身に浴び、うっと喉を詰まらせた。ぎょろりと黄色に濁った一つ目が自身を見つめる様は、生理的嫌悪を引き起こさせる。

この魔物の実力云々というよりも、過去に『地下街』から噴出した魔物の大半がフローターデビルで構成されており、どうにも一つ目の魔物を相手にすると身が竦んでしまう。


「ぐるるるるぅ」


「いい、鈍色。俺が片付けるから、お前はお嬢様を守れ」


前に出ようとした鈍色を留め、ナナシはフローターデビル達に向き合った。

トランクを防波堤とし、威嚇するように、示威するように、あるいは自らを鼓舞するようにして睨みを利かせる。

右手は天に、左手は地に。


「行くぞ、ツェリスカ――――――装着変身ッ!!」


『高速・自動脱着機能起動――――――』


ナナシの手刀が空を切るのと、女性の合成音声が聞こえたのは同時だった。

トランクの留め金が外れ、勢いよく蓋が開く。隙間から飛び出してきたのは幾つもの触手、鋼の筋繊維である。針金のようなそれがナナシの身体に絡み付き、編み込まれていく。


『装着完了』


次の瞬間、機関鎧を纏ったナナシがそこに構えていた。

正に高速。設計理念外の機能。

ナナシの鎧が異質たる所以である。


「ツェリスカ、頼んだぞ」


『了解。照準補正を行います』


警戒し距離を取ったフローターデビルへと、ナナシは抜銃。

銃という武器の魔物に対する有効性は低いが、“弱点”が解り易いこの手の魔物に対しては、有効打を引きだす事が出来るとの判断である。

モニタ上に“武技補正”機能がアイドリング状態にあることを視界の端で確認し、トリガー。

マズルフラッシュ、轟音、硝煙の順に、巨銃は吐き出す。だが物理現象を超えて、最も早くに飛来したのはナナシの指から注ぎ込まれた殺意。追随し、鉄の礫が破壊を顕現させていく。

一瞬の内に吐き出された巨大な螺旋銃弾が、最も手前に位置していたフローターデビルの大きな瞳を貫き、緑色の体液を撒き散らした。

断末魔の叫びを聞く前に、続けてトリガー。

碌に狙いを付けられずに発射された銃弾は、しかし正確に別のフローターデビルの瞳を撃ち抜いていた。

ツェリスカのサポートによる照準補正だ。


『トリガー―――ヒット。トリガー―――ヒット』


「引っかき回すぞ!」


『スラブ・システム、スタンバイ』


カウント開始。モニターに残存エネルギーのパーセントが表示。見る間にパーセンテージを減らしていく。


『高速機動形態へ移行します。注意して下さい』


ツェリスカの声と共に、ナナシの姿が空に滲む。

全身の挙動を高速化させることによる超速戦闘。一瞬の内に判断を下し行動に移るなど、人間の脳では処理こそ可能とはいえ、本来は間に合う筈もない。

思考に比べ、身体はそれを反映するには、あまりにも鈍すぎるのだ。

迫る魔物の姿を前にして、脊髄から何か異物が注入され脳にまで這い上がってくるような感覚に、ナナシは奥歯を噛んだ。

同時に、自分を除く周囲の光景が色を無くし、ゆっくりと時を遅くしていく。錯覚。

恐らくはこれが、モニタに表示される脳同期とやらの効果なのだろう。

刺激の受容から脳の情報処理、そして神経伝達へのタイムラグを解決するために、更なる思考時間の延長、感覚遅滞を発生“させられて”いる。

薬剤投与による効果なのか、あるいは別の何かが作用しているからなのか、それは解らない。仕組みについては、ナナシは気にしないことにした。

引き延ばされる思考。脳から運動神経に下されるはずの指令が“ショートカット”され、鎧から発せられる電気刺激により直接に手足が繰られていく。

己の肉体を“鎧と直結させる事”こそが、スラブ・システムの中枢を成す機能であった。

無理やり動かされる身体に掛かる負担については、これもナナシは考えないようにした。

代償を払えば力が得られるというのならば、望むところである。

どうせ後で回復薬と効き目が薄い治癒魔術とで、断裂した筋肉やら内蔵やらを無理矢理に繋ぎ合わせばいいだけだ。


『タイムアウト。通常運行形態に強制移行します』


いつしか思考は行動から切り離され、全ての作業は終了していた。

不思議な感覚だ、とナナシは大剣の連結を解きつつ思った。

自分の身体が自分のものではないような感覚。思考よりももっと速く、拳が、剣が判断を下すという感覚だ。しかもその判断は、正確だった。剣よりも素手で拳を振るっていた時に、その傾向が強く現れていた。

