表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
完全装鋼士 : レベル0  作者: ノシ棒
第1章 ―学園編:ナナシ―
14/64

地下13階

頭蓋骨が歪んでるんじゃないか、これ。

などと、ずきずきと痛む頭を擦りながら、ナナシは顔を顰めた。

ヒナコの言いつけ通り、一つ上の学年の整備科に通う先輩へと、専属整備師になってもらう旨を頼みに行ったはいいものの、結局機嫌を損ねてヘッドロックを喰らうことになったのである。

毎日重い機材を扱っている整備士なだけはあり、細腕に見えてその腕力はとんでもないものだった。

こちとらレベル0の無力者であることを忘れないでほしい。

機材の性能を確かめるため迷宮に潜り、いつの間にかレベルが上がっていった先輩とは、基本性能が違い過ぎるのだ。

下手をすれば冗談ではすまない事になりかねない。


「ナナシ、顔がにやけてるぞ」


「うるさいな」


「まんざらでもなかったなどと顔に書いてあるが?」


「うるさいな!」


鳥頭の癖に、と呆れた視線をよこすクリブスに悪態を吐く。余計に視線が冷たくなった。

確かに、まんざらでもなかったけれど。

そんなことを思いながら、ナナシは彼女の姿を思い浮かべた。


大きく開けられたツナギの前から覗く、飾り気のない白Tシャツ。

押し上げられた双丘は、目算でだが、数えで7サイズ目にも届く程だろう。

彼女は豪放な性格をしているが、それに見合った身体付きもしているのだから困る。


そんな彼女に頭を脇に抱えられたら、天国と地獄の両方を見ることになる訳だ。

だから仕方がないじゃないか、とナナシは自己弁護。

にやけたっていいじゃない、男の子だもの。


「鼻の下が伸びてるぞ」


「うぐぐ……!」


「ちょっと向こうに行ってくれないかな。いやらしい」


「お前、そこまで言うのはひどくない? これ男の生理反応よ?」


「死ねばいいのにこいつ。依頼で事故起こして“使い物”にならなくなればいいのに」


「なんで俺こんな責められないといけねーんだよ」


言い合いながら二人して廊下を歩く。

あの探索での報告書が完成したため、提出のために職員室へと足を運んでいる道中だった。

凄惨な結果に終わったかに思える『遠足』であったが、死傷者はフロア最下層に陣取ったキマイラと遭遇した者のみであり、クリブス班以降に到着したパーティーらにはこれといった被害はなかったらしい。

数多くのパーティーが同時に出発することになっていたが、実際迷宮に突入するのはパーティーリーダーのタイミングに任せられていた。

後続班になればなるほど攻略は楽になるが、手に入る実り、アイテムや武具は少なくなるというデメリットもある。

当然評価も低くなるのだから、その辺りの匙加減をどう見極めるかもリーダーの役目である。そして、冒険者たるもの欲深くあることは当然のことだ。その末路が、ナナシ達が見た食べ残し(・・・・)である。

クリブス班はといえば、遠足の当初からあまり積極的ではなかった。

洞窟型迷宮であることが知れていたため、ナナシの武装の大半が使用不可になっていたこともある。

ナナシの機関鎧の武装は元が市街地戦を想定していたこともあってか、大型のものばかりだった。これでは野外でしか振り回すことはできないし、閉所で大型銃をぶっ放したりなどしたら、二次被害の方が酷いだろう。

「武器などいらない」と言い切れる程に己に実力が無いことは、ナナシ自身が知っている。

だが、この拳が完成しさえすれば――――――。

クリブスとしては前衛の戦力減少は無視できない問題だ。「ようは期間内に攻略できれば、それでいいだろう」とのクリブスの声により、クリブス班は中発組として出発することになった。

