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完全装鋼士 : レベル0  作者: ノシ棒
第1章 ―学園編:ナナシ―
17/64

地下16階 プロローグ2:恋想―セリアージュ―

その瞳が暗く濁ったのはいつの頃からだったか。

王都から辺境の街へと向かう列車の窓から外を眺めるセリアージュの眼からは、光が消え去っていた。

セリアージュの身には、龍神の血が流れている。

遍く未来を見通す眼を持った、龍神の血が。

物心付く前より、セリアージュにとって未来とは、酷く身近にあるものだった。

幼い頃から自分に乳を与えてくれた乳母。自分は成長し、彼女は教育係りとなった。厳しくも優しかった彼女に、自分は何という残酷な仕打ちをしてしまったのか。


――――――階段を踏み外して、首の骨が折れてしまうわ。


親切のつもりで口にした言葉だった。

皆、自分に未来の事を聞きに来た。

予見をしてやれば、皆が喜んだ。父が褒めてくれた。

だからこれはいいことなんだ、と信じた。

未来を見ることは、皆の助けとなるのだと。

だから無邪気に微笑んで、彼女に未来を告げたのだ。きっと彼女も、喜んでくれるだろうと。

彼女は今にも泣き出しそうな顔をして、しかし微笑んだ。微笑みながら、セリアージュを抱きしめて言った。


「私の顔が見えますか、お嬢様」


見えない、と応えた。

セリアージュの小さな顎は、彼女の肩口に乗せられていた。

重なる頬と頬。

彼女の、自分の、熱が伝わる。


「大切なものは、“見得無い”ほうがいいのですよ、お嬢様」


その日、乳母は暇を貰って実家に帰っていった。そして着いた帰路で、駅のホームで階段を踏み外し、首の骨を折って死んだ。

全て、後になって知ったことであった。

父が読み終えた新聞の、三面記事に小さく載せられていた彼女の死。

彼女が遺したものは、一冊の手記のみだった。

書かれていたのは、セリアージュのための、淑女の心得。

セリアージュが身に着けるべき作法をまとめたもの。

悟る。彼女はセリアージュの家に迷惑を掛けぬよう、努めてこの家の階段を避け、遠くの場所で死んだのだ。

セリアージュが感じたのは、愛。

未来が過去となり、そして現在へと襲い掛かって来た瞬間であった。


その日から、セリアージュは自らに未来を問う者達を信じられなくなった。

実の父でさえ。

彼等の眼に宿る輝きを、どうして自分は美しいと感じていたのだろう。

あれをどうして、自分を慕ってくれる親愛の輝きだと信じていたのだろう。

違う。あれは、ぎらぎらと輝くあれは、欲望の輝きだ。喰っても喰っても満ちぬ、人の底なしの欲が放つ、暗い輝きだ。

自分を訪ねてくる全ての人間は――――――。

父は、他の貴族達に、自分に面通しするために金と地位を要求していた。

あてがう(・・・・)に相応しい男を選別していたのだ。

その事実に気付いた時、おぞましさにセリアージュは塞ぎ込み、心を閉ざした。


龍神の血を引く娘は、心を壊す者が多いという。

母もその一人であった。

いつも窓の外を眺めて薄らと笑っている母。

仕事に忙殺される父に長らく会えず、身体も弱く、薄幸の女性なのだと思っていた。

違う。あれは、父に純潔を捧げ、加護を明け渡して用済みとなった、搾り粕だ。あれは、自分の未来の姿なのだ。

セリアージュは目の前が真っ暗になった。

龍眼には、自らの未来が見えていた。

虚無――――――一寸先も見えぬ、暗闇の世界。辿りつく場所は、其処か。


訪ね来る貴族の男達。

微笑み続ける母。

権力に取り憑かれた父。

未来を求める人々は絶えることは無い。何故未来を求めるのか、彼らが幼きこの身を見る熱の籠もった眼は、一体……その意味を考えた時、セリアージュの幼い心は決壊したのだ。