これはツェリスカの同期による作用ではない。

モニタには同期に失敗したことを示す、大量のエラー表示。

信じ難いことに、感覚遅滞とその思考の早さに同期したツェリスカよりも早く、ナナシの身体は……拳は反応を示したことになる。

同期はあくまでもナナシの身体機能の強化と補助でしかないのである。だからあらゆる思考を置き去りにし技が繰り出された時、動作補助にエラーが混じるのだ。

拳が自らの意を越えるという現象。これはいったい何なのだろうか。

相対的な身体速度は変わらないが、判断から行動までの全工程を無視し即応出来得ることは、状況に対する超反応を可能とするだろう。

人間が元々備えている反射反応をすら越える“早さ”は、自在に使いこなすことが出来れば、比類無き武器となることは言うまでもない。

その時こそ、ジョゼットに胸を張って、無名戦術を極めたと言うことが出来るかもしれない。

大剣を収めると同時、幾つものパーツに分断されたフローターデビルの群れが、魔力の塵に還り霧散していく。

戦闘が終了したのを確認しつつ、ナナシはそう思った。


――――――これはナナシが知る由もなかったことであるが、元の世界、地球には外と内に区分される武術が存在している。

外の武術とは、こちらは肉体を鍛えることで力を得る思想を持つもの。

対して内の武術とは、気や内功を繰ることを真髄とする武術。端的に言えば、精神や感覚といった自身の内面に重きを置く武術思想を持ったものだ。

外の武術は究極的には、人間という肉体の限界を超えることを目的としている。

内の武術は、精神内界を越え、自らの境界を拡大することを目的とする。

大分するならば、レベルを上げるべく日夜鍛錬に励む一般の冒険者達が、外の武術に分類されるのだろう。

ナナシが鍛錬を繰り返すのは、自らに没頭するためだった。つまり、逃避のためである。何も考えぬよう、考えられぬように。

無心。

常にその状態に心を置くために、ナナシは自らを痛めつけた。

これは、瞑想や祈りにある種近い行いであった。

だが、例えそれが逃避のための手段でしかなかったとしても、ナナシは内の武術の真髄……精神の無限に広がる深淵深奥、その一端に足を踏み入れつつあったのだ。

ナナシ自身そうとは意図せず、また始祖であるジョゼットすらも予期してはいなかった方向へと、無名戦術は進化を始めていた。


「で、お嬢様の様子はどうよ」


「ふふん」


とにかく、である。戦闘は何の問題もなく終了した。

強いて問題点を挙げるとするならば、セリアージュが罠に掛かり、あられもない格好を晒していることぐらいだ。

片足を逆さ吊りにされ、両手で必死にスカートを抑えているセリアージュ。

修練用の迷宮に相応しい可愛い罠ではあったが、それが何回も続いているとなると、助ける側としてはいい加減手間である。


「う、ううー! 見るなぁ!」


「見ないよ」


「えと、その、言い切られるとちょっと寂しいかなーとか思ったり思わなかったり。ほ、ほんとに見ないの?」


「俺が思ってる事、言わなくても解るよね?」


「ちょっとくらいは見せてあげてもいいかなー、なんて……お、お詫びのつもりとかじゃないんだからねっ!」


「へえ、ちょっとは自覚あるようで安心したよ。それと同じタイプの罠、何回掛かったか覚えてる?」


「……何よ、たったの5回じゃない」


「うん。たったの5回だよね、たったの。それで、何か言うことは?」


「ごめんなさい。おろしてください」


「わふん」


呆れながら罠を破壊する鈍色。

ドジっ娘要素とはメイドさんに備わっているものだとばかり思っていたが、こちらの世界ではお嬢様に搭載されていたらしい。

何と言うか、普段は瀟洒で完全な風体を感じさせられる佇まいであるというのに、一皮剥けば残念な面ばかりが顔を出す少女であった。


「はいボッシュート」


「きゃあ!」


落下するセリアージュを危うげなく受け止めるナナシ。

しがみつくセリアージュの手が、“また”震えていたことには気付かないフリをして、そっと地に降ろしてやった。

仕方がない、とナナシは思う。