中発組と言っても、生徒達を半分見送った後に出発した、という意味ではない。得られる実の量から計算した度合いである。

初めに突入した数パーティー以外は、全てが中・後発組になるのだ。

冒険者として全く非難することは出来ないが、今回は、欲を掻いた生徒達が犠牲になったというわけである。

そして後に到着したナナシ達が、腹のふくれたキマイラを打倒したと、そういうことだ。

その差は、ただの運でしかない。

死が身近であるのは、当たり前のことなのだ。

それよりも以前に、冒険者達は“理不尽”を隣人とする。


気付けば、クリブス班が迷宮を攻略した最初の班ということになっていて、最優秀班の賞を頂けることになっていた。

賞は現金支給、学業に用いなさいよと渡される次の探索のための支度金であり、その使い道の詳細を報告書としてまとめ、提出しに行かなければならなかった。

生徒の生き死にには関心がない癖に、よく解らない所で校則に厳しいのは、学園としての体裁を保とうとせんがためか。

報告書の内容も、毎回お決まりの文章を連ねただけの、解りきった内容。

なんだかなあ、とナナシとクリブスは疲れた溜息を吐いた。


今回の探索を振り返ってみれば、死傷者の数だけを見れば、例年とそう変わらないくらいの程度であった。

後発パーティーのほぼ全てが生き残った事を鑑みれば、それも頷ける。

しかし穿って見るならば、探索課題が出る度に必ず死傷者が出るということだ。

キマイラ戦は辛勝もいいところで、あれで何故生き残ることができたのか、奇跡と思う他はなかった。

そうでなくとも、迷宮構造の組み換えに巻き込まれ、お互い散り散りになってしまっていたのだ。

生き残れたのは、幸運だった。

つまり冒険者などその程度のものだ。実力云々は、あまり関係がない。

彼等の努力に対して、運命は無情である。


「まったく、アルマの方はどうしたんだ? メンバーのメンタルケアは君の役目だろう」


「役目ってお前……まあいいけどさ。アルマのやつ、あれから探してみたんだけど、どこにもいなかったんだよ。部屋も留守にしてるみたいだし」


「他に心当たりの場所は?」


「購買も武練場も探したんだけどなぁ。後探してない場所といったら……んー、あそこぐらいかな?」


「心当たりがあるなら、放課後にでも行きたまえ。急いでな」


「俺、今日バイトあるから。明日でもいい?」


「……」


「ごめん、悪かった、冗談だ、解ってるって! マジで怖いんですけどその目!」


「ふん、どうだかな。本当に解っているのか? だいたいだな、君はいつもいつも女子達の気持ちを」


「そ、それよりもさ、ほら、見てくれよ。丸腰じゃ不便だろうって、予備の機関鎧をナワジ先輩に貰ったんだ。手足だけだけど、いい仕事してるよホント。流石はヒナコさんの孫、マウラワークスの一番弟子だ」


「またお嬢様の竜の息吹(ドラゴンブレス)で吹き飛ばされないようにな……む」


「……うわはー」


廊下の向こう側からこちらへとやってくる数名の人影。美麗字句を並べた大声のおしゃべりに、ナナシとクリブスの顔が歪む。

向ってくるのは貴族院の生徒達。権力を笠に着て威張り散らす、典型的な“嫌なヤツ”と呼ばれる者達だ。

どうにも顔を合わせたくない類の手合いだった。

彼らにとっては冒険者というものは、自分たちに“使われる”立場の下賤な者共、という認識らしい。事実、ナナシもセリアージュに支援を受けている立場だ。それについては何とも言い難かった。

ナナシのように個人契約を結んでいる者は別として、国家探索者とは国家の下により探索を行う者である。

国家を形成するのに最重要な要因とは、即ち金と権力だ。その両方を提供する貴族達にとり、自分達が国そのものであるなどと増長するのは、自然な事なのだろう。

政りの要がカネとコネであることは、どこの世界でも変わらないということだ。

結果的に冒険者と貴族は水と油の関係となり、相当に仲が悪くなっている。

彼らが学園に通うのは、そこに蓄えられた知力と、将来のための戦力の確保と、そして冒険者資格なぞ簡単に取れるわと箔付けするためだ。

セリアージュのように良心的な貴族は少なかった。彼女が変わり者なだけなのである。

クリブスも同じく高等貴族出身であったが、こちらは事情が違う。

お家事情というやつなのだが、クリブスの生家であるハンフリィ家では、どうやらクリブスのような“容姿”を持ったものは力を身につけなければならない、という家訓が存在するらしい。