そうして情緒が不安定となったセリアージュの療養のため、父は母と共に自分を辺境の街へと移したのである。

だが、人の口に戸は建てられぬというが、この街でもどこから噂を聞きつけたのか、勘違いをしたような男共がセリアージュへと群がって来た。


――――――さっさと諦めてしまえば楽になれるものを。


冷静な部分が毒を吐く。

男共には辛辣な予見を適当に述べてやれば、悲鳴を上げて逃げていった。

時には自尊心をくすぐるような台詞を匂わせてやれば、簡単に舞い上がって踊ってくれる。

この街でセリアージュは、人の心を自由に動かす、人心掌握の術を学んだのであった。

消費される己の心を想えば、男共を右往左往させるくらい、許されるだろうと思っていた。


セリアージュが無為に日々を過ごしていた、とある日のことだった。

お気に入りのカフェのテラス席に座りながら、無差別に龍眼を発動。行き交う人々の未来を流し見ていた時のことだ。

路地の奥、いかがわしい店々の入り口、裏の人間達が巣食う闇。

そこへ、足を踏み入れんとする、“何か”がいた。

……否、何かを、見たのだ。

それは冴えぬ男であった。

黒髪黒目の、この大陸には珍しい純人種の男。


「……ヒッ!」


短い悲鳴に、喉が鳴る。

セリアージュはその男に、虚無の闇を見た。

恐れ、忌避し続けて来た暗闇を。

龍眼は何も映してはいない。何も映してはいない(・・・・・・・・・)のだ。

あの男には未来が無いとでもいうのか。それとも。

見た目は冴えぬ、凡庸な男であるというのに、セリアージュの背筋は恐怖に粟立った。

そんな男はセリアージュの視線の先、胸を大きく強調した服を着た女に腕を絡め取られ、路地裏へと引きずり込まれようとしていた。

あどけなさを残した、争いとは無縁の素朴な顔付きを、だらしなく歪めながら。

セリアージュの手の内で、閉じた扇子の骨が圧し折れる。


「あの男……! わたくしを侮辱して……ッ!」


それが、久しく感じることは無かった感情のざわめきだと自覚せず。

あんな男に怯えたなど、何かの間違いである。例え事実己が恐怖を感じていたとしても、それは否定せねばならない事だ。恥は、自ら雪がねば。

セリアージュは怒りに燃えて立ち上がる。

そして男に向け、通りが静まり変える程の怒声を上げるため腹に空気を吸いながら、一歩を踏み出した。

その一歩が何処へと続く道を踏んだのか、セリアージュは知らない。


『未来をただ享受する者に希望は無く、未来を掴みに往く者にこそ、道は開ける。どうか貴方が未来ではなく、夢を見られることを祈って』


乳母の遺した手記。

その最後の一文より――――――。



□ ■ □



張り付く様な身体の痛みを堪えながら、ナナシは飛来する火球を蹴り落とした。

全身に巡らされた人工筋肉と保護繊維の網目状構造が、身体に掛かる衝撃を吸収し、負担を軽減させる。

数メートルも中空に跳び上ると、そのままクルリと回転。首に巻きつけた大布がはためいて火球を絡め取り、そのまま絞め潰す。

手足の末端部分のみの装鋼では出来ない芸当。機関鎧は人間の人体では追随不可能な動きを可能にさせる。

おおよそ20程度のレベルさえあれば、誰でもほとんどを再現できる動きではある。だがナナシにとっては、自分がまるで超人にでもなったかのような感覚だった。

身体は軽く、手足は思考を離れ、勝手に飛び出していくようだ。ナナシは自分が一枚の羽根になったかのような錯覚を覚えた。

しかし、相対する貴族の魔法はそれを間断なく追っていく。

だんだんと狙いがシャープになっていくのは、ナナシの動きを正確に捉えているからに他ならない。

然もあらん、と思う。この貴族の男は、どう考えてもレベル20以上であったからだ。上位三級に数えられる魔術が低レベルの者に制御仕切れる訳がない。

しかもこの男は精霊族(エルフ)に身を連ねる者だ。この世界では、純人種の身体能力は下から数えた方が早い。身体の“つくり”自体が違うのである。

比較的非力な種族である精霊族(エルフ)ではあるが、しかし元々生まれ持った能力は、反応速度や魔力量等、あらゆる側面は純人種を超えている。


「は、ははっ、そんな鉄くずを身に付けた所で、所詮は虚仮脅しのようだな!」


「試してみるか?」


殺気。

5年を超える鍛錬の日々は、無力だった少年に他者を威圧する術を身に付けさせていた。

殺す気で掛かってくる相手には手加減などしない、という意思が圧力となって、貴族の男へと殺到する。


「ひ、ヒィッ!?」


恐らくは、殺気というものを生まれて初めて感じたのだろう。

貴族の生れならば仕方の無いことではある。面白いように男は取り乱していた。

風はこちら側に吹き始めたようだ。しかし楽観はできない。ナナシは全身に機関鎧を纏い、ようやく同じステージに立てただけなのだから。

だが、ナナシの顔に焦りは見えなかった。

力量差が埋められたならば、戦闘経験に富む自分が一方的に負けることはありえないと、確信しているからだ。

しかし。


「死ねッ、死ねッ、死ねェ――――――ッ!」


「ええいクソ、近付けない!」


ナナシとは打って代わり、冷静さを欠いた貴族の男。

空を跳びつつ、ひらりひらりと身をかわすナナシに向け、火球を連発していく。

もはや殺意を隠すこともなく、涼やかであった美貌は狂貌へと変質していた。

やはり、戦いの機微が解らなかったのだろう。想定外の事態が発生して、簡単に取り乱してしまっている。

反撃に移るチャンスでもあったが、弾幕を張られてしまっては近づけなかった。

さすが精霊族(エルフ)であるためか、三級魔術を連射してもまだ魔力は底を見せてはいない。追尾性能を放棄した魔術構成は、威力は元より、燃費が良いのだ。

「戦術も相性が悪いな」とナナシは一人言ちた。

火球を撃ちだすこと自体は単純といえど、熱量が及ぼす影響や二次被害を思えば、厄介が過ぎた。

しかも相手は恐慌状態に陥ったとなれば、もはや当初のように、ナナシが観衆をかばうことを見越して魔術を放っているのではないのだろう。

これではナナシは、戦いの場を空に移すしかなかった。

逡巡の後、「跳べるか」とナナシは問う。ツェリスカの答えは『問題ありません』の一言だった。


『マスターの命が、私の力となります。我々に不可能などありません』


「そうすりゃ空も飛べるってか。凄いな、お前は!」


『残存魔力量、残り68%です。注意してください』


機関鎧の多重装甲をスライドさせ、装甲内から噴射される圧搾空気と魔力とを利用して空を“跳ぶ”。

連射される魔術のインターバルを見切り、急降下。再び、跳躍。高度を稼いだ後は、噴射空気と魔力とで高度を維持。それの繰り返しだ。

もちろん、機関鎧は空戦を前提に設計されてはいない。

この機構は本来、人工筋肉に流れる魔力を外骨格を“ずらす”ことで開放させ、水中での簡易姿勢制御システムとして使われるためのもの。地殻変動や水害等で水没してしまった迷宮も多いのだ。試作機としての意味合いが強いツェリスカは、当システムも当然のように搭載されていた。

杭の射出(パイルバンカー)システムといった圧搾機構がふんだんに搭載されているツェリスカは、この手のシステムとは非常に相性が良かったのである。これらシステムを利用し、加圧された魔力や空気の余剰圧を利用、各所から噴射することで、空中での滑空を可能とさせたのだ。