数度の探索で慣れるほど、迷宮は易しい場所ではないのだ。

錬金術科の生徒達は探索者科とは違い、迷宮探索に重きを置いているわけではない。探索授業は必須ではあったが、それは教師により安全を確保された状態でのこと。

今回のように、真に自身の命が掛かった探索は、恐らくは初めてのはずだった。

探索者科の生徒達にとっては、今更中級迷宮の探索など温い課題であったが、錬金術科の生徒達にとってはそうではないはずだ。

力有るセリアージュでさえこうなのだ。薄暗く音も魔物の唸り声ばかりが続く閉所を、長時間歩かねばならないストレスは、慣れぬ者にとっては計り知れない。

専攻する学問からして、貴族や文民の多かった錬金術科生徒達の大半は、今頃恐慌状態に陥っていることだろう。

彼らは時として護衛に就く冒険者の足を引っ張り、共倒れすることもある。

なるほど、試験とはこのような意図があったのか、とナナシは納得した。


「ん、ごほん。さ、さあ気を取り直して先に進むわよ!」


「ああ、ほら、そんなに急ぐとまた罠に引っかかるぞ」


「ふん、このセリアージュ・G・メディシスに同じ手が二度も通用すると思って? 甘く見ないで頂戴。わたくしだって、探索の一度や二度くらい、簡単にこなせるんだから」


「はふー」


「何よ鈍色、何か言いたいことでもあるの?」


「ふふん」


「ぐぐぐ……見てなさい! 今度こそ、今度こそー!」


探索において最も厄介なものとは、強敵ではなく、高度な罠でもなく、そして言うことを聞かない仲間達でもない。同行者だ。

同行者を連れ探索をすることを依頼されることは、冒険者にとり珍しくはなかった。そしてその同行者となる者の大半が、錬金術師であるということも冒険者達は皆知っていた。

冷静さを欠いた同行者に気を取られ、魔物や罠にやられることが冒険者の大きな死因の一つであることも。

錬金術師を志す者は迷宮に潜ることを避けられず、冒険者もまた錬金術師を連れ迷宮に潜ることは、冒険者としての活動の一環なのだ。

そう考えれば今回の試験は理に適っている。

卒業まで後2年を切り、教育内容がより実戦的なものにシフトしたのである。すなわち、同行者が参加したことによる現地での混乱に、どう対処するかということだ。

クリブス班がほとんど意図的に人数を減らされたのは、セリアージュが参加することを見越しての戦力調整だったのだろう。

パーティーに混乱を生じさせることを目的とする試験内容ならば、セリアージュの行動傾向を把握しているクリブス班には通用するはずがない。

家の事情もありこれまでセリアージュと迷宮に足を踏み入れる事はなかったが、魔獣退治の依頼等を共同でこなしたことは何度もあった。予行演習も済んでいたようなものだ。

ならば、と教師陣が考えたのが、戦力の制限だったのだろう。

教師陣が見誤った所があるとするならば、セリアージュのこの芯の強さ。セリアージュは、迷宮という閉鎖空間が与えるプレッシャーを撥ね退けていた。

セリアージュはもはや、鎖に繋がれた龍ではないのだ。

家の命に従うしかなく、未来を嘆くしかなかった子龍はもう、どこにも居ないのだ。

セリアージュはぐいと顎を伝う汗を拭うと、勇むわけでなく、怯える訳でもなく、冷静に周囲を見渡しながら探索を再開させた。


「でも残念。足元がお留守だ」


「え? きゃああああ!」


悲鳴を上げるよりも速く、セリアージュの体が宙に吊られていく。

「そういえばまだ探索初心者の頃は俺もよく罠に引っかかったよなあ」とナナシはしみじみ頷いた。


「気にするな、お嬢様。まだたったの6回目だから」


「う、ううー!」


「顔よかスカート押さえたら?」


「うううー!」


あれだけ大口を叩いてこれか、と言いた気に鈍色が「わふん」と鼻を鳴らした。

赤面する顔の方ばかりを隠しているのは、本当に顔から火が出るような気分だからなのだろう。スカートから覗く足や下着はもうお構いなしであった。


「一応採集は済んでるんだから、いいじゃんか。そう気を落とさずにさ」


「ぐす……わたくしだってぇ……うぐ……できるんだからぁ……うぇ……」