その“容姿”の問題も相まってか、冒険者などをやっているクリブスは、彼らの悪意の格好の的となっていた。

貴族院の生徒達と、だんだんと距離が近づいていく。

向こうもこちらの姿を見咎めたようだ。

こちらを見る目に、侮蔑の色が混じるのを感じた。


「クリフ、目を合わせるなよ」


「ああ、解っているさ」


腹に据えかねたが、手を出された訳でもない。

ガンを飛ばされただけで噛みつくのは流石にどうかとも思い、踏み止まった。

こちらとしてはただ廊下の隅に身体を寄せ、彼らの通行の邪魔にならないよう、道を開けるだけだ。

向こうがどうするかは、解らないが。


「おや、これはハンフリィ家のご長男殿ではないか。どうやら御活躍されている御様子で。お噂はかねがね、聞いておりますよ」


「ええ……ありがとうございます」


「言わんこっちゃない」とナナシは面倒臭そうに一人言ちる。クリブスも苦い顔だ。

結局足を止めて、どうでいい“貴族的な世間話”をしなくてはならなくなった。


「貴殿も大変だな。こんな野蛮な冒険者共と一緒に暮らさなければならないなんて。我々と同じ貴族である貴殿には、耐えられないでしょう?」


「……あまり、彼らへの侮辱を口に出さないで頂きたい」


「ああ、これは失敬。そういえば貴殿も冒険者でしたな。許してくれ」


笑う貴族院の生徒達の肥えた腹が揺れるのを見ながら、ナナシは意識を飛ばすことにした。

恨めしそうにクリブスが睨んでいたが、気にしない。

窓の外を飛ぶ鳥を数え、時間を潰すだけである。今日も良い天気だ。

車両広場の片隅に設けられた小さな飛行場。垂直にそびえるロケットを括りつけたような飛行機……あれはもしや、宇宙船ではないだろうか。

素晴らしい。

銃よりも弓、という加護のおかげで逆転現象が起きているこの世界だ。技術の般化というものが為され難く、優れた分野とそうでない分野との開きが異様に大きい。

そんな中で、宇宙進出に目を向ける者がいるとは。

意識が着地する。

散々嫌味を吐いたからか、貴族院の生徒達はそのまま去っていった。

「何事もなかったな」と安堵の吐息を吐いた瞬間。

背後から、せせら笑う声が聞こえた。


人もどき(・・・・)が」


間違いなく、奴らはこちらに聞こえるように、そう言った。

クリブスの身体が一瞬硬直する。

ナナシは一瞬、我が耳を疑った。

人もどき(・・・・)、と奴らは言ったのだ。

様々な種族との混血が進み、ヒトという括りは大きくその幅を広げることとなった。

ある者は角を生やし、またある者は羽をその背に生やす。それがこの世界での一般的な人間の姿となった現在、より獣に近い容姿を持つ者のことを『ベタリアン』と呼称し、人種分けがされることとなっている。