だが、このまま跳び続けていれば、相手よりも先に駆動魔力が尽きるだろう。予備魔力電池や純粋電力稼働に切り替えるのも手だが、再起動するまでの猶予など無い。


「こ、このっ、また羽を! 止めろ! 頭を掴むのは止めたまえ! あ、やめ、やめて、ひぎぃ!」


「ぐうう! がううっ! がうーッ!」


取り巻き連中に鈍色とクリブスの動きが封じられていなければ、対応を任せることも出来ただろう。

初めから何か裏があるなと感じていた決闘騒ぎである。当然妨害があると覚悟はしていたのだが、まさかそれがナナシ自身に対する手出しではなかったとは。

だからナナシは、その身を盾にして観衆をかばう他無くなったのだ。戦い難いことこの上ない。

周りで野次馬根性を丸出しにしている者達も、セリアージュが言う程愚かではなかろう。

きっと、自衛手段の一つや二つは持ち得ているはず。

それを解っていながらも、ナナシは魔術の前に身を晒した。

もしも――――――。そうと思うと、飛び出さずにはいられなかったのだ。

もしも、これが純粋な決闘だと思い、飛び交う魔術が殺傷レベルではないと思われていたら。

もしも、本当に何の自衛手段も持っていない生徒が居たら。

沢山の「もしも」は、ナナシに最悪の事態を予期させるには、十分なものであった。

この世界にやってきて冒険者を名乗り始めてから、死への覚悟は少しは出来たはずだ、とナナシは思っている。

しかし、過去に経験したジョゼットとの別れが頭をちらついて離れない。

自分の死と、他人の死では、まったく重さが違った。もちろん、自分の命が何よりも一番大事ではある。

だが、自分のせいで他人が死ぬことは、それも見殺しにする形で死なせてしまうことは、ナナシには耐えられそうにもなかった。

異世界人であるが故の道徳観、とでも言うべきか。

ナナシは、「見殺しにしてしまった」という重責からくる良心の呵責こそを避けたのである。

この世界の住人達からすれば、唾棄すべき偽善行為であるだろう。

ものの考え方は変えれても、その根本となる価値観までは変え難いもの。

力を身に付けた。勇気も得た。

だがナナシは、生まれてこれまで培ってきた日本人としての価値観を、捨て去ることは出来なかったのである。


「その結果がこれか……笑っちまいそうだなあ、小心者め……ッ!」


自嘲の台詞。

この小心を見切られた上での戦術を取られたことに、羞恥で顔が歪む。

男の粘付いた視線から思うに、自分の仲間たちの事や周囲の者達、交友関係を調べ上げての作戦なのだろう。

それだけでなく、心的な動向のデータまでもが握られていた可能性もある。

戦いに余計な考えを挟むべきではないというのに、空恐ろしさで、一瞬の隙が生まれてしまった。


「死ィイイイネエエエエエッイイッヒィ!」


奇声を上げ杖を振り上げる男。

戦いの興奮に呑まれ、我を見失っているにも関わらず、隙を見逃さないのは男の誇る実力からか。

何にしろ、この男が大言壮語するだけの男ではないのは確か。

少なくとも、情報収集能力とそれを生かす能力は本物である。

セリアージュの父は、この男の家柄は元より、その力に目を付けたに違いない。貴族の戦いとは、即ち情報戦なのだ。

人格も、冒険者を蔑み権力を求めるその姿勢は好ましいものだったのだろう。貴族的見地に立てば、だが。


振り下ろされた杖から、もう何度目かも解らない火球が放たれる。

腕を十字に組んで火球を防いだナナシだったが、しかし撃墜され、地に墜ちた。

衝撃で後方に吹き飛び、観衆の中へと突っ込んでいくナナシ。

熱せられた鉄が突っ込んでくる恐怖から、ようやく観衆は気付いたようだ。これが、ルールに基づいた決闘などではないことを。貴族が冒険者を私刑にする、断頭台の上。処刑場であったことを。

初めに逃げ出したのは、非戦闘員の生徒達だった。次に、レベルが低い者が。高レベルの生徒達は、あくまで静観を決め込み後ろに下がった。残ったのは、未だに事態を把握できていない者と、物好きだけ。

結局、取り囲んだ観衆の輪が大きくなっただけだった。


貴族の男の嘲笑を聞きながら、ナナシは舌打ちを一つ漏らす。

機関鎧を装備して、自分はようやくこの男と同じステージに立った。そう、同じステージに立っただけなのだ。実力の差は、依然として開いている。

最たるものがスタミナだ。

自分からしてみれば、レベルの高い奴等はどいつもこいつも、化物のような持久力を持っている。こちらはもう、息が上がっているというのに。

経験の差を考えても、この男を打倒することは、何とか出来るはずだ。しかし、それはギリギリの駆け引きの上での話。圧倒することは、超えることは出来ない。

要するに、決め手がないのだ。

決闘の一応の名目が、貴族に狼藉を働いたことへの仕置きであるために、この場を凌いだとしてもどうせ直に新たな貴族連中が戦いを挑んで来るだろう。

この戦いで自分の戦力分析も行われてしまったはず。

であるならば、勝てないと、あいつと戦えば唯では済まないということを実力で示さなくては、キリがなくなってしまう。

ごちゃごちゃと初めに考えていたように、セリアージュの家やクリブスの家の面子の関係もある。

ナナシの勝利条件。それは、力を見せ付け、あの男に自ら膝を折らせねばならない。この唯一つである。

だがナナシには、自分にはそんな実力などありはしない事を、理解していた。

常にギリギリの戦い。

それがレベル0に課せられた枷。

自分の不甲斐なさがツェリスカの限界を自ら決めつけてしまったような気がして、たまらなく悔しかった。


『言ったはずです、マスター』


ああ、まただ――――――。

ナナシの視界に、ノイズが奔る。

モニタに一瞬発生した砂嵐の向こう側で、少女が微笑んでいる。


『命じて下さい。それが、私の力となります』


「……そっか。そうだな」


ナナシは申し訳なく思った。

ツェリスカに気を遣わせてしまったような、そんな気がしたからだ。

進化するAIは装着者の心身をも労わるのか、それは解らなかったが、しかしナナシがすべきことは一つだった。

もっと傲慢にツェリスカを使うこと。道具として、徹底してツェリスカを扱うことだ。それが、お互いの信頼に繋がるのならば。

AIであるツェリスカに信頼という言葉が当てはまるかどうかは解らないが、ナナシはそう思った。


「命令だ! もっと速く、もっと強く、俺に力をくれ! ツェリスカ!」


『了解しました』


応えるツェリスカの声に呼応して、機関鎧の各所が音を立て、組み換えられていく。

モニタに膨大な量のコマンドプロンプトが表示され、一瞬の内に流れ去った。

貴族の男が何かを喚いていたが、気にはならなかった。どうせ、これで止めだとか、そんなどうでもいい事だろう。

ナナシは機関鎧に包まれた全身に、燃えるような熱さを感じた。

魔術の熱ではない。

身の内側から溢れ出る熱だった。


『スラブ・システム起動。内在ナノマシン活性化、脳同期開始。高機動モードに移行します』


――――――咲いた。

ツェリスカが咲いた(・・・)