「はいはい。お嬢様は凄いよ。大丈夫大丈夫、解ってる解ってる」


「ケッ!」


「……鈍色さん、そんな声も出せるんすね」


一波乱どころか二波乱はあるだろうと覚悟を決めていたナナシだったが、意外な事に何も無く。

その後はあれよ、と言う間に探索はつつがなく終了した。

目的が採集であったので、目当ての品が見つかれば、後は引き返すだけなのである。

地上に出て、三人でだらだらと集合場所で点呼を待っていると、クリブスとアルマがやって来た。


「早かったな、ナナシ。その様子だと苦労したようだが」


「言うなよクリフ。まあ、あの二人だけでも過剰戦力だから楽っちゃあ楽だったけどさ」


「爆発オチは?」


「なし」


「今日はいい日だな」


「ああ、本当にな」


ガックリと肩を落とすナナシとクリブス。

毎度毎度、爆発オチで締められたらたまらない。

疲れがオーラとなってどんよりと二人を包んでいた。


「おめでとー、三人とも早かったわねー。先生嬉しいわー、これなら文句なしに一番ねー。もう花マルあげちゃう、ほーらぐるぐるー」


「ふふん、当然の結果ね」


「あ、錬金術科の子はまだこの後に調合試験が残ってるからー。気を抜かないでねー」


「ええ、もちろんですとも。わたくしが持てる全てを掛けて、きっと調合も一等を取ることを約束しますわ!」


「うふふー、その様子だと調合するのは毒かしらー。錬金術科の先生をコロっと逝かせられるよう、頑張ってねー」


「……あまり頑張らせない方がいいのでは?」


「言うなよクリフ、マジで頼むから」


げんなりと肩を落とすナナシとクリブスの側では、アルマが鈍色を労う。

鈍色の尻尾が元気良くぶんぶんと振られていた。


「鈍色よくやってくれましたね。後で一緒に玉子焼きを食べましょう」


「きゃいん!?」


「だ、大丈夫ですよ! ちょっと焦げ目はありますが、ちゃんとした玉子焼きですから! 味見役とか毒見役とかそんな訳では決して……あああ、逃げないで下さい鈍色ー!」


尻尾を巻いて逃げだした鈍色。

鈍色が捕まれば次は自分の番だと、ナナシは覚悟を固めねばならなかった。

さて、こうして揺らぐことがなかったクリブス班は見事、5年時進級試験を上位の成績で修め、最優の評価を受けた訳である。

最高評価を喜ぶこともなく当然として受け取ったのは、初めから予想していた結果に収まったためであった。クリブス班は際物揃い故、型に嵌れば結果を叩き出すことを、ナナシ達も自覚しているからである。

おめでとー、と女教師から気の抜けた拍手と共に、冒険者科生徒達は試験通過の証書を手渡されたが、皆精根尽きたという顔。

女教師から言い付けられたように、錬金術師の卵達に傷を付けぬよう気を付けるあまり、現場での混乱を上手く収められたパーティは少なかったのだろう。

それでも同行者に一人も死傷者を出さなかったのは、流石と言う他は無い。


「さあ、これから調合よ!」


「ちょっと休んだ方がいいんじゃ」


「何言ってるの、波に乗っている時が頑張り時じゃないの。さ、わたくしのアトリエに行くわよ!」


「えー、俺も?」


「あ?」


「お手伝いさせて頂きます!」


「よろしい。あなたも来るでしょう、鈍色?」


「わん」


探索の疲れも見せず、もう次の目標へと揃って歩き出す生徒達。

今年は豊作ねー、と女教師は満足そうに頷いた。



□ ■ □



こいつら仲悪いんじゃなかったっけ。ナナシは首を傾げる。

女心はなんとやら、自分には一生理解出来ないだろうな、とナナシは錬金釜をかき回すセリアージュを何とはなしに眺めつつ、ぼんやりとそう思った。

手伝いに機材を運んでいたナナシがセリアージュの様子を覗きに戻ると、せっせと材料を忙しく運ぶ鈍色が最初に目に入った。

聞くと、自ら進んで助手を申し出たらしい。

苛立った顔でナナシを睨むセリアージュだったが、鈍色を邪険に扱うことはなかった。基本、鈍色の対人関係におけるスタンスは、悪意には悪意を返す、であるために、セリアージュが突っかからなければ平和なままなのである。