別人種と見なすのは体構造が全く違うのであるから仕方がないが、そのために差別的な扱いを受けることも多々あった。

学者達の間では古き神の顕現であるとか様々な説が提唱されているものの、それでもベタリアンの社会的地位の向上は難しかった。

……あまり考えたくはない話題ではあるが、貴族間やあるいは奥地の田舎では、“間引かれる”ことも少なくはない。

人もどき、とは、そんなベタリアンに対する最大級の蔑称であった。

間違っても良識ある人間が、口にして良い言葉ではなかった。


「クリフ、抑えろ」


「ああ……解っているさ……」


クリブスの腕は小刻みに震えていた。

爪が手の平に食い込み、悔しさとやるせなさが滴り落ちていく。

ナナシはクリブスの握りしめられた拳を解すよう、手を添えた。


「お前は絶対に、手を出すなよ」


「ああ、解っている。解っているともさ、くそ……ッ!」


「酷だけれども、耐えてくれ」


「どうして貴族は、貴族という者共は、あんな奴らばかりなんだ……!」


「落ち着け。我慢だ、我慢するんだ」


クリブスの震えが止まるのを見計らい、ナナシはそっと手を離した。


「代わりに、俺がぶん殴ってやるから」


「……は?」


言うが早いか、ナナシは駆けだす。


「え……ちょっ、待て! 止まれ、ナナシ!」


筋肉の伸縮でキーを回し、フルスロットル。

全開駆動するギアが軋みを上げ、油圧シリンダが激しく上下する。

火が入った手足の機関鎧は、一歩踏みしめる毎に、ナナシに猛烈な加速を与える。


「馬鹿! 落ち着けと言ったのは自分だろう――――――!」


クリブスの制止の声。

ナナシは、口角を釣り上げることで答えた。


「悪い、無理だわ」


前の世界に居た頃じゃあ考えられないことだな、とナナシは笑いながら思う。

いつから自分は、こんな熱血キャラになったのだろうか。

現代人に相応しく、薄く細い人間関係しか築いてこなかった自分が、まさかこんな感情を抱くなんて。


「だってさ――――――仲間馬鹿にされて、黙ってなんていられるかって!」


まさか、仲間を馬鹿にされてキレるなんて。

叫びながらナナシは機関鎧を繰り、大きく跳躍。天井に“張り付いた”。

怒号を聞いた貴族達が振り返るが、そこには誰もいない。

天地を逆さにしたナナシは、蛍光灯の“ハリ”をスターティングブロックとし、再び“跳躍”。

彼らの頭上へと襲いかかった。


「こんッの、ミートボールどもが――――――ッ!!」


「貴様、冒険し――――――ぐぇぇっ!」


貴族の一人がナナシに殴り飛ばされ、ボールよろしく軽快に転がっていく。

取り巻きが手打ちにしてやると息巻く。

実力を思い知らせてやるだの、レベル差がどうのと喚いていたが、そんなことは関係がなかった。

機関鎧は、レベル差を埋めるために在るのだから。

一端の冒険者でもなし。ぬくぬくと育って来ただけのお坊ちゃんでは、レベル差がどれだけ開いていようが、相手にならない。

それを証明するように、また今、二人目の貴族が張り倒された。

ああ、とクリブスは頭を抱える。

事後処理のことを考えると、頭痛がしてたまらない。

セリアージュと共謀して隠蔽に奔走しなくてはならないだろうし、最悪家の力を使って圧力を掛けなくてはならなくなるだろうか。

完璧な飛び膝蹴りを決めているナナシ。三人目は泡を吹いて痙攣していた。

「まったく面倒なことをしてくれる」とクリブスは、ナナシの暴挙を諌めるために駆け出した。

さて、どうやってナナシを止めようか。

あの馬鹿は、本当に考えなしで困る。まったく、毎回苦情処理に奔走しなくてはならないこちらの身にもなって欲しい。


「ナナシ! この馬鹿! 何て事をしてくれたんだ馬鹿!」


「馬鹿でいいよ。ここで黙ってちゃ、仲間じゃないね!」


「本当に君は掛け値なしの馬鹿だな!」


そうナナシに悪態を吐くも、嬉し気に上がった口元を、クリブスは隠すことが出来なかった。



□ ■ □



勢いをつけて梯子を昇り壁面から顔を出せば、目当ての人物はそこに居た。

学園の敷地内でも端に位置するそこは、幾つも作られた校舎の屋上にある小さな噴水広場である。学園の敷地の端、崖に面した造りとなっていて、回りには何も見当たらない。こんな何もない場所を利用するのは、逢瀬に来た恋人達くらいだろうか。