咲いた、としか言い様がなかった。

装甲の隙間からは、内部機構や駆動する魔力ダイナモが見え隠れしている。

スマートだった外見は、展開された装甲の面積で、一回り重厚な様相と変わっていた。

限界稼働する間接からは、絶えず高音が響いている。

機関鎧が、全身の多重装甲を花開くように展開、可動させたのだ。

装甲表面を大きくずらすその経過は、正しく面発生雪崩スラブを連想させた。


「これは……!」


『スラブ・システム――――――蓄積した余剰魔力と空気を加圧噴射、高速循環させることで、高機動形態へと移行させる新システムです』


圧搾された魔力と空気が高熱を放ち、高速循環する魔力が機関鎧の第一外装と第一表皮の色を変える。

ツェリスカは、一瞬の内にその身を真紅に変えた。

熱せられた空間が揺ら揺らと陽炎を造り、ナナシの姿を滲ませる。


「ナナシが、赤く燃えている。まるで星だ……」


「わん……」


クリブスと鈍色は唖然として呟いた。

これならば、とナナシは拳を握りしめる。

尋常ではないレスポンスと、駆動音。モニタには残存魔力量が、秒刻みでそのパーセンテージを減らしていく。計算するとフルチャージ状態でも数分しか使えず、厳しい制限時間だったが、ナナシは壁を一つ乗り越えたような手応えを感じていた。