セリアージュもナナシを介さなければ、鈍色には生来の優しさを向けて接していた。それは、粘ついた自らの感情を認めたくがないための行いだったかもしれないが。

そうして今、ナナシの膝の上には身体を丸め、寝息を立てる鈍色が。

つい先ほどまでセリアージュの助手を務めていた鈍色は、後は魔力注入の作業を残すのみである事を確認すると、ナナシの膝から夢の国に旅立ったのであった。


「いくわよ……」


セリアージュが手をかざすと、錬金釜に魔力が注がれ、魔力変化を示す発光現象が生じる。どうやら作業も大詰めに入ったらしい。

今、釜の中ではさながら化学変化のように、物質に魔力とが結合し、全く別の性質を持つ物質へと変化しつつあるのだ。

錬金術でありえない物、例えば宝石が野菜に変じるといった成果が度々見られるのは、この魔力による組織変化のためである。

例えば今回のように、鉱物や苔、何かの溶液がシチューに変じるといった風に。

なんとも食欲を刺激する美味そうな臭いが漂ってくるあたり、恐ろしくてたまらない。

学園に出回る食物の原材料のことは考えたくはなかった。


「あら、お腹空いたの? まだ毒性化してないから、一口味見する?」


「うええっ!? え、遠慮しときます!」


明らかに魔物の一部を用いたというのに、何処からともなく現れた人参や牛肉を口に入れる勇気は流石に無い。


「む、私の作ったシチューが食べられないっていうの?」


「いや、作ったって……食べられないっていうか、その、精神衛生上の問題が」


「説明したけれど、由緒正しいシチューなのよ。かの堕天使の妻の一人が作ったシチューがモチーフで、なんでもあまりの美味しさにオレイシスは食した直後に昇天したとか」


「なにそれ」


「毎回食事の後は、彼を神たらしめた能力であるリザレクション、つまりは蘇りが使われていたらしいわ」


「俺にはそんな死亡フラグ踏み越えて帰ってくるみたいなスキルは無いよ」


続けてセリアージュはデスシチューにまつわる伝説の説明する。

彼の妻の一人が作ったシチューの殺人的美味しさを再現出来ないものだから、毒で代用しているのだとか。

俗説では、実はその妻は壊滅的に料理が下手で、見た目だけは上等な仕上がりとなるものだから犠牲者が続出していたという、伝説とは真逆の話まであるらしい。

今となってはどちらが真実かは解らないが。

「聖女と言われる彼女に限ってそんなことは無いだろうけれど、結果が死ならばどちらも同じことよね」とセリアージュは締めくくったが、ナナシは身体の震えが止まらなくなっていた。

語るセリアージュの眼は氷のように冷たく凍えていた。


「やっぱりこれ、貴方が食べるべきなんじゃないの?」


「あわわわわ……!」


原色の泡を吐いて廊下をのたうつ教師達。

脳裏に浮かんだ光景は、明日は我が身かもしれない。いや、今正に我が身に降りかかっている。

自分には蘇りなんて特殊能力はないのだから、死んだらそこまでなのである。

差し出された匙が口元に近付くにつれ、頬が引きつり音にならない声が口から漏れた。


「冗談よ、冗談。そんなに怖がらなくったっていいじゃない」


本当に冗談のつもりだったのか解らないが、匙を引っ込めたセリアージュは、再び釜に魔力を込める作業に戻った。

釜から淡い魔力光が漏れ、美味そうな臭いが漂う。香ばしい香りは、おコゲが出来ているからだろう。

ぐったりとナナシは椅子に身を沈めた。

気楽に寝息を上げる鈍色が憎らしく、頬をつねり上げたが、大量に涎が垂れてきたので止めた。


「ねえ、ナナシ」


しばらくして、セリアージュは語り出す。

時折鍋に匙が当たるかつかつという音が聞こえた。


「この前の事、覚えてる? 貴方が刺客に襲われた件についてだけれども」


「そりゃあ、まあ。大貴族のお方々でもないのに命を狙われるなんて経験、忘れようにも忘れられないよ」


「……ごめんなさい。貴族派の顔に泥を塗った貴方が、どんな処遇を受けるかなんて、簡単に予想はついたのに。わたくしがもっと、ちゃんと注意を払っていれば」


「あ、いや、皮肉で言ったつもりじゃないんだ。こっちこそごめん」


解り易くしょんぼりと尻尾を項垂れ、セリアージュは続ける。

釜に向ったまま、ナナシとは視線を合わせようとはせずに。


「あれから色々と調べて、改めて自分の無知を痛感したわ。わたくしは本当に物を知らなかったのね。人が、欲のためならどれだけ傲慢になれるか、知ったつもりでいただけだった」