しかし探し人にとっては都合が良い場所なのだろう。

タオルケットを頭からすっぽりと被り、影に隠れて膝を抱え、人の目から逃れるように、アルマはいた。


「アルマみっけ」


「……ひっ! だ、だれだ!」


「俺ですよー、と。隣、座ってもいい?」


「うあ、え? な、ナナシ様?」


「そうだよ。あと何度も言ってるけど、様は余計だから」


「はあ、あの、顔が腫れていますけれど、どうしたのですか?」


「ちょっと喧嘩しただけ、気にすんな。それよりも、探したよ。またこんな所にいたのか」


タオルケットの隙間から、アルマが困惑したような顔でこちらを伺う。

ナナシの思った通り、"青い肌”が覗く。

アルマ何をかを言う前に、ナナシはベンチの隣にどっかと座り込んだ。


「やっぱり、元に戻らないんだな」


「……角を折られましたので、数週間は」


「そうかい。今回は結構長いな」


青い肌に、伸びた真紅の角、そして銀の髪。悪魔のような外見は、天魔族の特徴だ。

アルマは膨大な魔力を精密操作して、純人種を装っていた。このようにして、自身の身体的特徴が国の歴史上、そして宗教上そぐわぬために、身を偽る者も少なからず存在する。

幻術や肉体操作等、様々な方法があり、アルマが用いているのは後者の法。魔力を用いて、自身の肉体を整形してしまうのだとか。その際の体内の変質も凄まじく、副作用を抑える常備薬が手放せないという。

しかし力の制御機関である角を折られてしまい、魔力のコントロールを失って、今は擬態することが不可能となってしまっていた。

アルマはクリブスと同様に、自らの真の容姿にコンプレックスを抱いていた。

両目に輝く金眼。天魔族の悪しき特徴の一つとされる“黒の海に浮かぶ金”は、古い歴史に登場する邪神の眼だ。

青肌金眼の邪神は、かつて暴虐の限りを尽くし、その娘に封ぜられたという。そして邪神の娘は後の天魔族の祖になった、というのがカスキア大陸の北部に伝わる伝承だ。

だが、たかが伝承と言い切ることはできない。

それが邪神であれ、神意の顕現とは、とてつもない影響を及ぼしてしまうのだ。人の精神しかり、文化しかり。

現人神(アラヒトガミ)となったというのだから、当時はそれは恐ろしいことになったのだろう。

邪神とそっくりな容姿であるとしたら、この世界ではそれだけで排斥の対象となってしまうのだ。

神の似姿であれば、加護の力たるや、強力でいて当然。それが邪神ならば、と考えてしまうのだろう。その思考まで、破壊の限りを尽くした邪神に似ているに違いないと。

アルマは語ろうとはしないが、過酷な幼少期を送ってきただろうことは、想像に容易い。

タオルケットを掴む青い細指は、深い傷が刻まれていた。

何と言葉を掛けたらいいものか解らず、ナナシは口を閉ざすしかない。


「どうして……」


「うん?」


「どうして、神は、こんなにも残虐なのでしょうか……?」


「……何でかな」


その問いに答えることはできない。

ナナシが、答えてはいけない。


「でも、何でもかんでも神様のせい、って訳でもないだろうさ」


「しかし……しかし、私は!」


「いい奴だなあ、お前は」


そう言って、ナナシはそっとタオルケットを外した。


「あ、わ、ナナシさまっ!?」


「うん、いい奴いい奴。優しい奴だ、俺の知ってるアルマは」


さわっていいかと断りを入れ、折れた角の断面に指を這わせれば、アルマは泣きそうな顔をして息を飲んだ。

「そんなことはない」と言いたかったのだろう。

だが、ナナシはその先を言わせなかった。


「だって、お前は全部を神様のせいにして、誰も恨んじゃいないから」


「う、ああ……っ!」


いい子いい子、と冗談めかして角に指を這わせる。


「こんないい子に少しもいい目を見せてやれない神様ってのは、ゲンコツものだな」


言って、笑いながら握りこぶしを作れば、機関鎧がミシリと軋みを上げた。

アルマはぎゅっと唇を引き絞り、寂しそうな笑みを浮かべると、顔を俯かせた。


「……覚えておいでですか? ここで、初めて会った時のことを」


ぽつり、ぽつりとアルマは語り出す。


「忘れもしません。あれは、願掛けの儀式があった日でした。冒険者科の新入生達が、それぞれ自分の願いを込めたコインを泉に投げ入れていた時、私は一人、それを遠くから眺めていた」


ああ、とナナシは返事を返す。

ナナシも、忘れてなどいなかった。

この泉は最初に作られた校舎の屋上に作られていた。今でこそ都市化し増殖を続ける学園であるが、初志を忘れてはならないと、発展を願うという意味で、新入生のための願掛けの儀式に使われる場所となっている。