文字通り、一皮剥けたのだろう。

そこから先は、一方的だった。


「かっ、形が変わったくらいで、何もかわらいげャ――――――ッ!」


虎視耽々と隙を狙い続けていた貴族の男。

取り乱してもなお狡猾にナナシの隙を縫い、詠唱を続けていたその口が、奇妙な形に歪む。

気が付けば男の口には、赤熱化した鉄の指が突っ込まれていた。

言葉の途中で差し込まれた鉄の指に、ガチンと歯が当たっていた。

口内を焼かれる感覚に、慌てて男は口を押さえて飛び退く。咥内を、粘膜を焼かれては堪らない。

後退りながら杖を向けるも、そこには誰の姿も見えない。


「また空か! 性懲りもなくッ!」


杖を空に掲げれば、そこには無防備を晒したナナシの姿が。

貴族の口が嗜虐に歪む。

中空で加速を繰り返す技を使う相手であったが、この距離、高度、姿勢、どれを取ってもかわせるタイミングではあるまい。

殺った、と貴族の男は口端を持ち上げた。

思えば、取り乱し貴族にあるまじき醜態を晒してしまったような気もするが、そんなものは勝利の栄光でいくらでも覆せるものだ。

狙う先は、唯の踏み台の癖に差し出がましい真似をしてくれた冒険者。

手こずらせてくれた苛立ちしか感じない。虫は虫らしく踏み潰されていればいいものを。

だが、この茶番さえ終われば自分には、甘美な将来が約束されているのだ。

舌舐め擦りをしながら、男はセリアージュの肢体を脳裏に描く。

熱心に自分を鍛えていれば、必ず目を留めてくれる大貴族がいると打算していたが、大物が掛かったのである。これを逃す手はなかった。

セリアージュの父親は、彼女の母親を“上”に行く道具程度としか思っていないようだったが、自分は違う。

胸囲は慎ましいものの、瑞々しい身体……セリアージュは、紛う事なき美少女だ。道具にして使い捨てるなど、勿体ない。

何よりも竜人(ドラゴニュート)の味は、きっと自分を飽きさせることはないだろう。

その柔らかな肉に指を食い込ませたら、如何ほどの快楽を与えてくれるだろうか。

愛してやろうではないか、と男は思った。

愛し尽くしてやろうではないか、自分なりの愛し方で。

燃えて、尽きるのは彼女の勝手だ。


「これで……終わりだ!」


輝ける未来を夢想しながら、男は杖を振り下ろし、そして。


「――――――な、あッ!? 馬鹿なッ!?」


驚愕に、目を剥いた。

放たれた火球が直撃したと思った瞬間、霞みの如くナナシの姿が揺らめき、火球が散らされたのだ。

無効化された訳でも、防御されたわけでもない。ましてや、回避などはありえない。散らされたのである。

男がこれまで見たこともない現象だ。

まるで魔力によって形成された炎が、目には見えない微細な魔力片に乱反射したかのような反応だった。

なぜ? というのが、最初に浮かんだ思考である。

煙のように消えさったともなれば、あれは分身であるか。

本物はどこに消えたかと探すと、再び空中に姿が浮かんでいる。

半ば予想しつつも魔術を撃ち込めば、やはり火球は散らされる始末。


「まさか……掻き消したとでもいうのか、在り得ぬ! 魔術だぞ! 一度発動した魔術が、消え去る訳が……!」


返答は、眼前に突き出された拳である。


「正解だよ。貴族様」


「……はうっ! ひっ、ひっ、ひぃぅっ!」


思わず眼を瞑った男であったが、何時まで経っても衝撃は訪れない。

恐る恐る眼を開けると、再び突き出される拳。

今度は、目を瞑る間もなかった。

ナナシの姿が、虚空に赤い残像を残し、消える。

一瞬の後、再び現れたナナシは、拳を突き出した姿で止まっていた。

男が瞬きを一度する間に、ナナシは三度以上の消失と出現を繰り返していた。

連続して叩き込まれる拳は、その全てが寸止め。身体に触れる直前で、止められていた。

滲むように虚空に溶けては、出滅を繰り返すナナシ。

観衆達が見ることが出来たのは、ナナシが残した紅い軌跡のみだった。


「まだまだ、これからだ――――――!」


紅い残像と化すナナシ。

高速を産み出す強烈な踏み込みは、石畳に罅を入れ、粉々に粉砕する。

ナナシが通った後には、風に吹かれて舞う砂山が残るのみ。

そのあまりもの速度に、冒険者達の間からどよめきが起こる。高レベル保持者であってもナナシの体捌きが、ほとんど見えてはいなかった。

ナナシ自身、気を抜けば自らの速さに取り残される程。加速距離ゼロの瞬間最高速度の到達、その連続。これこそがスラブ・システムの機能。

視界が暗くなっていく。ツェリスカが全身の人工筋肉を流動させることで、血液を巡らせてくれてはいるが、それすらも追いつかないほどの断続的加速減速。

ブラックアウトを歯を喰いしばり耐えながらも、ナナシは拳を振り絞った。


「無名……戦術……」


無数の紅い拳撃が貴族の男を襲い、そして身体に触れる前に止められる。

フィストバンカーの最高速度に比べれば、遅い拳であるだろう。しかし、速い。

右腕に供えられた杭を利用し、身体の末端部分を加速させるのがフィストバンカーの原理であるのに対し、スラブ・システムは全身を加速させ、相対的に速度を稼ぐシステムである。

その原理はアルマが天魔化した際に用いる、魔力噴射による身体加速法に等しい。

圧縮された魔力を、人工筋肉のパワーアシストに併せて断続的に噴出させている。魔力の高速循環とも併せた人工筋肉が産み出す馬力たるや、高レベルの冒険者の能力も、制限時間内であるならば凌駕するだろう。


最新奥義(・・・・)――――――!」


かつてジョゼットは言っていた。

無名戦術とは、未完の技であると。

足運び一つ指使い一つ取っても、常に新しいものへとアップデートし続けていかねばならない程に、未熟で、未完製。

だから。


『お前がこれ以上ない最高の出来の技だと思えば、そいつが無名戦術の奥義さ。だから、常に最新の奥義を放ち続けろ。出来れば、誰かのために――――――』


脳裏に再生される、老人の声。

この拳は、彼女のために。


「“鴉雀無声”――――――ッッ!」


それは唯の正拳突きだった。

腰を落とし、胴を捻り、背の筋で撃つ、正しい形の拳。

それが、それこそが、ナナシが初めて放った無名戦術の奥義であった。

無名戦術最新奥義――――――鴉雀無声。

一人の女に捧げた、正拳突きである。



□ ■ □



口を開けば「ああ」と意味を成さない言葉が漏れる。

言葉に出来ない想いがあることを、セリアージュはこの時初めて知った。


「ああ、ああ……!」


赤い風となって縦横無尽に広場を駆けるナナシの姿。

滲むように霞む姿は、視認することも難しい。しかし、ナナシの戦いから、目を離すことが出来なかった。


「あああ……っ!」


ナナシが戦っていた。

ナナシが戦っている姿を、初めて見た。

あの、戦うことなど出来そうにもなかった男が。優しすぎて、冒険者など、絶対に続けられるはずもないと思っていた男が。

今まさに、自分のために戦っているのだ。この人生を諦めた女のために。

戦わせてしまったという罪悪感に苛まれていたはずなのに、その事実に歓喜している自分がいる。

自分の中の女が、喜びに震えているのを自覚する。

浅ましい性だと解っていても、どうにもならない。

ナナシが拳を、足を振るう毎に、胸の内に凝固していた澱みが粉砕され、崩れていくのを感じた。

崩れた欠片が溶け出して、両の瞳から流れ出ていく。


「ななしぃ……っ!」


ナナシと出会ってから、もう6年が経つ。

その間、自分はずっと、ナナシを見ていた。

しかしこの光景を見せ付けられては、見ていたつもりだったと言う他はない。

彼はもう、自分の庇護など必要としていないのだ。いや、その逆だ。自分が彼に、ずっと守られていたのだ。

この身体に流れる血に重さを感じなかったのは、彼と話している時だけだったのだから。


身に流れるは、龍神の血。

メディシス家に生まれた女の竜人(ドラゴニュート)の移譲加護は、竜眼である。

竜眼が持つ能力は、“運命の一枝を観る”こと。端的に言ってしまえば、未来視だ。竜眼は、ある行動によって派生する様々な結果を、“時流の行く先を見つめる”ことで先読みすることの出来る能力なのだ。そして観測された未来枝は収束し、一つとなる。

未来が固定し、確定されるのである。

メディシス家が大貴族に数えられる理由が、そこにあった。

加護を委譲された男では、使おうと思って使えるような便利な能力ではないが、それでも未来を知ることが出来るのだ。貴族でなくとも、喉から手が出るほど欲しい能力であるだろう。放っておけば、野心を剥き出しにした者達の食い物にされるのは間違いない。