「というと?」


「冒険者との利権関係に絡んだ貴族派の企みだと思って、その線で調べていたのだけれど……」


そこまで言って、口籠る。

おや、とナナシは首を傾げた。クリブスもアルマも、貴族派の権力闘争の軋轢ではないかと言っていたが、セリアージュが掴んだ情報ではそれは違ったらしい。


「つまりこの前のは、調子に乗った冒険者に対する警告とかじゃあなかったってこと?」


「……ええ」


ぎゅ、と拳を握り込んだのが、セリアージュの背中越しに見えた。

おぞましい何かに、耐えるかのような仕草だった。


「貴方は、知ってる? この学園で何が行われているか。迷宮で魔物達、その……暴行を受けた女性が何処へ消えるかを。力尽きた生徒達の遺体が、何処へ運ばれるかを」


「いいや。知ってるのは、いつの間にか皆居なくなってしまうってことだけかな」


それは事実だった。

異種配合で種を残すタイプの魔物に襲われた女性や、罠や魔物の手に掛かり命を落とした冒険者達。

彼等はナナシが入院していたように冒険者用の病院に収監されるのだが、その後無事に退院しただとか家族に遺体が引き渡されただとか、そんな話は聞いたことがなかった。

どうせ救出された時点で精神が壊れているか、もしくは死体となっている者達である。彼等が秘密裏に“隠されて”いたとして、それに誰が気を留めようか。むしろ、慈悲と考える者も多いだろう。

ナナシも彼等の行く末に対しては、興味を持った事はなかった。

かつてジョゼットがナナシに語った通り、冒険者は倒れた者達に振り返ってはならない。そんな事は出来ない。

誰もかれもが、自分の事で精一杯なのだから。


「噂だけは聞いたことはあるよ。どこか秘密の研究所に連れていかれるとかさ」


「その通りよ。運ばれて行った彼等は学園内の裏の研究機関に入れられて、そこで人道を無視した実験をされている。それらは貴族と国教の信徒達の指示によって行われていて……」


「……ストップ。その情報ソースは何処から?」


セリアージュは、何か危険なことを口にしている。

何か、とても、おぞましく恐ろしいことを。


「情報は確かよ。父の名を騙って、メディシス家の情報網を使ったわ。そして、研究機関の調査対象の名簿に、何故かあなたの名前があった」


「はあ……だいたい解った。俺が襲われた理由ってのは」


「ええ、貴方が襲われた真の理由は、検体として捕らえるためだったのよ。貴方のレベルが0だということは長く隠し通せるものじゃない。そんな貴方が高位の貴族を下した。だから」


「つまり結局、目立ち過ぎたってことか」


深いため息を吐きながら、ナナシは片手で目を覆った。

自らの特異性は全て承知していたつもりだったが、それを見た他人が、特に貴族がどう動くかまでは突き詰めて考えた事はなかった。

人体実験や後ろ暗い研究に権力が絡んでくることは、元いた世界でも見聞きしたことはあった。

ただしそれは物語の中の話であって、言わば都市伝説といったオカルト染みたものだと思っていた。こちらでも、世界は変わろうが人の噂は変わらないと、その類の噂話を聞く度にそう思っていた。

まさか噂話しは事実であり、自分がその標的とされるとは。


「どうにも実感がないんだよなあ」


「あなた……! 自分が狙われているってこと、解っていて!? 死ぬよりも辛い目にあわされるかもしれないのよ!」


「頭じゃ解っているんだけどさ」


良くも悪くも日本人であったナナシには、未だに平和ボケした感覚を引きずる部分があり、自らがその渦中にあるということを実感することが出来ずにいた。

数年間の修行と探索による経験は、直接的な脅威への対処法をナナシに学ばせたはしたが、しかしこのように間接的に狙われる事への経験など無かった。

冒険者としての大成を急ぐあまり、ナナシは力こそ付けつつあったが、この世界で生きるための基盤を身につけるには至らなかったのである。

ベタリアンへの排斥や冒険者と貴族間の軋轢も我関せず、という態度の理由もここにあった。

ナナシがそれらの問題にまったく“普通”でいられたのは、正直な所、無知であったからである。

知識がない、という意味ではなく、感覚が無い、と言うのが正確であろうか。

知識が“体験”として身に付けられていなかったがために、平気で踏み込んで行けただけだった。

ナナシの発想がちゃんと文化や社会に根付いていたのなら、避けるか、何らかの利を目論んで関わりを持とうとしたはずなのである。

そうでなければ、ナナシ自身が社会的排除を被ることになるからだ。

そんな“ニオイ”を微塵に感じさせなかったからこそ、ナナシは信頼を勝ち得ることが出来たのだが、それとこれとは別の話だ。

今回の事に関しては、見通しが甘かったと言う他に無いかもしれない。

人の口に戸は立てられぬ。

封印結界の無効化は悟られはしなかっただろうが、鎧の瞬間着脱と回復魔法の効きの悪さは少なくとも報告が行っただろう。

ナナシが特別な神の加護を受けていない事は誰が見ても解りきったことであるし、また純人種であるから肉体的な異能は備えていない。攻撃魔法に対する抗魔力の低さは言わずもがな。