人気が少ないのは、老朽化が進んでほとんど廃校状態となっているからである。

軋む階段を上って、泉の前に立った日。

沈む陽の赤を見詰めていた新入生の頃を思い出す。


『あれ、そっちも願い事が決まらないクチ?』


『えっ、あ、あなたは……!』


『ああ、同じ新入生なんだ。そう堅くならないで』


『あ……はい……その、何を祈ればいいものか、分からなくて。貴方も、そうなのですか?』


『いやあ、俺は神様に顔向け出来なくって……いや、ここに居るってことは、冒険者志望なんだろ? じゃあ安全祈願とかでいいんじゃないか?』


『いえ、その、私が冒険者科に来た理由は資格のためではなく、あな……とあるお方の御側に居るためで……。私自身の願いなど、捨て去ってしまったと思ったのに、いざ前にしたら……浅ましいですよね、私は』


『ふうん? よくわからないけど、負い目があって願い事が出来ないってこと?』


『……はい』


『真面目だなあ。願うだけはタダなのに』


『それは、そうですが』


『よし、じゃあこうしよう。名前、何ていうの?』


『あ、アルマです』


『アルマ、ね。それっ! 俺の願いは、隣にいるアルマの願いが叶うこと! あんたが人の願いを司る神というなら、叶えてみせろってんだ! 出来るものならな!』


『えっ……!』


『はい終わり。じゃあ、また明日な』


『ま、待って下さい! なぜこんな……! いえ、叶わないとしても、あなた自身の事を願うものでしょう!』


『んー、俺の願いは、誰かに叶えてもらうもんじゃないからさ。自分の足で迎えに行くよ。だって、冒険者だから』


『……!』


『なんて、駆け出しが言っても決まらないなあ。ああ、そうだ。今さ、パーティーメンバー探してるんだけど――――――』


四年前、アルマへと何とはなしにナナシは答えていた。

しかしアルマは、それが特別な事だったと、そう言う。


「衝撃でした。まさか、神の祝福を他人へ譲るなんて」


「まあ、俺には意味がないからな」


「それでも、私にとっては考えられない事でした。願掛けくらいはするものだと」


「願掛けも、俺には意味がないよ。神様には頼らずに、自分でどうにかしなきゃいけないことだから」


「だからですよ。だから私は決めたんです。この身に代えても、貴方に尽くそうと」


「……ほんと、真面目な奴」


「だから……私は自分が情けない! 何も出来ずに倒れて、こうして今も、人々の目から逃げ続けている、弱い自分が!」


叫ぶ。

自身に叩き付けるようにして。


「私は半端者だ! 天にも魔にも属さず、人にもなりきれない! 力だって弱いまま! 本当は兵士にもなりたくなんてなかった!」


「……そっか」


「だから、だから……!」


強くなりたい、と言いたいのだろうか。

いいや、それは違うだろうとナナシは思う。

アルマは俯いて肩を震わせていた。泣いているのだろうか。


「私は誓います! 迷いを捨て去ることを!」


立ち上がったアルマの手には、コインが握られていた。

少しだけ汚れたそのコインは、四年前の儀式に使われるはずだったものだ。今までずっと、残しておいたのだろう。

アルマなりのけじめなのだ。ナナシは納得した。

きっと、神様に捧げるべきことは、願いではなく、誓いなのだ。

それが、この世界に来てナナシが見つけた、神々との付き合い方だった。