そう判断した国によって、貴族の地位を与えられ、保護されているのである。

保護されているのだから、守られている側は大人しく力を譲渡しなければならない。

メディシス家の当主は代々女系であるというのに、その全権は入り婿に委ねられることになるのは、そういう理由からだった。


セリアージュは、一人寂しく揺り椅子に揺られる母の姿が、痛ましく悲しかった。

だが、違った。あれは、母の姿ではなかった。竜眼が観せた、未来の自分の姿だった。

それに気付いた時、恐ろしくて眼を潰してしまおうともした。

そしていつしか恐怖は、諦めに変わった。

人は恐怖を抱いたまま生きることは出来ない。だからセリアージュは、諦めることでそれを受け入れた。本心に厳重に蓋をして。

そんな日々が終わりを告げたのは、何時だったか。

自問する意味もない解りきった答え。

ナナシに出会ってからだ。


第一印象は、最悪だった。

一目見たその時に、この“未来が見えない男”が、必死になって取り繕ってきた自分を壊すだろう、なんて。

そんな、予感めいた期待を、抱かせられてしまったのだから。


「がんばれ……がんばれぇーっ! ナナシぃーっ!!」


手を口の横に当てて、腹の底から叫んだ。

こんなに大声を出したのも、生まれて初めてだった。

そうだ、がんばれ、負けるな! と、自分に追随して観衆から次々に応援が上がっていく。

セリアージュには、己の心を覆う檻が粉砕される音が、確かに聞こえていた。



□ ■ □



加速された視認することも難しい赤熱化した拳を、身体中の急所という急所に寸止めを繰り返される男の心中たるや。

涙と鼻水を垂れ流し、悲鳴を上げることも出来ずただ棒立ちとなるしか、選択肢は残されていなかった。


「参ったか?」


何時の間にか自分を応援し始めた大勢の声援を背に受けながら、拳を繰り出したナナシは男に問う。


「自分の負けを、認めるか! どうだ!」


問いと共に繰り出された側頭蹴り。

あまりもの風圧に、男の頬肉がぶわりと膨らんだ。

男はただ壊れた機械のように、首を縦に振る。

ようやくナナシは深く息を吐いた。

展開された全身の装甲が戻り、急速冷却される。真紅に染まっていた外装は、その色を常の鋼の色に戻した。

これまでの経緯を、観衆達もその目で見て、よく理解しただろう。


ナナシの目論見は達成されたのである。

打倒してしまうことが出来ないのであれば、圧倒するしかない。

もうセリアージュの家から睨まれることは確定している。

ならば、観衆に強く男の負けを印象付けることで、周囲からの圧力を緩和することを狙う。

直接手をださねば、この男が自ら敗北を口にすれば、貴族達も表立っては動けぬはず。

男の口から負けを認める言葉は出なかったが、観衆には大貴族の子弟子達もちらほらと混ざっていた。

自分の勝利に箔を付けるために呼んだのだろうが、それが裏目に出たことだろう。

今回のように呼び出して私刑に掛ければ、恥の上塗りとなるのだから。

ナナシが男を直接打倒していたのならば、セリアージュの父の息が掛かった者が、影ながらよからぬ事を仕出かしたかもしれない。

この男がセリアージュの婚約者であることは、変わらぬ事実なのだから。

家を継ぐ者を傷付けたとあっては、流石に黙ってはいられないだろう。

しかし、こうして男が自ら膝を折ってくれたならば……その責は、全てこの男にあるということだ。

要は、この男は冒険者に頭を下げた、と周囲に認識させること。

この男との縁が切れたのならば、後はどうとでもなってしまえ。ナナシの選択は、“時間稼ぎ”をすることだった。

極力角を立たぬ戦いの結果に落ち着いたのだから、クリブスの家の力に頼ってもいい。

結局は他人任せにしたということだ。セリアージュの願いに応えられたわけでもなし。

確固たる信念もなく冒険者となり、それを続けている自分にはお似合いの選択だったのかもしれない。

ナナシはほとほと自分が情けなく思えた。

どこに行ったって人の本質など、そうは変わらない。

向こうで適当に生きていた自分は、こっちでも煮え切らずに半端に生きるしかないのか。

ただ……そう考えると、どうしようもない憤りを感じるようになった。それは、ほんの少しの進歩。

レベルは依然として0のままであるが、しかし心のレベルだけは0のままでいたくはなかった。

もっと強くなりたいと、ナナシは漠然と思い始めていた。


「ま、待ってくれ!」


ゆっくりと拳を下げたナナシに、男が声を上げた。


「どうか、どうか君の顔を見せてくれないか。私を倒した、男の顔を」


「……ああ。解った」


負けを認めたら素直なものだ、とナナシは兜を脱ぐ。

いけ好かない男だったが、勝者を称える性根があるとは思わなかった。

熱せられた装甲内から解放された頬が、外気に触れる。

滝のような汗を流しながら、ナナシは顔にあたる風と共に、爽やかさを感じてさえいた。


「馬鹿が」


『エマージェンシー! 魔力凝縮確認!』


ツェリスカからの警告音。

爽やかさが氷水を掛けられたかのような冷たさに変わるのは、顎下に杖の先端を圧し込まされてからだった。


「お前ッ! 負けを認めて……!」


「認めてなどおらんなぁ。まったく、これだから冒険者は。少し下手に出れば付け上がる」


「人前でこんな事をして、唯で済むと思っているのか……ッ」


「黙れ! 唯で済まさぬのは、私の方だ! 少々の失態など、勝利でいかようにも覆るのだからな!」


「ぐうぅっ!」


「死人に口なし、だよ。惨めで汚らしい冒険者君。君は私を存分に苛立たせてくれた。いったい何年、私の邪魔をすれば気が済むんだい?