確立した現象として結ばれ現れた『神威』と、未だ魔力の像しか持たない可能性の塊である『神意』とでは、大きな違いがある。

魔術のように炎や氷として現れる現象である神威に、封印や回復再生魔術といった概念上に作用する神意は似て大きく異なるのである。

回復魔法の効き目のみが薄かった、ということは、そこに含まれていた現象として現れない神意を、少なかれナナシが克したことになる。


なるほど、宗教家にも目を付けられる訳だ。

つまりそれはナナシが、神の意に逆らったということなのだ。

邪教と断ぜられるよりも、なお悪いだろう。

神意を克するということは、すなわち神に従わぬと、神と同等の存在であるということなのだから。

最終的に神の位に立つ事を目的とするものが、この世界の人々が信じる信仰の終点であるのだとしたら、ナナシの特異性は何を持ってしても解明せねばならぬものになるだろう。

貴族は自らの権威をより強く保つために神に近づこうとし。国教は信心のためにこそ、自らが信ずる神に近づく道を欲する。


とうとうか、とナナシは再び深い息を吐いた。

否、このような事態を全く想定していなかったかと言えば、嘘になる。

ナナシが自らの特異性を積極的に見せないようにしてきたのは、何事かの“面倒事”に巻き込まれるだろうことを、予想してのものだった。

面倒事、それが一体何なのか、考えが及ばなかっただけだ。

セリアージュを初めとするナナシの周囲の者達が心配する、ナナシの自分を取り巻く状況に対しての無防備さ。

それが現れた結果であった。


「俺が言うのも何だけど、セリアお嬢様、あんまり危ない橋は渡らないほうがいい」


「でも……」


「あと、この件についてはこれ以上触れないように」


「でもっ!」


「駄目だ。聞き分けろよ、お嬢様」


ぐ、とセリアージュは言葉に詰まる。

事は権力闘争に収まらないかもしれず、神教思想にまで喰い込んでいるかもしれない。

貴族間のいがみ合いであるならば、まだつけ入る隙はあったが、政治的聖域化している信徒派の暗部と繋がっているとしたら、セリアージュに出来る事はもう無かった。

ナナシへの罪悪感からそうしたのだろうが、セリアージュは本当に危険を冒していたのだ。

そして得られた結果といえば、自分には手を出せぬほどの闇が存在するということ、それを知っただけ。

しかも自分の家が、恐らくはそこに深く食い込んでいるのだから、彼女の内心たるや無力さとナナシへの申し訳なさで一杯だろう。

クリブスやアルマ達と違い、得た情報を直ぐに持ってこなかったのは、そのためか。

彼女の性格から考えて、あの決闘騒ぎが終わってから即座に謝罪の茶会でも開くだろうと予想していたが、音沙汰がなかったのは、これがタブーに触れるものであることを理解したからか。