「ナナシ様、お願いがあります」


真剣な顔をして、アルマはナナシへと向き合った。

黒地に浮かぶ金色の瞳が、ナナシを貫く。


「祝福を、していただけませんか?」


「おいおい、それこそ神様の仕事だろう。こんなんでも一応儀式なんだから、俺なんかに祝福されたとあっちゃあ、お前の加護神が黙っていないぞ」


「口約束だけでいいんです。私は放神を行い、そして新しい神を仰ぐと決めましたから」


「……いいのか? またレベル1からやり直しだぞ?」


放神、とはこれまで奉じていた神への信仰を捨てることだ。

受けていた加護は当然、ゼロへと帰ることになる。

アルマが言う放神は、その兵士として仰いでいた神のことだ。

即ち、初めからやり直すと言っているのだ、アルマは。


「はい。承知の上です」


アルマの真っ直ぐな眼差しを受け、ナナシはしばし考え込む。

放神を行うともなれば、リスクが大きすぎる。しかも五年次生にもなったこの時期にレベル1となることは、アルマ個人の問題で収まるものでもなかった。


「それがパーティーの足を引っ張ることになったとしても?」


「修練に全ての時間を注ぎます。すぐに、皆に追いついてみせると約束します」


「……決意は固いみたいだな」


「はい。貴方に、認めて貰いたいのです」


在学中にパーティーメンバーが変動することは、もちろん多々ある。

人数だってまちまちで、極端な例では、かつてのクリブスのように一人で迷宮に挑むことも許されるのだ。逆に大規模な迷宮では、冒険者ギルドそのものが軍隊規模の部隊を組織して動くこともありえた。

アルマの決意を見て、ナナシもソロ攻略の危険性を考えた。アルマはきっと、レベルがあがるまで、一人で迷宮に挑むのだろう。

手伝えば幾分かは安全ではある。だがそれを、自分たちは待っていることは出来ない。

放神を行うことによるパーティーへのリスクを考えれば、副リーダーとしては引き止めるべきだ。

だがナナシには、それを口にすることも出来なかった。

ただ純粋に、アルマの決意を祝福しようと、そう思った。

どうしても甘さが抜けない。

悪い癖だと思う。

クリブスに後で存分に叱られよう。


「……ああ、解った。俺でよかったら、祝福するよ」


「ありがとうございます!」


「クリブスには、あー、俺が後で言い訳しとく」


顔をぱっと輝かせたアルマは、しかし、とすぐにまた顔を俯かせた。


「私は、決して明かすことの出来ない罪を、犯しています。そんな私でも、貴方は受け入れて下さいますか……?」


「みなまで言うな。俺だって秘密の一つや二つくらいあるさ」


肩をすくめながら、ナナシは笑った。

もちろん、自分が異世界から来たことは、パーティーメンバーの誰にも話したことはなかった。

しかし封印の無効化等、自分の特異性はメンバー達に知れ渡っている。勘繰られるのは当たり前だと思っていたが、これまで誰も踏み込んで聞き出そうとはしなかった。

個人のバックグラウンドをとかく聞かないのが冒険者のマナーではあるが、それだけではないだろう。自分を思いやってのことであることは、ナナシにも理解出来ていた。

有り難いと思った。だが命を預けあう仲なのだ。いつかは話さなくてはならないと思っているが、どうにも中々踏ん切りが付かずにいた。こういう時に、どうにも小心な自分が心底嫌になる。