 だがそれも今日で終わりだ。宣言通り、私はこの一撃に全てを込めよう。数年分の憎しみをね……では、さようならだ」


喉の皮が、じゅう、と音を立てて焼けていく。

男の魔力ならば、小さな火球でも頭を吹き飛ばすには十分な威力。

セリアージュの説教が思い起こされる。

迂闊に人を信じるから痛い目に会うのよ、と彼女は言っていた。

貴方のような男は痛い目を見ないと思い知らないのよ、とも。正に、その通りだった。

平和ボケの心魂を変えようと言葉使いを改め、技術を学び、経験を積んだというのに。

たった今、何とか変わっていこうと思い始めて直ぐに、これだ。

日本人という国民性は、もはや呪いの域である。

万事休すか、つまらない終わりとなった、とナナシは目をきつく閉じた。


「こぉの、恥知らずッッ! あなたは貴族の面汚しよ! 恥を知りなさいッ!」


一喝。

セリアージュの怒声が聞こえ慌てて目を開けると、ナナシの鼻先数センチを、竜言語魔法(ドラゴンブレス)が掠めていった。


「わひぃっ! ちょっ、お嬢様!? まっ、待って、待ってって! んわぁぁあああ!」


二度三度、と続けて撃ち込まれるドラゴンブレス。

もちろんその全ては、貴族の男を標的としていた。

一撃目で男は悲鳴もなく真横にすっ飛んで行き、観衆達の隙間を縫い、学園の壁面へと突き刺さっていた。

容赦のない追撃に、ナナシは身震いする。正直、さっきの火球よりも、こちらの方が100倍は怖い。

これまでは鈍色とセリアージュの喧嘩の余波を受けただけだったが、直撃するとああなるのか……とはナナシの冷静な感想。


竜言語魔法(ドラゴンブレス)に代表されるように、龍の血は伊達ではない。

セリアージュ自身の力も、決して無視していいものではない。それを、貴族の女だからと舐めて掛かっていた所もあったのだろう。喧嘩レベルではない本気の龍の怒りに、全ての生徒が腰を抜かしていた。

見慣れていたはずであるナナシも、一言も漏らすことが出来ない程。


ちなみにではあるが、竜言語魔法(ドラゴンブレス)とは、一呼吸(ワンブレス)で魔術効果を顕現させる、詠唱法である。

自身の内に流れる龍の血を媒介に、体内に陣を敷き、呪唱を簡略化。その結果が、魔術の超速多重展開だった。

竜言語魔法(ドラゴンブレス)――――――別名ガトリング・マジック。

その威力たるや、見ての通り。

セリアージュの口蓋からは、魔力の残滓がキラキラと輝き、まるで輝く息を吐いているかのよう。


「貴族が一度口にした言葉を反故にするなど、貴方はそれでも貴族ですか! ええい、腹正しい! その腐った性根、ここで叩き直してあげるわ!」


「あわわわわ……」


「あなたとはこれで終わり! もう二度と顔も見たくないわ! さよならね!」


瓦礫に埋もれ、貴族の男の姿が消える。その上に、ドラゴンブレスが突き刺さった。今度は氷と炎の複合属性のようだ。

あれだけ苦汁をなめさせられた相手だったが、哀れ、としか思えなかった。

しばらく罵倒……に乗せた竜言語魔法(ドラゴンブレス)を繰り返していたセリアージュだったが、ようやく落ち着き、ふうと息を吐いた。


「ああ、すっきりした!」


「え、ええと……セリア、お嬢様?」


「あら、なあにナナシ? そんな飛竜がウィンドハンマーを喰らったような顔をして」


「いや、ハトが豆鉄砲みたいなこと言われても……何が何やら」


「ふふふっ、初めからこうしておけばよかったのにね。わたくし、お行儀が良すぎたみたい」


扇子で口元を押さえ、可笑しくて仕方がないという風に笑うセリアージュ。


「わたくしは次期当主なのよ。本来はお父様よりも地位は上。お国への義理があるから婿を取らなくてはいけないけれど、お父様には選ぶ権利はあっても、それを押し付ける権利なんてないのよ。気に入らない相手は、こうやって一息で吹き飛ばしてやればよかったのよ」


「そう、ですか……うわぁ、すご……」


そうなのよ、とセリアージュは頷いた。

なるほど。こういうオチかとナナシは地面に腰を降ろし、大きく溜息を吐いた。


「ありがとう、ナナシ。あなたがわたくしに、力をくれた。今度はわたくしが戦う番。わたくしはもう、自分を諦めて逃げたりなんかしないわ」


「どういたしまして、セリアお嬢さま。俺もお嬢様に、力を貰ったよ。お嬢様になら出来るさ、きっと、打ち勝てる」


それだけ言って、ナナシは大の字に身体を投げ出した。

観衆達が、見世物は終わったと次第に散っていく。あの男も掘り出されたようだ。

結局は、貴族のお家騒動など自分がどうこう出来る問題でもなかったということだ。

セリアージュはこれから先、厳しい立場に立たされるだろう。

だが大丈夫だろうな、とナナシは思う。

覚悟を決めたこの世界の人間が、どれだけ強いかを、ナナシは良く理解していた。


「ねえ、ナナシ。わたくしがメディシス家の当主になって、発言力を得て、全てのしがらみから解放されたら……わたくしと一緒に……」


「ごめん……ちょっと血が足りないみたいだ。俺、今から気絶するよ」


「……宣言して気絶する人を、始めて見るわ」


「また、後で……」


「もうっ、仕方ない人ね。こんな時に寝ちゃうなんて! わたくしが一体、どれだけ勇気を出して……もう」


セリアージュが何かを呟いていたが、ナナシの耳には届かなかった。

気が抜けて、身体中の痛みが振り返してきたようだ。

負傷した状態でのスラブ・システムは、身体に思っていた以上に負担を掛けていたらしい。

身体が自然に休眠を求め、自分の意思とは反対に瞼が落ちていく。


「ありがとう。おやすみなさい、ナナシ――――――」


後頭部に柔らかな感触を感じながら、ナナシは眠りに落ちていった。



□ ■ □



いつしか夜になっていた。

クリブスと鈍色が慌てて倒れたナナシに駆け寄って来たが、怪我よりも血が足りぬことを知るや、また走り去って行った。

医療チームでも呼びに行ったのだろう。それまでは、ナナシを寝かせておいてやろう。

星を数えながら、セリアージュは乳母から幼少の頃よく聞かされていた子守唄を口ずさむ。

膝の上には、疲れ果てて眠るナナシが。

無理もない。あの男は小物であれども、レベルは30台に届いていたのだ。疲れ果てて当然だし、自分達の常識からすれば、ナナシが生きていることが奇跡にも思えた。


膝に乗せたナナシの頭に手を当て、髪を梳く。

汗で張り付いた髪が指に絡まり、何本かの髪がぷつりと千切れた。その度ナナシが呻き声をあげるのが、セリアージュの微笑みを誘った。

「ごめんなさいね」と苦しくないように、胸の装甲板を外していく。

それでもかなりの重量だったが、魔力を通したセリアージュの膝は、ナナシの全重量を危う気なく支えていた。

装甲を外すと、むわりと籠っていた汗と熱、血の臭いが立ち昇るが、セリアージュにはそれを不快には思わなかった。むしろ鼻を埋めて音をならし、肺いっぱいに臭いを吸いこみたい衝動に駆られていた。