探索中何度もこちらを伺うような仕草をしていたのは、いつ話を切り出すかタイミングを計っていたからだったと理解した。


「でも、わたくしのせいなのに」


「遅かれ早かれ、こうなってたさ。お嬢様が気にする事じゃない」


「わたくしの、せいなのに……」


「釜から煙出てるけど、大丈夫なのそれ?」


「えっ、きゃあ!」


あたふたとしながら鍋に取り掛かるセリアージュ。

いつもの真紅のドレスではない、錬金術科の制服の上かた着用するエプロンの紐が彼女の動きに合わせてはためいている。

縦に巻かれた金髪は後ろで一括りにされ、ポニーテールとなっていた。

そんな彼女が慌てる姿は、どこか可愛らしく笑いを誘う。


「もうっ! わたくしは大事な話をしてるのよ、ナナシ!」


「ごめんごめん、何か新鮮で」


いつか、お嬢様のこんな姿を懐かしいと感じる時が来るのだろうか。

その時にナナシは、セリアージュは、何をしているのか。何処に立っているのか。

先のことはナナシには解らない。セリアージュも、ナナシの関わる未来を見ることは出来ない。

見えないセリアージュに、見ないようにしているナナシ。似て非なる二人。

お互いの瞳に映るのは、今。この時だけ。


「旅行に行こうって、クリブスと話してたんだ」


「ナナシ?」


「どこか、ゆっくり出来る所に行きたいなって。最近、色々ありすぎて疲れたしさ」


「そうね。本当に」


少し寂しそうにして、セリアージュは鍋をかき回す。


「お嬢様も一緒に行かない?」


「んえっ!?」


龍尾が毛先までピンと伸びる。

誘われるなど思ってもみなかった、というリアクション。

視線があちらこちらに揺れて、何故か髪型を気にし始めるお嬢様。

前髪を何度も撫で付けて下ろそうとしているのは、赤くなった顔を隠そうとしているためか。


「い、いいわよ。わたくしが一緒に行ったら気をつかわせるだけだし、それに、あなたたちだって仲間達だけのほうが」


「仲間だよ。お嬢様も」


静かに告げられる、確信を持った声。

セリアージュは何も言い返せなくなった。


「……馬鹿ね。冒険者って、みいんなおかしな奴らばっかりなんだから」


そうしてセリアージュは鍋に向かうと、袖を捲くって取り掛かり始める。


「さ、ここから先はわたくしだけの領域よ。手伝いはもう結構、帰っていいわよ」


「そうするよ」


「ナナシ」


「うん?」


「ありがとう」


「うん」


ナナシは鈍色を担ぎ上げ、部屋を後にする。

背後に聞こえる鼻をすする音と鍋をかき回す音。

自分は弱くて頭も悪い未熟者だが、ここで戻ってはいけないと、それくらいの分別は付いている。


「ほら、お前も起きてるんなら自分の足で歩け」


「ふにゅ」


薄眼を開けていた鈍色の鼻を摘み、放り出す。

くるりと器用に空中で身体を捻った鈍色は、危う気なく着地。何事もなかったかのような顔で、ナナシの隣に立った。


「お前さあ」


「くぅん?」


「まったく、こいつは」


しれっとした顔の鈍色を小突きつつ、ナナシは思った。

途中、鈍色が手を握って来たが、好きなようにさせてやった。これくらいは許してやってもいいだろう。

これからどうしようか、と鈍色に視線を落とせば、ぶんぶんと大きく振られる尻尾と共ににっこりと笑顔を返された。この笑顔の裏で、一体何を考えているのやら。

しかしそれで心が軽くなってしまう自分も、大概単純である。

どうしようか、などと考えてはみたものの、答えなど一つしかあるまい。

どうにもならない。

一個人がどれだけ力を付けたとて、組織的な圧力を掛けられたら、どうあっても切り抜けることなど出来はしない。

積極的な干渉もされず、自分が今こうして生きていられるのは、クリブスの仲間であるとその一点のみの理由だろう。

ハンフリィ家はメディシス家とは別派閥だった。両家と付き合いがある自分は、さぞ手の出し難い存在であることだろう。

しかし学園を卒業してしまえば、唯の冒険者となる。

ある一人の冒険者が何処かへ消え、消息を絶ったとしても、誰も気にも留めはしない。そんなことは日常茶飯事なのだ。

いっそ逃げるか、とも思ったが、直ぐに無理だなと思い直した。

クリブス達に頼っても、過ぎた信仰心までは止められない。

これは、詰みか。


「わん!」


鈍色にきゅっと握りしめられた手の感覚が、ナナシを振り向かせた。

言葉は通じないが、鈍色の蒼い瞳は言外に「自分は最後まで共に在る」と決意を込め語っている。

しかし、“未来”を信じている瞳ではなかった。

そこには諦めがあった。

込められた決意は、きっと、自分と“最後”を共にすることなのだろう。


ナナシは鈍色の眼を見詰め返す事はできなかった。直ぐに視線を逸らした。

「くぅん」と悲しげに鈍色の喉が鳴ったのも、聞こえない振りをした。

自分は彼女達に、応える術を持ってはいない。応える資格もない。

何の目的もなくただ生きているだけの自分には、彼女達の真っ直ぐな生き方は、眩しすぎた。

いっそ世界の支配を狙う魔王でも、いてくれたらよかったのに。

そうしたら自分は胸を張って、勇者を名乗りでもしただろう。英雄を目指しもしただろう。

世界が変わっても、自分の根本だけは変わらなかった。ただ流されるままに、生きているだけだった。

それが悪いとは言われないだろう。この世界の住人でも、そうやって過ごしている者が大半だろうから。

しかし、借りにも冒険者を志すならば。

惰性で生きる者が、自己の全てを掛ける冒険者になろうなどと考えること自体、おこがましいにも程があるのではないだろうか。


「……今日は疲れたな。さっさと帰って寝よう」


「わん」


生来のネガティブさを存分に孕んだ声で、ナナシは言った。

律儀に答えた鈍色の唇が噛み締められ、目じりに涙が浮かんだのも、見ない振りをした。

とりあえず、一度ゆっくりと休んでから、少しずつ考えよう。

差し当たって、先ずは旅行の日程から。

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