ジョゼットの真似をして強さを装ってはみても、本質は変わらないのだと、事実を突きつけられた気分だった。

しかし、自分が正式な儀式に則って祝福など行ってしまったら、どうなるのだろうか。

恐らくは大丈夫であると思うが、不安だ。


「ああ、それは大丈夫ですよ。あくまで私が決めて、行うことですので。その、祝福と言うのも、その……」


「何だよ、ここまで来たら言っちゃえよ」


「その……どうか、お認め頂けたら、それだけで……」


放神し、仰ぐ神を変えることはアルマ自身の為すことであるということだ。

ナナシに祝福をとも言ったが、それは「よかったね」という言葉の上での祝福の意味しかもたないのだと。

認めてくれと。


「ああ、それくらいなら。もちろん、認めるよ。俺が認める」


「あ……ありがとうございます!」


そこまで喜ばれると、こちらとしても嬉しくなる。

アルマの青い肌は上気しても色身が変わらぬままであったが、ナナシにはアルマの深い青が、とても綺麗に見えていた。


「では失礼をして……えいやっ!」


アルマがコインを泉へと投げ込む。

一呼吸後、上がる水柱。

天魔化した膂力で全力で投げ込んだのだろう。破裂音を立てながら、コインは泉の水をぶちまけた。

ナナシの頬が引きつる。

鈍色はこれ以上の膂力を誇っているという。じゃれつくのは愛情表現だとクリブスは言っていたが、その愛で自分は死ぬかもしれなかった。

返す返す、自分が生きていられるのは幸運なのだな、と思う。

しかしこれは、強すぎではないだろうか。


「神よーッ! 聞こえるか! 私は、お前達が、昔から大っ嫌いだったッ! そしてそれは、これからも変わらないだろう!」


アルマの宣誓が始まった。


「だが、私をこんな素晴らしい人達と巡り合わせてくれたことだけは感謝している! だから、ここに誓いを立ててやるッ!」


アルマの足元に、幾何学的な魔法陣が出現。円柱状に放射される魔力光に、アルマの身が包まれていく。

形としては、かつてジョゼットがナナシに行った命名の儀に近い魔術構成だろうか。

違いは、これがナナシが起こした魔法現象ではないということ。アルマに宿る神性が引き起こしたものだ。


「ナナシ・ナナシノ様を生涯の主とし、永遠の忠誠を捧げることを――――――!」


「ああ、認めよう。ジョゼット・ワッフェンが弟子、ナナシ・ナナシノの名において……って、あれ? ちょっと待て、おかしくないそれ? 今なんて言った!?」


静止の言葉を口にするよりも早く、アルマの身体から不可視の何かが抜け出て行き、そして何をか別のものが宿った、ような気がした。

唖然とナナシが呆けている前で、アルマは片膝をつき、頭を垂れた。


「お、おい!」


「やっと……やっと、貴方にお仕えすることができます。こんなにも幸せなことはありません。私が頭を垂れることを認めて下さったこと、感謝します」


「えっ、ちょっ、まっ……ええー……」


そのままナナシの手を取って、爪先に口を付ける。


「我が主、ナナシ・ナナシノ様。貴方に永遠の忠誠を誓います」


「うわっ、ちょ、こら! 汚いだろうが、ぺっしなさい! ぺって!」


「ナナシ様の身に汚い所などありません。ありえません! 私の言葉を嘘だとお思いならば、今ここで体中に舌を這わせてみせます」


「いや、やめろよ!」


「どこでも、どこででも! 私は出来ます、いいえ、させてください!」


「何でこんなことに……!」


肝が据わったのか、アルマの顔からは険が取れていた。

とにかくアルマを立ち上がらせ、ああ、とナナシは天を仰ぐ。

初対面から何かと自分によくわからない敬意を向けていたアルマだったが、まさかこんな事を仕出かすとは。

宣誓の句から察するに、恐らくは他者に仕えることを訓戒とする神が、新しく加護神に付いたのだろう。

正直なところ有難迷惑でしかない。


「お前、今からでも遅くないから、誓いをやり直してだな」


「……ご迷惑でしたか? 私のことが気に食わないのでしたら、そう仰ってください。このまま何処へなりとも消えますので」


「ええい、そこまで思い詰めんでもいい!」


仰いだ天には、いつの間にか星が瞬いていた。

ナナシは、やっぱり向こうよりも星が多くて綺麗だな、と現実逃避気味。

こちらに来て思い通りになったことなど、一度もなかったのだから仕方がない。

異世界のくせに、世界の厳しさまで一緒だなどと、本当にやめてほしかった。


「私の罪が暴かれた時、いかようにして頂いてもかまいません。ただ、ただ私の忠誠だけは一片も変わらぬということだけは、信じて頂けませんか……?」


「わかったから……後でちゃんと教会に行って、登録と正式な手続き踏んでくるように」


「はい! ありがとうございます、“ご主人様”!」


「もう好きにしてくれ」


そういえば、とナナシは思う。

この状態のアルマが笑った所を見るのは、初めてではないだろうか。

きっとこれが人肌であったなら、うっすらと頬を桜色に染めているのだろうが、青い肌は血色が良くなっても青いままだった。

折れた角からはしゅうと魔力の煙が上がっているし、細長い尻尾はうねうねと踊っていて、細められた眼からこぼれる金色の眼球は、嬉しそうに此方を見上げていた。

あんまり嬉しそうに笑うものだから、ナナシは咎めるべき言葉を見失ってしまった。

それに気付いたのは、翌日のことである。


「ご主人様!」


「止めて。お願い。止めて」


後悔とは後で悔やむものだと、読んで字のごとく、後悔する羽目になってようやく気付いたのであった。

メイドさんが好きです。

でもKMMMケモミミろりっこはもーっと好きです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