自分の今後の身の振りを考えねばならないというのに、何をやっているのかと苦笑しながら、ナナシへと回復魔術を掛ける。

……やはり、効果が薄い。もう回復魔術は、この男には気休め程度にしかならないか。

こうして一人に固執するのも、龍の血が為したものなのかもしれない。

メディシス家は古き龍の血統を継ぐ家である。そしてその血は女児に継がれる。つまるところ、自分にはそれだけの存在価値しかなかった。

セリアージュは産まれたその瞬間から、政略結婚以外の用途以外の価値を与えられなかったのだ。セリアージュをそう扱ったのは、セリアージュの母も例外ではない。彼女は常々、セリアージュに詫びの言葉を掛けていた。彼女は諦めてしまっていたのだ。

無念に感じた事はなかった。“そうゆうもの”として受け取っていた。疑問など、抱きようもない。“解っていた”からだ。


竜眼は、遍く全ての選択肢を、自分から奪い去っていった。

残ったのは、ただ決められた未来に対する恐怖しかなかった。

それは即ち、未来が覆せないという恐怖“などではなく”。

“解り切った未来”が実感を持ってやってくるまでの時間を待つ、恐怖だ。

囚人が刑が執行されるまでの時間を待つ恐れに、等しいのかもしれない。

だからセリアージュは、親の決めた全く関心のない男を夫とすることにも、何の感慨もなく首を縦に振った。

これも、“解っていた”からである。

ところが、どうだ。

今更になって、自分はその全てに従わぬと、幼子のように癇癪を起して拒否したのだ。

それはメディシス家に対するとんでもない裏切りである。

国との繋がりが密接なメディシス家であるからこそ、セリアージュの“わがまま”など、誰も許しはしないだろう。

父よりも立場が上だなどと、そんなものは書類上だけの戯言だ。

周囲の面々の前で無礼打ちをしてしまったあの男との縁は切れるだろうが、どうせ直にでも次の相手が現れるに違いない。

それよりも、自分に対する何らかの罰が課されるかもしれない。

いや、それよりももっと前に、ナナシへと制裁が下るのが早いだろう。


させない、とセリアージュはナナシの頭を掻き抱いた。

させてはならない。

こんなにも優しく、弱く、どうしようもない男を、汚らわしい貴族の陰謀で傷つけてはならないと。


セリアージュは今やはっきりと、自分の胸が熱を持っていることを自覚していた。

だが、この願いは叶わないだろう。

自分自身解っていたことなのだ。

どれだけ父には従わぬと決意を固めようとも、自分は絶対に、ナナシと結ばれることがないだろうことが。

龍眼で見たのではない。周囲が絶対に認めないだろうことは、解り切ったことだった。

何より、ナナシ自身がそれを良しとしないだろう。


ナナシが己の小心と矮小さに苦しんでいることは、彼自身は上手く隠していると想っているようだったが、周知の事実である。

言葉として語られた事はなかったが、亡きジョゼット老の遺言に従い冒険者となってしまったような男である。

それだけならば美談だが、ハンデを背負って命を掛けなくてはならないとなれば、話は別。ここまで執着するようでは、ナナシの意志薄弱さとも重なり、それはもう呪いだった。

ナナシが冒険者を続ける理由とは、自己の理由からではないのだ。

だから、どんな絶望的な状況であっても迷宮に挑む事を諦めることがない。

その信念は、執着は、彼自身のものではないのだから。自身の内に無いもの程、美しく見えるものはない。

そうまでするナナシの目的とは、恐らくは、周りの者達を全て置き去りにするような類のもの。

ジョゼットが何と言葉を遺したかは知らないが、ナナシが自分たちを見る目に、ある種の申し訳なさが含まれていることからも間違いないはず。

ナナシはそうやって、本心を隠したまま、倒れた者の願いを背負って冒険者となっていくのだ。

あれで潰れてしまわない理由が未だに解らない。

だが、そんなナナシの自己欺瞞が、セリアージュには好ましく思えた。

セリアージュにとっては、“己”というものは、たった今産まれたものであるからだ。

それがどんな形をしていたとしても、例え卑屈に歪んでいたとしても、己を持っていなかった自分にとっては、尊敬して然るべきだからである。


そこまで考えて、ふとセリアージュは気付いた。

ナナシが冒険者となってから事あるごとに口ずさんでいた、『仲間』というものが持つ意味が、何となく解ったような気がした。

彼が身の丈を超える願いに潰れてしまわない理由は、仲間に支えられているから。

そう考えが至った時、なるほどとセリアージュは頷いた。

なるほど、自分がナナシに支えられていたことと同じか、と。

セリアージュは納得いったと微笑むと、きょろきょろと辺りを見渡した。

あれだけ観衆がいたというのに、周りにはもう、誰もいない。

そういえば犬娘は最後までうーうーと唸って噛り付いていたが、何かを察した鳥頭が引っ張って行った。嫌味な男だとばかり思っていたが、思い違いをしていたのかもしれない。今度会った時は、謝罪と感謝を伝えなければ。

セリアージュはもう一度くすりと微笑むと、ナナシの額に張り付いた髪を優しく払い、頬に両手を添えて呟いた。


「ねえ、ナナシ。わたくし達は一緒にはなれないけれど、もしそうなれてもあなたは頷きはしないでしょうけれど……この“はじめて”くらいは、貰ってくれるわよね?」


そう言うと、セリアージュはナナシの顔へと、そっと影を落とした。

重なる影。

龍眼は、何も映さず――――――。

なんという嬉しくないエルフ。

ファンタジー=エルフだというのに、誰得……。

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